« あやしい雲 | Main | 『マイ・バック・ページ』 「後ろめたさ」に寄り添って »

June 07, 2011

緑濃い大原野

1106051w
Oharano in Kyoto

ボランティアの用事で大阪へ行き、その足で京都へ回り知人に会ったので、翌日は1日遊ぶことにして大原野へ出かけた。

京都西郊のこのあたりへ来るのは30年ぶり。途中に洛西ニュータウンなどできたけど、大原野まで来れば風景は当時とあまり変わらない。

背後の山は京都西山連峰の小塩山。

1106052w

一面の竹の林は切り開かれ住宅地になったけれど、まだ竹林がそこここに残っている。

1106053w

大原野神社の向かいにある正法寺。天平時代に創建された古い寺で、京都の町並みや東山を借景にした庭が有名だ。ここの本尊は三面千手観音。普通の十一面観音は主観音の脇に二面、頭の周囲に八面が乗っているが、ここのは主観音の左右に二つの脇面だけという珍しいものだ。頭の上にも顔のようなものが見えるけれど、どうやらそうではないらしい。

ホームページを見れば分かるように金箔がきれいに残っていて、つくられた当時(鎌倉時代初期)の姿をほぼそのまま見ることができる。光背は仏から放たれる光明を造形化したものだそうだが、デザインが勝ったもので、なるほど暗い光のなかでこれを見れば神々しく感じられたろう。

1106054w

大原野神社。桓武天皇が長岡京へ遷都したとき、奈良の春日大社を勧請したもの。だから本殿は一間の社殿が四つ並ぶ春日大社と同じ形式。

1106055w

大原野神社から勝持寺へ抜ける参道。片側は竹林、片側は楓の緑にはさまれて気持ちよい。

1106056w

勝持寺(花の寺)への石段。白鳳時代の創建と伝えられる古刹で、西行がここで出家し、彼が植えたと言われる「西行桜」で有名になった。

本尊は薬師如来で、その胎内仏の小さな薬師如来も見ることができる。高さ10センチもない小さなもので、渡来仏らしい。

1106058w

西行が剃髪したという岩と泉。

1106057w

阿弥陀堂の外にある「なでぼとけ」。仏教を守護する十六羅漢のひとりで鬢頭盧(びんずる)尊者といい、病気の部分をなでることで治癒する民衆信仰の仏さん。

1106059w

勝持寺と隣合わせた願徳寺(宝菩提院)。今日のいちばんの目的はここの如意輪観音を見ること。有名な仏像だけど、実際に見るのは初めてだ。

寺の門扉は閉められていて、インターホンで開けてもらう。観音が座する本堂も鍵がかかっていて、ご住職が開けてくれる。仏像は有名なのに、堂は新しい建物だし庭もないからだろうか、訪れる人は少ない。このあたりへ来るほとんどの人が花の寺を訪れて、ここは素通りしてしまうようだ。

願徳寺は白鳳時代に創建された古い寺。密教寺院として栄えたが、応仁の乱と信長の兵火によって伽藍のすべてが灰になった。その後、寺は細々と続いてきたが、昭和になって廃寺となり、この仏像は隣の勝持寺に移された。寺が再建されたのは昭和48年、如意輪観音が本堂に戻ったのは平成8年のことだったという。

如意輪観音は、それは見事なものだった。

中宮寺や広隆寺の弥勒に似た半跏の像。平安前期のもので、榧の一木から彫られている。金箔がほとんど落ちているので、見ていると黒光りする木肌の質感に吸い込まれそうだ。ふくよかだけど異国風のきりりとした顔。胸から腹にかけて盛り上がる肉感。身体にからむ流れるような裳の線。

中宮寺や広隆寺の弥勒は古代風な稚拙さとかすかに微笑むアルカイック・スマイルで親しみを感じさせるけど、こちらの造形は完璧と言いたいくらい。ものの本によると唐様式の仏像で、渡来仏か、渡来人の作らしい。いつまで見ていても飽きず、像の前を離れがたい。

11060510w

市内へ戻り、帰りの新幹線まで2時間ほどあったので鳥辺野へ。京都で時間があくと、たいていここか河井寛次郎記念館へ行く。平安以来の死者が累々と眠る谷。東大路から少し入っただけなのに、いきなり異界にまぎれこんだ気分になる。

11060511w

寛政とか天保と彫られた江戸時代の商家の墓や、ひときわ立派な戦死者の墓に刻まれた墓誌を読む。ここに眠る兵士の大多数は陸軍歩兵第9連隊に属していた。第9連隊は日中戦争の勃発とともに華北に上陸、非戦闘員大虐殺を起こした南京から徐州へ転戦する。その後もバターン半島、ルソン島で戦い、最後はレイテ島に送られ連隊は壊滅した。

そんな墓誌のひとつひとつを読んでいると、あっという間に時間がすぎていき、気がつくと列車の時間が迫っている。


|

« あやしい雲 | Main | 『マイ・バック・ページ』 「後ろめたさ」に寄り添って »

Comments

お久しぶりです。昼間は兵役の仕事で夜は外交試験の塾に通っていて、夜、家に着いてお風呂から上るとあっという間に11時半になるので、事実上自分の時間はなくなりました。

外交試験の日本語組の需要は少ないし合格率は極端に低いし、比較政治、国際経済、憲法、国際法など超難しくて、今までの大学や大学院で学んだこともないし、聞いたこともない科目ばかりなので、正直言うと見込みは低いです。

心身共に疲れ果てた私はまた厭世気味になってしまいました。1983年(昭和58年)生まれの私は今年でもう27歳、何のキャリアもないし、残された人生もほんの僅かだし、これから何らかの転機やチャンスに恵まれそうな様子もなさそうなので、このまま老いぼれになって人生が終ってしまうのかなと思いました。

私はリンダ・エヴァンジェリスタ、シンディ・クロフォード、ナオミ・キャンベル、クリスティー・ターリントン、クラウディア・シファー、カレン・マルダー、ヤスミン・ゴーリ、ステファニー・シーモアなど1980年代末期から1990年代の一世を風靡したスーパーモデルが羨ましく思います。

破格的な報酬、ヴォーグ誌など一流のモード誌の表紙を飾ったり、パリ、ロンドン、ニューヨーク、ミラノや東京などの都市を飛び回り、パリコレのショーに出演したり、一流のデザイナーやチームと綺麗な写真を完成したり、名声と富を手に入れることが出来るので、私も一度でもいいからそういうスターダムをゲットして輝きたかったです。

リンダ・エヴァンジェリスタなんか「私達スーパーモデルは一日一万ドル以下の仕事ならその日はベッドから降りないわ」という名言を残したので、私もそういう貫禄が欲しかったです。

若いうちに富と名声を手に入れて、引退しても老後の生活を心配する必要などないので、台湾みたいに学歴至上主義や暴力的な体罰が韓国よりもひどいこの島国で馬鹿みたいに苦労している私って一体何なんだろう?と皮肉に思います。

Posted by: 台湾人 | June 13, 2011 12:17 AM

お久しぶりです。昼は兵役、夜は塾で勉強とは大変な日々ですね。しかも難しい外交官試験の勉強とは。

心身ともに疲労されているだろうことはよく分かります。でも「何のキャリアもないし、残された人生もほんの僅か」なんて、60歳過ぎの私から見れば、台湾人さんの人生はまだこれからではありませんか。やるべきことをめげずにやっていれば、必ず転機やチャンスがやってきます。それは私の体験からも言えます。

それに、「1日1万ドル」のスーパーモデルと比べるなんて無意味です。自分で働いて、自分の力で生きていく。それさえできれば十分なので、後はいろんな運や巡りあわせででうまくいったり失敗したりもしますが、その基本さえ忘れなければいいんだと思います。スーパーモデルだって、そうしたことの結果、「1日1万ドル」になったのではありませんか。

兵役の間は、そのための準備期間として、めげずに義務を果たし、勉強をつづけてください。そして弱音をはきたくなったら、またいつでもどうぞ。

Posted by: 雄 | June 14, 2011 01:04 PM

私が小学生と中学生だった頃、テレビではクリスティー・ターリントンがイメージ・キャラクターを務めていたメイベリンのCMがよく流れていました。

彼女の上品で美しい面影と共にMaybe she's born with it. Maybe it's Maybelline.(それは彼女の生まれつきの美しさかもしれない。またはメイベリンのせいなのかもしれない)というキャッチコピーは今でも忘れられません。

すごくショックでした。何て美しい上品な人なんだろう。私もこの人の三分の一の上品さと気品さえあればいいのにと今でもそう思います。

欧米の芸能やファッション事情などに関する知識が全くなかった当時の子供の私は物凄いインパクトを受けました。インターネットやウィキペディアもなかった時代、そして台湾は元々閉鎖的な島国なので、彼女の名前を知るようになったのは近年のことです。

幼い頃から親や周りの人間から醜いアヒル扱いされてきた私なので、彼女のようなスターダムとオーラーに心底から惹かれました。

普通の人間みたいにちゃんとした恋愛や恋をする資格がない私なので、眩しく輝いてる人にすごく憧れるんです。

神様の悪戯か意地悪で私は間違った体に入れられたのかな?という答えのない疑問と苦痛を抱えて27年間生きて来ました。

カンヌ映画祭やベネツィア映画祭あるいはセザール賞に出席して、ある作品でノミネートされたり授賞してモニカ・ベルッチやダイアン・クルーガーみたいに流暢なフランス語あるいはイタリア語でインタビューを受けて台湾で私のことを馬鹿にして軽蔑してきた両親やほかの連中をギャフンと言わせたかったのも、長年の屈辱と劣等感と決別してリベンジしたかったんです。

Posted by: 台湾人 | June 15, 2011 10:15 PM

彼女はクリスティー・ターリントンて言うんですか。顔は知っていましたが、私も名前は台湾人さんに教えられて初めて知りました。上品な顔立ちですね。唇が好きです。台湾人さんが憧れるのもよくわかります。

「ちゃんとした恋愛や恋をする資格がない」なんて、なにをおっしゃっているんですか。別に恋愛や恋に資格はいりません。ご自分を磨いていれば、その人の輝きは他人に伝わります。「神様の悪戯か意地悪で私は間違った体に入れられた」なんて、台湾人さんもご自分でもわかっておられるように答えのない疑問にとらわれても何も生まれません。

私は男ですので台湾人さんの悩みが本当のところわかっていないのかもしれません。でも憧れは憧れとして映画や女優さんの輝きを楽しんではいかがでしょう。その上で、ご自分が決めた語学や外交官試験をしっかり勉強すればいいんじゃないでしょうか。


Posted by: 雄 | June 16, 2011 12:47 PM

もし女として生まれれば、普通の人間と同じ恋や恋愛が出来ると今でも思います。

この前まである素敵な方に片思いを寄せていました。彼はストレートでヘトロ、そして結婚されて二児を設けている方なのですが、私にすごく優しく接してくれました。

私も飯島愛と似たような辛い幼少期と青年時代を経験しているので、私の周りには優しくしてくださる男性など殆どいませんでした。

その方は1968年生まれで、そうですね、清水紘治、舘ひろしと渡辺裕之の雰囲気を持った方なので、彼の優しさと素敵な笑顔にこれまで感じたことのない安堵と安らぎを感じました。

ナポリの民謡オー・ソレ・ミオのように彼は私にとって本当に太陽です。彼の前で私は一番自然で素直な自分でいられるので、知らぬ間に特別な思いを密かに寄せていました。

自分から勝手に片思いを寄せている自分は本当に馬鹿に思えますが、やはり彼のことが好きです。今はもう離れ離れで会えないのですが、今でも彼の笑顔と優しさを思い出します。

こんなに心底から真心で人を好きになったのは今回が初めてです。馬鹿ですよね私。実らない恋だって最初から承知の上だったのに。苦しくて切なく感じるのもある意味自業自得ですよね。

今後何を目指すにせよ、頑張りますね。すみません、いつもつまらなくてちっとも栄養のない話ばかりで。

Posted by: 台湾人 | June 17, 2011 01:43 AM

私は1980年代から何度か台湾に行っていますが、行くたびに台湾社会が変わっているのを感じます。台湾人さんが感じておられる不自由も少しずつ変わってくるのではないでしょうか。またニューヨークにも東京にも、台湾から来た友人がいます。台湾人さんはそれだけの語学力と活動力をお持ちなのですから、息苦しくなったときは短期でも外の社会に身をおいてみるのもいいかもしれませんね。

外交官試験の勉強、頑張ってください。

Posted by: 雄 | June 18, 2011 01:09 PM

今でも怖いんです。自分は何時かエイズやHIVで死んでしまうのかと思うと。

私は貴方の友達になる資格すらない人間なので、いつも恥ずかしく思います。いつも私の愚痴と悩みを聞いてくださるので、本当に申し訳なくて自分は本当に情けないと思います。

自分はふしだらで不潔な人間だということは承知の上なので、常に罪悪感を感じます。

外交試験に受かるにせよ、モニカ・ベルッチやダイアン・クルーガーみたいにフランス語あるいはイタリア語を話せたり、伊仏の映画に出演したいにせよ、頑張ります。

でも女として生まれたらもっと健全な人生を送れるのかもしれないと今でも時々そう思います。らんまなんか冷たい水をかけられたら女の子になれるのでいいなと思う時があります。

Posted by: 台湾人 | June 19, 2011 02:20 AM

らんまって、高橋留美子のまんがの主人公ですね。このまんがが世界中で人気だったことからもわかるように、らんまみたいな「変身体質」は誰の心にもあると思えば、少しは心が軽くなりませんか。「ふしだらで不潔」とか「罪悪感」なんてまったく持つことはありません。でも悩みと愚痴を言いたくなったらいつでもどうぞ。

Posted by: 雄 | June 19, 2011 06:43 PM

2012年新年あけましておめでとうございます。

なかなか仕事が見つからないのでご挨拶するのを躊躇っていました。

Posted by: 台湾人 | January 05, 2012 02:09 AM

明けましておめでとうございます。

しばらくコメントがなかったので、どうなさっているかと心配しておりました。あせらず、語学力を磨いたり映画を楽しんだりしてじっくり仕事を探されてください。

Posted by: 雄 | January 05, 2012 11:53 AM

ありがとうございます。

例の1968年生のお兄さんはもう電話に出なくなり何の音沙汰もなく梨のつぶてとなりました。

これ以上対等に欠けた自虐的な友情を継続するつもりはないのでこんなアンフェアで畸形のゲームはこっちの方からやめてやるように決心しました。

一方自分は品がよくないので目先が利かず人を見る目がないのかな?と深く反省もしております。

Posted by: 台湾人 | January 05, 2012 12:03 PM

人と人のつきあいは自分ひとりでできることではないですから、思い通りにはなりません。時間をかけて自分のこと相手のことを見つめなおしてみたらいかがでしょう。

Posted by: 雄 | January 06, 2012 11:13 PM

仕事も夢も友情も恋も何一つキープできず知らぬ間に指のすき間から逃げて行かれる私は一体何をしているのだろう?と今でも時々自問自答します。

すみません。何だかもうどうしたらいいのか分からなくなり茫然自失となりました。

元はと言えば自分の条件が悪く現状を変える力のない私が原因だと自分でもよく分かっています。

もう大丈夫です。いくら頑張っても報われないと言うのならその現実を素直に受け入れます。

Posted by: 台湾人 | January 23, 2012 01:36 AM

新年おめでとうございます。

60年以上生きてきた経験から言わせてもらえば、八方ふさがりのように見えても、自分ができることをこつこつ努力していれば気がついたときには視界が開けている、ということが必ずあります。今年が台湾人さんにとってそのような年になりますよう。

Posted by: 雄 | January 24, 2012 03:17 PM

2月13日からアルバイトで日本交流協会で仕事をしています。主な仕事内容は電話で台湾にいる日本人とやりとりをして在留届の情報の確認と更新などを行うことです。

二ヶ月のアルバイトですが日本語を使えるしすごくいい経験になると思ったので、とにかくすかさずこの好機を捉えました。

台湾は多くの主要国とは正式な国交がないので日本も大使館という名前は使えず、(財)交流協会 台北事務所という名称を使っています。

Posted by: 台湾人 | March 23, 2012 12:58 AM

日本交流協会でお仕事ですか。私も昔、仕事で台湾を訪れるとき、東京の日台交流協会の事務所に行ったことがあります。

2ヶ月ならずいぶん日本語に触れる機会もあるでしょう。楽しみながら、日本語を上達させてください。そこからまた次の展望が開けてくるかもしれませんね。

Posted by: 雄 | March 24, 2012 02:13 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 緑濃い大原野:

« あやしい雲 | Main | 『マイ・バック・ページ』 「後ろめたさ」に寄り添って »