『ラスト・ターゲット』 英国製マカロニ・ノワール
この映画の監督、アントン・コービンの名前は、ミュージシャンのポートレートを撮る写真家としてかすかに名前を覚えていた。マイルス・デイビスの上半身の目と爪が異様に白いポートレートや、U2「ヨシュア・ツリー」のジャケット写真なんかが記憶にある。そのアントン・コービンが映画を撮っているとは知らなかった。wikipediaを見ると、写真家として活動するだけでなくミュージック・ビデオを撮ったり、映画にも進出して、第1作『コントロール』はカンヌで賞を取っている。
だからだろうか、『ラスト・ターゲット(原題:The American)』には写真家らしいショットがいくつもある。イタリアの山岳地帯を切り裂くように走る車を真横にカメラを据えて撮った遠景。その道路と車を上から俯瞰するショット。山の上にそびえる中世風の城砦都市に流れる霧の風景。町の石造りの家々をこれも真上から俯瞰したショット。そんな「ムービー」というより「スチール」感覚のショットがいかにも写真家の映画だなあ。
『コントロール』は夭折したミュージシャンの伝記映画らしいから、まだそれまでのコービンの仕事と関連するけれど、この映画は音楽とまったく無関係な英国ミステリー『暗闇の蝶』の映画化。
老年を迎えつつあるアメリカ人暗殺者ジャック(ジョージ・クルーニー)が何者かに命を狙われ、イタリア南部山岳地帯の城塞都市、カステル・デル・モンテに身を隠す。異邦人のジャックは英語を話す神父(パオロ・ボナチェッリ)と知り合い、娼婦のクララ(ヴィオランテ・プラシド)となじみになる以外は誰ともつきあわず、口もきかない。引退前の最後の仕事として狙撃用のライフル製作を引き受けるのだが、身辺に怪しい影が見え隠れしはじめる……。
派手なアクションはなく、今ふうなテンポの速いストーリー展開もなく、1960~70年代の地味だけど陰影あるノワール映画の雰囲気。僕は見ていてアラン・ドロンが寡黙な殺し屋に扮した『サムライ』(ジャン・ピエール・メルビル監督)を思い出した。でも、それは連想の方向がちょっと違ってたみたい。
映画の中ほど、町のバーのシーン。店のテレビに『ウエスタン』(セルジオ・レオーネ監督)が映っている。それを見て、ああそうか、ジャックはマカロニ・ウェスタンの主人公に重ねられているんだな、と思った。リアリズムが底に流れるメルビルのノワールでなく、アメリカ産西部劇のヒーローを、いっそうキャラを立ててリアリズムというより神話の主人公に近いマカロニ・ウェスタンのクリント・イーストウッドやチャールズ・ブロンソン。
人気のない小さな町にやってきた流れ者。部屋で孤独に銃を手づくりするジャック。その背には蝶のタトゥーが彫られれている。娼婦クララとの逢瀬。やがてそれが愛に変わってゆく。神父との罪と贖罪をめぐる問答。そんないかにもの設定が、マカロニ・ウェスタンの様式美や荒唐無稽な設定と共通している。
もっとも、マカロニ・ウェスタンのどぎつい濃さはない。映画そのものも、暗殺者の造型も、良くも悪くも品がいい。ジョージ・クルーニーはいつもに増してクールで、だから死にゆく暗殺者の心象もあっさり目。映画のキー・イメージは「蝶」だけど、クルーニーの背のタトゥーも、ラストシーンで実際に飛ぶ蝶も、セルジオ・レオーネならもっと官能が匂いたつ映像につくりこむんじゃないかな。城塞都市の風景も、追われる主人公が閉じこもる孤独の心象というより、観光的な美しさに見える。少なめに入る音楽も素敵だけど、エンニオ・モリコーネの印象的なメロディがいやが上にもドラマを盛り上げたマカロニ・ウェスタンに比べると物足りない。
それはなぜ? と考えると、オランダ生まれでロンドンで活動しているアントン・コービンはじめ、脚本(ローワン・ジョフィ)、撮影(マーティン・ルーエ)など主なスタッフがイギリス人で、どことなしハリウッドと一線を画するイギリス映画のテイストがあるせいかもしれない。
もっとも、僕が物足りないと思ったそのテイストこそを、コービンは狙ったのかもしれない。まあ、マカロニ・ウェスタンやメルビルのノワールを楽しんだ経験のある者には、ちょっと欲求不満が残ったという話。とはいえ、今はこういう映画が少ないから、たっぷり楽しみました。
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