『アニマル・キングダム』 無表情の内側
主人公の少年、17歳のジョシュア(ジェームズ・フレッシュビル)はまるで東映任侠映画の男たちみたいに最初から最後まで感情を表に出さず、言葉も少ない。演じているのが新人だから鶴田浩二や高倉健みたいにはいかないけれど、それでも能面のような無表情のうちにさまざまな思いが渦巻いているのは見てとれる。デヴィッド・ミショッド監督は、ジョシュアが抱くその感情を仁侠映画のようにカタルシスに向かって高め、爆発させるのではなく、見る者にいろんな解釈の余地を与えるエンディングを選んだ。
1980年代オーストラリアのメルボルン。母がドラッグの過剰摂取で死んだジョシュアは、祖母のジャニーン(ジャッキー・ウィーバー)の家に引き取られる。ジャニーンの家には3人の息子がいて、彼らは強盗やドラッグのディーラーをやっている犯罪者一家だった。なかで「ポープ(教皇)」と呼ばれる長男アンドリュー(ベン・メンデルソーン)は家族にも恐れられている。
ポープを演ずるベン・メンデルソーンが、一見してそれらしい悪でなく人の良さそうなのがいいし、息子たちを背後であやつるゴッドマザー役、ジャッキー・ウィーバーの慈愛と冷酷がくるくる入れ替わるのが凄い。
同居するジョシュアは犯罪に巻き込まれてしまう。一家と、ポープを追う警察とが殺し合いになる。一家をつぶしたいレッキー巡査部長(ガイ・ピアース)はジョシュアを証人として保護隔離するが、ジョシュアが裏切ったと考えたポープは彼のガールフレンドを殺し、さらに……。
内通や裏切りによって2転3転するプロットは、タランティーノふう。無表情なジョシュアがどちらの側に立って、何に衝き動かされて行動しているのかは、最後までうかがい知れない。
ラストシーン。復讐を果たしたジョシュアは祖母のジャニーンと抱きあうのだが、これは本当の結末になっていない、と思う。ジョシュアを殺そうとしたのは誰でもない祖母に他ならないのを観客は知っている。だから本当の対立とその解消は先延ばしされている。もしこの映画に続編がつくられるとしたら、どうなるのか。『ゴッドファーザーpartⅡ』のようにジョシュアは犯罪者一家の新たなポープとして君臨するのか、自分を殺そうとしたことを知るときジョシュアはジャニーンを許すのか、許さないのか。
見る者にカタルシスを与えずそんなことを想像させる『アニマル・キングダム』は、今ふうな犯罪映画を目論んだのか、それとも単に長編第1作である監督の腕が足りなかったのか。そのどちらでもある、というあたりが正解かな。
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