『東京プレイボーイ・クラブ』 酔ってるのに覚めて
Tokyo Playboy Club(film review)
プログラム・ピクチャーの時代、映画は2本立て(さらに昔は3本立て)だったけど、例えば東映なら『昭和残侠伝』とか『博奕打ち』といった人気シリーズに併映された裏番組にも、けっこう面白いのがあった。「表」の主人公がたいてい正統派のヤクザだったとすれば、裏番組はチンピラや愚連隊(死語だ)が主人公になることが多く、時には「表」の看板である任侠道に牙をむくような作品もあった。若き深作欣二監督の『狂犬三兄弟』とか中島貞夫監督『893愚連隊』(荒木一郎がよかった!)なんかが記憶に残っている。
24歳、奥田庸介監督の商業映画デビュー作『東京プレイボーイ・クラブ』は、そんなチンピラを主人公にした1960~70年代のプログラム・ピクチャーにオマージュを捧げているような映画だった。
暴力沙汰で故郷にいられなくなった勝利(大森南朋)が東京の場末の盛り場に流れ着く。故郷の仲間で「東京プレイボーイ・クラブ」なる怪しげなクラブをやっている成吉(光石研)の元にころがりこんだ勝利だが、地元のヤクザ3兄弟とケンカになり、ぼこぼこにしてしまう。その解決のため、クラブで働くエリ子(臼田あさ美)が金とともにホテルに送り込まれるが、SM趣味の3兄弟の長兄がプレイの最中に事故死してしまい……。
勝利や成吉が歩く飲み屋街のシーンに、「ok横丁」という看板が何度も映る。ロケは僕が生まれた川口市と荒川をはさんで向かい合う赤羽で、いまだに闇市の雰囲気が残る盛り場の夜がなんとも懐かしい。数年前、お世話になった印刷会社のオフセット印刷の職人さんたちと久しぶりに赤羽で飲んだけど、外国人が増えたことを除けばまだまだ「戦後」という言葉が似合う町だった(いや、「戦後」だって進駐軍がいたか)。
そんな場末の町で、すべてに暴力でケリをつけようとする勝利と、店のためにヤクザに膝を屈する成吉の2人は、時にぶつかりあいながら、かけがえのない友でもある。その2人の物語はアナクロ的に激しくもあり、コミカルでもあり、哀しくもある。
かつてのプログラム・ピクチャーと違うところは、突っ張って生きる勝利に対する作り手の思い込みを感じさせる一方、きわめて覚めた目も備えて、かつてのヤクザ映画の定型をずらしていることだろう。
ヤクザの死体を切り刻むとき、勝利が用意したのは青い水玉模様のエプロンで、その姿を見て成吉が笑う。パンツ一丁に水玉のエプロン、糸ノコを手にした勝利のショットがおかしい。もっとも、園子温のように血糊ぎとぎとの死体切断シーンを見せず、ごりごりと糸ノコの音だけで表現しているのは残酷描写を避ける60~70年代ふう。
ラスト近くでも、店の中で勝利がヤクザを再びぼこぼこに殴りつけるシーンがある。そこにいきなり流れてくるのは、チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」。店内のオーディオが鳴り出すんだけど、そのちぐはくな取り合わせがもたらす酔っているのに覚めているような感覚こそが監督が意図したものだろう。
若い監督の処女作だから、もちろん穴は多い。エリ子と勝利の愛がきちんと描けてないから、最後の勝利の叫びが迫ってこない。奥田監督が饒舌に説明しないのは好感がもてるけど、2人の心が触れた瞬間を意図しているんだろう、車を走らせる勝利と同乗したエリ子が黙って外を見ていて、そこに原田芳雄の「横浜ホンキー・トンク・ブルース」がかぶってくるシーンなんかも、「決め」ショットのはずなんだけど、いまいち。
とはいえ、プログラム・ピクチャーの職人性を持ちつつ作家的な姿勢を崩さないのは、かつて5社体制のなかで優れた映画をつくっていた監督たちの共通の資質でもあった(過去・現在のハリウッドもそうだ)。次の作品が楽しみだなあ。
Comments