法輪寺へ
大阪へ泊まったので、翌日は久しぶりに大和路へ行くことにした。法隆寺・中宮寺は30年ぶり、法輪寺・法起寺にいたっては同級生の作曲家・淡海悟郎と高校時代に行って以来だから45年ぶりになる。
梅雨の谷間の猛暑。予報では大阪・奈良は32度、熱中症に注意と言っていた。まだ午前10時だけど、もう30度近いにちがいない。法隆寺駅から歩くつもりだったけど、めげてバスに乗る。
平日でもあり、さすがに人は少ない。金堂と五重塔。
法隆寺は何度か来ているのでさっと見るだけにしようと思ったけど、釈迦三尊像、百済観音、夢違観音など超有名な仏像がたくさんあるので、つい見入ってしまう。
行基が建立した西円堂。ここは拝観料を取られるわけではないから、地元の人が手を合わせていく。
宝物を収める綱封蔵。高床式で、東大寺の正倉院のようなもの。
東大門。法隆寺は建物も金堂・五重塔ばかりでなく国宝がごろごろしていて、西円堂も綱封蔵も東大門も国宝。
中宮寺。久しぶりに如意輪観音菩薩に会う。高校時代に淡海君と来たときこの半跏思惟像に魅せられ、その後しばらく写真を部屋に貼っていたことがある。
ため池のほとりを法輪寺へ向かって歩く。このあたりの風景は昔と変わっていない。にしても暑い。
法輪寺。ここの十一面観音は高さ4メートル近い巨大なもので、杉の一木彫り。平安前期の作。今日のいちばんの目的はこれを見ることだった。昔見たはずだけど、なんの記憶もない。改めて興味を持ったのは、白洲正子が『十一面観音巡礼』で法輪寺の観音について、こんなふうに書いていたから。
「十一面観音には、時々このような大作が見られるが、……それは疫病などがはやった際に、町の中を車に乗せてねり歩いたからで、遠くからも拝めるように、なるべく大きく造る必要があった。この観音様をそうしたというわけではないが、分類すれば『遊行像』の中に入るという。空也や一遍が生まれる以前に、そういう風習があったのは面白いことである。空也上人絵伝には、祇園祭の山車に似た車の上に、観音様をむきだしのまま乗せ、市中をねり歩く図があって、群集がまわりを取り巻いて拝んでいた」
見上げると、さすがに他の仏像を圧して大きい。白洲正子の言うとおりだとすれば、仏像が貴族の占有物だった時代から、民衆が接することのできる時代になったからこその大きさなのだろう。美術品として見ればこれより美しい十一面観音はたくさんあるだろうけど、これは別の目で見るほうがいい。彩色がはがれ、杉の木目が露出しているのが好ましい。
炎天下を法起寺へ。ここの十一面観音も3.5メートルの大きなものだった。法輪寺や法起寺の観音が遊行したという記録はないけれど、これらの観音が山車に乗せられて大和の野をねり歩き、人々が集まって拝んだ風景を想像してみる。
大阪へ戻り、鶴橋駅前の鶴一へ。ビールで喉をうるおしながら遅めの昼食を取っていると、向かいのテーブルに60代くらいのオモニと30代の娘が座った。生ビールと骨付きカルビやミノで楽しそうにおしゃべりし、「お兄さん、テッチャンひとつ追加」と、親子そろって健啖家だなあ。昼間っから母娘でいいねえ。いかにも鶴橋らしく微笑ましい風景で、しばしながめてしまった。
鶴橋に来たら必ずコリア・マーケットのこの漬物屋に寄り、岩のりを買う。これで今夜のビール、明日朝のご飯が楽しみだ。
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