『ルート・アイリッシュ』 民間兵士の死
僕は社会的な問題や不正を告発するいわゆる社会派の映画がどうも好きになれない。この世界は矛盾に満ちているわけだから、そのような映画が存在する理由は分かっているけど、体質として受けつけない。10代のころ、今井正、山本薩夫、熊井啓といった監督たちの映画を熱心に見たことがあり(一方で若尾文子の谷崎物にいかれてたけど)、その後嫌いになった反動が未だに続いてるのかもしれない。
なぜ嫌いになったか考えると、たいていの映画で、主人公はなにかしら正義を背負っているか、みじめに押しつぶされるあわれな犠牲者で、その造型がヒューマニズム止まり、それ以上の人間存在に届いていないと感じられるようになったからだと思う。見る者の情動をかきたてるセンチメンタルな映画が多いのもいやだった。
今、世界でいちばん社会派らしい社会派監督といえば、イギリスのケン・ローチだろう。アイルランド独立をテーマにした『麦の穂をゆらす風』とか、下層社会に生きる少年を描いた『SWEET SIXTEEN』とか、スペイン内戦を扱った『大地と自由』がその代表作。ところがこのケン・ローチ監督、僕が10代のころ見た柔な社会派映画とはモノが違う。その人間像の深さにいつも圧倒される。
『ルート・アイリッシュ(原題:Route Irish)』も、そんな1本だった。もっともリアリズムのローチ監督には珍しく、謎を追うミステリーのスタイルを取っている。
「ルート・アイリッシュ」とはイラク戦争下、バクダッドを占領した米軍の管轄地域(グリーンゾーン)とバクダッド空港を結ぶ道路のこと(なぜ「アイリッシュ」なんだろう?)。イラクの反体制派がここを走る米軍と協力者の車両を狙ってテロをしかける「死のルート」だ。
リバプールの下層社会で育った幼馴染、ファーガス(マーク・ウォーマック)とフランキー(ジョン・ビショップ)は、民間軍事会社(private militaly company)の兵士としてルート・アイリッシュで警備に当たっていた。一足先にリバプールへ戻ったファーガスの元に、フランキーの死の知らせが届く。フランキーはファーガスに携帯電話を残したが、そこに残された映像は、民間兵士が子供を惨殺したことを思わせるものだった。フランキーの死に疑問を抱いたファーガスが調べはじめると……。
『ハートロッカー』とか『告発のとき』とか、これまでもイラク戦争を舞台にした映画が何本かあったけど、『ルート・アイリッシュ』がそれらと違うのは、主人公が正規の軍隊の兵士でなく民間会社に雇われた兵士ということだろう。
実際、イラク戦争ではブッシュ政権の方針でハリバートン社など計18万人の民間人がバクダッド占領後の警備業務に従事していた(wikipedia)。彼らは捕虜の扱いを定めたジュネーブ条約に縛られず、イラクの国内法にも縛られない超法規的存在としたあった。ブラックウォーターUSA社の兵士はイラク民間人17人を殺害するブラックウォーター事件を引き起こした。この映画は、そうした事実を踏まえているのだろう。
だからフランキーの死の真相をつきとめようとするファーガスの行動は、いかなる社会的正義とも無縁のものとしてある。その過程で、ファーガスは戦場がむき出しにした獣性を露わにしていく。フランキーを殺害した犯人と目星をつけた同僚を拷問にかけ、殺してしまう(実は彼が殺したのではないことが後に分かる)。新たに判明した殺人者には、戦場と同じ爆弾テロをしかける。
そんなファーガスの自滅にいたる道を、ケン・ローチはセンチメンタルな感情を排除して描き出す。フランキーの恋人との危うい関係といい、この映画は苦い。その苦味が、ずしんと来る。
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