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April 23, 2011

『SOMEWHERE』 メローな空虚

Somewhere
SOMEWHERE(film review)

「俺は空っぽの男だ」。ハリウッドの人気役者・ジョニー(スティーヴン・ドーフ)が電話口で別れた妻につぶやくシーンがある。

国際的な賞をもらい、次回作も決まって役者として充実しているように見えるジョニーだけれど、私生活は「シャトー・マーモント」(セレブが泊まるので有名なLAのホテル。監督のソフィア・コッポラは父のフランシス・F・コッポラとここに滞在したことがある)でひとり暮らし。パーティーと酒と女とフェラーリの日々を送っている。

冒頭、ジョニーがフェラーリを駆って目的もなく周回道路を回る長いシーンがある。カメラは周回道路の左右を切ったフレームで手前に据えられ、独特のエンジン音を響かせたフェラーリが画面から出たり入ったりしながら道路を回るのをじっと見ている。観客はいったい何をやっているのかととまどい、物語が進むにつれジョニーが心の内に抱えこんだ空虚に気づくことになるのだが、カメラはそんなジョニーを冷たく突き放すわけでなく、かといって寄り添うわけでもなく、温かな傍観者といった視線を守っている。

ホテルの自室になじみのポールダンサー(双子のブロンド美女)を呼んで踊らせる。テラスのジョニーを見た女性客は、自分から胸を開いて誘いをかける。女には不自由しない。ベッドでは共演の女優の下着に手をかけながら途中で眠り込んでしまう。

そんなところへ、娘のクレア(エル・ファニング)がやってくる。母親は何かの事情があって娘をジョニーに押しつけ姿をくらましてしまう。11歳になったクレアとの日々が、ジョニーの心に少しずつ変化をもたらす。

大筋はそんな展開なんだけど、ジョニーの空虚とメランコリーがこれみよがしに強調されることはない。ジョニーの行動と言葉だけを追って内面描写をしない。『ロスト・イン・トランスレーション』でもそうだったけど、そのあたりがソフィア・コッポラの品の良さなんだろうな。

音楽も必要以上に鳴らないけれど、さりげなく新らしめの曲やプレスリーの「テディ・ベア」、ブライアン・フュリーの「煙が目にしみる」なんかの懐かしい曲が効果的に挿入される。

結果として、映画全体に透明で、メローな空虚感とでもいった空気が漂っている。ハリウッドのセレブが金にまみれた生活に倦み、戻ってきた娘と送る日々に充実を覚える。その父と娘との戯れは見ていて快い。だけど、それだけ。娘との日々に喜びを覚えるといっても、それは父親として自然の感情ではあっても、それ以上でもそれ以下でもない。その快い空っぽの空気に、僕はまったく乗れなかった。僕は古いタイプの映画好きだから、ソフィアなりのスタイルでジョニーの心の内にもっと踏みこんでくれないと。

(以下、ネタバレです)ラスト、ホテルを引き払ったジョニーはフェラーリに乗って娘のいる夏のキャンプ地へ向かうのだが、途中、フェラーリを道端に乗り捨てて「どこか(somewhere)」に向かって歩き出す。でもなあ、エンドロールが終わるころには思い直してまたフェラーリに乗ったんじゃないの? などと思ってしまった。

僕がプールつきの高級ホテルにもフェラーリにも縁がないせいか、それとも地震と原発事故のニュースに頭がいっぱいの身には遠い世界に感じられたからなのか、それは分からない。しばらくして見ると、ぜんぜん別の印象を持つかもしれないけれど、ヴェネツィア映画祭金獅子賞で期待したせいもあり、正直がっかりした。しかしエル・ファニングは姉貴にも増してかわいいいなあ。

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April 22, 2011

地震学者の提案

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a proposal from seismologist

庭のアロニア・アルブティフォリア。

3月30日の本ブログ「14年前の警告」で、地震学の石橋克彦・神戸大名誉教授が巨大地震・津波による原子力発電所の過酷事故を「恐ろしいほどの正確さで想定していた」という14年前の論文を紹介したけど、その石橋氏が『世界』と『中央公論』(いずれも2011年5月号)で今回の地震と原発事故について書いている。

そのなかで氏は、政治家と学者と企業が一体となって(後記:年間244億円の広告費を受け取っているマスコミも加えるべきだろう)国策として進めてきた原発推進が、戦前の日本のありかたと同じ構造だと言う。

「(現在の事態は)私が思い描いた最悪の状態ではないが、まさに原発震災である」(『世界』「まさに『原発震災』だ 『根拠なき自己過信』の果てに」)

「地震列島に50基以上の大型原子炉を林立させることは、驚くべき暴挙であった」(『中央公論』「首都圏直下地震、東海・東南海・南海巨大地震の促進も否定できない」)

「日本がアジア太平洋戦争を引きおこして敗戦に突き進んでいった過程が、現在の日本の『原発と地震』の問題にあまりにも似ていることに驚かされる。『根拠のない自己過信』と『失敗したときの底の知れない無責任さ』によって節目節目の重要な局面で判断を誤り、『起きては困ることは起こらないことにする』意識と、失敗を率直に認めない態度によって、戦争も原発も、さらなる失敗を重ねた。そして、多くの国民を不幸と苦難の底に突き落とした(落としつつある)」(『世界』)

氏は戦前の歴史の参考文献として半藤一利『昭和史 1926-1945』を挙げている。それだけでなく、以前このブログ(2005年5月15日)でも触れた戸部良一他『失敗の本質』を読めば、石橋氏の指摘がその通りであることが分かるだろう。戦後の9電力会社による発電・送電の独占体制が戦時統制経済の名残であるのと同じように、システムを動かす人間の行動様式もまったく変わっていないとは。

今後の地震について、ほとんどの地震学者の見解と同じく、今回の震源域だけでなく首都圏直下や東海~南海など周辺で大地震が起きる可能性が高まったという。

「今回のM9.0の超巨大地震によって、日本列島にほとんど全域で大地震が起こりやすくなった可能性がある」(『世界』)

「早急におこなうべきことは……既存原発の原発震災リスクを総点検し、リスクが高い順に段階的に閉鎖・縮小する実際的プログラムを考えることである」(『世界』)

「何よりも、東海地震の想定震源域の直上の中部電力浜岡原発を止めるべきだ。これが原発震災を起こすと、最悪の場合、南西からの卓越風によって首都喪失に至る」(『中央公論』)

「野放図な電力消費の抑制を図るとともに、自然エネルギーの活用拡大を含む消費地内での分散型発電システムに移行するほうが望ましい」(『世界』)

14年前、石橋教授の警告は無視されてしまったたけれど、こういう提言を今、誰も絵空事とは言えない。いま進行中の福島原発の危機を止めるだけでなく、僕たちはどういう生き方を選ぶのか、ひとりひとりが考え、議論しなくちゃいけない。

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April 16, 2011

万座温泉にひたる

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trip to Manza Spa

2月からかかっていた仕事に一区切りついたので、群馬県の万座温泉に行ってきた。3月11日以降は、テレビの音を消してつけっぱなしにし、地震や原発事故のニュースを横目で見ながらパソコンに向かう日々。時には大きな余震で部屋から逃げだすこともあった。

万座温泉は火山である草津白根山の中腹、1800メートルの高地にある。江戸時代から湯治場として知られていた。滞在したのは、いちばん古い日進館。

この写真は露天「極楽の湯」。周りには2メートル近い根雪が残っている。冷たい風に顔を吹かれながら熱い湯につかり、雪景色をながめていると文字通り「極楽」気分になれる。

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万座でいちばん古い「苦湯」。胃腸病などによく効くから、今も湯治客が多い。

「自粛」空気が蔓延しているからガラガラかと思ったら、スキー・シーズンとGWの谷間の平日なのに、けっこう客がいる。滞在客への割引、きれいな部屋、地産地消の食事、都心からの直行バスといった形で、湯治システムを今ふうにしているのが効いているのかも。

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硫黄泉で、乳白色の湯がとろりと肌にやさしい。ほかに「姥湯」「滝湯」など9種類の湯があるけれど、「万天の湯」は節電で閉められていた。

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露天「極楽の湯」の入り口は本館から少し歩いたところにある。

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深夜の「極楽の湯」。これがまたいい。湯気の影が根雪にゆらめいている。

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「苦湯」源泉の湯畑。硫化水素が噴き出て立ち入り禁止になっており、そばまで行けない。以前、危険だからと旅館に営業停止命令が出たこともあるが、「苦湯」ファンが署名を集めて営業を続けられたという。

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April 12, 2011

『悲しみのミルク』 歌とじゃがいもの生命力

The_milk_of_sorrow
The Milk of Sorrow(film review)

地震と津波から1カ月。連日被災地の報道に接しつづけているうち、見る側も感情の容れ物の許容量を超えてしまったのか、中継を見ても、死者と行方不明者の合計が2万8000人近くなったと聞いても、最初の数日間ほど感情が動かない自分を発見して愕然とする。亡くなった人、まだ見つかっていない人だけでなく、家族を失った人、家を流された人、原発事故で避難を強いられている人も含めて、そこには被災した人の数だけ悲しみがある。

時間の経過によるものか、想像を絶する犠牲者の数によるものか、報道するメディアの姿勢によるものか、それとも受け取る側の心の問題か、そのいずれでもあるのだろうが、一方で福島原発はまだ深刻な状態にあるのに、他方そのようなある種の「馴れ」が自分のなかに生まれている。

そんなときにペルー映画『悲しみのミルク(原題:La Teta Asustada)』を見て、ずっしりした悲しみの塊を手渡されたように感じた。自分が行ったこともない、ほとんどなにも知らない国の少女の物語だけれど、素手で悲しみの塊に触れたような感触と重さは自分の心の「馴れ」を撃って、共鳴する心を呼びさまされたように感じた。映画(や小説、つまり芸術)というフィクションは、それだけの力を持っているのだ。

ファウスタ(マガリ・ソリエル)は、首都・リマ近郊のスラムに住む先住民の少女。彼女は死にゆく母から二つのものを受け継いだ。ひとつは、母の母乳を通して伝わると信じられる「恐乳病」によって、母が体験した深い恐怖の感情。「恐乳病」はファウスタが行った病院の医師(近代科学)によって否定されてしまうけれど、インカ帝国をつくった民、ケチュア族に属するファウスタや家族の叔父にとっては、まぎれもない現実だ。

そして母が体験した深い恐怖とは、1980年代に活動した毛沢東主義者グループ「センデル・ルミノソ」と、それを弾圧する国軍の双方によって農村で繰り広げられた殺人やレイプなどのテロによって刻印されたものだ。その恐怖を受け継いだファウスタは、一人で外を歩けず、レイプを恐れ女性器のなかにじゃがいもを埋め込んでいる。

ファウスタが母から受け継いだもうひとつのものは、歌。母は、恐怖の体験を即興的な詩とメロディに乗せて娘に伝えた。ケチュアの血を受け継ぐアタウアルパ・ユパンキが歌うフォルクローレの祖形みたいなものだろう。ファウスタは歌によって母とつながり、歌うことによって辛うじて命をもつないでいる。

この映画ではまた、ふたつの対照的なテーマと、ふたつの対照的な場所が設定されている。

母の死と、母から伝えられた恐怖と死の感情に捉えられれ、他人と交われないファウスタ。彼女は、つぶやくように母から教わった歌を歌う。一方、ファウスタが同居する叔父の娘は、間もなく結婚しようとしている。叔父の仕事は結婚式請負業。山の斜面に広がるスラムを舞台に、野外で結婚の儀式とパーティが繰り広げられる。ファウスタの歌も心にしみるけど、パーティーでバンドが演奏するテクノ・クンビア(ケチュアの民族音楽がエレキ楽器に乗ってポップ化したもの)のチープで陽気な音がまたいい。一方の祝祭と、他方の死。

ふたつの場所も対照的だ。ファウスタと叔父の家族が住むスラムは、リマ近郊でプエボロ・ホベン(新興の町)と呼ばれる貧民街。緑のまったくない山の長い石段を登っていくと、斜面いっぱいに広がる貧しい住宅の群れを捉えたショットが素晴らしい。そこには、テロに荒れる農村を捨てて都市へ逃げてきた先住民たちが不法占拠して住んでいる。

死んだ母の遺骸を故郷の村に葬るための金がないファウスタは、リマの裕福な音楽家の邸宅にメイドとして住み込む。にぎやかな町なかに高い塀をめぐらし、庭師の手で丹精された緑(リマは砂漠につくられた都市なので、緑を維持するには大変な金と手間がかかる)に囲まれる邸宅には、スペイン系の高名な女性音楽家が住んでいる。

ファウスタは先住民の住むスラムと、スペイン系白人が住む都会の邸宅を往復する。コンサートを控えスランプに陥った音楽家は、真珠と引き換えの約束でファウスタの歌を自分の曲として発表した上、約束も破ってしまう。かつての支配-被支配の構造がそのまま残る社会。

言葉もまたふたつの言語が交差する。ファウスタたちはケチュア語とスペイン語を話す(話さざるをえない)。ファウスタと母はケチュア語で会話するが、商売をしている叔父はスペイン語を話す。ファウスタは音楽家の邸宅でスペイン語を話すことになるが、先住民系の庭師とだけはケチュア語で会話する。

印象的な場面がある。朝まで続いたパーティーの後、叔父が眠り込んだファウスタの鼻を手でふさぐ。苦しくなって身をよじり、起き上がって逃げ去るファウスタに、それまでスペイン語をしゃべっていた叔父がケチュア語で語りかける(松崎文音の指摘。僕は言語が変わったのに気づかなかった)。「お前は息をしてるじゃないか。生きるんだ」。素晴らしいシーンだ。

ファウスタの女性器に埋め込んだじゃがいもはなお生命力を持ち、芽を出す。ファウスタがそれを切るシーンが2度出てくる。痛ましくもあり、ユーモラスでもあり、このシーンだけでなく、映画全体がそんな空気に支配されている。

南米文学の特徴はマジック・リアリズムと言われるけれど、恐怖が遺伝する「恐乳病」といい、じゃがいものシーンといい、この映画もマジック・リアリズムに深く根ざしている。もっともそれは西洋世界の側からの命名で、ファウスタたちにとってはマジックでもなんでもなく、リアリズムそのものだろう。この映画のファウスタも母も特定の名前を持った個人だけど、同時にケチュア族の誰でもありうる(あるいは悲しみを抱えた誰でもありうる)寓意劇にもなっている。

監督のクラウディア・リョサは、作家・バルガス=リョサの姪。すごい才能がいるもんだ。撮影は『シルビアのいる街で』のナターシャ・ブレイア。前のは透明感あふれる映像だったけど、こっちの濃厚なやつのほうが、ぐんといい。

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April 11, 2011

ハラハラの日々はつづく

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article about NRC report of the Fukushima in NYT

庭の海棠。

僕は朝起きてテレビを見る習慣はないけど、原発事故以来、一瞬だけテレビをつけ、画面が緊迫していないかどうかだけ確かめるようになった。報道では高濃度汚染水の回収が始まり、冷却システム回復に向けて「悪いなりに安定している」ように見えるけれど、タービン建屋の高汚染水だけでなく、1号機格納容器の高放射線量、圧力上昇などの数値を見ると、何かが進行しているようにも感じられる。ただ、日本のテレビ・新聞ではそのことに触れたニュースが見つからない。

4月5日のニューヨーク・タイムズが、NRC(米原子力規制委員会)の内部文書に基づいた「原発事故で新たな課題」という記事を載せていたけれど、専門用語が多い長いもので僕の語学力では歯が立たなかった。

その記事の要約がカナダのPeace Philosophy Centreのブログに、「NYT紙に報道された米原子力規制委員会の報告」として研究者のコメントつきで翻訳されている。

それによると、「放射能を帯びた冷却水で一杯になった格納容器にどんどん負担がかかり、余震によって破損しやすい状態になっている。NRC内部文書は、原子炉に注入された海水によって水素と酸素が発生し、格納容器内での爆発の可能性にも触れている」という。また、「炉心の水位はゼロである可能性がある」ため、「どれだけの冷却の効果があるかは不明である」と言う。従って、「本来の冷却システムが機能していない中、水を注入することが長期的に持続可能なものなのか、新たな疑問を投げかけるものである」とも書かれている。

さらにNRCの文書では、水素爆発を起こさないための窒素注入と、再臨界を起こさないための冷却水へのホウ素混入が提案されているが、これがここ数日来、実際にやられていることだろう。

いずれにしても、「悪いなりに安定している」わけでなく、格納容器の破壊という危機と隣り合わせの綱渡りの作業が続いているようだ。まだハラハラする日々は終わらない。

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April 10, 2011

あっちの桜、こっちの桜

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cherry blossoms in full bloom

神田川(早稲田近辺)。学生のころ、このあたりに桜はなかったと思うのだが。

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ご近所の別所沼(浦和)。この古木には毎年、会いに行く。もう散りはじめていた。


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April 08, 2011

東洋のポルトガル?

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庭の木瓜の花。

4年前に退職するとき、1年間、外国で暮らしてみようと思った。どこにするか? それまで訪れたことのある場所から、住んでみたい都市を3つに絞った。ニューヨーク、リスボン、ホーチミン。結局は言葉の問題もあってニューヨークにしたけれど、歴史が凍ったようなリスボンや、明るいエネルギーに満ちたホーチミンにも心が残った。

そのリスボンを首都とするポルトガルという文字に、1日で2度出会った。

ひとつは、ポルトガルがEUに金融支援を要請したというニュース。財政危機から国債価格が下落し、自力で資金を調達できなくなった。

もうひとつは、イギリス近代史を専門とする歴史学者・川北稔のインタビュー(朝日新聞、4月7日付)。見出しは「3.11に砕かれた近代の成長信仰 復興は必ずできる 東洋のポルトガル それも悪くない」。

川北さんは、16世紀の西欧で生まれた近代の世界システムの先頭を切ったのはポルトガルとスペインだったが、やがてオランダやイギリスに抜かれた、21世紀に世界システムの中心はアメリカから東アジアに移ろうとしているが、20世紀に東アジアの先頭を切った日本は、「東洋のポルトガル」になるのだろうか、と問う。

さらに川北さんは、「東洋のポルトガル」が不幸かというと、必ずしもそうではない、江戸時代まで戻るわけではないから。ただしそれを「安定」と受け取るためには価値観の転換が必要だ、と続けている。

リスボンの夜は、節電で暗くなった東京より、さらに暗かった。その暗い光にぼっと浮かび上がる旧市街アルファマの、なんと魅力的だったことか。それは旅行者の感傷にすぎないけど、そういう世界が来ることを覚悟しなければならない。そのために、価値観とシステムをあらゆる局面で組み替える作業がこれから始まる。


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April 04, 2011

『トゥルー・グリット』 武装する権利

True_grit
True Grit(film review)

『トゥルー・グリット(原題:True Grit)』の原作はチャールズ・ポーティスの同名の小説で、1969年にジョン・ウェイン主演で映画化され(邦題『勇気ある追跡』)、ジョンがそれまでどうしても取れなかったアカデミー主演男優賞を遂に手に入れた。

僕は残念ながらこの映画を見てない。でも、この映画と比較することで、たぶんいろんなことが分かるだろうと思う。だからこれから書くものは、1969年版を見て書き直すまでの暫定的なメモとしておきたい。

1969年といえば、アメリカン・ニュー・シネマの絶頂期だ。この年、西部劇では『明日に向かって撃て』と『ワイルドバンチ』があり、ほかに現代的西部劇の要素も持つ『イージー・ライダー』と『真夜中のカーボーイ』があった。

西部劇は明らかに変わっていた。『明日に向かって撃て』のポール・ニューマンとロバート・レッドフォードはジョン・ウェインに代表されるそれまでの西部劇のヒーロー像とかけ離れていたし、『ワイルドバンチ』を監督したサム・ペキンパーは西部劇というジャンルそのものが黄昏にあることを知っていた。翌1970年には、白人が善でインディアンが悪という図式をひっくり返した『ソルジャーブルー』がつくられる。どの映画も、背後にベトナム戦争の影が射していた。

そんな時代に、『勇気ある追跡』はあまりにも古い、昔ながらの西部劇と評されたように記憶している。ジョン・ウェインのアカデミー賞受賞には何をいまさらと冷笑的な気分があり(彼は熱心なベトナム戦争擁護派でもあったし)、僕自身もそう思った。

コーエン兄弟が、この小説をもう一度映画化しようと思ったのは、型通りの西部劇(だっただろう)『勇気ある追跡』を、もう一度、現代的に語り直してみようという意図があったに違いない。それはある意味で成功している。

舞台はコーエン兄弟がいちばん好む西部の不毛の荒野。辛うじて法が支配しているアーカンソーの開拓最前線の町・フォート・スミスと、川の向こうに広がる、法の及ばないインディアン居留地を登場人物が行き来する。

冒頭、鉄道の終点フォート・スミスで汽車を降りた少女マティ(ヘイリー・スタインフェルド)が、犯罪者に縛り首が執行されるのを目撃する(処刑される3人のうち1人はインディアン)。ロングショットで捉えられた広場で、いきなり3人の足場がはずされ吊るされる不意打ちのショットから、見る者の神経を痛打するコーエン兄弟らしさは全開だ。

父を殺した男を捜すマティと、彼女に雇われた保安官ルースター(ジェフ・ブリッジス。1969年版はジョン・ウェイン)が居留地を馬でゆくと、大木から男がストレンジ・フルーツのように吊るされている。その後、鉈で手指を叩き切るショットなどもあって、ハリウッド的な抑制(上品さ?)は見られない。むき出しの生と死。その舞台になる、絵のように美しい冬の荒野。こんな美しく残酷な映画をつくらせたら、ハリウッドでコーエン兄弟の右に出る者はない。

そんなコーエン兄弟らしさを堪能しながら、でも映画を見終わって、あるしこりが残った。それはこの小説(映画)のテーマにかかわることだ。

仇討ちというテーマは、どこの国にもある。日本でも、曾我兄弟が父の仇を討つ「曾我物語」に始まり「忠臣蔵」など、仇討ちは昔も今も最も好まれる物語のひとつ。でもアメリカ人が『トゥルー・グリット』を見るのと、日本人が『忠臣蔵』を見るのとは、その意味がだいぶ違うのではないか。日本人があくまで昔の物語として楽しむのに対し、アメリカ人はもっとリアルな、自分にかかわる話として見ているはずだ。なんといってもアメリカは合衆国憲法で、国民が武装する権利が謳われているのだから。

小説『トゥルー・グリット』は、アメリカの教科書にも採用されたという。殺人の罪を犯して法の支配が及ばないインディアン居留地に逃げた男を、武装した少女と保安官(といっても賞金稼ぎと法の執行者の中間のような存在)が追い、最後に少女が男を銃で殺して復讐を果たす。自分の意思をはっきり持ち、どんな困難にもめげない少女。酔いどれだけどユーモアを忘れず、命がけで少女を助けて法の支配を実現する男。それがアメリカ的な精神の核ということなのだろう。

映画を見ながら、少女は男に復讐を果たした後、どんな表情をするのだろう、と思っていた。満足の笑みを浮かべるのか、それとももっと複雑な表情を浮かべるのか。その表情によっては、全体としてアメリカ的精神を称揚しながら、それに対する疑いを見る者に喚起することもできる。映画のワン・ショットは、それくらいの力を持っているのだから(クリント・イーストウッドが『父親たちの星条旗』で、戦意高揚に駆り出された兵士たちを描きながら、その一人の先住民系兵士が星条旗を捨てるようにも見える1ショットをはさみこんで、映画全体の意味をゆさぶってみせたように)。

でも少女が銃を撃った瞬間、彼女自身も銃の反動で穴にころがり落ちる。そこにはガラガラヘビがいて、次のサスペンスがはじまる。これで終わったと思った観客は、またハラハラさせられるのだけれど、なんだかコーエン兄弟にはぐらかされたような気もした。

この映画はハリウッドの審美的な枠をゆさぶったけれど、アメリカ多数派の精神の核をゆさぶることはなかった。いや、むしろそれを強化したかもしれない。それが『トゥルー・グリット』が米国内で商業的に成功した理由なのだろう。保守派の牙城である全米ライフル協会は、『トゥルー・グリット』を喜んだのではないかな。少女が父の形見の銃を手にして復讐を決意するシーンなど、この映画は銃の力と美しさを強調している。それともこんなことを考えること自体が、刀狩り以来武器をもった経験のない民の軟弱な感想だろうか。


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April 03, 2011

漆皮(しっぴ)の器

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ご近所の日本茶喫茶・ギャラリー「楽風」を紹介した記事に、「綿引千絵の漆のもの」(~4月15日)を開いているchieさんからコメントをいただいた。

で、さっそく楽風に行きました。喫茶室(といっても古民家の板の間)で開かれている漆器の小作品展。椀などの食器もあるけれど、小皿やアクセサリーといった小物もある。小粋なモノたち。

chieさんのつくる漆器は漆皮(しっぴ)と呼ばれ、牛の革に漆を塗ったもの。木に比べると革は細工が簡単で、さまざまな形をたやすくつくれるという。奈良時代に流行した伝統的技法を現代的なセンスで蘇らせた。(後記:漆革を「しっぴ」としていたが、chieさんから連絡があり、歴史的には漆革を「うるしかわ」と読んでいたが、現在は「しっぴ」と呼び、字を当てるなら漆皮でしょうとのことでしたので、そのように直しました)

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銀色の小皿(長辺10センチほど)を求める。売り上げの一部は東日本大震災の義捐金として寄付されるとのこと。

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ここはお茶屋さん。軒下に、かつて使われた道具が置いてあった。唐箕(とうみ)と呼ばれ、もともと脱穀した穀物ともみがらを風で選別する道具だが、ここではお茶の葉と茎と茶粉を選別するのに使っていたという。


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