『哀しき獣』 外部の視点・朝鮮族
新年最初の映画を何にしようか。あれこれ迷った末に、韓国映画『哀しき獣(原題:黄海)』にした。まだ正月気分が抜けないからエンタテインメントがいい。その選択は正解だった。もっとも、明るくハッピーな映画じゃない。重苦しく、ノワールなアクション映画。140分、完成度に難はあるけど、見る者を釘付けにする。改めて韓国映画の実力を思い知らされた。
冒頭、映画は中国の延辺朝鮮族自治州の都市、延吉から始まる。6万元(約73万円)の借金を背負った朝鮮族のタクシー運転手グナム(ハ・ジョンウ)が、賭けマージャンに深入りして稼いだ金を失う荒んだ生活を続けている。借金は妻を韓国に出稼ぎに送り出すために使った金だが、妻からの連絡は途絶えている。暗い地下室のような賭場で暴れたグナムは、朝鮮族ギャングのボス、ミョン(キム・ユンソク)に引き合わされる。ミョンはグナムに、ソウルで人を1人殺してこい、そうすれば妻も捜せるし、借金もチャラにしてやると言う。
ここまでが導入部。実際に延吉にロケしたのかどうかわからないけど、薄暗く汚れた街の猥雑な空気が、ぐらぐら揺れる手持ちカメラと多用されるクローズ・アップで活写される。深作欣二の『仁義なき戦い』を初めて見たときみたいな印象。グナムは大連から密航船に乗り、黄海(原題)を横切って韓国の尉山(ウルサン)に密入国するのだが、このあたりの描写もダイナミック。原題にもなっている黄海の暗い海は、映画全体を象徴するイメージになっている。
ソウルでは漢江(ハンガン)の南の新開地、江南(カンナム)が舞台になる。殺す相手は大学教授だが、風俗ビルを何軒も経営している。グナムが教授の住むビルを見張っていると、別の男たちも教授を狙っていて、殺人現場で鉢合わせすることになる。ここから映画は逃げるグナムと、グナムを追う警察、教授の弟分率いる韓国人ギャング、延吉からやってきたミョンと朝鮮族ギャングが入り乱れた追跡と殺戮の劇になる。
追跡劇は、グナムが走って走って走りまくって逃げる。ナ・ホンジン監督の前作『チェイサー』もソウルの坂道を疾走する映画だったけど、そりゃあ無理でしょ、という状況でもとにかく逃げる。SFX全盛の時代に、こんなふうに生身の体を張ったシーンにこだわるのがいいね。
殺戮もまたすさまじい。『チェイサー』も血糊ぎとぎとだったけど、この映画はそれ以上。なかでも朝鮮族ギャングのボス、ミョンが手斧をふりかざして敵を殺しまくるのは、パク・チャヌク監督『オールド・ボーイ』の金槌と同様、振り下ろされるたびに見ている者の痛覚を刺激してリアルだ。映画の後半は、グナムを追いながら生き残りをかけなりふりかまわず殺しまくるミョンのほうが、ぐっと存在感を増す。
先ほど引き合いに出した『仁義なき戦い』シリーズは、激しいバイオレンスの底に、戦後日本とは何だったのか、という深作欣二の問いが流れていた。この映画も、主役二人が朝鮮系中国人という韓国社会の外部の人間に設定されたことで、現在の繁栄する韓国に対する苦い視線がそこここに感じられる。
グナムに銃を向けながら、へっぴり腰で逃がしてしまう警察官。グナムが、「お前は朝鮮族か」と問われる場面があるのは、貧しく非合法な滞在者も多い朝鮮族は韓国人から見れば身についた空気(あるいは言葉遣い)が違い、そこにはなにがしか蔑みの視線も含まれているだろう。
そして最後に、グナムが請け負った殺しがたかだか男女関係のもつれの果てであることがわかる。そんなことのために自分の命が買われたことを知ったとき、グナムは無言で無表情だ。逃亡の果てに、グナムは深い哀しみを抱えて妻の遺骨を抱え瀕死で黄海に船出する。
もっともこの映画、韓国上映版はもっと長く、日本版はかなりカットされているようで、話がよくわからないところがある。大学教授を狙う暗殺者が鉢合わせするのは、教授夫妻のW不倫の果てらしいんだけど、そのあたりが腑に落ちないので、コマとして使い捨てられたグナムの哀しみがいまひとつ伝わってこない。長い長いカーチェイスや殺戮シーンを削ってでも、物語のキモに当たる部分をきちんと描写してほしかった。
エンドロールになってからも、どんでん返しのショットが挿入されるけど、それがグナムの哀しみを際立たせるようにはなっていない。残念だなあ。うまくつくれば深作欣二の『仁義なき戦い 広島死闘編』や『仁義の墓場』みたいな傑作になったかもしれないのに……。ではあるけれど、楽しめた。


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