『アリラン』 再生の「アクション!」
『アリラン(英題:Arirang)』の最後で、この映画の監督であり脚本家であり主演者でありカメラマンであり、要するに人里離れた小屋でまったく一人で映画をつくっていたキム・ギドクが、手作り銃の銃口を自らに向け、カメラを回しながら叫ぶ。「レディー」「アクション!」。撮影現場で監督が本番のときにかける「用意」「ハイ」の掛け声。それを聞いたとき、同じように最後のセリフが「アクション!」の一声だった映画を思い出した。
クリント・イーストウッド監督の『ホワイトハンター ブラックハート』。アフリカ・ロケに出かけたハリウッドのカリスマ監督(クリント本人が演ずる)が、映画の脚本が完成しないまま、象狩りに熱中する。あげく、ハンティングの最中に人を死なせてしまう。主演女優も到着し、脚本が未完のまま撮影初日を迎えた監督は、カメラを据えた背後で絞り出すような声を出す。「アクション!」。
どちらの作品にも、映画を撮れなくてもがく監督の精神的苦悩が描かれている。イーストウッドの映画は巨匠ジョン・ヒューストンをモデルに、『アフリカの女王』ロケのエピソードを素材にしたフィクション、キム・ギドクのは鬱状態に陥り山に籠もった自分にカメラを向けた半分ドキュメント、半分フィクションのような作品だ。
キム・ギドクが映画を撮れなくなったのは3年前の『悲夢』の後らしい。解説によると、事故と裏切りがあったという。この映画の撮影中、首を吊るシーンであやうく女優が本当に首を吊りそうになった。仲間の裏切りに会った。仲間とは、想像するにキム・ギドクの助監督を務め、後に『映画は映画である』でメジャー・デビューしたチャン・フンのことだろうか。
事故のショックと友の裏切りで鬱状態になり、ギドクは山の小屋にひとりで籠もった。雪を溶かしてインスタント・ラーメンをすすり、干魚をかじり、エスプレッソ・マシンを自作し(手仕事が好きなんだろう)、ざんばら髪になって猫と暮らす。自分は何をやっていたのか、自問する日々。幻聴か、ドアを叩く音がして開けるのだが、そこには誰もいない。キム・ギドクは、そんな自分にカメラを回していく。
問うギドクと答えるギドク。その映像を見ている、もうひとりのギドク。ドッペルゲンガーのように自分が増殖していく。無限の自己増殖は、孤立した人間の妄想にほかならない。でもギドクは、最後にそんな自分を殺そうと銃を手作りする。このあたりになると、もうギドクはかつてのギドクに戻り、映画づくりに情熱を燃やしはじめたらしいことが画面から感じられる。
イーストウッドが絞り出す最後の「アクション!」の言葉は虚無に苛まれた虚ろな声だったけれど、ギドクの「アクション!」は再生のために自分を殺す決断の叫びだった。この『アリラン』をつくった後、ギドクは早くも新作を完成させたらしい。
この映画、キヤノンEOSを使って撮られているとのこと。映画をつくるというのは長いこと共同作業だったが、まったくひとりでこんなことができるまで機材は進歩しているんだ。
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