上野茂さんを悼む
in memory of Ueno Shigeru
(倒れる前日に送られてきた上野さんの写メール「早朝の棚田」)
静岡県下田に住む友人、上野茂さんが7月に亡くなっていたことを数日前に知った。
上野さんと会うのは年に1度あるかないかだけど、月に1、2度、写メールと短いメッセージが送られてきた。それが春ごろから来なくなり、どうしたんだろうと気にかかっていた。10日ほど前、あるものを送ったら折り返し母堂から電話があり、2月に脳梗塞で倒れリハビリの甲斐なく7月に亡くなったとのこと。58歳。自分より若い友人の死はひときわ応える。
上野さんと初めて会ったのは十数年前、僕が写真雑誌の編集をやっているときだった。上野さんは大学の写真学科を出て故郷の下田に帰り、仕事のかたわら写真を撮っていた。作品を何度か見せてもらったことがある。伊豆半島の日常の暮らしを淡々と撮ったモノクローム。穏やかな上野さんの人柄そのままの写真だった。
それ以来、東京へ出てくるときに連絡があり、会って写真の話や共通の趣味である映画やジャズのことを話した。最後に会ったのは去年、彼が師と仰ぐ写真家・英伸三さんの写真展のオープニング・パーティ。このところ市の関係者に頼まれて、下田や周辺の祭りや行事を撮っているという。自宅に暗室をつくろうと思っているという話も聞いたから、いよいよ本格的に写真をやるんだな、と感じた。
冒頭の写真が今年2月2日、倒れる前日にもらった最後の写メール。「早朝の棚田」とあるから、たぶん西伊豆の松崎で撮られたものだろう。こんなメッセージが添えられていた。
「今日CDが届きました。ありがとうございます。ドロシーのジャケットはM.スコセッシのギャング映画に出てきそうで……(笑)。魅力的な写真と身近に聞こえる録音は時々目がウ井スキーに向います(笑)。明日、豆まきが終わったら飲みます」
ちょっと説明すると、ポーランド出身の映画監督、イェジー・スコリモフスキの話をしていて、僕が彼の出世作『早春』を見ていないと言ったことがある。上野さんはそれを覚えていて、ケーブルTVでやってたから録画しましたといってDVDを送ってくれた。そのお礼にと1950年代のアフリカ系ジャズ・ボーカリスト、ドロシー・ダンドリッジのCDを送った。そのジャケットが美しいドロシーのポートレートで、スコセッシのギャング映画みたいと、写真家の上野さんらしくそのジャケ写に反応しているのだ。
明日、豆まきが終わったら飲みますとは、母堂と暮らす家での予定だったのか、撮影だったのか。でも上野さんは写メールを送ってくれた翌朝、豆まきもできずウ井スキーに向かうこともなく倒れた。合掌。
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