内モンゴルの虐殺
Genocide on the Chinese Mongolian Steppe(book review)
中東・アフリカで民主化を求める民衆が次々に立ち上がっている。中国は、その動きが漢族だけでなくチベットや新疆ウイグル自治区に波及しないよう必死に抑えている。でも、中華人民共和国(漢民族の帝国)に併合された異民族としてチベットやウイグルと似た状況にあるのに、なぜ内モンゴルではそんな動きが表面化しないのか。楊海英『墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(上下、岩波書店)は、そんな疑問に答えてくれる。
一言で言えば、内モンゴルでは文化大革命でモンゴル人リーダーはじめ、多数のモンゴル人が徹底的に排除され、虐殺されたからなのだ。
1960年代、毛沢東が発動した文化大革命は内モンゴルから始まった。なぜか。当時、中国はソ連を修正主義と批判し、中ソは対立状態にあった。内モンゴル自治区はソ連と、ソ連の衛星国だったモンゴル人民共和国(外モンゴル)と国境を接している。もし中国が混乱すれば、ソ連と外モンゴルの軍隊が攻め込んでくるのではないか。そう恐れた毛沢東は、内モンゴルの自治組織と軍隊からモンゴル人幹部を「民族分裂主義者」として排除することを決めた。
これには、日本も深く関係するモンゴルの近代史が絡んでいる。
日本が傀儡国家の満州国をつくったとき、内モンゴル東部はその領土とされた。有史以前から農耕する漢民族と敵対してきたモンゴル人は、漢民族からの自立を求めていたから、その手段として満州国の政府や軍に積極的に入り込んだ人たちもいた。満州国では建国大学はじめ学校施設も整備されたので、モンゴル人は初めて近代的な教育機関に学び、近代的な軍隊組織に出会った。高等教育を受けた多くの知識人が生まれ、小さなモンゴル馬に乗る伝統的なモンゴル騎兵は、日本の騎馬部隊に倣って大型馬を導入して近代化した。
満州国が崩壊したとき、内モンゴルのモンゴル人たちは民族自決と外モンゴルとの統一を求めたが、それを拒否したのはスターリンだった。「タタールのくびき」の記憶をもつロシアは、モンゴル人が大同団結することを恐れた。そのため内モンゴルのモンゴル人は、中国国籍の少数民族として生きることを余儀なくされた。
毛沢東は、かつて外モンゴルとの統一を求めた自治区のモンゴル人幹部を信頼していなかった。その多くは日本語を話し、近代的な教養を持っていたから、「日本刀をぶら下げた連中」と呼ばれた。文化大革命が発動されると、彼らは真っ先に「民族分裂主義者」として粛清の対象となった。彼らを告発したのは延安に学んだモンゴル人共産党員だったが、「日本刀をぶら下げた連中」が打倒されると、次には告発したモンゴル人党員も同じ「民族分裂主義者」として漢人党員から弾劾された。
こうして自治区のモンゴル人幹部のほとんどが粛清された。ほかのモンゴル人も、遊牧のための草原を持っている者(つまり大多数のモンゴル人)は「搾取階級」に分類されて打倒の対象になった。批判された者は連日「批判闘争」に引き回され、長期にわたる暴力を受けた。女性への暴行も日常茶飯事だった。当時、内モンゴルのモンゴル人人口は150万人だったが、そのうち35万人が民族分裂主義者とされて弾劾され、3万人が拷問にかけられて虐殺された(5万人、10万人という説もある)。
およそ4人に1人が粛清されたということは、ほぼ全世帯に及ぶわけで、その家族も迫害されたから、つまりはほとんどのモンゴル人が文化大革命で被害を受けたことになる。「階級闘争」の名を借りた「民族抹殺」だったわけだ。
著者の楊海英は中国籍のモンゴル人研究者。1989年に来日し、現在は静岡県立大学で教鞭を取っている。自身の家族や親戚も粛清された経験を持つ楊は、今はひっそり暮らす十数人のモンゴル人元幹部から当時の話を聞き、証言をまとめた。そのなまなましさは、読んでいて胸が痛くなるほどだ。
「鞭で打たれると、体から血が出て部屋のなかの白い壁に散って、壁画のようになりました。やがて、体中が腫れ上がって亡くなったのです。兵士たちと漢人農民たちはその財産を分けました。人民解放軍は百姓からは針一本も糸一筋もただで取らない、と毛沢東は豪語していたけれども、実際はまったくちがっていました」
「トゥメンバヤルという裕福な紳士の娘は有名な美人でした。彼女は燃えている棍棒を陰部に入れられました。肛門と陰部が焼かれて、完全に破壊されてしまったそうです」
「シャラブという老齢の僧がいました。解放軍の兵士たちは硫黄を鼻の穴に入れて虐待していました。そして、最後には熱した鉄のショベルが頭の上に置かれたところ、頭部が炸裂し、脳みそが出てきて、死んでしまいました」
文化大革命の実態がどんなものだったか、今ではさまざまな証言が出ているけれど、少数民族の立場から見たものは少ない。おそらくチベット人やウイグル人も似た体験を強いられたのだろうが、内モンゴルの弾圧は先にあげた理由から徹底していた。最後に著者はこう書いている。
「現在、中国の民族問題は常に『チベット問題』あるいは『新彊のウイグル人の問題』としてクローズアップされているが、内モンゴル自治区は話題にすらならない。これは、内モンゴル自治区に民族問題がないことを決して意味しない。内モンゴル自治区の場合は、声を挙げることのできるモンゴル人がいないのである。モンゴル人エリートたちはすべて文化大革命中に政府と漢人たちに惨殺されたからである。エリート階層を失った一般のモンゴル人たちは怖くてものがいえないのが現状である。惨めにも内モンゴルの実情を世界に発信できなくなった現在、私は本書の出版によって世界の良識ある市民たちが人道的な見地から積極的に中国の民族問題に関与してほしい、と願っている」
つけ加えると、この本は日本語で書かれている。今年の司馬遼太郎賞を受賞した。今後、中国の民族問題を考えるときには必ず参照されるべき本だろう。
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