台風近づく京・大阪で
大阪で午前中からの仕事が入ったので、前日に京都へ行き、半日ほど遊ぶことにする。沖縄あたりを迷走していた台風15号が北上し、本州を直撃しそうなので、早めに現地に行っておきたい気持ちもあった。
午後2時すぎ、京都駅を降りると雨。雲が低く、町は暗い。まずはバスで京都市美術館へ。「フェルメールからのラブレター展」をやっている(東京は12月から)。
フェルメールが3点、展示されている。最近修復され、制作当時の色を再現したという「手紙を読む青衣の女」(上のチラシ)の青色が素晴らしい。フェルメール独特の左上からの光が当たった部分の明るいブルーから、陰になった濃いブルーへと移りゆく衣の質感に見惚れてしまう。椅子は、衣とはまた違う深い青。当時、青の絵具はアフガニスタンから輸入されたラピスラズリ(瑠璃)を原料につくられたという。世界の海を支配していたオランダだからこそ可能だった色。
もう1点の「手紙を書く女」も、光を受けた黄色い衣の襞襞が織りなす微妙な諧調、やはり光を受けた髪飾りや真珠のイヤリングが背景から浮き出るコントラストが印象的だ。
「手紙を読む女」は口を半開きにし放心しているように見える。「手紙を書く女と召使い」の女の机の下には、書きかけの紙が丸められ、捨てられている。遥かな海の彼方にいる夫との間で、あるいは夫の身の上に、なにか悲しい出来事があったことを想像させる。フェルメールの絵はどれもオランダ上流市民社会の穏やかな日常を描いているけれど、そんな見えないドラマを秘めているんだな。
京都市美術館を出て、地図を見ながら行ったことのない近くの寺を探し、東山の長楽寺に行こうと決めた。バスで祇園に出て八坂神社を抜け、東大谷廟に沿って坂を上っていく。暗い空の下、門に掲げられた長楽寺の金文字が斜光に照らされ浮き出ていた。フェルメールを見たばかりで、あ、ここにも光のいたずら。
長楽寺は室町時代に時宗の寺になっている。一遍の時宗は、遊行し踊念仏によって阿弥陀信仰を伝えて民衆
に広まった。明治以前の長楽寺は、今の丸山公園や東大谷廟を含む広大な寺域を持った寺だったという。
宗祖の一遍と、代々の遊行上人7人の像が公開されている。いずれも運慶の系統を引く仏師の手になる、リアリズム彫刻。一遍像は死後2世紀してつくられたからだろうか、少し抽象化されているけれど、他の上人のは、今にもしゃべりだし、動きだしそうなリアルな像。一遍の鋭い眼光、削ぎ落とされた頬、とがった顎を見ていると、宗教と芸能が一体となる遊行を始めた独創的な男のオーラに打たれる。
上人像のかたわらに、遊行のとき僧や信者が着た「阿弥衣(あみえ)」の現物が展示されていた。植物繊維を荒く織り、長めの半纏のようにしたもので、ドンゴロスとか縄文服に似ている。こういう具体的なものがひとつでもあると、遊行についてのイメージがぐっとふくらむ。
裏山を墓地のほうへ登っていくと、京都市内が一望できる。雲が低く、雨も強くなってきた。
寺を出て八坂神社に向かって下っていくと、長楽舘という名前のカフェがあったので一休み。寺と関係あるのかと思ったらそうではなく、明治の煙草王・村井吉兵衛の別邸だったという。今はレストラン・カフェ・ホテルになっている。
日露戦争の戦費を調達するために煙草が専売制になる以前、業界では岩谷松平(東京)の国産「天狗煙草」と村井吉兵衛(京都)の輸入煙草がしのぎを削っていた。当時の新聞・雑誌を見ていると、「岩谷天狗」と「村井舶来」の広告が実にたくさん出てくる。
「輸入煙草は村井商会が代表で、新発売の煙草を出すたびに楽隊宣伝、芸者カードや西洋美人のヌード画、自転車や金・銀懐中時計を景品につけて大宣伝を行った」(松山巌『世紀末の一年』)
両者の宣伝合戦は中傷合戦にまで及んだ。岩谷は新聞に「舶来模造煙草は阿片混合の製造にして、脳を害し、喉をそこない、きわめて精神を消耗す」と意見広告を出し、一方、村井は「天狗煙草には毒草が入っている」とか「岩谷は少女を妾にしようとしている」といった噂を流した。粗放な明治資本主義の一幕。
鹿鳴館は終わったとはいえ、この建物も明治金ぴか時代らしい和洋折衷。3階には和室があり、洋風の階段の上に金張りの襖が見える。
長楽舘の隣、今は大雲院になっている場所は明治の「死の商人」大倉喜八郎の別邸があったところで、ここには伊東忠太設計の奇怪な楼閣、祇園閣が建っている。日本と西洋、日本とオリエントが混合した奇妙な建物が隣り合っているのは、明治の成金たちにとってここ東山・祇園が京都のなかでもとりわけ特別な場所であったからだろう。彼らは祇園閣や長楽舘に内外の賓客を招き、高みから市街を見下ろして、古都を征服した気分に浸ったんじゃないかな。
翌日も雨。台風は京都・大阪を直撃せず、紀伊半島沖を進んで東海地方に上陸するらしい。午後3時すぎに大阪で仕事が終わり、新幹線の時間まで3時間ほどあったので鶴橋へ。
大阪で時間があくと、たいてい鶴橋に来る。鶴橋駅前のアーケードが縦横に走る商店街は小さな店がひしめいて、いかにも戦後闇市の雰囲気を残しているし、30年来なじみの韓国漬物の店もある。この店の岩海苔の漬物は唐辛子、白胡麻、葱などと漬けこんだもので、ビールのつまみに絶品。新幹線で匂うからしっかり包んでねと頼むと、いつも口数少なく微笑んでいるおばちゃんがビニール袋を二重にして輪ゴムで止め、新聞紙でくるんでくれる。
漬物の店から鶴橋本通アーケードに出てコリアタウン方向に少し歩くと、韓国伝統茶の喫茶店「チャングム・サランバン」がある。前に来たとき、このあたりを歩いていて見つけた。今日は蓮茶に韓国餅で一休み。
韓国人オーナーから店を預かるピリョさんは、熱烈なヨンさまファンの日本人。韓流に入れあげ、この店の向かいにあるアリラン食堂で働くうちに韓国語と韓国料理を覚えて、店を任されたという。大阪で覚えたとは思えない流暢な韓国語をしゃべる人で、店ではハングル会話カフェなどの企画もやっている。
ピリョさんは韓国の映画・ドラマも実によく見ていて、人気の韓流ドラマからキム・ギドクやパク・チャヌクみたいな癖のあるマイナー映画まで詳しい。そんなことを話していたら、あっという間に時間が過ぎた。
ところで、台風が上陸し、新幹線が止まっているらしい。さて、今日は帰れるのか?
Comments
お久しぶりです。兵役は先週の9月23日金曜日が最終日で平穏無事に終了しました。
9月17日土曜日から連続三日間の外交官の国家試験を受けていました。国際法と国際経済の二科目は数文字しか書けず殆ど白紙状態に近かったので、その翌日月曜日の口答試験は受けても何の意味もないと思いつつ、有終の美を飾ろうという気持ちで最後まで受けました。
今は就職に備えて色々と準備中で正直言うと不安と緊張に見舞われております。
Posted by: 台湾人 | September 30, 2011 11:17 PM
大阪鶴橋の韓国伝統茶 喫茶店、
【チャングム・サランバン】のママの
ピリョです。
先日は、台風で、足下が悪い日でしたが、
わざわざ お店にお立ち寄りいただき、
ありがとうございました。
初めてお会いしたお客様でしたのに、
好き放題、おしゃべりしてしまいました。
相当、うるさかったかもしれませんね。
ブログを拝見して、私が、【映画】を話題に
したことは、身の程知らずだったかも・・と
反省しつつ、今頃、赤面しています。
それに、あの日は、18時台なら、
「新幹線が、動くかもしれないから、
とりあえず、新大阪までは、行かれて、
そこで、待たれた方がいいかもしれませんよ」
などと、
無責任なことを、申し上げてしまいましたので、台風の影響で、大変な帰路になったのでは
ないかと、この点も、申し訳なく思っています。
お疲れ様でした。
今回のことに懲りず、
また、大阪に来られましたら、
鶴橋のチャングムサランバンに
お立ち寄りくださいね。
それまでに、新しくできた、おもしろそうな
場所をチェックしておきますね。
これからも、お店ともども、
よろしくお願い申し上げます。
Posted by: ピリョ | October 01, 2011 06:49 PM
>台湾人さま
兵役を無事終えられたとのこと、おめでとうございます。台湾人さんの夢の実現に向けて、一歩前進したわけですね。
就職の準備中とのこと、好きな映画を楽しみながら、あせらず、じっくりと進めてください。
Posted by: 雄 | October 02, 2011 10:42 AM
>ピリョさま
先日はお店で楽しいひとときを過ごさせていただきました。映画の話、面白かったですよ。ピリョさんの韓流好きに感心しました。
あの日は結局、大阪に泊まりました。いずれにしろ新大阪には行かなければならなかったので、お気にされませんよう。
次に大阪に行くときにはまた寄らせていただきます。ご近所の面白い場所、教えてください。
Posted by: 雄 | October 02, 2011 11:42 PM