『サウダーヂ』 ブラジルまで掘り抜け!
昼もシャッターが閉まったままの店が多い地方都市の商店街。深夜、スナックから出てきたヒップホップ・グループの猛(田我流)が酔えない顔で無人の路上を歩いている。猛は派遣で土木作業員をやっているのだが、仕事帰りに土方の先輩、精司(鷹野毅)や保坂(伊藤仁)に誘われて飲みにきたのだ。
精司や保坂はタイ人ホステス、ミャオ(ディーチャイ・パウイーナ)にでれでれし、カラオケに興じている。白けた猛はひとり店を飛び出し、暗い表情で歩いているのだが、やがて唇から言葉が漏れ、歩く身体がリズムを取りはじめる。自らの鬱屈した日常を歌うヒップホップが生まれ出る瞬間。カメラは猛をずっと横から捉えている。ぞくぞくするような長いショットだ。
『サウダーヂ(Saudade)』は山梨県甲府を舞台に、地方都市に住む日本人外国人たちが生きる日々を追った群像劇で、中心になるのがこの3人。土方ひとすじの精司は元キャバクラ嬢の妻と結婚している。美容師として働く妻は、怪しげな水ビジネスに取り込まれてしまう。タイ帰りの保坂は時代遅れのヒッピーで、マリファナでひとり別の世界に遊んでいる。猛の両親は破産し、ゴミ屋敷みたいなアパートで一緒に暮らす弟は精神を病んでいる。日系ブラジル人とフィリピーナの家庭では、子供を囲んだ食卓でポルトガル語、タガログ語、日本語、英語が飛び交う。
猛のグループ「アーミー・ビレッジ」は市内のライブ・ハウスで演奏するのだが、暗く挑発的なヒップホップに観客はしらっとしている。そこで人気があるのは日系ブラジル人グループ「スモールパーク」のノリのいいヒップホップだ。猛の元恋人は今は「スモールパーク」のリーダー、デニスと親しいらしい。この町で日系ブラジル人は大きなコミュニティをつくっている。
ヒップホップだけでなく、この映画には絶えずいろんな音楽が流れている。精司や土方仲間はカラオケでテレサ・テンを絶叫している。日系ブラジル人たちはブラジル・ポップスで踊っている。路上では年老いた男がギターを手に「山谷ブルース」を歌っている。ミャオも部屋でギターを弾きながらタイ・ポップス「チェンマイの娘」を歌う。タイの民族舞踏を踊るシーンではタイの伝統音楽が流れる。団地の盆踊りでは炭坑節。さまざまな言葉と音楽が混交する現実が、この映画が生まれ出る母体のようなものだ。
タイトルの「サウダーヂ」はポルトガル語(ブラジルの国語)で郷愁といった意味。ポルトガルのファド(その流れを汲むブラジル音楽)の底に流れる感情がサウダーヂだと言われる。失われてしまったもの、の象徴だろう。
映画は一直線には進まず、何人もの日本人外国人の日常といろんな音楽の断片が切り取られてゆく。精司はミャオとつきあうようになり、「一緒にタイに行こう」と口説くが、家族のために日本で働いているミャオにとって精司は客の一人にすぎない。ライブハウスでヒップホップのバトルに負けた猛は、日系ブラジル人に敵意をつのらせてゆく。不況で仕事を失ったブラジル人は次々に国に帰ってゆく。精司はつぶやく。「この町も終わりだな」。
郊外パチンコ店の派手なネオンや、どこか閑散とした盛り場や、地方都市のドキュメンタリーな映像が空ショットとして挟みこまれるのも効いている。一方で土方作業という肉体労働のシーンも多いから、ある種の爽快感と突き抜けた笑いもある。スコップで地面を掘りながら、「ここをまっすく掘ってけばブラジル。ちょっと横に曲がればタイだ」なんてセリフに笑ってしまう。宮台真司が特別出演して怪しげな政治家に扮し怪しげなスピーチを披露しているのもお楽しみ。
もっとも、それらがひとつの物語に収斂してはいかない。映画的クライマックスに達するのではなく、それらが断片のまま投げ出されることで、逆にこの国の地方都市のリアルを感じさせる。出演者も日本と日系ブラジルのヒップホップ・グループはじめ、甲府在住の人たち。3時間近くを画面に釘づけにされた。
甲府を拠点にする映画集団・空族の製作。空族は監督・脚本・編集の富田克也、共同脚本の相澤虎之助、撮影の高野貴子ら5人の集団とのことだ。エンドロールで資金を寄付した個人名が並ぶから、資金も企業の出資を求める普通のやり方ではないのだろう。製作・公開(ユーロスペース)が文字通りインディペンデントで、スタイルも中身も実験的、しかも作品の出来が、地方だとかインディペンデントだとかで割り引く必要のない見事なもの。すごい映画が出てきたもんだ。『サウダーヂ』公開に先駆けて上映された前作『国道20号線』を見逃したのが残念。
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