『奇跡』 家族より世界を選ぶ
是枝裕和監督の映画で子供が自然で生き生きしてるのは、『誰も知らない』以来、ファンなら誰でも知ってるけど、『奇跡』は一段と素晴らしい。
子役がセリフをしゃべらされている、って感じがまったくない。多分、撮影に入る前にたっぷり話しあって友達関係になり、撮影も、ある場合にはセリフをしゃべるのでなく、カメラを回しながら、「みんな、大きくなったらなにになりたい?」なんて雑談しているのを撮っているらしいシーンもある。航一(前田航基)、龍之介(前田旺志郎)の兄弟だけでなく、他の少年少女たちも輝いている。そんな子供たちを見ているだけで嬉しくなってくる。
僕は見ていて『冬冬の夏休み』と『スタンド・バイ・ミー』を思い出していた。是枝監督がホウ・シャオシェンに子供の撮り方を学んだことは間違いないと思うし、映画の設定は、監督もインタビューで語っていたけれど『スタンド・バイ・ミー』にヒントを得ている。そんな、子供が主役の映画の佳作として記憶に残りそうだ。
子供たちを囲む大人たちも、オダギリジョーと大塚寧々の父母、橋爪功と樹木希林の祖父母、阿部寛、長澤まさみの学校の先生、祖父の仲間・原田芳雄、スナックのママ・夏川結衣、みんなぴたりとはまってる。子供たちが図書館で先生の長澤まさみが通り過ぎる後脚を見ながら、「あ、はだしだ」「ナマ足っていうんだよ」なんてやりとりも、映画で唯一かすかなエロチシズムを感じさせていいな。
それに、これも是枝監督の映画でいつもそうだけど、小さな「もの」や風景の描写が素敵だ。空き地のコスモス。鹿児島市の火山灰でほこりっぽい、なんの変哲もない町角。錯綜する電線の向こうに見える空。カーブした暗い運河に反射する街灯。父と龍之介が暮らす長屋の雑然とした部屋や、縁側の下に詰め込まれたがらくた。庭に育つトマト。祖父がつくる「かるかん」を包むセロファンのかさこそいう音。
神は細部に宿るという通り、そうしたディテールへの細やかな眼差しの積み重ねが、この映画の底に流れる優しい感情をつくりあげている(撮影は山崎裕)。
ひとつだけ、びっくりしたことがある。是枝監督の映画に観念的なセリフが出てきたのは記憶にないけど、九州新幹線の一番列車がすれ違ったのを見た後、航基に「家族より世界を選んでしもうてん」としゃべらせていることだ。父母が別居して福岡と鹿児島に別れて暮らす兄弟は、新幹線の一番列車がすれ違うのを見ると願いがかなうという噂を聞いて、家族4人がもう一度、一緒に暮らすことを願って鹿児島と福岡から友達を誘って小さな旅に出る。
でも航基は、すれ違ったのを見た瞬間、他の子供たちのように願いを口にしなかった。そのことを弟に告げながら、航基は「家族より世界を選んだ」と言う。そのセリフは、それより少し前、オダギリジョーの父が龍之介に、家族より音楽を選んだという意味のセリフを言ったのと照応している。それぞれの家族、それぞれの個人に、それぞれの選択がある。龍之介の仲間の恵美は旅から帰って母の夏川結衣に、「あたしは東京に行って女優になる」と告げる。これは、家族映画という形をとりながら子供たちの自立の物語でもある。
だから、「奇跡」は起こらない。それでいいのだ。
Comments
こんばんは。
私も是枝映画を見るとホウ・シャオシェン映画の空気をよく思い出します。
本当にディテールが繊細で素晴らしくて、小さな感銘がたくさんありましたー。
是枝監督がケン・ローチの『ケス』に子どもの自然な撮り方を学んだという話も大いに納得です。
Posted by: かえる | July 09, 2011 12:22 AM
ケン・ローチの『ケス』、なるほど。そう言われてみれば納得です。ケン・ローチの少年少女はホウ・シャオシェンとまた違ったリアリティを持っていますね。
是枝監督も『空気人形』(私はこちらが好きですが)の後にこの映画とは憎いです。
Posted by: 雄 | July 10, 2011 12:47 PM