『ファウスト』『ダーク・シャドウ』 中世の闇
Faust & Dark Shadows(film review)
『ファウスト』(アレクサンドル・ソクーロフ監督)と『ダーク・シャドウ』(ティム・バートン監督)を続けて見て、一方はゲーテ原作の映画化でヴェネツィア映画祭でグランプリを得たアート的作品、他方は子供の頃見たヴァンパイアTV映画に惚れたジョニー・デップが製作したハリウッド製エンタテインメントと対照的な映画だけど、いくつかの共通点があるのが面白かったな。
ひとつは、両方とも撮影監督が同じブリュノ・デルボネルだったこと。もっとも、同じ撮影監督が撮っているとはいえ2本の映画の映像はまったく違う。
『ファウスト』は19世紀初頭、まだ中世の空気を残すドイツの町が舞台。その石造の町と粗末な衣服を着た登場人物が、発色を抑え、茶色(時に青色)がかったくすんだ色調で再現されている。以前、ロシア映画『父、帰る』などで使われていた銀残しの手法だろうか。銀残しというのは、フィルムを現像処理するとき本来取り除く銀をそのまま残す手法で、これによって画面のコントラストが強まり、黒が締まり、色彩の彩度が落ちる。そのことで「古びて」「時代がかった」感じが生まれる。この映画はチェコの古い町でロケしたらしいけど、そんな伝統的な映画づくりによって、古い無声時代の映画のような感触で撮影されている。
一方の『ダーク・シャドウ』の設定は、1972年のアメリカ北東部メーン州の港町。200年前につくられたヨーロッパの古城ふうな舘と港町がイギリス・ロケで再現されている。古い舘を舞台にしたヴァンパイアものだから、こちらもタイトル通りダークな色彩が基調になっているけれど、血の赤はもちろんのこと、シボレーやドレスや下着やカーテンの赤が黒色と強烈なコントラストをつくっているのが印象的。いかにもハリウッド的お遊び感覚にあふれた色彩設計というか。
撮影監督のブリュノ・デルボネルはフランス人。『アメリ』のファンタジックな映像で売り出した。その後、『ロング・エンゲージメント』『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を撮り、3本ともアカデミー賞にノミネートされている。この撮影監督の名前、覚えておこう。
共通点のふたつめは、メフィストフェレス。まあ、『ファウスト』に登場してくるのは当たり前だけど。
映画『ファウスト』は、ゲーテの原作を自由に翻案したもの。原作で主人公のファウスト(ヨハネス・ツァイラー)を誘惑する悪魔・メフィストフェレスは、映画ではミュラー(アントン・アダシンスキー)という高利貸になって現われる。ミュラーが裸になって女たちが沐浴しているところに入っていくシーンがあるけど、ミュラーの下半身には男根ではなく尻尾がついている。このあたりの奇っ怪さがソクーロフ監督らしいところ。
『ダーク・シャドウ』の主人公バーナバス(ジョニー・デップ)は、18世紀、愛人だった魔女によってヴァンパイアにされ、封印され埋められた設定。それが200年後の1972年に封印が解かれて甦り、18世紀のヴァンパイアが1970年代アメリカに戸惑うのが笑いの種になってる。バーバナスが甦ったのは工事現場。そばにマクドナルドがあり、夜空に光る「M」の文字をバーバナスが200年前に見たメフィストフェレスの「M」と間違えてびっくりする。深読みすれば、マクドナルドは現代の悪魔であるってことか。アメリカ人を肥満にするための。
ほかに歌手の「カーペンターズ」を「大工」と取ったりするギャグと、70年代音楽は魅力的だけど、ティム・バートンらしいブラックな面白さにいまいち欠ける。ごひいきミシェル・ファイファーも、悪役のほうが彼女の魅力を引き出せたと思うけどなあ。
ところで『ファウスト』も『ダーク・シャドウ』も中世ヨーロッパの悪魔や魔女のフォークロアが基になっている。ファウスト伝説はゲーテやトーマス・マンの小説、シューマンやリストの音楽を生み、ヴァンパイア伝説はムルナウの古典『吸血鬼ノスフェラトゥ』はじめ数々の傑作映画を生み出した。ヨーロッパ中世の闇が今にいたるまで小説や映画や音楽の豊かな源泉になっているのには感心する。日本にも同じようなフォークロアがあるけど、こんなふうに創造の源になってはいないように思う。そういうことが小説や映画の厚み、深みにも関係してくるんじゃないだろうか。
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