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October 28, 2011

『サウダーヂ』 ブラジルまで掘り抜け!

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Saudade(film review)

昼もシャッターが閉まったままの店が多い地方都市の商店街。深夜、スナックから出てきたヒップホップ・グループの猛(田我流)が酔えない顔で無人の路上を歩いている。猛は派遣で土木作業員をやっているのだが、仕事帰りに土方の先輩、精司(鷹野毅)や保坂(伊藤仁)に誘われて飲みにきたのだ。

精司や保坂はタイ人ホステス、ミャオ(ディーチャイ・パウイーナ)にでれでれし、カラオケに興じている。白けた猛はひとり店を飛び出し、暗い表情で歩いているのだが、やがて唇から言葉が漏れ、歩く身体がリズムを取りはじめる。自らの鬱屈した日常を歌うヒップホップが生まれ出る瞬間。カメラは猛をずっと横から捉えている。ぞくぞくするような長いショットだ。

『サウダーヂ(Saudade)』は山梨県甲府を舞台に、地方都市に住む日本人外国人たちが生きる日々を追った群像劇で、中心になるのがこの3人。土方ひとすじの精司は元キャバクラ嬢の妻と結婚している。美容師として働く妻は、怪しげな水ビジネスに取り込まれてしまう。タイ帰りの保坂は時代遅れのヒッピーで、マリファナでひとり別の世界に遊んでいる。猛の両親は破産し、ゴミ屋敷みたいなアパートで一緒に暮らす弟は精神を病んでいる。日系ブラジル人とフィリピーナの家庭では、子供を囲んだ食卓でポルトガル語、タガログ語、日本語、英語が飛び交う。

猛のグループ「アーミー・ビレッジ」は市内のライブ・ハウスで演奏するのだが、暗く挑発的なヒップホップに観客はしらっとしている。そこで人気があるのは日系ブラジル人グループ「スモールパーク」のノリのいいヒップホップだ。猛の元恋人は今は「スモールパーク」のリーダー、デニスと親しいらしい。この町で日系ブラジル人は大きなコミュニティをつくっている。

ヒップホップだけでなく、この映画には絶えずいろんな音楽が流れている。精司や土方仲間はカラオケでテレサ・テンを絶叫している。日系ブラジル人たちはブラジル・ポップスで踊っている。路上では年老いた男がギターを手に「山谷ブルース」を歌っている。ミャオも部屋でギターを弾きながらタイ・ポップス「チェンマイの娘」を歌う。タイの民族舞踏を踊るシーンではタイの伝統音楽が流れる。団地の盆踊りでは炭坑節。さまざまな言葉と音楽が混交する現実が、この映画が生まれ出る母体のようなものだ。

タイトルの「サウダーヂ」はポルトガル語(ブラジルの国語)で郷愁といった意味。ポルトガルのファド(その流れを汲むブラジル音楽)の底に流れる感情がサウダーヂだと言われる。失われてしまったもの、の象徴だろう。

映画は一直線には進まず、何人もの日本人外国人の日常といろんな音楽の断片が切り取られてゆく。精司はミャオとつきあうようになり、「一緒にタイに行こう」と口説くが、家族のために日本で働いているミャオにとって精司は客の一人にすぎない。ライブハウスでヒップホップのバトルに負けた猛は、日系ブラジル人に敵意をつのらせてゆく。不況で仕事を失ったブラジル人は次々に国に帰ってゆく。精司はつぶやく。「この町も終わりだな」。

郊外パチンコ店の派手なネオンや、どこか閑散とした盛り場や、地方都市のドキュメンタリーな映像が空ショットとして挟みこまれるのも効いている。一方で土方作業という肉体労働のシーンも多いから、ある種の爽快感と突き抜けた笑いもある。スコップで地面を掘りながら、「ここをまっすく掘ってけばブラジル。ちょっと横に曲がればタイだ」なんてセリフに笑ってしまう。宮台真司が特別出演して怪しげな政治家に扮し怪しげなスピーチを披露しているのもお楽しみ。

もっとも、それらがひとつの物語に収斂してはいかない。映画的クライマックスに達するのではなく、それらが断片のまま投げ出されることで、逆にこの国の地方都市のリアルを感じさせる。出演者も日本と日系ブラジルのヒップホップ・グループはじめ、甲府在住の人たち。3時間近くを画面に釘づけにされた。

甲府を拠点にする映画集団・空族の製作。空族は監督・脚本・編集の富田克也、共同脚本の相澤虎之助、撮影の高野貴子ら5人の集団とのことだ。エンドロールで資金を寄付した個人名が並ぶから、資金も企業の出資を求める普通のやり方ではないのだろう。製作・公開(ユーロスペース)が文字通りインディペンデントで、スタイルも中身も実験的、しかも作品の出来が、地方だとかインディペンデントだとかで割り引く必要のない見事なもの。すごい映画が出てきたもんだ。『サウダーヂ』公開に先駆けて上映された前作『国道20号線』を見逃したのが残念。


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October 24, 2011

「酒井抱一と江戸琳派の全貌」展

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Sakai Hoitsu and Edo Rinpa exhibition

千葉市美術館へ行く機会が増えた。それだけ気になる展覧会をやってるってことだろう。去年の田中一村展もよかった。今回は「酒井抱一と江戸琳派の全貌」展。市の美術館が見ごたえのある展覧会を企画している。

酒井抱一(ほういつ)は、17世紀に俵屋宗達、18世紀に尾形光琳らが京都でつくりあげた「琳派」を幕末も間近な19世紀に江戸で受け継ぎ発展させた。その酒井抱一を中心に、もう一人のスター鈴木其一(きいつ)らの作品が幅広く集められている。

もともと琳派は絵画だけでなく工芸や着物など生活のなかに浸透して人気を集めた。今回も絵画だけでなく書、扇や団扇、着物、蒔絵、おもちゃみたいな豆画帳なんかが幅広く集められていて面白い。僕が日本の伝統絵画を意識して見るようになったのは日本画家の友人ができたこの20年くらいだけど、特に琳派に既視感を感ずるのは、ガキのころ身近にあった手箱や杯の蒔絵、着物の柄なんかに琳派の遥かな影があったからだと思う。

なかでも酒井抱一は優美で繊細で、琳派の美意識の極みみたいなところがある。パックス・トクガワのぎりぎり最後、文化・文政期に大人気になった美術工芸品は今でいうブランド品だったろう。実際、丸のなかに抱一の名をデザインして装飾として使っているのは、ルイ・ヴィトンがLVの頭文字をデザインとして使っているのとまったく同じ。

これが弟子の鈴木其一になると、よりデザイン的でありながら、そのなかにシュールな「奇想」がうごめきはじめる。「夏秋渓流図屏風」で木の幹にへばりついた苔など、眺めているとまるでエイリアンみたいな不気味を感ずる。これは抱一と其一の個性の差なんだろうけど、世代の差と考えてみれば、其一は黒船と幕末の動乱がいよいよ近づいた時代の空気を敏感に感じていると思うのは深読みにすぎるだろうか。

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October 19, 2011

『アクシデント』 事故多発区域

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Accident(film review)

『アクシデント(原題:意外─日本語の「事故」の意)』の冒頭と最後に、赤い三角形のなかに黒い丸を描いた交通標識が2度出てくる。調べると、「事故多発区域あり」(JAF「世界の道路標識」)。どちらのシーンも車が人をはねて死者が出た事故現場だけれど、実は両方とも事故に見せかけた完全犯罪の暗殺だった。

事故を装った暗殺を請け負うブレイン(ルイス・クー)ら4人の暗殺チームが引き受けた仕事が実はブレインその人の事故死を狙って仕組まれた暗殺計画で、それを察知したブレインが逆に事故を装った暗殺を仕掛けて……と、二重三重にはりめぐらされた暗殺者同士の暗闘が香港の路上を舞台に展開される。

世界的に評価の高い香港ノワールのつくり手、ジョニー・トーが自分のプロダクション「銀河映像」で製作に回り、彼の助監督も務めたソイ・チェンの監督作品。同じ「銀河映像」でトー製作、トーの脚本を書くヤウ・ナイホイが監督した『天使の眼 野獣の街』はトーのテイストを受け継ぎながら小気味いいエンタテインメントに仕上がっていたけど、この映画はジョニー・トーのスタイルをさらに押し進めようとする感じ。寡黙でクールな語りと凝った映像はトーの映画かと錯覚するくらいだ。ただあまりに説明しないため、これは何なのかよく分からないショットもある。

映画の出だしはブレインら暗殺チームの鮮やかな仕事ぶりがテンポよく描かれる。女(ミシェル・イェ)が車をエンコさせて渋滞を引き起こし、おやじ(フォン・ツイファン)の運転するトラックが道をふさいでターゲットの車を脇道に誘い込む。太っちょ(トー映画の常連、ラム・シュー)がビルの上から宣伝の垂れ幕を落下させてターゲットの車の視界をふさぎ、ターゲットが幕を引きちぎろうとすると支柱が壊れてビルのガラスが粉々になりターゲットの脳天に降り注ぐ。通行人を装ったリーダーのブレイン(作戦を立案するチームの頭脳)がターゲットの死を確認する。

本格ミステリーのトリックみたいな、ありえない設定だけど、それをいけしゃあしゃあと、しかも香港の雑踏にロケして見る者に映画的リアリティを感じさせてしまうあたり、香港ノワールの面目躍如といったところだ。

映画はこのまま暗殺チームの鮮やかな仕事ぶりとチームワークを追って展開するのかと思うと、別の方向に動きだす。ブレインはアジトで他のメンバーが話しているのを盗聴している。彼はメンバーを信用していない。おやじはメンバーに嘘をつく。誰か裏切り者がいるのか、チームに不穏な空気が漂っている。

その不穏な空気のまま、次の仕事が動き出す。雨の夜、路上を走るトラム(路面電車)の電流を使ってターゲットを感電死させる計画。看板が林立する狭い街路すれすれに走る2階建てトラム、そこに降り注ぐ夜の雨という舞台設定が素晴らしい。

夜と雨だけでなく、昼の光も印象に残る。ブレインは自分を狙う男(リッチー・レン)の部屋の真下の部屋を借り、男の部屋を盗聴にかかる。内装の剥がれた室内。天井には、階上の部屋に忍び込んで調べた家具の位置がチョークで書かれている。窓に引かれたカーテンを通して逆光が入ってくる。暗殺者一味の影がカーテンに映る。

そんな情感あふれる映像のなかに差し挟まれるユーモア。階上のベッドのあえぎ声が、盗聴機の緑のランプの点滅によって無音で示される。にやりとするシーン。

最後には、この映画がつくられた2009年に実際にあった皆既日食まで暗殺計画に取り込まれている。光からしばしの闇へ、そして甦った光が事故(暗殺計画)を演出する。

ブレインを演ずるルイス・クーのクールさを、フォン・ツイファンの曲者のおやじと、人の良さそうな太っちょラム・シューが際立たせている。ミシェル・イェの女があっけなく殺されてしまうけど、トー組の映画はいつも男と女の話に興味を示さないから当然といえば当然か。

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October 17, 2011

紅葉の万座(2) 八ツ場ダム予定地

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autumn in Manza spa(2)
(万座峠の紅葉)

万座へ行くには、いつも新宿からの直行バスを利用する。

バスは関越自動車道を渋川・伊香保インターで降り、吾妻川に沿って吾妻渓谷をさかのぼってゆく。日本のどこにでもある山村風景だけど、途中、川原湯あたりに差しかかると風景が劇的に変わる。新しい道路や新しい橋、山をぶちぬいた長いトンネルなど巨大な土木工事がそこここで進められている。

山の中腹につけ替えられた新しい道路から渓谷を見下ろすと、豆つぶのようなブルドーザーやクレーン車が動いている。大風景を見下ろす爽快感と、それを人間がいじくりまわしていることへの違和感がないまぜになった、奇妙な感情に襲われる。ここは八ツ場ダムの建設予定地なのだ。

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7、8年前、川原湯温泉に行ったことがある。JR吾妻線の川原湯駅を降り、駅前の道を10分ほど歩くと、田んぼや林のなかに10軒ほどの旅館が点在している。草津や伊香保みたいな繁華な温泉街ではなく、かといって山奥の秘湯でもなく、近在の人たちが折にふれて集まり、湯につかっては酒を酌みかわすといった感じのひなびた温泉だった。

僕が泊まったやまきぼし旅館は、数年後にはダムの底に沈むことが決まっているのに(当時)、新しい露天風呂をつくっていた。その意気に感じた嵐山光三郎が「崖湯」と命名している。初冬の季節、紅葉の渓谷を見下ろす文字どおり崖上の風呂で、透明な熱めの湯が気持ちよかった。

八ツ場ダムは1952年に最初の計画が発表され、1967年に現在の場所への建設が決まった。以後、町(長野原町)をあげての建設反対運動があり、やがてかなりの人々が賛成に転じ、工事が始まって代替地の高台への移転が進んだ。川原湯温泉のHPを見ると、現在は「一部の旅館と飲食店を除き85%の家が移転完了した」という。

2009年に民主党政権が誕生すると「コンクリートから人へ」のキャッチフレーズで大型公共工事の見直しが始まり、八ツ場ダムがその象徴として建設中止が宣言されたが、地元は納得せず、建設続行か中止か結論が宙に浮いているのはご存知のとおりだ。

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半世紀近く前に大学へ入ったときの政治学の最初の講義で、亡くなった内田満先生が「政治(学)に求められるのはウォーム・ハート(温かな心)とクール・ヘッド(冷静な頭脳)です」と語ったのを覚えている。目の前で苦しんでいる一人の人間を救うウォーム・ハートと、国全体、さらには世界全体や数十年後の未来を見据えて物ごとを考えるクール・ヘッドが共に必要だということだったと理解している。

民主党が当初掲げた大型公共工事の見直しは、それなりに理由のあるものだったと思う。大型公共工事は右肩上がりの高度成長時代の産物で、大規模な土木公共事業によって国のすみずみまでがアスファルトとコンクリートで覆われた。そのような国のありかたは「土建国家」と呼ばれた。1990年代以降の低成長の時代に入ってもそれは続いていたから、無駄な公共事業の見直しは時代の要請に応えたものであり、大型ダムはその象徴だった。

利水・治水の多目的ダムである八ツ場はその代表的なもので、建設の前提とされた首都圏の水需要は低成長で伸びず、治水は八ツ場をつくらなくても解決でき、吾妻渓谷の自然環境と景観を破壊してしまう。しかも4800億円という巨額な工事費の8割以上は道路やJR吾妻線を高台へつけ替えるための費用で、ダム本体の工事費は1割強にすぎない。なんのためのダムであり工事なのか、という疑問が出てくるのは自然だろう。

八ツ場をはじめとする全国のダム計画を見直すためには、地元住民だけでなく国民全体が納得できるよう第三者機関をつくり、データを開示しながら公開で検討することが必要だったはず。その場合、八ツ場のように着工ずみのダムは、そこに住む人々の生活が既に影響を受けている。それらについては計画中のものとは別に、進捗状況にあわせた住民への配慮が必要だった。ましてや八ツ場のように半世紀近く国に翻弄されてきた人々に対しては。それがウォーム・ハートとクール・ヘッドということだろう。

ところが前原国交大臣はいきなり「八ツ場建設中止」をぶち上げ、地元住民と自治体が反発して、進むことも退くこともできない暗礁に乗り上げてしまった(前原は尖閣問題でも同じ行動パターンを取る)。それ以来、事態は一歩も進まず、それだけでなく、いちばん大事なはずの八ツ場以外のダム計画の検討にいたっては、まったく手がつけられていない。ウォーム・ハートもなければクール・ヘッドもない、最悪の状態になっている。

東日本大震災と原発事故についても、同じような感想を抱くことがある。この国の政治が抱える根深い病なのだろう。

万座への往き帰りにバスの窓から川原湯の風景をながめながらぼんやり考えていたことを言葉にしてみた。


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October 15, 2011

上野茂さんを悼む

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in memory of Ueno Shigeru
(倒れる前日に送られてきた上野さんの写メール「早朝の棚田」)

静岡県下田に住む友人、上野茂さんが7月に亡くなっていたことを数日前に知った。

上野さんと会うのは年に1度あるかないかだけど、月に1、2度、写メールと短いメッセージが送られてきた。それが春ごろから来なくなり、どうしたんだろうと気にかかっていた。10日ほど前、あるものを送ったら折り返し母堂から電話があり、2月に脳梗塞で倒れリハビリの甲斐なく7月に亡くなったとのこと。58歳。自分より若い友人の死はひときわ応える。

上野さんと初めて会ったのは十数年前、僕が写真雑誌の編集をやっているときだった。上野さんは大学の写真学科を出て故郷の下田に帰り、仕事のかたわら写真を撮っていた。作品を何度か見せてもらったことがある。伊豆半島の日常の暮らしを淡々と撮ったモノクローム。穏やかな上野さんの人柄そのままの写真だった。

それ以来、東京へ出てくるときに連絡があり、会って写真の話や共通の趣味である映画やジャズのことを話した。最後に会ったのは去年、彼が師と仰ぐ写真家・英伸三さんの写真展のオープニング・パーティ。このところ市の関係者に頼まれて、下田や周辺の祭りや行事を撮っているという。自宅に暗室をつくろうと思っているという話も聞いたから、いよいよ本格的に写真をやるんだな、と感じた。

冒頭の写真が今年2月2日、倒れる前日にもらった最後の写メール。「早朝の棚田」とあるから、たぶん西伊豆の松崎で撮られたものだろう。こんなメッセージが添えられていた。

「今日CDが届きました。ありがとうございます。ドロシーのジャケットはM.スコセッシのギャング映画に出てきそうで……(笑)。魅力的な写真と身近に聞こえる録音は時々目がウ井スキーに向います(笑)。明日、豆まきが終わったら飲みます」

ちょっと説明すると、ポーランド出身の映画監督、イェジー・スコリモフスキの話をしていて、僕が彼の出世作『早春』を見ていないと言ったことがある。上野さんはそれを覚えていて、ケーブルTVでやってたから録画しましたといってDVDを送ってくれた。そのお礼にと1950年代のアフリカ系ジャズ・ボーカリスト、ドロシー・ダンドリッジのCDを送った。そのジャケットが美しいドロシーのポートレートで、スコセッシのギャング映画みたいと、写真家の上野さんらしくそのジャケ写に反応しているのだ。

明日、豆まきが終わったら飲みますとは、母堂と暮らす家での予定だったのか、撮影だったのか。でも上野さんは写メールを送ってくれた翌朝、豆まきもできずウ井スキーに向かうこともなく倒れた。合掌。


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October 14, 2011

紅葉の万座(1)

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autumn in Manza spa

家族の湯治につきあって、またまた万座温泉にやってきた。標高1800メートルの万座は今、紅葉がまっさかり。

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万座の紅葉は紅というより黄色が強い、アメリカやヨーロッパの秋に近い景色。ダケカンバの黄色と白樺の黄色が中心だ。芽をてんぷらにするとうまいコシアブラの薄黄緑もグラデーションに色を添える。

今年は10月2日に初雪が降った。その前後に急な強い冷え込みがあって霜が降り、黄色の葉が茶色に変色してしまった。そのせいで、今年の紅葉はあまりよくないという。

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黄色のなかに点在する紅はナナカマドやカエデ。なかでもナナカマドの葉と実の紅は鮮やかだ。

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紅葉に囲まれた露天もまた格別。

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October 08, 2011

『さすらいの女神<ディーバ>たち』 It's show time!

Tournee
On Tour(film review)

港町、キャバレー、旅する一座とくれば、笑いあり涙ありの絵にかいたようなロード・ムーヴィーを想像してしまう。

確かにその通りではあるんだけど、でも『さすらいの女神たち(原題:Tournēe)』を見ていて、古いなあとか、くさいなあ、とかはまったく感じない。古い酒を新しい革袋に入れるって言い方があるけれど、思い入れたっぷりではなく、ある距離をおいた、暖かくもあり覚めてもいるような視線で登場人物を眺めていることが、この映画を懐かしさと新しさが入り混じったものにしていると思う。その微妙なブレンド具合が素敵だ。

見事なブレンダーはフランスの役者、マチュー・アマルリック。この映画では脚本を書き、監督し、主演も務めている。この古くて新しい感じは、視線のありようだけからでなく素材からも、一座の出しものである「ニュー・バーレスク」からも来ているようだ。

TVの敏腕プロデューサーだったジョアキム(マチュー・アマルリック)はトラブルで業界を追われ、アメリカに渡って「ニュー・バーレスク」の一座を組織し、フランスに戻って復活を図る。

もともとバーレスクは19~20世紀前半に劇場やキャバレーで演じられたお色気たっぷりのダンスやショー。僕は知らなかったけど、それが1990年代にニュー・バーレスクとして復活したらしい。この映画のミミやダーティ・マティーニ、ジュリーを演ずるのは本当のニュー・バーレスク・ダンサーたちだ。

かつてのバーレスクは男性を楽しませるためのものだったから、男の興味や関心に合わせた肉体や踊りが求められた。ところがニュー・バーレスクは女性が主体になって自ら演じたいものをつくり、それを男性も女性も楽しむものになっている。ダンサーたちは男の欲望に応える若さを求められる訳ではないから、中年の崩れた体型でも、巨大な腰や胸をむしろ誇らしげに揺らして自分を解放する。

ニュー・バーレスクは、男と女の意識の変化という時代の流れを反映しているようだ。だからマネージャーのジョアキムとダンサーたちの関係も主従関係ではない。ジョアキムはミミたちの芸にアドバイスはしても、決めるのは彼女たち。

一座はルアーブルに始まり、ナント、ロシュフォール、トゥーロンと港町をめぐってパリを目指す。でもジョアキムに恨みをもつ業界人の妨害でパリの劇場が決まらない。ジョアキムは、かつての仲間のプロデューサーや愛人だった女性ディレクターに会って助けを求めるけれど、うまくいかない。殴られ、突き飛ばされる。別れた妻と一緒にいる2人の息子に会いたいジョアキムは、息子たちを旅回りに同行するけれど、彼らはジョアキムを冷たい眼で見ている。

そんなジョアキムの旅の日々を、マチュー・アマルリックはさりげない描写で見せる。町から町へ移動して泊まる安ホテルで、カウンターに備えられたキャンディやマッチを必ずつかんでポケットに入れる。音楽とダンスを出しものにしているのに、ホテルやレストランで音楽がかかっていると、止めてくれと頼んでいやな顔をされる。それはジョアキムの貪する姿やエゴイズムであるかもしれないが、同時に彼の悲しみも伝えてくれる。

舞台を離れると、ジョアキムは彼女たちの面倒を見てはいるけれど、実は開けっぴろげで陽気な彼女たちによって癒されている。ジョアキムはミミたちにそんな自分の思いを直に伝えられなくて、マイクのテストをしながら、スピーカーを通して彼女たちに語りかける。

イヤな奴であり、同時にシャイで傷つきやすい男でもあるそんなジョアキムに、カメラは感情移入するわけでなく、かといって突き離すでもなく寄り添っている。その距離感が絶妙だ。

最後に一座は、海を望む寂れたホテルにやってくる。プールに水はなく、割れたガラスのドアは板で補修されているようなところだ。別行動でベッドを共にしたらしいジョアキムとミミが、一座と再会し、彼らは陽気にはしゃぐ。そこでもまたジョアキムは自分の思いを直ではなくマイクを持って、スピーカーを通してダンサーたちに語りかける。「It's show time!」

起承転結の「結」がないような唐突な結末だけど、その突然の終わり方に感ずる悲しみは深い。

「ドサ回りもの」にはピーター・フォークが女子プロレスのマネージャーになった『カリフォルニア・ドールズ』とか、ポール・ニューマンがプロ・アイスホッケー選手になった『スラップショット』とか忘れがたい佳作があるけど、それに新たな1本が加わった。

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October 04, 2011

畠山直哉展 陸前高田の風景

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Hatakeyama Naoya photo exhibition

東京都写真美術館で「畠山直哉展 ナチュラル・ストーリイズ」(12月4日まで)が始まった。

畠山直哉のこれまでの仕事を、「自然」あるいは「自然と人間」といった角度から再構成したものだけど、新作として彼の故郷・陸前高田市で東日本大震災後に撮られた作品36点が展示されている。畠山の実家は津波の被害を受け、母は被災して亡くなったという。

畠山はニュースを撮るカメラマンではないし、社会的現実をドキュメンタリーの手法で切り取ってきた写真家でもない。どちらかといえば現代アートに近い領域で、でも現実を複写する写真の記録性にこだわったストレートな写真を撮ってきた。

写されているものは津波に呑まれ、波が引いたあとに延々とつづく瓦礫の風景で、被写体としてはこれまで新聞・雑誌・テレビなどで繰り返し見せられたものと変わっているわけではない。でも画面に流れる静謐な気配と、時間が凍ったような永遠の感覚は、まぎれもなく畠山直哉のものだ。

この36点の写真から、これが畠山の故郷であり、しかも実家が被災し家族が亡くなったという作者の個人的事情を察することはまったく出来ない。さまざまに波立っていたに違いない畠山の心情を、彼の眼とシャッターを押す指はきっぱり隔離している。

かつて畠山は最初の写真集『LIME WORKS』の中で、2億年も前に暖かな海で暮らしていたサンゴやスナズリの名残をコンクリートの質感に感ずるようになって、都市景観の意味が自分の中で変わってきた、と書いている。そのように遥かな過去を現在につないだのと同じ時間感覚に支えられた視線を、自分の心情を隔離することによって陸前高田でも獲得したのだと思う。だからこそ陸前高田の写真は大震災のドキュメントではなく「ナチュラル・ストーリイズ」の一部になった。

でもこの36点に向かい合わせて、大震災以前の陸前高田の風景や町、人々の姿を捉えた写真がスライド・ショーで展示されている。その穏やかな海や町の姿、人々の表情を見ていると、失われた陸前高田の町と人々に寄せる現在の畠山の痛切な心を感ずることができる。

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金木犀の香り

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flowers of a fragrant olive

庭の金木犀が満開になった。朝、窓を開けるとこの花の香りでいっぱいになる1週間は、1年でいちばん贅沢な気分になれる日々。

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季節はずれの額アジサイが咲いている。

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今年最後の夏野菜の収穫。

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