岩手・宮城の旅(3) 陸中野田から久慈へ

a trip to Tohoku destroyed by the Tsunami(3)
田老には無論泊まるところなどない。宮古の宿が取れなかったので盛岡まで戻ることも考えたけど、同じ道を帰るのもつまらない。三陸鉄道と代行バスを乗り継いで久慈まで行けば宿があることが分かったので、久慈を目指すことにした。
田老駅午後4時33分発、小本行きの列車。宮古に通っている高校生が何人か降りてきて、乗るのは僕と田老にある高校の女子生徒2人。
小本駅で代行バスに乗り継ぐ。ここから陸中野田駅までは津波にやられて鉄道が動いていない。バスはひたすら真っ暗な山の中を走る。陸中野田駅が近づき海が見える道に出たらしいけれど、暗くてなにも見えない。
終点の陸中野田駅。小本駅で乗るときは5人ほどいた乗客は僕1人になっていた。
道の駅が店じまいしていたのを、ちょっとだけ見せてもらう。
野田の特産は塩。海水で塩をつくり、内陸に運んで売ることで成り立っていた村だという。今は「のだ塩」として人気があると、お姉さんが教えてくれた。
ところが塩をつくる「のだ塩工房」が津波で流されてしまった。そのために売る製品がなく、味見のための塩だけが一升枡で置いてある。舐めてみると甘い。
「ミネラルが豊富だからおいしいでしょ」
来年1月には高台に再建中の工場が完成するそうだ。
野田村は津波で2桁の大きな犠牲者を出した北端の場所になる。死者37人、全壊家屋308棟。「この道の駅のすぐ前まで水が来たんですよ。町はすっかりやられてしまって」と、お姉さんの顔が曇る。
列車まで30分ほど時間があったので、線路の下をくぐって港のほうに少しだけ歩いてみた。街灯もなく真っ暗で、道の両側にはただ野原が広がるだけ。ずっと向こうに広い道路があるらしく、車のライトが動いている。果たしてここが津波でやられた場所なのか、もともと野原だったのかも分からない。荒涼とした気配にそれ以上歩く気力をなくし、早々に駅に戻った。
陸中野田駅のホーム。高校生が列車を待っている。
陸中野田駅午後7時発の久慈行き「復興支援列車」。
久慈に着いたのは7時半。到着が遅いから夕食は用意できないと言われていたので、宿のおやじさんに教わって近くの店へ。サンマとソイの刺身、白魚の唐揚げ、アサリ雑炊。どれも地元の魚介で、旨い。
外へ出ると月が出ていた。









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