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November 14, 2011

岩手・宮城の旅(1) 田老へ

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a trip to Tohoku destroyed by the Tsunami(1)

田老へ行きたいと思っていた。

東日本大震災の地震と津波で大きな被害を受けた地域のうち、僕が行ったことがあるのは仙台、宮古、田老(現在は宮古市に編入)の3カ所。そこがどうなったのか、報道を見ながらずっと気にかかっていた。震災直後に行くのはためらわれたし、そのうち体調を崩して夏がすぎ、秋も深まってきた。これ以上延ばすと本格的な冬になってしまう。そこで予定をぐんと短くして2泊3日の旅に出ることにした。

震災から8カ月たち、被災地もずいぶん変わっているに違いない。ボランティアでもなく取材でもない旅で、さまざまに報じられている以上のことが分かるとも思えない。でも、やっぱり今のうちに見ておきたい。その風景を肉眼で見、空気を感じ、地元の人と言葉を交わすことで、自分のなかに情報やデータでないものとして今度の震災を記憶しておきたい。

そんなことを考えながら11月8日、盛岡駅で午前11時4分発のJR山田線宮古行き快速リアス号に乗った。

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山田線は盛岡と釜石を結ぶローカル線だけど、宮古─釜石間は今も不通。盛岡─宮古間に日に4本の列車が走っている。2両連結の列車が走りはじめると、車窓には秋の紅葉が広がる。乗客は1両に5人ほど。

東北新幹線の福島~仙台あたりでは、8カ月後の今も屋根を青いシートで覆った家がぽつぽつ見えたけれど、盛岡あたりは地震の揺れもさほど大きくなかったのだろう、ほとんど目立たなくなる。山田線沿線は、地震も津波もまったく感じられない風景がつづいている。

3月11日に地震と津波があったとき、友人の住む仙台とともに気になったのは田老のことだった。ニュースに注意していたけれど、当日も翌日も田老については何も触れられない。あれだけの備えがあるんだから、大丈夫だったに違いない。そうも思った。でも、その翌日だったか、田老の町が全滅したというニュースが入ってきた。大丈夫だったのではなく、情報が途絶えていたのだ。

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田老に行ったのは30代のはじめ、週刊誌の記者をしていた1978(昭和53)年のことだった。

その週刊誌には「終着駅のあるまち」という2ページの連載記事があった。編集部員が旅に出て、ごく短い記事を書く。まだ牧歌的な時代で、毎週忙しくしている編集部員が交代で息抜きするための、いわば「お遊び」ページだった。

どこへ行くかは、部員に任されている。当時、僕は「港町ブルース」という歌が好きだったから、♪宮古、釜石、気仙沼~などと口ずさみながらそのあたりの地図を眺めていたら、田老という地名が目に入ってきた。そのころ国鉄は久慈と宮古を結ぶ路線を計画して北と南から建設を進めていたが、宮古から北へ伸びる宮古線の当時の終着駅が田老という駅だった。どんな町なのか。ここに行ってみよう。

というわけで、僕は何の知識もないまま、遊び気分で田老へ行くことになった。1896(明治29)年、1933(昭和8)年、1960(昭和35)年(チリ地震津波)と、3度も大津波に襲われたことなどちっとも知らない能天気だった。

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探したら当時の記事が出てきた。短いものなので書き写してみようか。

「ここは港町だというのに、田老の町なかからは港も、水平線も見えない。多くの人々が漁に出ているというのに、町のなかでは、網を広げて干す光景も、庭先に漁具が雑然と積み重ねられているあの見慣れた風景もない。日本中どこの漁村にも漂っている共通の匂いがない。そのかわりに目立つのは、ここ5年から10年の間に新築されたらしい色とりどりの文化住宅の群ればかりだ。
 町と、そこからは見えない海とを隔てているのは、町全体をすっぽりと囲む形の、高さ10メートル、全長3キロに及ぶコンクリートの防波堤だ。その堤の何カ所かにある5メートル四方ほどの鉄の扉をくぐると、初めて海草の乾燥場と港と水平線とが見える。
 明治29年津波 死亡1859人
 昭和8年津波 死亡911人
 防波堤の理由はここにある。
『寒い朝でねえ。波が引いた湾には家がプカプカ浮いてたよ』
 夕刻、堤の上を散歩していたじいさんは昭和8年の記憶を語った。防波堤は、通り過ぎゆく者の感傷など許さぬかたちで連なっている」

遊び気分の「旅もの」を書くためにやって来たのに、旅情の感じられない風景にとまどっているような文章だなあ。直近のチリ地震津波についての記述がないのは、限られた行数のなかで、防潮堤に守られて死者も家屋の被害もなかったので触れなくてもすむ、という判断だったろうか。よく覚えていない。当時の宮古線についてもメモを書いているので、ついでに。

「国鉄宮古線(12.8キロ) 昭和47年2月に開業、1日に8本が走る。利用客は日に約530人。1両で宮古以外の3駅は無人駅。途中の駅では、雨ざらしのホームの下で白塗りの廃バスが待合室になっている。将来は八戸からの八戸線、久慈線とドッキングする予定」

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三陸鉄道宮古駅。JR宮古駅と隣り合せになっている。

当初、宮古に泊まってこことその周辺を見たいと思っていたのだが、宿が取れない。何軒かの旅館とビジネスホテルが営業しているけれど、宮古は三陸海岸復興の基地になっているらしく、どこも年末までいっぱいだという。残念だけど泊まるのをあきらめ、駅前を素通りするだけにした。

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かつての国鉄宮古線、現在の三陸鉄道北リアス線。宮古駅13時10分発の「復興支援列車」。途中の小本駅まで、日に4本運行している。海岸線を通る小本駅から陸中野田駅までは津波にやられ運休中。代行バスが走り、陸中野田駅から久慈駅までは日に8本運行している。

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2両連結の列車には20人ほどの住民や学生のほか、「復興支援観光」の十数人が乗っている。宮古に泊まり、市場で買い物をして、小本まで行くのだという。小本まで往復するだけでも、復旧をめざす三陸鉄道をささやかながら支援することになる。

北リアス線はトンネルつづき。トンネルから出たと思うと駅があり、駅を出るとまたトンネルに入る。

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トンネルを出たと思ったら田老駅に着いた。降りたのは住民・学生数人と僕。高台にあるホームから海のほうを眺めると、工事現場のような赤茶けた土地が広がっていてブルドーザーやクレーン車が動き、その向こうに静かな海が見える。

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