May 31, 2011
May 26, 2011
ジョセフ・クーデルカ「プラハ 1968」展
Josef Koudelka exhibition:Invasion Prague 68
(ジョセフ・クーデルカ『プラハ侵攻 1968』[平凡社]から)
ジョセフ・クーデルカ写真展「プラハ 1968」(東京都写真美術館、~7月18日)は、ドキュメンタリーのすごさと意味を改めて突きつけてくる。
1968年8月、「プラハの春」と呼ばれた民主化を進めるチェコ・スロバキアにソ連軍(名目上はワルシャワ条約機構軍)が侵攻した。30歳のクーデルカは、侵攻したソ連軍に抵抗する市民のひとりとして、プラハの路上で起こったことをつぶさに記録した。
この写真は秘密裏に海外へ持ち出され、マグナムから撮影者の名前を秘して世界中に配信された(クーデルカの名前が明らかにされたのは16年後のことだった)。
70年代に僕も一部を見た記憶があるけれど、この展覧会はクーデルカ自身が新たに選んだ250点の写真によって、1968年夏にプラハで何が起こっていたかをなまなましく伝えてくれる。
民主化を進めるチェコ共産党は、この侵攻が社会主義国家間の原則に反するとしながら、市民に抵抗しないよう訴えた。だから市民はなんの武器も持たず、素手と言葉だけで戦車に立ち向かうしかなかった。
市民たちは普段の格好をし、かばんや買い物袋を手に戦車を取り囲んでいる。棍棒やプラカードで戦車を止めようとしている。市民は街路や広場の固有名が書かれた標識を壊してプラハを「匿名の町」とし、その代わり占領に抗議する言葉による無数のビラを張り、壁にスローガンを書きつけた。
1968年の夏、僕はこのニュースを自宅で知った。チェコの「人間の顔をした社会主義」の試みを共感をもってながめていた新左翼のはしくれとして、胸にずしんと応えた。近くの荒川土手まで行って、あれこれ考えながら夕暮れの土手をさまよい歩いたのを覚えている。そのときは遥か離れたプラハで何が起こっていたのかほとんど分からなかったけど、この写真展を見て初めて、つぶさに知った。
ドキュメントはそのとき、その場に立ち会った者にしか撮れない。しかも撮られた被写体は、逆に撮影者の立ち位置を明らかにする。クーデルカは「市民的抵抗の参加者」という、歴史のなかの正当な立ち位置にいる。その意味でこれは事態の過酷さとは逆にきわめて幸せなドキュメントであり、20世紀ルポルタージュ・フォトの古典のひとつとして、時間とともに輝きを増していくに違いない。
May 23, 2011
にんにく醤油漬け
数年前につくったにんにくの醤油漬けがなくなったので、新しいものをつくる。最近はにんにくも値段が高くなったけど、和歌山産の新にんにくがそこそこの値で手に入った。
ものの本にはにんにくを蒸すとか、漬け汁をいったん煮立たせるとかあるけど、わが家は生のにんにくに生の醤油を注ぐだけの簡単なもの。数カ月たって、にんにくが黒くなったら食べられる。そのまま食べてもいいし、きざんでいろんな料理にまぶしてもうまい。漬け汁の醤油も重宝する。炊きたてのご飯に、納豆をきざみにんにくと漬け汁の醤油で食べるのは堪らないうまさです。
入れものは30年前、手びねりの陶芸教室に通っているときつくった水指。本来の用途に一度も使われたことのない可哀想な器だ。
けっこうな数のにんにくの皮をむいたので、手を洗っても匂いが落ちない。これからヨガに行くんだけど、隣ににおいそうだなあ。
May 22, 2011
子供20ミリ・シーベルト基準撤回に署名
a signature-obtaining campaign to the Fukushima
庭で冬を越したレモンバーム。
きゅうりの新芽。
ミニトマトの新芽。
少し前のことだけど、福島原発の放射性物質による土壌汚染について、文科省が学校の校庭を使っていい基準を「年間20ミリ・シーベルトまで」と決めて問題になった。しかも、基準を決める過程に参加した原子力安全委員会が、「20ミリシーベルト」は基準として認めていないと言い、また委員や決定にかかわった専門家で20ミリシーベルトを安全とした者はいない、と述べたことが明らかになった。
東電や保安院、文科省や経産省など官庁の情報開示がどうしようもなくお粗末なこと、不透明なことは誰もが実感しているけれど、この問題はひときわ深刻だと思う。なぜなら、成長期の子供は大人に比べて放射性物質の影響をずっと受けやすいし、「ただちに影響はない」短期の問題ではなく、10年後、20年後の長期の影響が問題なのだから。子供(妊娠中の女性や母乳で子を育てている母親も含めて)こそ最優先に安全を配慮しなければいけないのに、そうなっていない。
実際、福島県の土壌汚染のデータを見ると、福島市や郡山市を含めかなり深刻なことになっている。福島原発が安定するまでまだかなりの時間がかかる(しかも確たる見通しはない)ことを考えると、子供の疎開だって考えなければならないかもしれない。文科省が「20ミリ・シーベルト」と誰が考えてもおかしな基準を決めたのは、そうなった場合の社会的混乱や影響の大きさに恐れをなしたからだろうか。でも実際、疎開を現実のこととして考えなければならない状況になりつつある。
極端なことを言えば、大人(特に僕らのような子育てが終わった世代)は多少の放射性物質を浴びたり食べたりしても、まあ、あきらめはつく。でも、子供はそうはいかない。それでなくとも、今回の地震と原発事故が将来世代に膨大なツケを残すことは確実なのだ。
福島県の子供をもつ親をはじめ、いくつかの団体が集まって「子供20ミリ・シーベルト基準の即時撤回および被曝量の最小化のための措置を求める緊急要請」への署名活動をしていることを知って、さっそく署名した。
May 20, 2011
再び万座へ
家族の湯治につきあって、また万座温泉にやってきた。
4月に来たときはまだ2メートル近い根雪が残っていたけれど、大部分が溶けて大地が顔を出し、雪は沢や日陰にいくらか残っているのみ。熊四郎山(1964m)中腹からみた湯畑と宿。
露天の極楽湯からみた風景。4月に来たとき、風呂は根雪の壁に囲まれていた。正面が万座山(1994m)。湯はいくつかの源泉を混合した乳白色。
宿に8つある湯のうちの姥湯。湯治客にいちばん人気のある苦湯の隣にある。苦湯は源泉が80度あり、熱くて入れないので水を加えてあるが(それでも白濁の度は一番)、姥湯は源泉そのままでもぬるめの湯。苦湯でのぼせそうになったら姥湯に移り、長時間つかっているのが、ああ、快楽。
前回は除雪してある道路しか歩けなかったけど、もう周囲を散歩できる。裏山にある熊四郎洞窟。江戸時代に万座温泉を発見した猟師の熊四郎を祀っている。
熊四郎山中腹の岩窟を抜けたピークから。「熊出没注意」の看板があり、宿の人にも気をつけるよう言われたので鈴を鳴らしながら歩く。正面は四阿(あずま)山(2354m)、その奥に浅間山が隠れている。
ここは1800メートルの高地なので、まだひとつも花が咲いていない。周囲は白樺とコメツガの林。
白樺の赤っぽい新芽。
根雪の間から緑が顔をのぞかせてきた。
宿から40分ほど歩いて万座峠へ。ここが分水嶺で、手前に降った雨は太平洋へ、向こうの谷に降った雨は日本海に流れ出る。
May 14, 2011
『昼間から呑む』 切なくておかしくて
『昼間から呑む(原題:昼酒)』は、のっけからソジュ(韓国焼酎)を注いだグラスのアップで始まる。壜は緑色の小瓶だけど、おなじみのチャミスルやチョウムチョロムでなく、僕は飲んだことがない山が3つ重なったデザインのブランド。いずれにしろ韓国でなら2~300円で買える安い酒だ。
ソウルの居酒屋で、失恋したヒョクチン(ソン・サムドン)を励まそうと同級生3人が集まって勝手に盛り上がっている。明日はチョンソン(旌善)まで旅行して有名な市を見に行こうと、気乗りしないヒョクチンに約束させる。翌日、ヒョクチンがバスに乗って待ち合わせ場所に着くと、3人はいない。市もやっていない。さて……と、いかにもありそうなイントロで、失恋男のロード・ムーヴィーが始まる。
ヒョクチンはやたらと酒ばかり飲んでる。ペンションのがらんとしたオンドル部屋で、なすこともなく酒を飲む。翌日、隣室の女の子に酒をねだられ断りきれずに、また飲む。冬の海岸で一人でカップラーメン食べながら飲む酒がいい、なんて寂しい話題で盛り上がる。酒と女にからきし弱い。
やがて彼女は連れの男の車にさっさと乗り込んでしまい、一人になったヒョクチンは冬の海岸に行って辛ラーメンすすりながら焼酎を飲む。ところがそこには彼女が男といて同じことをやっている。酔って意気投合した3人はまた宿で酒を飲む……。この映画、半分以上が酒を飲むシーンじゃないだろうか。
ところがカップルは酔わせて身ぐるみはぐ泥棒で、パンツ一丁で冬の路上に放り出されたヒョクチンを拾ったトラックの中年男が彼に迫ってきて、かと思うとすぐキレル怖い女に2度、3度と出会って……と、これもいかにもありそうな展開なんだけど、悪いほうへ悪いほうへころがるヒョクチンの旅のなんともゆるくて無為な感じがいいんだな。舞台になる田舎町も冬の海岸も、実はヒットした恋愛映画の有名なロケ地らしいんだけど、この映画では何の変哲もない風景に映っていて、それもいい。
ヒョクチンを演ずるソン・サムドンの、気弱でいかにも人の良さそうなキャラクターがはまってる。ヒョクチンが困れば困るほど、じわーっとこみあげるサディスティックな笑い。過去の記憶でいえば山下敦弘の『リアリズムの宿』みたいな、しょぼいロード・ムーヴィーだった。でも若い時代に誰にも覚えある切なさにあふれていて、見終わってしゅんとしてしまった。ラストシーン、これもよくある手だけど、美女の誘いに、さて自分ならどう答えるだろう。
ノ・ヨンソクの第1作。監督だけでなく、脚本、撮影、編集、美術、音楽も自分でやり、100万円以下でつくった超低予算映画。カメラもピントが甘かったり、被写体が動くのをピントが追ってゆかなかったり、単に技術が未熟なだけなんだろうけど、現代写真ふうな変な味を出してた。
May 13, 2011
悩ましい水菜
畑の水菜が芽を出し、大きくなってきた。福島原発の事故がまだ進行中なのになんでわざわざ葉もの野菜を、と自分でも思うけど、去年の種が残っていて、もったいなくて蒔いてしまった。
浦和は福島第1原発から約220キロ。さいたま市の5月10日までの空間放射線積算値は90.1マイクロ・シーベルト。このところ放射線の値は平常値に戻っているけれど、雨が降ると増える。このあたりでの土壌についてのデータはないようだ。埼玉県で暫定基準値を超えた野菜は出ていないから、まあいいか、って気分もあった。でも、ここより遠い神奈川でお茶の葉から基準値を超えた放射性物質が検出されたニュースを聞くと心配になる。
まあ、60代は放射能感度が鈍いそうだから、小さな子供たちにさえ食べさせなければいいかと思い、間引きしたのを流水で洗い、パスタの具にして食べた。うまいし、見た目も緑鮮やかで美しい。よく言われることだけど、放射性物質は五感に感じられないからこそ不安感にとらわれる、というのを食べながら実感する。
はらはらしながら見ていた第1原発は大方の不安が的中して、1号機で燃料棒が完全に溶け、圧力容器を突き破って格納容器の底にたまったメルトダウン状態のようだ。2号機、3号機だって、圧力容器の温度が高くなったり高濃度の汚染水が漏れているところを見れば、似たような危機にあることは間違いない。暗然とするしかない。
ゴーヤも芽を出した。他に、きぬさややきゅうり、ハーブ類の種を蒔いたけど、今年の畑は芽が出ても喜び半減で悩ましい。
雨に濡れるしゃくなげの花。
May 10, 2011
蓬莱閣の蒸し餃子
dumpling at Chinatown in Yokohama
横浜美術館図書室で調べものをしたので、帰りに中華街に回り蓬莱閣へ行く。
初めてこの店へ行ったのは30年以上前。王おばあちゃんの山東家庭料理がうまい店だった。それ以来、横浜へ行くとたいていここに寄る。今は孫の青年が店を切り盛りしている。
店の外観は当時と変わらないから、観光地化して極彩色になった町並みのなかで、ひっそりしたたたずまい。休日に行っても若いカップルが行列していることはない。でも数年に一度の割合で行ってもちゃんと営業しているのは、昔と味が変わらず、常連客がしっかりついているからだろう。家族経営だから、店を拡張したり支店を出したりすればこうはいかない。
看板は「北京料理」だけど、餃子も山東風。皮が薄くなく、肉がたっぷり。だから焼き餃子より蒸し餃子や水餃子が旨い。僕は蒸しが好きで、ここへ来るといつも頼んでしまう。今日は連れがいないから、大ぶりのやつを独り占めだ。
これも好きな、もつ炒め。ハチノスと筍、椎茸、きぬさやをピリ辛に炒めてある。
May 06, 2011
菊地成孔DUBセクステットを聴く
菊地成孔は2つのバンドを持っている。ジャズのダブ・セクステットと、ジャンルを越境した無国籍音楽のペペ・トルメント・アスカラール。前回はペペ・トルメント・アスカラールに行ったので、今回はジャズのほうへ(5月5日、表参道・Blue Note)。
ダブ・セクステットは一言で言えば、マイルスのモード・ジャズを現代的に演奏するバンド。マイルス・クインテットと同じトランペット、サックスとピアノ・トリオの5人に、ダブ・イフェクトが加わる。アコースティックな音がデジタル加工され、いろんなエコーがかかることで今ふうなクラブ・ジャズになる(踊れるリズムじゃないけど)。
イントロのベースからいきなり類家心平のミュート・トランペットで入るのは、前回このバンドを聞いたときもそうだったけど、おれたちマイルスだもんね、って宣言みたいなものか。続けて入ってくる菊地の音色はいつもながら素晴らしくいい。アドリブになっても類家はマイルスふうな音数の少ないスタイルを崩さず、菊地はコルトレーンみたいにフリーっぽく。
立て続けに5曲。もっとも、この日聞いた1st.セットは午後4時からで、菊地がMCで言ってたけど「いつもなら起きる時間」。まだ身体が目覚めてないのか、今日はいつもの突き抜けた感じに乏しい。おととし、代官山のクラブで聞いたときみたいには興奮せず、歌心あふれる類家のトランペットが印象に残った。
アンコール、レディ・ガガの曲をR&Bふうなアレンジでソプラノ・サックスを吹いたのが心地よかった。こういうのも混ぜてほしいな。
May 05, 2011
『キラー・インサイド・ミー』 荒涼とした風景
The Killer Inside Me(film review)
この映画、wikipediaを見るとアメリカではさんざん叩かれたみたいだなあ。
映画の暴力描写や性描写について、日米とも似たような業界の自主規制があるけれど、その適用は両国でずいぶん違う。アメリカでは「正常」な性描写には何が写っていようと比較的寛大だけど、「異常」(何が「正常」で何が「異常」かはさておき)な性描写や暴力描写、あるいはドラッグに関する描写には厳しい。
一方、日本では長いことヘアが禁止されていたように、性器が写るとか即物的な描写は厳しく制限されるけれど、描写の底に流れる思想が「異常」な性描写や暴力描写には、性器が写っていない限り規制がかからない。これは性や暴力に関して、何を「許されない」と感ずるか日米の文化の差もあるから、どちらがいいとか悪いの問題じゃないけれど。
『キラー・インサイド・ミー(原題:The Killer Inside Me)』は、女性に対するサディスティックな暴力描写に満ちた映画で、そのためアメリカで批判にさらされたけど、日本では別に話題にもなってない。まあ、単館系の公開だから見ている人も少ないし。
テキサスの田舎町の保安官助手ルー(ケイシー・アフレック)が、町外れで営業している娼婦ジョイス(ジェシカ・アルバ)の家に、町を出ていけと警告しに出かける。ルーを客と間違えたジョイスが彼を「イヌ野郎」とののしると、それまで温厚な青年に見えたルーがいきなり暴力的になってジョイスをベッドに押さえつけ、ベルトを抜いて彼女の尻を叩きはじめる。そんな虐待の後で、彼女に「愛してる」とささやき、ジョイスも彼を受け入れる。
ルーの突然の変貌はつづく。恋人の教師エイミー(ケイト・ハドソン)にも同じ行為をしかける(性描写は「即物的」にはおとなしめ)。ジョイスと共謀して町の実力者の息子から金をむしりとる計画を立てたルーは、息子を殺す前にジョイスにいきなり殴りかかり、「ごめんよ。愛してるよ」とつぶやきながら彼女を殴り殺してしまう。カメラはルーがジョイスを殴りつづけるのを延々と、無表情にながめている。
ルーの行為について、子供のときの体験がインサートされ、それがトラウマとなっているらしいことは分かるけれど、ルーの内面に即して観客が納得できるようには説明されていない。というより、説明は拒否されている。おそらくルー自身にも説明できないのだろう。
普段の温厚なルーと「内なる殺人者」になったときのルーとの対比もことさら強調されず、1950年代のカントリー・ミュージックやブルースやポップスが流れるなか、表情も変えないルーのサディスティックな行為や殺人が説明抜きで繰り返される。1950年代のお気楽な音楽に乗せて、全体は50年代の「良き時代」ふうなつくり(オープニング・タイトルからいかにも50年代)のなかで、突如として挿入される「異常」な性・暴力描写。
それがマイケル・ウィンターボトム監督(イギリス)が採用したスタイル。ただ成功しているかどうかは別問題で、部分部分は激しいし面白いのに退屈するところもあった。
原作はノワール小説で熱狂的ファンもいるジム・トンプスン。僕も10年ほど前、『死ぬほどいい女』を1冊だけ読んだことがある。当時はハードボイルドが好きでノワールはあまり読んでいなかったせいか、トンプスンの荒んだ文体や描写が肌に合わず、続けて読む気が起きなかった。
トンプスンが1940年代から大衆的なパルプ・マガジンに書いたたくさんの小説は言わば読み捨てで、評価されたのは死後。この時代のパルプ・マガジンのライターの多く(レイモンド・チャンドラーら)がそうだったように、ハリウッド映画の脚本を書いて糊口をしのいでいた。
スタンリー・キューブリックの『現金に体を張れ』『突撃』(どちらも面白かった)の脚本を書いたりしているから、才能あったんだ。逆に彼の小説で映画化されたものに『ゲッタウェイ』『グリフターズ』がある。これもどちらも面白かったけど、トンプスンというより監督のサム・ペキンパーやスティーヴン・フリアーズの色が濃かった。
その意味で『キラー・インサイド・ミー』は、トンプスンの荒涼とした小説をそのまま映画化しようという監督の意図ははっきりしている。「正常」と「異常」を分かつものなどどこにもないノワールな世界を描こうとした挑戦的な失敗作、とでも言ったらいいのか。
May 04, 2011
原子力委員会へ意見!
Let's give our opinion to JAEC
庭の紫蘭。
福島原発の事故に対して危険度を過小に評価しつづけ、その存在意義がほとんど感じられなかった原子力委員会が、今後の原子力政策の方向を検討するために「原子力政策に関する国民の意見」を求めているのを知った。寄せられた意見は「新大綱策定会議メンバーに資料として配付し、新大綱策定会議における議論の参考」にするそうだ。
福島第一原発の事故以来、寄せられた意見は約6500件になる。HPでそれを見ることができるが、大部分は現在の原発推進政策の見直しを求めている。当然だと思う。
お役所がこんなふうに「国民に意見を求める」のは、たいていは結論が既に決まった上で「国民の意見を聞いた」というアリバイづくりであることが多い。でも今回はそうはいかないだろう。また、そうさせてはいけない。意見はHPへの書き込みでも、FAXや郵送でもかまわない。
原発に賛成であれ反対であれ、どんどん意見を書き込もう。賛成といっても、これからも新設すべきなのか、現状維持なのか(現状維持なら耐用年限を過ぎた原発は廃炉になるから、長期的には脱原発になる)、反対といっても、どのように脱原発への道を描くかは、人によってさまざまだろう。僕自身は段階的な脱原発と、その間の代替エネルギーの開発という意見を書き込んだけど、いろんな考えを闘わせて、原子力委員会が「国民の意見」に耳を傾けざるをえないようにさせることが大切だと思う。
May 03, 2011
『戦火のナージャ』 引きの「決め」ショット
Burnt by The Sun 2(film review)
冒頭、「私が小さかったころ」というナレーションで、誰にも覚えのある子供時代の美しい記憶が語られる。てっきり主人公の独白で映画が始まったのかと思ったら、次の画面でアップにされた顔は鼻下に白い髭をたくわえたスターリン。「私」というのはスターリンのことだった! 虐殺と粛清で悪名高いスターリンに無垢な子供時代の記憶を語らせ、光に満ちた映像をかぶせるという悪戯に気づいたとき、見る者はもうニキータ・ミハルコフ監督の世界に連れ込まれている。
『戦火のナージャ(英題:Burnt by The Sun 2)』は、16年前の『太陽に灼かれて』の続編。残念ながら僕は前作を見てない。映画データベースを調べると前作は、主人公で革命の英雄アレクセイ・セルゲーヴィチ・コトフ大佐(ニキータ・ミハルコフ)と、アレクセイを追うKGBのドミートリィ・アーセンティエフ大佐(オレグ・メンシコフ)との間の妻をめぐる三角関係の悲劇を、スターリン粛清時代を舞台に描いたものだったらしい。
今回の時代設定は第二次世界大戦。スターリンに粛清されたアレクセイは銃殺されたことになっているが生き延びて懲罰部隊に身を隠し、独ソ戦の前線にいる。アレクセイが生きているらしいことに気づいたスターリンは、ドミートリィに彼を追うことを命ずる。ドミートリィの養女になっているアレクセイの娘・ナージャ(ナージャ・ミハルコフ)も、従軍看護婦として戦場で父を探し求める。
戦争と革命(反革命)に翻弄される男女を主人公にしたストーリーはいかにも古風な大河ドラマだけど、こういうよくできたメロドラマ(メロドラマの語源は、背景に音楽を流して観客の感情を揺さぶるメロディ+ドラマの無言劇)は嫌いじゃない。日中戦争から文化大革命までを舞台にしたコン・リー主演の『活きる』(チャン・イーモウ監督)なんか、コン・リーが美しかったこともあって鮮明に印象に残っている。
しかも『戦火のナージャ』はスペクタクルとしても面白いし、なによりニキータ・ミハルコフらしい「決め」の映像が素晴らしい。「決め」のショットからカメラが引いていくと、次なる「決め」のショットになる。そんな見る者を陶酔させるシーンが2つある。
独ソ線の前線。戦いが終わり、瀕死の兵士がかすかに瞬きだけしているアップがすごい。そこからカメラが引くと、兵士の上に雪が降りはじめ、さらにカメラが引くと死んだ兵士たちは雪におおわれ、一面の雪原になってしまうショット。
もうひとつはラスト。従軍看護婦のナージャは崩れた教会のなかで瀕死の兵士を助けようとする。死にかけている若い兵士は、自分は女性の胸を見たこともないし、キスをしたこともない、死ぬ前に胸を見せてほしいとナージャに頼む。意を決したナージャが軍服を脱ぐ。教会の壊れたキリスト像と、死にゆく兵士と上半身裸になったナージャの背中のショットが美しい。そこからカメラがぐーんと引いてゆくと瓦礫が見渡すかぎり広がる、破壊された町を俯瞰するショットになる。
この映画では父と娘はすれ違ったままで出会わない。3部作になる予定で、ミハルコフは第3作『要塞』の製作にもうとりかかっているらしい。
May 02, 2011
嶋津健一Wベース・トリオ
Shimazu Kenichi Double Bass Trio
ピアニスト嶋津健一の新しいトリオを楽しんだ(4月28日、赤坂・Relaxin')。
今度のトリオはドラム抜きで、加藤真一、鈴木ひろゆきという2人のベーシストが入ったダブル・ベース・トリオ。2つのベースが互いに指弾きと弓弾きを交差させながらメロディとリズムをつくりだしてピアノを支えている。曲は嶋津の自作や加藤真一の曲、ガーシュインなどのスタンダード。ベース2本の編成だからだろうか、情感たっぷりなのにジャズのありがちな定型にはまらないのが新鮮だし心地よい。
嶋津は10年ほど前にもダブル・ベース・トリオで演奏していたことがある。そのときは、よく歌うベースの加藤真一、クールな山下弘治と対照的な2人だった。それ以来、嶋津とずっと組んでいる加藤の奔放なベースは嶋津のエモーショナルなピアノにとてもよく合う。新しく加わった鈴木ひろゆきは若いベーシストだけど、指でも弓でも音色がいいね。どういうトリオに成長していくのか、楽しみが増えた。
浜岡原発を止める署名
a signature-obtaining campaign to stop the Hamaoka Nuclear Power Station
庭の梅の実。
数日前のことになるけれど、中部電力が緊急安全対策のため止まっている浜岡原発3号機を再稼動させることを明らかにした。福島の危機がなお進行中のいま地元自治体がすんなり了承するとも思えないけれど、東海地震震源域にある浜岡原発は拙ブログで紹介した石橋克彦・神戸大名誉教授(地震学)はじめ多くの人が、いちばん危険な原発だと警告している。
そういえば同じ日の新聞に、敗戦後の日本社会を描いた『敗北を抱きしめて』(名著です)の著者ジョン・ダワー(日本近代史)のインタビューが載っていて(4月29日、朝日新聞)、そこで彼はこう言っていた。
「個人の人生でもそうですが、国や社会の歴史においても、突然の事故や災害で、何が重要なことなのか気づく瞬間があります。すべてを新しい方法で、創造的な方法で考え直すことができるスペースが生まれるのです。関東大震災、敗戦といった歴史的瞬間は、こうしたスペースを広げました。そしていま、それが再び起きています。しかし、もたもたしているうちに、スペースはやがて閉じてしまうのです。既得権益を守るために、スペースをコントロールしようとする勢力もあるでしょう。結果がどうなるかは分かりませんが、歴史の節目だということをしっかり考えてほしいと思います」
関東大震災、敗戦以来の「歴史の節目」に、ダワーの言うスペースを「新しい・創造的な方法」で埋めるのか、「既得権益」が再びそのスペースを占めてしまうのか、せめぎあいは既に始まっている。
浜岡原発については、ずいぶん前から運転停止を求める地元の市民運動があったし、訴訟にもなっている。個人としていま意思表示する方法がないかと思ったら、「原発震災を防ぐ全国署名」をやっていた。現在90万人の署名が集まっているが、100万を目標に、もしくは浜岡原発が止まるまでやるという。さっそく署名用紙をダウンロードして、身の回りで署名を集めはじめた。
これは僕の個人的な考えだけど、
・いちばん危険な浜岡原発を止める。
・稼動30年を過ぎた老朽原発は(福島のように)稼動延長せず、順次止める。
・新たな建設はしない。
といった段階的な脱原発プログラムなら、かなりの人の賛同を得られるのではないかな。その間に風力、太陽光、地熱といった地域分散型代替エネルギーの開発を急ぐ。代替エネルギーが電力需要のどれくらいをまかなえるのかは、論者によって十分にまかなえるという意見から、環境条件に左右されるので安定的供給は無理という意見まであって、どれが正しいのか今のところ僕には判断できない(それ以前に、節電騒ぎで電力のかなりの無駄遣いが明らかになったのだから、そもそもどの程度の需要が適当なのかの議論も大切)。
いずれにしろ代替エネルギーを最大限にすることが必要だし、水力も大規模なやつでなく市町村単位、あるいは集落単位ならまだまだ立地できるし、環境への負荷も少ないのではないかな。それらを地域分散型に配置するには「スマートグリッド」的なシステムが求められるから、9電力会社が発電・送電・配電を独占している現在の体制が適当なのかどうかも議論しなければならないだろう。
ジョン・ダワーはこうも言っていた。
「敗戦直後は、親や夫などの家族を失った人々が日本中にあふれていました。家もないし、職もない、何もかも失った人々が、よりよき生活を求めて必死に日本を再建したのです。政府だけではありません。あらゆるレベルで信じられないほどの活気あふれる精神がありました。その精神を、日本人はその後の繁栄の中で失ってしまった。ふつうの人々が政治に積極的に参加する、そんな参加型民主主義の精神を取り戻してほしいと思います」
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