畠山直哉展 陸前高田の風景
Hatakeyama Naoya photo exhibition
東京都写真美術館で「畠山直哉展 ナチュラル・ストーリイズ」(12月4日まで)が始まった。
畠山直哉のこれまでの仕事を、「自然」あるいは「自然と人間」といった角度から再構成したものだけど、新作として彼の故郷・陸前高田市で東日本大震災後に撮られた作品36点が展示されている。畠山の実家は津波の被害を受け、母は被災して亡くなったという。
畠山はニュースを撮るカメラマンではないし、社会的現実をドキュメンタリーの手法で切り取ってきた写真家でもない。どちらかといえば現代アートに近い領域で、でも現実を複写する写真の記録性にこだわったストレートな写真を撮ってきた。
写されているものは津波に呑まれ、波が引いたあとに延々とつづく瓦礫の風景で、被写体としてはこれまで新聞・雑誌・テレビなどで繰り返し見せられたものと変わっているわけではない。でも画面に流れる静謐な気配と、時間が凍ったような永遠の感覚は、まぎれもなく畠山直哉のものだ。
この36点の写真から、これが畠山の故郷であり、しかも実家が被災し家族が亡くなったという作者の個人的事情を察することはまったく出来ない。さまざまに波立っていたに違いない畠山の心情を、彼の眼とシャッターを押す指はきっぱり隔離している。
かつて畠山は最初の写真集『LIME WORKS』の中で、2億年も前に暖かな海で暮らしていたサンゴやスナズリの名残をコンクリートの質感に感ずるようになって、都市景観の意味が自分の中で変わってきた、と書いている。そのように遥かな過去を現在につないだのと同じ時間感覚に支えられた視線を、自分の心情を隔離することによって陸前高田でも獲得したのだと思う。だからこそ陸前高田の写真は大震災のドキュメントではなく「ナチュラル・ストーリイズ」の一部になった。
でもこの36点に向かい合わせて、大震災以前の陸前高田の風景や町、人々の姿を捉えた写真がスライド・ショーで展示されている。その穏やかな海や町の姿、人々の表情を見ていると、失われた陸前高田の町と人々に寄せる現在の畠山の痛切な心を感ずることができる。
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