『ミラル』 パレスチナに生きる
日本にいるとリアルに受け止められないけど、映画は広く大衆に見られるメディアで、それだけに大きな影響力を持っているから、深い政治性を持っている。
1980年代、トルコのクルド人監督ユルマズ・ギュネイはクルド族を主人公にした映画のため何度も投獄されているし、文化大革命を批判的に描いた中国第五世代の陳凱歌はアメリカに去り、田荘荘は長い沈黙を強いられた。天安門事件の後も、黄建新らが出国している。中国だけでなく、去年はイランのクルド人監督バフマン・ゴバディが亡命を余儀なくされた。映画が政治性を持つ(持たざるをえない)状況は世界的に今も変わらない。
『ミラル(原題:Miral)』が今年4月にアメリカで公開された翌日、この映画に出演していたパレスチナの俳優で難民キャンプの創設者でもあるJuliano Merr-Khamisが劇場の外で狙撃され殺された(wikipedia)。犯人が誰かはwikipediaの記事では分からないけれど、ユダヤ系アメリカ人監督ジュリアン・シュナーベルがパレスチナ人少女の成長を描いたこの映画が、ユダヤ人、パレスチナ人双方にとって過敏にならざるをえないテーマを扱っていたからだろう。
ジュリアン・シュナーベルはNYブルックリンでユダヤ系の家庭に生まれ、母親は女性シオニスト協会ブルックリン支部長だったという。ブルックリンのウィリアムズバーグには厳格なユダヤ教徒のコミュニティがあり、今も黒帽、黒服に全身を包んだ人たちが町を歩いているから、ジュリアンもそうした文化のなかで育ったのかもしれない。彼がパレスチナ人を主人公に映画をつくることを決めたとき、家族の反対に遭ったとジュリアン自身が語っている。
一方、この映画はパレスチナの暫定自治にイスラエルとPLOが合意した1993年のオスロ合意を一応のゴールにしているから、PLOと袂を別ったハマスに近いパレスチナ人から見れば、イスラエルとパレスチナの共存を肯定的に描いたこの映画に反発を感ずるかもしれない。
ジュリアン・シュナーベルのこれまでの映画を見るかぎり、彼は特定の政治的立場を取っているわけではないと思う。ただ、亡命したキューバ人作家の自伝を映画化した『夜になるまえに』(いい映画でした)など、政治的に微妙なテーマにもひるまず挑んでいることは確かだ。
『ミラル』では、パレスチナ・イスラエル現代史を背景に、3人のパレスチナ女性の生が描かれる。
1948年、イスラエル建国直前。東エルサレムに住む裕福なパレスチナ女性ヒンドゥ(ヒアム・アッバス)は、イスラエル民兵の攻撃で孤児になった55人の子供を保護して「子供の家」をつくった。彼女は、ここで3000人の子供を育て、教育することになる。
1960年代、継父の性的虐待に家を出たナディア(ヤスマン・アル=マスリー)は小さな罪で投獄されるが、同房の独立運動活動家に出会い、彼女の兄でイスラム教導師のジャマールと結婚する。彼女はミラル(フリーダ・ピント)を生むが、家庭はうまくいかず、ナディアは自殺する。
ミラルはヒンドゥの「子供の家」に預けられる。成長したミラルはイスラエルへの抗議活動に加わるが、ヒンドゥは暴力を否定し、学校に政治を持ち込むことを許さない。ミラルはイスラエル警察に捕らえられ……。
この映画でおやっと思ったのは、イスラエルが占領している東エルサレムだけでなく、ヨルダン川西岸のラマラやパレスチナ難民キャンプなど、イスラエル支配地域とパレスチナ支配地域の双方で撮影しているらしいことだ。「ユダヤ系アメリカ人監督がつくるパレスチナ人の物語」というスタンスがそれを可能にしたのだろうか。
しかもその映像が素晴らしい。ニュース画面も交えながら、手持ちカメラで撮った迫力あふれるインティファーダの映像もあれば、低木がつづくパレスチナの乾いた大地を舐めるように撮影した映像もある。金色のドームが見え隠れするエルサレム旧市街の石畳。同じ形の住宅が並ぶユダヤ人入植地。埃っぽい難民キャンプ。どれもニュースで見たことのある風景だけど、映画の中でその空気感まで感じさせて息づいている。
撮影はエリック・ゴーティエ。アレン・レネ、レオス・カラックスらフランス映画の名作だけでなく、最近では『モーターサイクル・ダイアリーズ』『イントゥ・ザ・ワイルド』でも見事な映像をつくっていたから、それも納得。
原作はパレスチナ人ジャーナリスト、ルーラ・ジブリールの自伝。脚本も手がけている。「いくつかの出来事をつなげたり、複数のキャラクターをひとつにしてはいるけれど、中東には空想の入り込む余地はない。この目で見たものを語ること以外できない」と述べている。
『夜になるまえに』『潜水服は蝶の夢を見る』そして『ミラル』とシュナーベルの映画を見てくると、さまざまな極限状況におかれた人間の生と死をテーマとしていて、それが結果として、時に政治性を帯びることになるんだろう。どれも素晴らしく官能的な映像を持った映画で、シュナーベルが一貫して見つめているのが「生きる歓び」であることに納得がいく。


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