岩手・宮城の旅(6) 名取
a trip to Tohoku destroyed by the Tsunami(6)
名取へは仙台に住む友人Kさんに案内してもらうことになった。Kさんの車に乗り、仙台東部道路を南下する。この高速道路は海岸線から数キロのところを走っている。
地図を見ると、仙台から名取、亘理町にかけては、ちょうど房総の九十九里浜のような平坦な海岸線がつづいている。リアス式の三陸海岸とともに、今度の津波ではこの平野部でたくさんの犠牲者が出た。名取市では881人もの市民が亡くなったり、行方不明になっている。
東部道路は数メートル盛り土された上につくられている。津波がこの平坦な土地を襲ったとき、東部道路を境に海側と山側とでは被害に大きな差が出た。津波に追われ東部道路に駆けあがって助かった人もいる、とKさんが教えてくれた。
高速道路を下りて仙台空港方面に向かう。TVの映像ではよく分からなかったけど、海から空港はごく近い。津波に襲われて1階が水没し、1200人の利用客や職員が孤立した。空港近くでは「売ビル」の看板を見た。
まずは海に行ってみよう、と海岸線を目指した。松の防砂林を超えると数メートルの防潮堤があり、堤に上ると静かな海が見えた。
海を見ていたカップル。
堤を下り、陸側に向かって歩く。堤と防砂林の間にはコンクリートの基礎だけがいくつか残っている。ここにはどんな建物があったのだろう。神社の形をした焼き物にコップや皿が供えられている。
別のコンクリート基礎に置かれていたウルトラマン人形。
防砂林を超えると、津波が襲いすべてを流し去った平らな地面がどこまでも広がっている。遠くをトラックやダンプカーが走り、人影は見えない。
近くに1軒、立派な和風の家が流されずに残っていた。手前の1階部分は波がもぎ取っていったらしい。
10月にまとまった名取市の復興計画を読むと、海岸線と東部道路の間に二重の堤防をつくって津波を防ぐ計画だとある。1次防御は海岸の防潮堤。2次防御は海岸線から数キロのところにつくる堤防。
この家と、ここから見えるあたりは1次防御ラインと2次防御ラインの間に位置する。計画では、この地域には人が住むことは許されず、建てられるのは水産業などの産業施設のみ。そこで働く人を津波から守るためには津波避難ビルを建てる。
計画が実現すれば、この風景はこれからずいぶん変わることになる。
地震によって地盤が沈下したんだろう。あちこちに水が溜まって沼のようになっている。水辺にススキや葦が群生している。
津波が去ったまま手がつけられていない風景を見ていると、ふっと豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)という言葉が口に出た。古来、列島はこんな葦原の地で、人はそこに手を入れ瑞穂(稲穂)の国にしてきたが、繰り返し襲う台風や津波はそれをまた葦原の地に戻してしまう。この数千年はその繰り返しだったのではないか。その何度目かの葦原の原風景に、いま立ち会っているのではないか。
空港のほうへ戻ると、小さな社が残されていた。わずかに高くなった丘に建てられているので、津波にも耐えたのだろう。月山神社の分社らしい。Kさんとふたり、地震と津波の2万人に近い犠牲者に手を合わせて短い旅を終えた。
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