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September 14, 2011

『パレルモ・シューティング』 ニコンとマキナ67

Palermo
Palermo Shooting(film review)

『パレルモ・シューティング(原題:Palermo Shooting)』のshootingという言葉に二重の意味がかけられているらしいことが、映画を見ていて分かってくる。

フィンク(カンピーノ)はファッションからアートまでこなす売れっ子の写真家。アート的なものは、都市風景をデジタル加工した作品をつくっている(ドイツの写真家、アンドレアス・グルスキーがモデル)。モードの仕事で妊娠中のミラ・ジョヴォヴィッチ(妊娠8カ月の本人が出演)をドイツで撮影した写真がミラの気に入らず、偶然に名前を知ったパレルモで撮影しよう(shooting)とシシリー島へ向かう。

撮影が終わり、ひとり島に残ったフィンクは町の広場で、古い建物の窓から死神(デニス・ホッパー)に弓を射かけられ(shooting)、命を狙われる。それが現実なのか、フィンクの幻想なのかは、彼自身にも分からない。

写真を「撮る」ことに、弓を射たり、銃を発射したりするのと同じshootという言葉が使われるのは、写真の本質にかかわる何か大切なことと関係しているように思う(ついでにいえば映画を「撮る」のもshoot)。幕末に写真術が日本に入ってきたとき、「写真を撮ると魂を抜きとられる」と恐れられたのは有名な話だけど、写真を撮ることは(僕のような素人の経験でも)、原始の時代に人間が弓を射て獲物を得るのと同じような、対象を射抜いてそのいちばん大事なものを掠め取る不穏な感覚に襲われることがある(そういえば、ブレッソンの「決定的瞬間」は、正確に訳せば「不意に勝ち取られたイメージ」というものだ)。

フィンクは高速道路で車を走らせながらノーファインダーでカメラのシャッターを押し、偶然に対向車の人(デニス・ホッパーの死神)を撮ってしまう。彼の撮影行為が死を呼び寄せてしまったのだ。もっとも不眠症の彼は、それ以前から夢のなかでカタコンベの骸骨など死のイメージにつきまとわれている。

ところでこの映画はイングマル・ベルイマンとミケランジェロ・アントニオーニの2人、ヴィム・ヴェンダースが敬愛し、この映画のロケハン中に死んだ2人の監督に捧げられている。ベルイマンの『第七の封印』には死神が出てくるし、アントニオーニの『欲望(Blow-up)』は意図せず殺人現場の死体を撮ってしまった写真家の話だった。だから『パレルモ・シューティング』は、ベルイマンから「死神」を、アントニオーニから「写真と死の親和」を借り映画の骨格に据えて2人へオマージュを捧げたロード・ムーヴィでもある。

写真家として成功しながら死に捉われたフィンクは、パレルモへ旅して死神と対面し、同時に絵画修復技術者のフラヴィア(ジョヴァンナ・メッゾジョルノ)と会い、彼女を愛することによって再生する。ロード・ムーヴィの原形とでも言えそうな、シンプルな構造。1990年代からアメリカを根城に映画をつくっていたヴェンダースが、十数年ぶりにヨーロッパへ帰って初めての映画が、かつての原点に戻ったような作品なのが嬉しい。

ただロード・ムーヴィといっても、人間の造型だけでなく風景についても、1970~80年代の『都会のアリス』や『さすらい』、『パリ、テキサス』のようなひりひりした孤独感はなく、前作『アメリカ、家族のいる風景』に似た穏やかさを感じさせるのは、やはり歳のせいだろうか。手持ちカメラで撮られたパレルモの古い町並みと狭い石畳の道の風景が旅情を感じさせて心地よい(この部分は16ミリで撮影)のは、逆にいえばこの映画が普通の旅ものとして見えるということでもある。映像に70年代のヴェンダースのような有無を言わせぬ力がないのは仕方ないことか。

ところでこの映画には4種類のカメラが出てくる。フィンがドイツでミラのモード写真を撮るシーンでは、はっきり映らないけどハッセルブラッド・デジタルのように見える。パレルモでミラの妊婦ヌードを撮るのはニコン(仕事だから、多分これもデジタル)。仕事を終えてフィンが持ち変えるのは中判フィルム・カメラのプラウベルマキナ67。フィンが町で会う女性写真家は、これもフィルム・カメラのライカを持っている。仕事を離れたフィンが時代遅れの、でも愛好者もいる(例えばアラーキー)マキナを持っていることが、仕事で成功しながら死にとりつかれたフィンの精神状態をそのまま表している。

仕事はデジタルで、作品はフィルムで、という写真家は多い。だからフィンの選択に不思議はないけれど、デニス・ホッパーの死神が深遠な生と死を語っていたかと思うと、「デジタルは実在を保証しない」みたいなことをしゃべるのには笑ってしまった。

ところでこの映画自体、35ミリと16ミリのフィルムで撮影され、それをデジタル変換して幻視シーンなどさまざまに加工されているらしい。死神デニス・ホッパー(2008年製作のこの映画の2年後に死んだ)の言葉に従えば、『パレルモ・シューティング』はフィルムのオリジナルとデジタルのフェイクを併せもつ、実在と非実在の狭間にある映画ということになる。


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