« November 2011 | Main | January 2012 »

December 30, 2011

映画 今年の10本( 2011)

Uncle_boonmee
Movie, My Best 10

1  ブンミおじさんの森 
2  悲しみのミルク
3  無言歌
4  サウダーヂ
5  冷たい熱帯魚
6  アンストッパブル
7  さすらいの女神<ディーバ>たち
8  ビューティフル
9  ゴーストライター
10 モンガに散る

1 タイ映画。映画を見始めて半世紀以上になるけれど、こんな感触の映画をはじめて見た。人間と動物と精霊と幽霊が何の不思議もなく同居している世界。タイは仏教の国だけど、東南アジアの仏教以前、人間が森で暮らしていた時代の空気を肌身に感じた。

2 ペルー版『天国と地獄』。黒沢明版は山の手の「天国」と崖下にある下町の「地獄」の対比だったけど、ペルーでは「地獄」の貧民街は山上にある。黒沢版では刑事が天国と地獄を仲介していたけど、ペルー版に仲介者はなく、先住民の少女と白人系「持てる者」が直にぶつかりあう。先住民にとって「マジック・リアリズム」はマジックでもなんでもなく、当たり前のリアリズムなんだな。

3 上映時間9時間のドキュメンタリー『鉄西区』は評判が高く、秋にも上映されたが見損なった。そのワン・ビン監督の劇映画第1作。映画製作の方法も内容も、腹の据わったインディペンデント映画。中国国内では上映禁止になっているが、明らかな毛沢東批判。中国にもこんな映画が出てきたんだ。

4 こちらは日本のインディペンデント映画。甲府を拠点に、資金も地元の個人や企業中心に集めているようだ。地方都市を舞台にした地元住民や在日外国人のドラマ。インディペンデントということで下駄をはかす必要が全くない完成度の高さ、斬新さ。日本にもこんな映画が出てきたんだ。

5 今年から来年にかけて園子温監督の映画が『冷たい熱帯魚』『恋の罪』『ヒミズ』と3本も公開され、乗りに乗ってる印象がある。『ヒミズ』は未見だけど、『冷たい熱帯魚』は園監督の過剰さ(内容も描写も)が見事に結晶した一作だと思う。それにしても、でんでんが豹変する瞬間は怖かった。

6 今年のハリウッド製エンタテインメントのベスト。リュミエールの昔から、映画と列車ってどうしてこうも相性がいいんだろう。蒸気機関車は19世紀前半、映画は19世紀後半と、ともに19世紀の発明。当時の最新テクロロジーが今や時代遅れの技術やメディアとなりつつあり、その共振がある種の質感と懐かしさを醸しだしているのかも。

7 この映画、好きだなあ。港町、キャバレー、旅回りの一座とくれば、日本なら艶歌の世界。でも艶歌のようにベタつかず、透明感のある映画。しょぼくれた座頭マチュー・アマルリックの哀しみがたまらない。

8 観光地ではないバルセロナの風景が素晴らしい。「余命○ヶ月」ものだけど、涙や感動の押しつけがなく、不法移民の外国人と接して生きる下層の男ハビエル・バルデムを通して都市のリアルが見える。

9 『戦場のピアニスト』以来、ロマン・ポランスキーは復調したみたい。ポランスキーお得意の「不安心理」ドラマ。品のいいミステリーとしても楽しめた。若いころ見た記憶が甦る、こういう古いテイストの映画が好きだ。

10 台湾映画。今年のノワール&青春映画のベスト。台北でいちばん怪しげで面白い一帯、萬華を舞台にしているのもいいなあ。

他に10本の候補として考えたのは『監督失格』『マイ・バックページ』『ウィンターズ・ボーン』『SOMEWHERE』『ブラック・スワン』『ヒア・アフター』『奇跡』など。どれも楽しんだけど、後の3本はそれぞれの監督の前作・前々作、『レスラー』『グラン・トリノ』『空気人形』が素晴らしかったので、それと比べてしまい損してる。

今年もおつきあいくださって、ありがとうございました。皆さま、よいお年をお迎えください。


| | Comments (7) | TrackBack (23)

December 21, 2011

『無言歌』 風の風景

Photo_2
The Ditch(film review)

先週、「中国が映画規制を強化」というニュースがあった。

内容は、「憲法に対する破壊・反抗を扇動する映画」「国家統一、領土保全に危害を与える映画」「民族の歴史を歪曲する映画」などの製作を禁止するいうものだ。要するに党が好ましくないと判断したら、どんな映画でも製作・上映を中止することができるということ。映画を未許可で外国の映画祭に出品すると、以後の映画製作を禁止するという条項もある。経済は野放図な資本主義化を進めながら、文化については逆に党によるイデオロギー統制を強めようというものだ。

もちろんこれまでの中国も映画に対する統制はあった。1980年代にチェン・カイコー、チャン・イーモウらが登場して傑作を次々に送り出した時期、政治的テーマに関しては「4人組」の仕業とされた文化大革命批判までは許されても、神格化された毛沢東批判は許されないと言われた。そのラインを踏みこえ、暗喩表現とはいえ毛沢東批判を滲ませた『青い凧』(作品としてはあまりいい出来とは思わなかったが)のティエン・チュアンチュアン監督は、以後10年以上も映画をつくることができなかった。その後、中国映画はさまざまに花開いたけれど、直に政治に触れるテーマは周到に避けられている。

今回のニュースは、政治的には来年の国家主席交代による統制強化を先取りしているのかもしれない。でもこの記事を読んだとき、具体的には『無言歌(原題:夾辺溝)』と監督ワン・ビン(王兵)のことが絡んでいるかもしれない、と感じた。

『無言歌』はこれまでのワン監督のドキュメンタリー(未見)と同様、資金もスタッフも元国営の大手撮影所でなくインディペンデント系の映画として製作されている。資本はフランスとベルギーで、「制作会社が中国ではないので、中国の電影局に申請することはしませんでした」とワン監督は言う(web DICE「ワン・ビン監督は映画の最も根幹に遡る」)。この作品は無許可で撮影されたわけだ。

また『無言歌』は2010年のヴェネツィア映画祭に出品されているけれど、それが「サプライズ上映」だったことから察するに、中国国内で撮影したフィルムを未現像のまま国外に持ち出し、国外でポスト・プロダクションをして中国当局には何も知らせず映画祭で上映したのではないだろうか。もしそうだとすれば、このやり方にはかつて戒厳令下の台湾でホウ・シャオシェン監督がタブーだった「2.28事件」を素材に『悲情城市』を撮影し、持ち出した未現像フィルムを日本で仕上げてヴェネツィア映画祭に出品し、グランプリを取ったことで台湾当局も認めざるをえなかった先例がある。

『無言歌』は中国では上映禁止になっている。それはワン監督のこうした確信犯的な映画づくりの手法にもよるだろうが、それ以上に、この映画がまぎれもなく毛沢東批判になっているからだと思う。

映画の舞台は1960年。「反右派闘争」で右派のレッテルを貼られた都市住民やインテリがゴビ砂漠の収容所に送られ、強制労働させられている。折から「大躍進」政策の失敗で数千万人の餓死者が出たといわれる飢餓に襲われ、収容された人々が次々に死んでいく。『無言歌』はそのありさまを声高に非難するのではなく、引き気味のカメラがそこで起きていることをじっと見つめる、といったスタイルの映画になっている。。

先ほどの記事でワン監督は「自分としては、純粋に政治的なものとか、何かについて抗議をしたいとか反抗したいとかそうした意図はまったくありません」とも言っている。そのとおりなのだろうし、またワン監督は今も中国で映画をつくっているから、そのことへの配慮もあるだろうけど、「反右派闘争」も「大躍進」も毛沢東が発動したものだから、見る人が見れば、その意図はどうあれ毛沢東批判と読まれてしまうのは作り手自身も十分に分かっているだろう。

でも僕が『無言歌』をすごいと思うのは、そうした映画をめぐる状況のせいじゃない。なにより、作品としての完成度が高い。映画製作をめぐるいきさつや、映画の背景にある1960年前後の中国の現代史を知らない人が見ても、『無言歌』には打ちのめされるはずだ。それはこの作品が余分な情報をすべて切り捨てて主題を単純化し、人間の生と死、そのぎりぎりの局面での人間のふるまい方についての映画になっているからだと思う。

見渡す限りの荒野と、吹きすさぶ砂嵐。地下に穴を掘っただけの部屋と、土の上にベッドが並ぶ収容所。収容者たちは着のみ着のままで冬を越す。食料を求めてネズミを殺し、枯れ草のわずかな実を集め(このシーンの出演者は実際に収容所を生き延びた人)、他人が吐いたゲロを食べ、果ては人肉を求めて墓を暴く。

朝、地下の一室でまた死者が出た。死体を布団にくるんで運び出そうとする収容者に、部屋の班長が言う。「そのままにしておけ。まずは飯にしよう」。班長は冷酷な人間ではない。収容者にも収容所長にも信頼されている男だ。彼は、別の死者が出て、着ているものが剥がれて丸裸にされ、布団も持ち去られてしまったことを告げられたときも、こう言う。「誰かがそれを村へ持っていって食料と交換したのなら、それでいい。死んだ者より生きてる者が大切だ」。

そんな生と死のぎりぎりの選択が迫られる場面で、なお友の頼みを聞き、歩けなくなった師を背負い、夫の死を受け入れられない妻の墓探しに何日もつきそう。そんな男たちがいることを、カメラはぶっきらぼうに映し出している。

この映画に「悪人」は出てこない。収容所長も死者が続出していることを上部に告げ、収容者を家に帰すことを求めていた。所長に目をかけられた班長は、家に帰らず、新たに来る収容者の面倒を見るために残ることを決める。

この収容所の過酷は誰がもたらしたものか。映画は何も言わないけれど、吹きすさぶ風の風景がその答えを指し示している。

ワン・ビン監督の劇映画第1作。「規制強化」のニュースも絡み、彼の映画と彼自身から目が離せない。


| | Comments (2) | TrackBack (1)

December 16, 2011

キップ・ハンラハン+菊地成孔を聞く

1112141w
Kip Hanrahan featuring Kikuchi Naruyoshi live

キップ・ハンラハンという名前は、ジャンルを超えて実験的な音を送り出す音楽プロデューサーとして覚えていた。

彼がつくったCDでいちばん有名なのがアストル・ピアソラの『タンゴ・ゼロ・アワー』で、これは僕も持っている。ピアソラを伝統的なタンゴのジャンルからもっと広い音楽世界へと引き出した名作だ。ハンラハンはそんなプロデューサーとしての仕事以外に、自分名義で何枚ものCDを出している。僕は聞いたことがないけど、ハンラハン自身は演奏しないらしい。そのキップ・ハンラハンのバンドに菊地成孔がゲストで加わるライブがあるというので出かけた(12月9日、表参道・BLUE NOTE)。

まずはピアノとアコースティック・ベースが出てきて、美しいメロディーのデュオ。それが終わるとメンバーが暗い通路を歩いてきて楽器の前に立つ。ラテンドラムをセットしたドラムスが2人、コンガ、エレクトリック・ベース、エレクトリック・ギター、アルト・サックス、ヴァイオリン、そしてキップ・ハンラハン。ハンラハンは長髪で、老ヒッピーふう(といっても僕より若い)。何をするのか見ていると、テンポを設定し、きっかけを出す。音楽が始まれば、後は座って見ているだけ。コンガ奏者とジョークを言い合っている。

ギターとエレキ・ベースの2人が主にヴォーカルを担当。ヴォーカルといっても、歌うというより言葉を投げ出す感じ。それに、バンドとしてひと色の音を出すというより、フィーチャーするミュージシャンの個性に合わせて音をつくっているように思う。どの曲も、きっちりしたリズム・セクションの上でコンガが自由奔放に踊る。フリージャズ、ロック、R&B、カントリー、キューバ、カリブ海などいろんな音楽の断片が浮かんでは消える。それらを通底してアンダーグラウンドな匂いがするのがキップ・ハンラハンの音楽なんだろう。ハンラハンはブロンクスの生まれ育ちだから、ニューヨークの音とも言えるかも。

日本からは日仏混血の歌姫マイア・バルーと、後半になって菊地成孔が参加。菊地はフリージャズふうにばりばり吹きまくる。それを聞きながら、菊地がもっている二つのバンドのうちペペ・トルメント・アスカラールはキップ・ハンラハンの音にインスピレーションを得たのかもしれないな、と思う。

他では聞けない種類の音楽で、しかも心地よい。そんな音に聞きほれ、終電の時間が迫っているのも忘れてしまった。この日はハンラハンの誕生日ということで、アンコールはベース奏者による「Happy birthday to Kip」のおまけつき。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 09, 2011

売り家アリ

1112091w
a house for sale

よく行く散歩道が四つほどあるけど、久しぶりに行くと見慣れた風景が変わっている。「駒場スタジアム・コース」に行くのは春以来。一軒の家に「売り家」のビラが貼ってあるのを見た。

この家のことはよく覚えている。数年前に新築されたとき、建売りではなさそうな設計、特に2階の一部と玄関が赤で統一されアクセントになっているのが目を引いた。

近づいてビラを見ると、売値は5980万円。キャッチコピーに「大空間LDK約23.5畳」とある。隣の「こんな方におすすめです」のビラには、「自宅で料理教室を開きたい方へ」とある。間取りを見ると、1階は広い吹き抜けのリビング・ダイニングに和室と風呂、2階は洋間が2間。1階から2階へは吹き抜けを螺旋階段で上る。こういうスタイルが好きな人には「お洒落」な家に違いない。

この家に誰かが住んでいたとき「料理教室」の看板があった記憶はないから、家族が自宅として使っていたんだろう。1階に和室があり、ビラに「バリアフリー」とあるから、親がいたのかもしれない。2階の洋間は「3つに間仕切り可能」と書いてあるから、将来、子供部屋にと考えたのかもしれない。

とすると、子供のいない夫婦が、どちらかの片親と暮らしていたのか。高齢の親は和室を好むだろうから、料理教室が開けるほど広いリビング・ダイニングで、夫婦2人きりお洒落な時間を過ごすのを楽しみにしていたのか。

それが新築して数年、どうした事情で「売り家」になったものか。否。こんな時代だからついそう考えてしまうけど、親が亡くなり、事業もうまくいって、「埼玉生まれのお母さんが死んだから、東京湾を見下ろす贅沢な高層マンションで暮らしたいわ」なんて奥さんの希望で引っ越したかもしれないじゃないか。

見慣れた風景の変化を見つけ、そんなことを妄想しながら歩くのも散歩の楽しみのひとつ。

1112092w

近くの神社では、いちょうの紅葉がまだ盛りだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 03, 2011

名残の紅葉

1112031w
autumn colors in my garden

今年は紅葉が遅い。いつもこの時期はもう散っているはずだけど、今年はカエデが紅くなったのは11月下旬だった。冷たい雨の後、陽が射してきた。

1112032w

アロニア・アルブティフォリアの紅葉と実。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

« November 2011 | Main | January 2012 »