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April 30, 2012

柳家小三治を聞きに

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enjoying rakkugo, traditional comic storytelling

落語はCDやテープで聞くことが多いので、生で聞くのは一昨年の快楽亭ブラック以来。柳家小三治を聞くのは20年ぶりくらいだろうか。でも小三治の評判のまくらを活字化した『まくら』『もひとつ ま・く・ら』(講談社文庫)は、『志ん朝の落語』(ちくま文庫)とともに風呂の友。ぬるい湯に長時間つかりながら楽しむ。

小三治は病気をしてから高座に上る回数が少なくなり、チケットがなかなか手に入らないと聞いている。だから地元でやることを知ってさっそく申し込んだ。1300席もあるホールを満員にするんだからすごい。

今日は『まくら』に収められているような長いまくらはなし。現代人にはわからない噺の中味、「四神剣」の解説や舞台になる料亭が日本橋のどこにあるかをまくらにして、「百川(ももかわ)」。田舎訛りまるだしの百兵衛と、見栄っ張りの河岸の若衆が江戸弁でのこっけいなやりとりが絶品。

仲入り後は「転宅」。浜町河岸、見越しの松に黒塀の粋な家屋に住む元義太夫師匠のお妾さん。そのしたたかな色っぽさとドジな泥棒のやりとりに笑う。

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April 29, 2012

小さな花

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flowews in my garden

アロニア・アルブティフォリアの花。ひとつひとつの花が小さいので、目をこらさないとこの美しさには気がつかない。

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白のアヤメ。お隣からいただいた。


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April 24, 2012

田老のワカメ

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seaweed from Taro destroyed by the earthquake

去年の11月、地震で壊滅的被害を受けた岩手県田老をたずねたとき、浜で漁師たちがワカメの種をロープに挟んで養殖再開の準備をしていた。来年春には食べられるよ、と言われたが、そのワカメが収穫されたらしく、店頭に並んでいる。さっそく買ってきて味噌汁に。

「復興」のラベルが貼られ、「震災以来1年ぶりの収穫品。明日に向かって歩みだそう」と書かれている。


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April 21, 2012

『キリング・フィールズ 失踪地帯』 湿地の死体

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Texas Killing Fields(film review)

冒頭、この映画はおおよそ事実に基づいているというクレジットが出る。

『キリング・フィールズ(原題:Texas Killing Fields)』は、テキサス州東部で起こった未解決の連続殺人事件を題材にしている。ヒューストンからメキシコ湾にいたる80kmの幹線道路沿いで1970年代から40人近い少女やティーンエイジャーが行方不明になり、周辺の油田地帯や湿地帯で死体が発見された。事件の発生は38年間に及び、1件も解決されていない(Cold Case USA)。アメリカでは有名な事件らしい。

場所はテキサス東部で、ニューオリンズのあるルイジアナ州境に近いから、テキサスといっても砂漠でなく湿地帯。立ち枯れた樹木の黒々とした影が連なる湿地帯の風景が、この映画の基調となるイメージ。そんな枯木立に囲まれた水辺の底に死体が捨てられている。たしかに「キリング・フィールズ」と呼びたくなる気配。実際にルイジアナの、ハリケーン・カトリーナでやられ荒涼とした地域でロケされている。

地元出身のマイク(サム・ワーシントン)とニューヨークから転属してきたブライアン(ジェフリー・ディーン・モーガン)の2人の刑事が、若い女性が連続して殺された事件を追う。何人かの怪しい男が浮かんでくるが、そんなとき、ブライアンが世話をやいてきた少女・アン(クロエ・グレース・モレッツ)が行方不明になる……。

アンをめぐるいくつかのショットが記憶に残った。夕暮れの路上、ガソリンスタンドの淋しい灯りのなかに立っているアンをぐるりと回る移動ショット。田舎町を走るフリーウェイの橋桁の下、人気のない沼地を歩くアン。雨に濡れ街の歩道を歩くアン。『キック・アス』や『ヒューゴの不思議な発明』に出ていた少女クロエ・グレース・モレッツの、前作では見せなかった大人のような意思的な表情が素敵だ。

もっとも、映画全体はやや平板。クライム・サスペンスとしての緊迫感に欠けるし、2人の刑事やアンの描き方も深みがない。監督のアミ・カナーン・マンはマイケル・マンの娘。父親のスタイリッシュなアクションもののようにとは言わないが、もっとアクセントがほしいなあ。

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April 18, 2012

『ドライヴ』 日本映画の匂い?

Drive
Drive(film review)

『ドライヴ(原題:Drive)』の寡黙な一匹狼の主人公を見ながら、ありえない感想が頭をよぎった。これってまさか『遊侠一匹 沓掛時次郎』のアメリカ版リメイクじゃないよなあ。

『遊侠一匹』は長谷川伸の原作を加藤泰監督が中村錦之助主演で映画化した股旅ものの傑作だ。流れ者。寡黙で、しかし武器を取ったら凄みのある使い手。殺して(死なせて)しまった男の、子連れの妻へのひたむきな愛。抑制と爆発。闇の豊かな情感。物語の設定も主人公の造型も映画の雰囲気も、2本の映画はとてもよく似てる、と思った。

クエンティン・タランティーノが日本の任侠・ヤクザ映画に入れ込んだのは有名な話だけど、デンマーク出身のニコラス・ウィンディング・レフン監督が股旅映画まで見ているとは思えない。もう少しあるうる可能性としては、この主人公の造型にはジャン・ピエール=メルヴィル監督のフィルム・ノワールの影があり、メルヴィルにはアラン・ドロンが寡黙な暗殺者に扮した『サムライ(Lu Samourai)』があることから分かるように日本映画への興味があり、それが間接的に『ドライヴ』に流れ込んで、どこか日本映画と共通の匂いをもつ作品になったという仮説。ほとんど冗談だけど。

昼は映画のスタント・ドライバー。夜は強盗の逃亡を請け負う闇のドライバー。主人公が名前を持たず単に「ドライバー」(ライアン・ゴズリング)と呼ばれるのは、ダシール・ハメットの名無し探偵「コンティネンタル・オプ」以来のハードボイルドの伝統を背負っているということだろうか。

主人公の「ドライバー」が映画のスタント・ドライバーで、その腕に投資するマフィアが元映画プロデューサーという設定からも窺われるように、この映画にはさまざまな映画的記憶が散りばめられている。そもそも犯罪者の逃亡を請け負うドライバーという設定自体、1970年代にライアン・オニールが主演した『ザ・ドライバー』とまったく同じだし、ウィンドーの外に広がる夜の都会の艶やかな風景は、ロサンゼルスとニューヨークの差はあれ『タクシー・ドライバー』のテイストによく似てる。VFXを使わない(ように見える)カーチェイスはスティーブ・マックイーンの『ブリット』以来のカーチェイス映画へのオマージュだろう。

それまでクールで抑制の効いた優男の主人公が、エレベーターで彼を狙う男を殺すところからいきなりサディスティックな暴力男に豹変するのは、リアリズムの観点からは納得がいかないけど、わざとB級映画のテイストにしてるのかもしれない。「ドライバー」がいつもサソリの刺繍の入ったブルゾンを着ているのも、マフィアを演ずる怪優ロン・パールマンの起用もそう。

いろんな意味で映画好きの心をくすぐる小粋な映画でしたね。こういう面白い小品にぶつかるのが、映画を見る楽しみのひとつ。だから、ハズレ覚悟でいろんな映画に手を出してしまう。ヒロインのキャリー・マリガンのくしゃっとした笑顔がかわいい。


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April 17, 2012

ボケと海棠

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flowers in my garden

この数日、暖かくなって、いっせいに庭の花が咲いた。ボケ。

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海棠。

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ドウダンツツジ。

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アヤメも青い蕾が出てきたと思ったら、あっという間に花が開く。

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April 11, 2012

『ルート・アイリッシュ』 民間兵士の死

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Route Irish(film review)

僕は社会的な問題や不正を告発するいわゆる社会派の映画がどうも好きになれない。この世界は矛盾に満ちているわけだから、そのような映画が存在する理由は分かっているけど、体質として受けつけない。10代のころ、今井正、山本薩夫、熊井啓といった監督たちの映画を熱心に見たことがあり(一方で若尾文子の谷崎物にいかれてたけど)、その後嫌いになった反動が未だに続いてるのかもしれない。

なぜ嫌いになったか考えると、たいていの映画で、主人公はなにかしら正義を背負っているか、みじめに押しつぶされるあわれな犠牲者で、その造型がヒューマニズム止まり、それ以上の人間存在に届いていないと感じられるようになったからだと思う。見る者の情動をかきたてるセンチメンタルな映画が多いのもいやだった。

今、世界でいちばん社会派らしい社会派監督といえば、イギリスのケン・ローチだろう。アイルランド独立をテーマにした『麦の穂をゆらす風』とか、下層社会に生きる少年を描いた『SWEET SIXTEEN』とか、スペイン内戦を扱った『大地と自由』がその代表作。ところがこのケン・ローチ監督、僕が10代のころ見た柔な社会派映画とはモノが違う。その人間像の深さにいつも圧倒される。

『ルート・アイリッシュ(原題:Route Irish)』も、そんな1本だった。もっともリアリズムのローチ監督には珍しく、謎を追うミステリーのスタイルを取っている。

「ルート・アイリッシュ」とはイラク戦争下、バクダッドを占領した米軍の管轄地域(グリーンゾーン)とバクダッド空港を結ぶ道路のこと(なぜ「アイリッシュ」なんだろう?)。イラクの反体制派がここを走る米軍と協力者の車両を狙ってテロをしかける「死のルート」だ。

リバプールの下層社会で育った幼馴染、ファーガス(マーク・ウォーマック)とフランキー(ジョン・ビショップ)は、民間軍事会社(private militaly company)の兵士としてルート・アイリッシュで警備に当たっていた。一足先にリバプールへ戻ったファーガスの元に、フランキーの死の知らせが届く。フランキーはファーガスに携帯電話を残したが、そこに残された映像は、民間兵士が子供を惨殺したことを思わせるものだった。フランキーの死に疑問を抱いたファーガスが調べはじめると……。

『ハートロッカー』とか『告発のとき』とか、これまでもイラク戦争を舞台にした映画が何本かあったけど、『ルート・アイリッシュ』がそれらと違うのは、主人公が正規の軍隊の兵士でなく民間会社に雇われた兵士ということだろう。

実際、イラク戦争ではブッシュ政権の方針でハリバートン社など計18万人の民間人がバクダッド占領後の警備業務に従事していた(wikipedia)。彼らは捕虜の扱いを定めたジュネーブ条約に縛られず、イラクの国内法にも縛られない超法規的存在としたあった。ブラックウォーターUSA社の兵士はイラク民間人17人を殺害するブラックウォーター事件を引き起こした。この映画は、そうした事実を踏まえているのだろう。

だからフランキーの死の真相をつきとめようとするファーガスの行動は、いかなる社会的正義とも無縁のものとしてある。その過程で、ファーガスは戦場がむき出しにした獣性を露わにしていく。フランキーを殺害した犯人と目星をつけた同僚を拷問にかけ、殺してしまう(実は彼が殺したのではないことが後に分かる)。新たに判明した殺人者には、戦場と同じ爆弾テロをしかける。

そんなファーガスの自滅にいたる道を、ケン・ローチはセンチメンタルな感情を排除して描き出す。フランキーの恋人との危うい関係といい、この映画は苦い。その苦味が、ずしんと来る。

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April 09, 2012

浦和ご近所探索 別所沼の桜

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in full cherry blossoms in Besshonuma Park

毎年、桜の季節に必ず見に行く別所沼の染井吉野。8分咲き。2本ともかなりの古木で(染井吉野は寿命が短いが)、根が弱っているのだろう、花の下で宴会ができないよう、この木だけロープが張られている。

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April 07, 2012

ようやく沈丁花

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a fragrant daphne in my garden

沈丁花がようやく咲いた。日陰にあり、もともと花が咲くのが他より遅いけれど、4月になったのは初めて。沈丁花はいちばん寒い時期の花だけど、満開の桜と同時期なんて季節感が狂う。

30年近く前、初めて韓国に行った。5月で、あらゆる花がいっせいに咲いていて、大陸の春なんだなあと思った。今年はそれに近い。

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レンギョウ。

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ユキヤナギ。


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April 05, 2012

嶋津健一ハードバップ・トリオ

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Shimazu Kenichi Trio live

ピアニスト嶋津健一はリーダーとして複数のグループを持ってるけど、林正男(b)、今村健太郎(ds)と組むこのトリオは1950年代の、ジャズがいちばん面白かった時代のいわゆるハードバップを中心に演奏している。ノリのいい、しかも美しいプレイを堪能した(3月29日、赤坂・リラキシン)。

この夜演奏した曲の作曲者を並べるとウィントン・ケリー、ウェス・モンゴメリー、デイブ・ブルーベック、ベニー・ゴルソン、ハンク・モブレー、ボビー・ティモンズ、ジジ・グライスと、ファンキーでブラックなハードバップ全盛期の錚々たる面々ばかり。演奏したのは彼らの有名曲ではなく、嶋津の美意識に触れる、結果としてあまり知られていないものが多い。そこに嶋津のオリジナル曲がちりばめられる。

1980年代後半から90年代前半にニューヨークにいた嶋津は、多分ハードバップを演奏する機会が多かったんだろう。その反動からか、日本に帰国してからはハードバップをめったにやらなくなり、自分の音楽世界を深めていった。その成果は加藤真一(b)、岡田佳大(ds)のトリオで出した4枚のアルバムに記録されている。美しいバラードあり、「いそしぎ」や「シェルブールの雨傘」など名曲あり、オリジナルありで、どれも僕の愛聴盤になっている。

そのトリオが解散したのは、やりたいことをひとまずやり終えたということだろうか。嶋津が再びハードバップに取り組みはじめたのは、そんなふうに舞台が一回りし、肩の力も抜けて原点に戻ったからなのかも。このトリオがどんなふうに進化するのか。楽しみだ。

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April 01, 2012

夜と朝の相模湾

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Sagami Bay at night and morning

静岡県三島に用事があり、翌日は伊豆の池田20世紀美術館で宮迫千鶴展のオープニングに出るため途中の宇佐美に泊まる。夜の相模湾。対岸は伊東市街。

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朝の逆光のなかで。


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『RIVER』 路上の風景

River
River(film review)

世界にすごい監督はたくさんいるけど、好きな監督となると、その数はぐっと減る。例えば僕の場合、ラース・フォン・トリアーのように、すごい監督のつくる映画が必ずしも好きとは限らない。逆に好きな監督の映画が必ずしも作品として出来がいいとは限らない。好きというのは映画の良し悪しとあんまり関係なく、肌合いが合うというか、テイストの問題が大きいからだろう。その意味で廣木隆一監督は好きな監督のひとりだ。

廣木監督の映画がなぜ好きかと考えてみると、ひとつには職人性と作家性がほどよくバランスされていることがある。かつて5社体制のなかで増村保造、川島雄三、加藤泰、深作欣二、神代辰巳といった監督たちがエンタテインメントでありながら作家的な主張を持つ映画をつくっていたけど、廣木監督はそういう流れを汲む今や数少ない一人だと感じてきた。

もっとも彼の場合、1本の映画に作家性と職人性が共存しているというより、ある場合にはエンタテインメント性が勝ち、ある場合には作家性に傾いて、トータルで見るとバランスが取れているといった感じ。ただ僕は廣木監督のピンク時代の映画をまったく見てないし、いちばんメジャーな『余命1ヶ月の花嫁』も見てないから、あくまで見た範囲での話だ。

好きな監督であるいまひとつの理由は、女優を美しく撮る監督であること。『不貞の季節』の星瑤子、『天使に見捨てられた夜』のかたせ梨乃、『M』の小川聡子、『雷桜』の蒼井優あたりが記憶に残ってるけど、とりわけ『ヴァイブレータ』『やわらかい生活』の寺島しのぶは最高に美しい。

僕の好きな寺島しのぶも蒼井優も、役者としての魅力はすごいけど美しく撮るのはなかなかむずかしい女優さんだ。そんな場合でも、廣木監督はその女優のいちばん美しい表情のショットを必ずはさみこむ(『キャタピラー』の若松孝二は同じピンク出身でも、寺島しのぶをきれいに撮ろうとしない。戦争下の農家の主婦という設定は分かるけど、セックス・シーンなど1ショットだけでも美しく撮れるはずなのに)。

ところで『RIVER』はどちらかといえば作家性の強い映画だった。廣木監督の映画は物語的展開の面白さと映像の官能がないまぜになってるけど、これは物語をごく単純にし、描写だけで成り立っているような映画だった。

秋葉原の無差別殺傷事件で恋人を失った後、家に引きこもったひかり(蓮佛美沙子)は、久しぶりに秋葉原に出てきてあてもなく町を歩く。極端に言えばストーリーはそれだけ。秋葉原の町を歩きながら、女性カメラマン(中村麻美)に声をかけられたり、メイド喫茶のスカウト(田口トモロヲ)に声をかけられてその気になったり、路上で歌う音楽家と話をしたり、ガード下で電子部品を売る祐二(小林ユウキチ)と知り合ったりする。

そんな路上のひかりを、手持ちカメラが延々と追う。ことに冒頭、秋葉原に降り立ったひかりが町を歩き女性カメラマンに声をかけられるくだりは、おそらく即興的に10分以上にわたってワンショットで撮影されている。オレンジ色のスプリング・コートを着たひかりが足早に人々の波をぬってゆく。背後の店舗にあふれるけばけばしい色彩が流れてゆく。そんな路上の風景がこの映画の命だ。

現実を遮断して引きこもっていたひかりにとって、この路上の風景は現実だ。一方、故郷の父母を捨てて都会に出てきた祐二にとって、同じ路上の風景は逃避の場にすぎない。その故郷が大地震と津波で壊滅したとき、祐二は逃げ出した故郷の瓦礫の風景という現実に立つことを決める。若い2人がそれぞれに「現実」に向かい合う。そのことを、ひたすら映画は描く。

後半、いきなり画面に登場する被災地の風景に対して映画の物語がよく拮抗しえているかと言えば、いささか軽いような気もする。でも、おそらく映画の撮影中に起こった地震と津波をただちにフィクションのなかに取り込んだ瞬発力は買いたい。

冷たい風に吹かれ後れ毛がなびく蓮佛美沙子の相手を見つめる表情が美しい。


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