『バビロンの陽光』 イラクのロード・ムーヴィー
2003年のフセイン政権崩壊後、イラクでは劇映画が3本しかつくられていないそうだ。そのうちの1本はこの『バビロンの陽光(英題:Son of Babylon)』の監督モハメド・アルダラジーの長編第1作『夢』だから、アルダラジー監督はイラクの数少ない、しかも外国に名の知れた(『夢』は100以上の国際映画祭で上映された)映画監督ということになる。
僕は誤解していた。主人公がクルド人なので、監督のアルダラジーもクルド人かと思い、それならトルコのユルマズ・ギュネイやイランのバフマン・ゴバディのように国籍は違ってもクルド民族としての立ち位置で映画をつくる「クルド映画」に属する作品かと思っていた。でもそうではなさそうだ。調べたら監督はバクダッド生まれで、クルド語を話さないというから、クルド人でない可能性が高い。
フセイン政権は毒ガス兵器でイラク北部のクルド人18万人を殺害した過去がある。クルド人だけでななく、フセイン政権下では数十万の住民(主としてアラブ人)が殺害されたり行方不明になった。この映画は行方不明になったクルド人の息子を探す祖母と孫の物語だけれど、それはクルド人だからということでなく、イラク国民が共有する過酷な過去を象徴するものとしてクルド人一家が選ばれている。
これをロード・ムーヴィーと言ってもよいものかどうか。戦場に出たまま行方不明になった息子を探して、祖母と孫がイラク北部クルド地域からバクダッドへ、さらにバビロンを経て刑務所のあるナシリアへと旅する。
フセイン政権崩壊後3週間という設定の、混乱したイラクの風景がすべてロケで再現されている。北部の赤茶けた砂漠を走るトラック。混乱したバクダッド市内。いつ来るか分からないおんぼろバスと、それに殺到する人々。米軍の攻撃で破壊された廃墟の刑務所。次々に発見される行方不明者の集団墓地。泣き叫ぶ黒衣の女たち。そんな風景が次々に現れる。
祖母はクルド語しか話さないから、バクダッドや南部では他人と意思疎通できない。悲しみをたたえた無言の表情が、彼女の心を表現している。祖母役は素人の女性だというが、とてもそうは思えない。彼女は役の上だけでなく現実にも夫が行方不明になっている。だからこそ、カメラの前でこんなふうに演じられるのだろうか。ついでに言うと孫役の少年も素人。
祖母と孫が出会う男たちは、初めは強欲だったり、クルド人虐殺に参加した敵のように見えるけれど、やがて2人に対して優しい心を持つ。
悲しい画面でそれを強調するように悲しげな民族音楽がかぶさるなど、つくりかたは必ずしも洗練されているとは言えない。でもそれは監督や、祖母や孫を演ずる素人役者やスタッフたちが、全員が共有している悲しい過去が生ま生しすぎ、まだ距離を置いて見ることができないということだろう。洗練というのは、良くも悪くも対象への距離がなければ持ちえないものだから。
イラクの映画を見るのは初めてで、人々と風景を見ているだけで満足してしまった。
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