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September 29, 2011

『スリーデイズ』 プリウスからシェビーへ

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The Next Three Days(film review)

僕たちがスクリーンで、ある役者を見ているとする。そのとき、彼(彼女)をその映画に登場する架空の人物として見ているわけだけど、同時にその役を演じている役者としても見ている。固有名詞をもった生身の役者と、彼が演じる架空の人物とが交差する、その虚実の間を楽しんでいる。だからその映画の架空の人物には、役者が過去に演じた架空の人物たちの記憶が重なってくる。

『スリーデイズ(原題:The Next Three Days)』でラッセル・クロウが演ずる大学教師の役は、ラッセル・クロウという役者の過去の記憶をうまく使っているな、と思った。

僕がラッセル・クロウを初めて見たのは『LAコンフィデンシャル』だった。映画自体も都市の闇を艶やかに描きだした傑作だったけど、LA警察の粗暴な刑事を演じたラッセルが発する暴力的な気配は印象的だった。次に見たのが『グラディエーター』。古代ローマの剣闘士役で、ラッセルは映画の最初から最後まで闘いつづけていた。この映画でラッセルはアカデミー主演男優賞を得て、スターの仲間入りする。

あと記憶に残っているのは、『シンデレラマン』。肉体労働で日銭をかせぐ元ボクサーがリングに復帰する話で、大恐慌下の下層労働者の雰囲気を実にうまく出していた。その間に『ビューティフル・マインド』の天才的数学者みたいな役もあるけど、『アメリカン・ギャングスター』とか『ロビン・フッド』とか、今にいたるまでラッセル・クロウは一貫して肉体派の役者というイメージがある。

ラッセル演じるジョンは、ピッツバーグのコミュニティ・カレッジで文学を教えている。公立の2年制大学の教師だから知的エリートというわけでなく、ごく普通の中流階級の男という役どころ。過去の映画で見せた引き締まった肉体と精悍な顔つきでなく、太り気味の体と冴えない風貌をもった中年男といった風情で登場してくるのは、もちろん計算の内だろう。

妻・ララ(エリザベス・ブレナン)が殺人の罪で投獄され(冤罪なのか、見る者にも最後まで分からない)、自殺を図ったことから、ジョンは妻を脱獄させることを決意する。大学教師らしく、まず脱獄に関する本を読み、著者に話を聞きにいく。ララに面会しながら刑務所の内外を探り、カメラで撮影する。偽造パスポートを買おうと怪しげなクラブに行くのだが、騙されてぼこぼこにされ、有り金を巻き上げられてしまう。どんな鍵穴にも合うキーをつくって刑務所内で試してみても、あえなく失敗して看守に警告されてしまう。

息子との日常生活を送りながら、とても成功しそうにない脱獄計画を練る冴えないラッセル・クロウ。でも見る者は、過去の彼の映画を脳裏に浮かべながら、あのラッセル・クロウなんだから、きっとやってくれるに違いないと期待をかける。監督のポール・ハギスは、そういう観客の期待を先延ばしし、うまく操りながら物語を進めていく。そうそう、冴えない男のジョンがトヨタのプリウスに乗り(「環境意識の高い犯罪者なのか?」と警官のジョーク)、決然たる男として計画を実行するときはアメリカ車シェビー(シボレー)に乗りかえるのには笑ってしまった。

ポール・ハギスは脚本家としても監督としても、内容の深みと物語ることのサスペンスフルな面白さを兼ね備えた、ハリウッドの数少ない一人だと思う。

彼の名前を最初に知ったのは、クリント・イーストウッド『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本家としてだった。女性ボクサーとトレーナーの友情でもあり愛情でもあるドラマ。続けてイーストウッドの『父親たちの星条旗』の脚本では、マイノリティーの視点からアメリカの「正義の戦争」を切ってみせた。監督第1作の『クラッシュ』では、やはりマイノリティーへの視線を保ちながら、都市に生きる人々の偶然のドラマをトリッキーな構成で見せてくれた。第2作『告発のとき』はイラク戦争を素材にした社会派映画(僕はこの作品、アメリカで見たのでセリフの細部がよく分からず、間違った評価をしているかもしれない)。

この『スリーデイズ』では、ポール・ハギスはサスペンスフルな面白さを求める職人的なつくり手に徹しているように見える。冤罪の問題とか、都市の暗部とか、社会的な広がりを持ちそうな部分もあるけど、それは薬味程度に抑えて、もっぱら脱獄と逃亡のサスペンスに徹している。脱獄から15分で市内中心部が封鎖され、35分で高速道路料金所も封鎖されるというタイムリミットを設け、しかも計画通りに行かず次々にラッセル・クロウと観客を未知の状況においておく。サスペンスの常道だけど、はらはらさせられる。

ラッセル・クロウが過去の映画のように派手に肉体を暴発させるシーンこそないけれど、それでも十分に楽しめた。フランス映画『すべて彼女のために』(未見)のリメイク。こちらも評判良かったけど、はらはらどきどき度はどっちが上なんだろう。

ラスト、反米チャベス政権のベネズエラに逃げて幸せに暮らしましたとさ、というオチはフランス版にもあったのか、それともポール・ハギスの皮肉っぽいユーモアなのかな。


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September 23, 2011

台風近づく京・大阪で

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a trip to Kyoto and Osaka

大阪で午前中からの仕事が入ったので、前日に京都へ行き、半日ほど遊ぶことにする。沖縄あたりを迷走していた台風15号が北上し、本州を直撃しそうなので、早めに現地に行っておきたい気持ちもあった。

午後2時すぎ、京都駅を降りると雨。雲が低く、町は暗い。まずはバスで京都市美術館へ。「フェルメールからのラブレター展」をやっている(東京は12月から)。

フェルメールが3点、展示されている。最近修復され、制作当時の色を再現したという「手紙を読む青衣の女」(上のチラシ)の青色が素晴らしい。フェルメール独特の左上からの光が当たった部分の明るいブルーから、陰になった濃いブルーへと移りゆく衣の質感に見惚れてしまう。椅子は、衣とはまた違う深い青。当時、青の絵具はアフガニスタンから輸入されたラピスラズリ(瑠璃)を原料につくられたという。世界の海を支配していたオランダだからこそ可能だった色。

もう1点の「手紙を書く女」も、光を受けた黄色い衣の襞襞が織りなす微妙な諧調、やはり光を受けた髪飾りや真珠のイヤリングが背景から浮き出るコントラストが印象的だ。

「手紙を読む女」は口を半開きにし放心しているように見える。「手紙を書く女と召使い」の女の机の下には、書きかけの紙が丸められ、捨てられている。遥かな海の彼方にいる夫との間で、あるいは夫の身の上に、なにか悲しい出来事があったことを想像させる。フェルメールの絵はどれもオランダ上流市民社会の穏やかな日常を描いているけれど、そんな見えないドラマを秘めているんだな。

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京都市美術館を出て、地図を見ながら行ったことのない近くの寺を探し、東山の長楽寺に行こうと決めた。バスで祇園に出て八坂神社を抜け、東大谷廟に沿って坂を上っていく。暗い空の下、門に掲げられた長楽寺の金文字が斜光に照らされ浮き出ていた。フェルメールを見たばかりで、あ、ここにも光のいたずら。

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長楽寺は室町時代に時宗の寺になっている。一遍の時宗は、遊行し踊念仏によって阿弥陀信仰を伝えて民衆
に広まった。明治以前の長楽寺は、今の丸山公園や東大谷廟を含む広大な寺域を持った寺だったという。

宗祖の一遍と、代々の遊行上人7人の像が公開されている。いずれも運慶の系統を引く仏師の手になる、リアリズム彫刻。一遍像は死後2世紀してつくられたからだろうか、少し抽象化されているけれど、他の上人のは、今にもしゃべりだし、動きだしそうなリアルな像。一遍の鋭い眼光、削ぎ落とされた頬、とがった顎を見ていると、宗教と芸能が一体となる遊行を始めた独創的な男のオーラに打たれる。

上人像のかたわらに、遊行のとき僧や信者が着た「阿弥衣(あみえ)」の現物が展示されていた。植物繊維を荒く織り、長めの半纏のようにしたもので、ドンゴロスとか縄文服に似ている。こういう具体的なものがひとつでもあると、遊行についてのイメージがぐっとふくらむ。

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裏山を墓地のほうへ登っていくと、京都市内が一望できる。雲が低く、雨も強くなってきた。

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寺を出て八坂神社に向かって下っていくと、長楽舘という名前のカフェがあったので一休み。寺と関係あるのかと思ったらそうではなく、明治の煙草王・村井吉兵衛の別邸だったという。今はレストラン・カフェ・ホテルになっている。

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日露戦争の戦費を調達するために煙草が専売制になる以前、業界では岩谷松平(東京)の国産「天狗煙草」と村井吉兵衛(京都)の輸入煙草がしのぎを削っていた。当時の新聞・雑誌を見ていると、「岩谷天狗」と「村井舶来」の広告が実にたくさん出てくる。

「輸入煙草は村井商会が代表で、新発売の煙草を出すたびに楽隊宣伝、芸者カードや西洋美人のヌード画、自転車や金・銀懐中時計を景品につけて大宣伝を行った」(松山巌『世紀末の一年』)

両者の宣伝合戦は中傷合戦にまで及んだ。岩谷は新聞に「舶来模造煙草は阿片混合の製造にして、脳を害し、喉をそこない、きわめて精神を消耗す」と意見広告を出し、一方、村井は「天狗煙草には毒草が入っている」とか「岩谷は少女を妾にしようとしている」といった噂を流した。粗放な明治資本主義の一幕。

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鹿鳴館は終わったとはいえ、この建物も明治金ぴか時代らしい和洋折衷。3階には和室があり、洋風の階段の上に金張りの襖が見える。

長楽舘の隣、今は大雲院になっている場所は明治の「死の商人」大倉喜八郎の別邸があったところで、ここには伊東忠太設計の奇怪な楼閣、祇園閣が建っている。日本と西洋、日本とオリエントが混合した奇妙な建物が隣り合っているのは、明治の成金たちにとってここ東山・祇園が京都のなかでもとりわけ特別な場所であったからだろう。彼らは祇園閣や長楽舘に内外の賓客を招き、高みから市街を見下ろして、古都を征服した気分に浸ったんじゃないかな。

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翌日も雨。台風は京都・大阪を直撃せず、紀伊半島沖を進んで東海地方に上陸するらしい。午後3時すぎに大阪で仕事が終わり、新幹線の時間まで3時間ほどあったので鶴橋へ。

大阪で時間があくと、たいてい鶴橋に来る。鶴橋駅前のアーケードが縦横に走る商店街は小さな店がひしめいて、いかにも戦後闇市の雰囲気を残しているし、30年来なじみの韓国漬物の店もある。この店の岩海苔の漬物は唐辛子、白胡麻、葱などと漬けこんだもので、ビールのつまみに絶品。新幹線で匂うからしっかり包んでねと頼むと、いつも口数少なく微笑んでいるおばちゃんがビニール袋を二重にして輪ゴムで止め、新聞紙でくるんでくれる。

漬物の店から鶴橋本通アーケードに出てコリアタウン方向に少し歩くと、韓国伝統茶の喫茶店「チャングム・サランバン」がある。前に来たとき、このあたりを歩いていて見つけた。今日は蓮茶に韓国餅で一休み。

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韓国人オーナーから店を預かるピリョさんは、熱烈なヨンさまファンの日本人。韓流に入れあげ、この店の向かいにあるアリラン食堂で働くうちに韓国語と韓国料理を覚えて、店を任されたという。大阪で覚えたとは思えない流暢な韓国語をしゃべる人で、店ではハングル会話カフェなどの企画もやっている。

ピリョさんは韓国の映画・ドラマも実によく見ていて、人気の韓流ドラマからキム・ギドクやパク・チャヌクみたいな癖のあるマイナー映画まで詳しい。そんなことを話していたら、あっという間に時間が過ぎた。

ところで、台風が上陸し、新幹線が止まっているらしい。さて、今日は帰れるのか?


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September 14, 2011

『パレルモ・シューティング』 ニコンとマキナ67

Palermo
Palermo Shooting(film review)

『パレルモ・シューティング(原題:Palermo Shooting)』のshootingという言葉に二重の意味がかけられているらしいことが、映画を見ていて分かってくる。

フィンク(カンピーノ)はファッションからアートまでこなす売れっ子の写真家。アート的なものは、都市風景をデジタル加工した作品をつくっている(ドイツの写真家、アンドレアス・グルスキーがモデル)。モードの仕事で妊娠中のミラ・ジョヴォヴィッチ(妊娠8カ月の本人が出演)をドイツで撮影した写真がミラの気に入らず、偶然に名前を知ったパレルモで撮影しよう(shooting)とシシリー島へ向かう。

撮影が終わり、ひとり島に残ったフィンクは町の広場で、古い建物の窓から死神(デニス・ホッパー)に弓を射かけられ(shooting)、命を狙われる。それが現実なのか、フィンクの幻想なのかは、彼自身にも分からない。

写真を「撮る」ことに、弓を射たり、銃を発射したりするのと同じshootという言葉が使われるのは、写真の本質にかかわる何か大切なことと関係しているように思う(ついでにいえば映画を「撮る」のもshoot)。幕末に写真術が日本に入ってきたとき、「写真を撮ると魂を抜きとられる」と恐れられたのは有名な話だけど、写真を撮ることは(僕のような素人の経験でも)、原始の時代に人間が弓を射て獲物を得るのと同じような、対象を射抜いてそのいちばん大事なものを掠め取る不穏な感覚に襲われることがある(そういえば、ブレッソンの「決定的瞬間」は、正確に訳せば「不意に勝ち取られたイメージ」というものだ)。

フィンクは高速道路で車を走らせながらノーファインダーでカメラのシャッターを押し、偶然に対向車の人(デニス・ホッパーの死神)を撮ってしまう。彼の撮影行為が死を呼び寄せてしまったのだ。もっとも不眠症の彼は、それ以前から夢のなかでカタコンベの骸骨など死のイメージにつきまとわれている。

ところでこの映画はイングマル・ベルイマンとミケランジェロ・アントニオーニの2人、ヴィム・ヴェンダースが敬愛し、この映画のロケハン中に死んだ2人の監督に捧げられている。ベルイマンの『第七の封印』には死神が出てくるし、アントニオーニの『欲望(Blow-up)』は意図せず殺人現場の死体を撮ってしまった写真家の話だった。だから『パレルモ・シューティング』は、ベルイマンから「死神」を、アントニオーニから「写真と死の親和」を借り映画の骨格に据えて2人へオマージュを捧げたロード・ムーヴィでもある。

写真家として成功しながら死に捉われたフィンクは、パレルモへ旅して死神と対面し、同時に絵画修復技術者のフラヴィア(ジョヴァンナ・メッゾジョルノ)と会い、彼女を愛することによって再生する。ロード・ムーヴィの原形とでも言えそうな、シンプルな構造。1990年代からアメリカを根城に映画をつくっていたヴェンダースが、十数年ぶりにヨーロッパへ帰って初めての映画が、かつての原点に戻ったような作品なのが嬉しい。

ただロード・ムーヴィといっても、人間の造型だけでなく風景についても、1970~80年代の『都会のアリス』や『さすらい』、『パリ、テキサス』のようなひりひりした孤独感はなく、前作『アメリカ、家族のいる風景』に似た穏やかさを感じさせるのは、やはり歳のせいだろうか。手持ちカメラで撮られたパレルモの古い町並みと狭い石畳の道の風景が旅情を感じさせて心地よい(この部分は16ミリで撮影)のは、逆にいえばこの映画が普通の旅ものとして見えるということでもある。映像に70年代のヴェンダースのような有無を言わせぬ力がないのは仕方ないことか。

ところでこの映画には4種類のカメラが出てくる。フィンがドイツでミラのモード写真を撮るシーンでは、はっきり映らないけどハッセルブラッド・デジタルのように見える。パレルモでミラの妊婦ヌードを撮るのはニコン(仕事だから、多分これもデジタル)。仕事を終えてフィンが持ち変えるのは中判フィルム・カメラのプラウベルマキナ67。フィンが町で会う女性写真家は、これもフィルム・カメラのライカを持っている。仕事を離れたフィンが時代遅れの、でも愛好者もいる(例えばアラーキー)マキナを持っていることが、仕事で成功しながら死にとりつかれたフィンの精神状態をそのまま表している。

仕事はデジタルで、作品はフィルムで、という写真家は多い。だからフィンの選択に不思議はないけれど、デニス・ホッパーの死神が深遠な生と死を語っていたかと思うと、「デジタルは実在を保証しない」みたいなことをしゃべるのには笑ってしまった。

ところでこの映画自体、35ミリと16ミリのフィルムで撮影され、それをデジタル変換して幻視シーンなどさまざまに加工されているらしい。死神デニス・ホッパー(2008年製作のこの映画の2年後に死んだ)の言葉に従えば、『パレルモ・シューティング』はフィルムのオリジナルとデジタルのフェイクを併せもつ、実在と非実在の狭間にある映画ということになる。


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ミントの花

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flower of mint

ミントが小さく青い花をつけた。今年はミント、バジル、レモンバームのハーブ類を植えたんだけど、葉をつまんでパスタやティーに添える程度のことしかできなかった。来年はもっとちゃんと使ってみよう。

もっともシソ、みょうがもあるから、朝、これらやハーブを摘んで食卓にのせるのは、それだけでささやかな贅沢。

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September 12, 2011

『監督失格』 エロで救われる

Sikkaku
Kantoku Shikkaku(film review)

林由美香って名前は、前から気になっていた。

去年だったか、東中野ポレポレ座の前を通ったら『あんにょん由美香』のポスターが貼ってあった。AV女優・林由美香が出演した韓国のエロティック映画について、関係者を韓国まで追っかけたドキュメントだという。面白そうだなと思ったけどレイトショーで時間が合わず、見られなかった。それで名前が記憶に残り、今度は書店の映画コーナーへ行くと『女優 林由美香』という本が目に飛び込んでくる。熱狂的なファンがいる女優なんだな。

調べてみると、林由美香はアダルト・ビデオの人気女優からピンク映画に転じ、Vシネマなどにも出ていたが、2005年に34歳の若さで亡くなっている。伝説のAV女優というところだろうか。

『監督失格』は、伝説となるきっかけをつくった『由美香』(AVを元に製作され劇場公開された)の監督・平野勝之が11年ぶりにつくった新作。その『由美香』は、恋人同士でもあった監督と由美香が東京から礼文島まで自転車野宿旅行したのを記録したドキュメンタリーだったらしい。

『監督失格』の前半は『由美香』のメイキングのスタイル(ハードなシーンを期待してもありません。念のため)、後半は2人のその後、カメラを回している監督が由美香のマンションで彼女の死を発見する瞬間や由美香の母親の語りなどを含め、林由美香という女優の魅力、その生き方を余すところなく見せてくれる。

『由美香』の北海道旅行のとき、平野は由美香からプライベートもカメラを回していいよ、と言われたという。察するに、このときから林由美香は自分の生をフィルムに記録しておきたいという望みをもっていたらしい。ところが旅の途中、恋人同士の2人がケンカしたとき、彼はカメラを回すことができなかった。また、監督が泣いたときもカメラを回せなかった。平野は由美香から「監督失格だね」と言われてしまう。それがタイトルの由来。

「監督失格だね」だけでなく、映画の中で、とても印象的な言葉があった。由美香は自分の過去を振り返りながら、「私はエロで救われたんだよね」と語っている。僕は残念ながらアダルト・ビデオ業界にもピンク映画にも詳しくないので、その言葉のニュアンスがよく分からない。

でも例えば、東良美季のブログ「自由という名の生き方 AV女優・林由美香」を読むと、親に捨てられたトラウマを抱えてひとり生きてきた彼女が、アダルト・ビデオの女優になって初めて「自由に生きる」ことを知ったということだろうか。実際、『監督失格』のなかで平野監督とだけでなく、スタッフたちとも酒を飲むシーンが何度か出てくるけれど、由美香がしゃべり、笑い、怒り、呑み、涙を流す、その姿が素晴らしい。

東良はまたこのブログで、平野勝之らAVの監督にとって林由美香は「創作の女神」だったとも書いている。その言葉は、由美香が平野たちに映画づくりのモチベーションを与えたにとどまらず、由美香の側から見れば、彼女はAVのスターとして造型されるただの素材ではなく、平野たちに「林由美香」という作品をつくらせようとした、いわばプロデューサー兼主演女優だったということでもあるのではないか。「プライベートで回してもいいよ」も「監督失格だね」も、そうした立場から出た言葉として考えると、一層よく分かる。

平野は『監督失格』をプロデューサー兼主演女優の死後6年にして、ようやくにして完成させた。しかも、母と娘の和解という、林由美香が現実にはまだその途上だったテーマをも含めて完成させた。母の決然としつつも穏やかな顔、娘の笑顔、そしてカメラを回せずに「監督失格」と言われた平野が号泣して自転車を走らせるくしゃくしゃの顔を自ら撮ったラストシーンが忘れられない。

それに。いきなり死体を発見したとき、人はこんなふうにふるまうものなのか。このフィルムの後では、どんな映画やドラマの死のシーンもウソくさく感じてしまいそう。

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ズッキーニのパスタ

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cooking pasta of zucchini and basil

昼食のパスタは水菜とかきのこ類とかありあわせの野菜でつくることが多いけど、今日はズッキーニがあったので、庭からバジルの葉を摘んできて、ズッキーニとバジルのパスタ。にんにくと島唐辛子も入れたけど、なにかひと味足りない。ズッキーニはソースとからめるほうがうまいのかも。

今年はバジルを栽培しているので、バジルソースにも挑戦してみたいんだけど、まだ果たしていない。

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September 09, 2011

『ゴーストライター』 不安の感情

Ghostwriter
The Ghost Writer(film review)

『ゴースタライター(原題:The Ghost Writer)』を一緒に見ていたた映画友達のMittyさんが「ポランスキーはアメリカが嫌いみたい」とつぶやいたけど、ほんと、これはイラク戦争を素材にしたアメリカ嫌いの政治スリラーだった。しかも国際政治のリアルな設定でありながら、ポランスキー独特の「不安」に満ちたミステリーとして楽しめたのがいいな。

アメリカの「テロとの戦い」に協力しイスラム教徒容疑者を拷問したことで国際司法裁判所の調査を受けるという設定の元英国首相ラング(ピアーズ・ブロスナン)は、どう見てもイラク戦争時にブッシュ政権と一心同体だったブレア元首相。映画のなかでアメリカの国務長官が一瞬出てくるけど、これもライス元国務長官そっくりさんのアフリカ系女性だった。

引退したラングはアメリカ東北部海岸の島に滞在して自伝を執筆しているのだが、ゴーストライターが謎の死を遂げる。後任に指名されたユアン・マクレガー(役名なし。元首相に向かって「自分はゴースト」と自己紹介するのみ)が島に赴く。前任者の死に不審をいだいたユアンが調べはじめると、身辺に不穏な動きが……。

映画のなかで島の名は語られないけど、舞台に擬せられているのはボストン南方100キロの海岸に面し避暑地として知られるマーサズビンヤード島。毎年夏にオバマ大統領一家やクリントン夫妻が訪れ、有名人の別荘が多いのでも有名な島だ。島の対岸でフェリーの港があり、CIAエージェントのハーバード大教授が住むという設定のビンヤード・ヘイブンとともに、富裕な白人層が住むスノッブな風景のなかを、ジーンズにセーター姿のしがない「ゴースト」(ユアン・マクレガーぴったり)が動き回る。

といっても、実際にマーサズビンヤード島でロケされているわけじゃない。なにしろロマン・ポランスキーは少女強制猥褻容疑で裁判中にアメリカから逃亡して、以来フランスに住み、アメリカに入国できない身の上だから(ポランスキーは冤罪を主張してるけど、彼の反米気分はそういう個人的事情からも来ているに違いない)。

で、実際に撮影されたのは北ドイツで、北海に浮かぶジルト島(wikipedia)。避暑客のいない淋しい冬の風景が素晴らしい。冒頭から最後まで、どんよりと暗い雲におおわれた空。降りつづく氷雨。風に揺れる砂丘の草原。荒れた海。この寂寥の風景が、映画の基調低音である「不安」を醸し出す。ユアン・マクレガーとともに、映画のもう一方の主役と言いたいくらいだ(撮影は『戦場のピアニスト』のパヴェル・エデルマン)。

そんな舞台装置のなかで、ポランスキーはまるでヒッチコックのように、「ゴースト」の不安が高まるのをじっくり描きこんでゆく。画面の背後で絶えず響くオーケストラの音(音楽はアレクサンドル・デスプラ)も、ヒッチコックはじめ1950年代の古典的サスペンス映画の雰囲気を思い出させる。

目を引くアクション・シーンは皆無。「ゴースト」が歩きまわるうちに前任者が殺された状況を再現することになってしまい、車で追跡されるシーンも、フェリーでCIA要員に狙われるシーンも、演出は控えめだ。最後、出版記念パーティでユアン・マクレガーが元首相の妻(オリヴィア・ウィリアムズ)に何人もの人手を介してメモを届ける長いショット、メモを読んだ彼女に無言でワイングラスを上げてみせるショット、その後の「死」を直接描写せずに原稿が風に舞うラストシーンも、いかにも大人のサスペンスといった風情で品がある。

考えてみれば、ポランスキーは処女作『水の中のナイフ』(高校時代に見て惚れこんだ)から『反撥』『ローズマリーの赤ちゃん』『チャイナタウン』といった脂が乗りきった1960~70年代の作品群、その後の、出来は悪かったけど『フランティック』などのミステリー、老年になって復活をとげた『戦場のピアニスト』といった映画で、一貫して「不安」のさまざまな様相を主題にしてきたようにも思える。

それはユダヤ系ポーランド人のポランスキーが、両親がナチスの強制収用所に送られ、自身もナチス占領下のフランスで逃亡生活を送り、戦後は社会主義ポーランドから逃げだし、さらに亡命したアメリカからも逃亡した(これは現在形。数年前、スイスで身柄拘束され、アメリカに引き渡されそうになった)という彼の生き方と切り離して考えることはできそうにない。

もっともポランスキーは政治的人間じゃないから、「逃亡」の理由は必ずしも政治的なものではない。ポーランドから逃げ出したのもアメリカから逃げだしたのも、「芸術家の自由」を求めて、とでもいうんだろうか。全然関係ないけど、何人もの女房(バルバラ・ラス、シャロン・テート、エマニュエル・セニエ)や、つきあった女(ナスターシャ・キンスキー)を見ても、その美意識は一貫してる。高校時代、僕はバルバラ・ラスのファンだったから(『生きる歓び』のキュートだったこと!)、嫉妬まじりの羨望の気持ちでポランスキーの映画を見てた。

話が変な方向に逸れてしまった。という訳で(?)、『ゴーストライター』もイラク戦争を背景にしているけど、政治的メッセージは必ずしも強くないし、元首相の秘密をあばく謎解きも映画のキモではないように感じられる。むしろポランスキーの興味は、ユアン・マクレガーが知らず知らず不審な状況に巻き込まれ、元首相を探るほどに正体不明の敵を呼び寄せ、じわじわと不安をつのらせてゆく過程それ自体を描くことにあるように見える。

だからハリウッド的な刺激の強いサスペンスでもないし、謎解きもどうということないけど、映画を見ている間中、ずっと感情が揺さぶられつづけるのが快感だったな。

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September 06, 2011

ミシェル・ルグラン 贅沢な時間

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Michel Legrand trio live, splendid!

ミシェル・ルグランといえば、『シェルブールの雨傘』はじめフランス映画音楽の作曲家としてあまりにも有名だ。でも今日聞きにいくミシェル・ルグランは、作曲家というよりジャズ・ピアニストとしてのルグラン。彼のライブをクラブで聞けるなんてめったにない機会だと思い、楽しみに出かけた(9月5日、表参道・BLUE NOTE)。

ミシェル・ルグランが若いころからジャズ好きで、何枚かのアルバムを出していることはジャズ・ファンならよく知ってる。なかでもルグラン編曲・指揮による『ルグラン・ジャズ』はニューヨークでマイルス・デイビス、ビル・エバンス、ジョン・コルトレーン、ベン・ウェブスターといったキラ星のようなスターたちを擁して録音したスタンダード集。昔、ジャズ喫茶でよくかかってたなあ。

ビッグ・バンドふうな編成だけど、カウント・ベイシーみたいな管楽器を重ねた重厚なサウンドというより、華麗な編曲と次々繰り出される豪華メンバーのソロが印象的なカラフルで洒落たジャズ。「ジャンゴ」「ラウンド・ミッドナイト」といった名曲を、あ、ここマイルスだ、これ、コルトレーンだな、ウェブスターいい音だなあ、なんて楽しんだっけ。

でもこのアルバムでは、ルグラン自身は編曲・指揮だけでピアノを弾いてない。ピアニストとしてのアルバムはちゃんと聞いたことがないので、どんな音が出てくるの? そんな期待もあった。

Pierre Boussaguet(b)、Francoi Laizeau(d)とともにご機嫌でステージに現れた御大、足元がやや覚束ないけど、ピアノの前に座って紡ぎだすのは、美しく、ちょっとメランコリックな旋律。若い頃つくった曲らしいけど、ルグラン・メロディは聞けばすぐ分かる。歳のせいか、さすがに音に力はないけど、いい音色です。

自分の曲を中心に、たっぷり7曲。時にビル・エバンスみたいに端正で、時にミシェル・ペトルチアーニみたいに繊細で、マッコイ・タイナーみたいに速弾きで、かと思うとファンキーがかったりもする。自作のバラード「これからの人生」では甘美なルグラン節全開だし、「マイルスの思い出に」と言って弾いた「ディンゴ」(マイルスと共作)ではマイルスのトランペットそのままにスキャットで歌う。クラシック(誰の曲か聞きとれなかった)もジャズにする。いろんな曲をいろんなスタイル、いろんなテンポで自在に戯れ、そのどれもが見事なジャズ。すごい。

アンコールは極めつけ「シェルブールの雨傘(I Will Wait for You )」を、オーソドックスな演奏に始まり、ボサノバ、ニューオリンズ、タンゴから最後はロシア民謡にしてみせて、会場は大盛り上がり。

80歳になろうとする巨匠の遊び心に満ちた至福の世界。いや、贅沢な時間でした。


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September 03, 2011

谷川晃一のセーター

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Tanikawa Koichi exhibition
(「谷川晃一展」カタログから)

画家・谷川晃一の仕事を集めた谷川晃一展(10月23日まで。東京・三鷹市美術ギャラリー)に行ってきた。

10代に独学で絵を描きはじめたころの作品から、1960年代のポップ・アートふうな作品。図形のように変容したヒトやモノが入り混じる独特のスタイルを築きあげた時期の作品。それまでは都会の孤独といった感情が底に流れていたようだけど、50歳を過ぎて伊豆高原に移住し、絵のなかに動物や植物、森の精といった自然が入りこんでくるとともに、色彩も明るくなってきた1990年代以後の作品。

僕が親しんできたのは主に伊豆移住以後の作品だったので、それ以前の絵を見ることができて、そうか、こういう変遷をへて現代的プリミティブとでも言うんだろうか、ヒトと生き物の原形をみるような根源的で温かい絵に至ったんだなと納得。

この展覧会が面白いのは絵画だけでなく、それ以外の谷川晃一の仕事も見せてくれたことだった。手づくりの絵本、雑誌の表紙、装丁、ポスター、陶板、オブジェ、ボックスアート、パッチワークなどなど。なかには谷川晃一の絵を編みこんだセーターもある(上の写真)。ほしいな、このセーター。彼の絵を身につけられたら、どんなに気持ちいいだろう。どれもこれも、谷川晃一が手を動かす文字通りの手仕事を楽しんでいる様子がうかがえるのがいいなあ。

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