『シャンハイ』 半分の満足
『シャンハイ(原題:Shanghai)』は、昔よく見たプログラム・ピクチャーの楽しみ(?)を思い出させてくれたなあ。
僕がよく見てたのは1960~70年代の東映任侠映画や大映の座頭市だけど、プログラム・ピクチャーは見る前からだいたいこんなもんだろう、と見当がついてる。ジャンルごとの定型的なストーリー。お約束のアクションとサスペンス。男らしい男と女らしい女の恋。
ストーリーがどう展開し、どういう結末になるのか、およそ分かっていながら、好きな役者が男らしい男(女らしい女)を演じて感情移入できれば満足できるし、前作とのわずかな差異をマニアックに喜んだりもできる。予想どおりの結末でも、それなりにカタルシスを得たりする。
プログラム・ピクチャーも時に類型に徹することでそれを突き抜けた『総長賭博』や『遊侠一匹』みたいな傑作が出るけれど、そんな映画にはおいそれとぶつからない。たいていは、やっぱりだめだったという半分ほどの不満と、好きな役者を見、多少のカタルシスを得た半分ほどの満足とを抱えて中途半端な気持ちで映画館を出ることになる。でも、また見にきてしまうんだろうな、と思いながら。
『シャンハイ』も、似たような気持ちで映画館を出た。
日米開戦前夜の上海。同僚で親友でもある米国諜報部員コナー(ジェフリー・ディーン・モーガン)に呼ばれて、ポール(ジョン・キューザック)がドイツからやってくる。その夜、コナーは殺される。彼が探っていたのは、日本軍とつながる上海裏組織のアンソニー(チョウ・ユンファ)。ポールはカジノでアンソニーの妻アンナ(コン・リー)に出会い、惹かれてゆく。コナーの愛人スミコ(菊池凜子)は麻薬中毒の娼婦で、現地日本軍を指揮する田中大佐(渡辺謙)の愛人でもあった……。
コン・リーを挟んだジョン・キューザックとチョウ・ユンファ、菊池凜子を挟んだ渡辺謙とジェフリー・ディーン・モーガン、ふたつの三角関係の愛が錯綜し、抗日レジスタンスや真珠湾攻撃をめぐる情報戦がからむ。スパイ・サスペンスの定型どおりの設定。うまくつくれば、面白い映画になるだろうな。
監督(ミカエル・ハフストローム)・脚本・撮影のスタッフになじみはないけど、好きな役者が出ているんで見る気になった。コン・リーはデビュー以来けっこう追っかけてるし、『グリフターズ』や『ハイ・フィデリティ』のジョン・キューザックも好きな役者だ。チョウ・ユンファは『男たちの挽歌』の記憶が鮮烈だし、渡辺謙もハリウッドで頑張ってる。
結果、映画の出来はいまいちでした。サスペンスなのに緩急に乏しく、平板な印象。映画としては不満だらけだけど、でも1940年代の「魔都」上海を再現した大がかりなセット(バンコクで撮影)と役者たちを見られたことに半分だけ満足して映画館を出た。
半分だけと言ったのは、サスペンスとしての出来が悪いので結果として役者も生きてないから。もともとジョン・キューザックは頼りなげな風貌が持ち味でヒーロー顔じゃないけど、それにしても花がない。コン・リーははっとするショットはいくつかあったけど、ファム・ファタールとしての魅力に欠ける。『2046』あたりから、さすがに年とったなあと感ずることが多い。渡辺謙も単純な敵役でなく、ジョン・キューザックと男と女の哀しさについて語り合うシーンもあるけど、『硫黄島からの手紙』に比べるとハリウッド描く日本軍将校の類型を出てない。チョウ・ユンファもいまひとつ印象に残らない。
いかにもの設定で、役者も揃っているのに、映画がつまらない。これ脚本と演出の責任でしょうね。などと言いつつ、ひいきの役者を見られただけで半分満足してしまうのが、ファンというものでしょう。
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