中井久夫の2冊の本
intoroducing essays about the Kobe earthquake by Nakai Hisao
庭のユキヤナギ。
阪神・淡路大震災で被災した精神科医の中井久夫が、地震直後から神戸大学病院精神科の責任者として被災した患者の救急に当たった体験をつづった「災害がほんとうに襲った時」が、中井と出版社の承諾を得てウェブ上で公開されている。
このエッセイを収録した中井編『1995年1月・神戸』と、続編の中井ほか『昨日のごとく 災厄の年の記録』(共に、みすず書房)は、中井ら精神科の医師たちが地震に直面したとき何を考え、どう行動したかを記録したものだ。刊行されたときに読んで大きな感銘を受けた。2冊の中井のエッセイから記憶に残るところを、なにかの役に立つかもしれないので紹介しよう。ちょっと長い引用になるかもしれないけれど、お許しいただけるだろう。
「初期の修羅場を切り抜けおおせる大仕事は、当直医などたまたま病院にいあわせた者、徒歩で到着できた者の荷にかかってきた。有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。……彼らは旧陸軍の言葉でいう『独断専行』を行った。おそらく、『何ができるかを考えてそれをなせ』は災害時の一般原則である。このことによってその先が見えてくる」(『1995年1月・神戸』)
「ボランティアの申し出に対して『存在してくれること』『その場にいてくれること』がボランティアの第一の意義であると私は言いつづけた。私たちだって、しょっちゅう動きまわっているわけでなく、待機していることが多い。待機しているのを『せっかく来たのにぶらぶらしている(させられている)』と不満に思われるのはお門違いである。予備軍がいてくれるからこそ、われわれは余力を残さず、使いきることができる」(同)
「私は行き帰りの他は街も見ず、避難所も見ていない。酸鼻な光景を見ることは、指揮に当たる者の判断を情緒的にする。私がそうならない自信はなかった。……多くの精神科医はPTSDについて語っている。しかし……避難所のようにむきだしに生存が問題である時にはこれは顕在化しない。おそらく仮設住宅に移住した後に起こるのであろう」(同)
「知らない同士がことばを交わし合い、体験を語り合い、涙を流し合った。このことは精神保健上きわめて大きな力があった。アンダーウッド教授は会う人ごとに『もう泣きましたか。泣きなさい』と少々たどたどしさの残る日本語で語りかけていた。避難所は一面ではそのようなふれ合いの場となり、誰かと話すためにだけ避難所を訪れる人もいた。……もっとも避難所にある、スピーカーでの呼び出し、班編成、などの規律への耐性は区々であり、断乎、自動車、いや倒壊家屋の中で生活する人もみられた」(『昨日のごとく』)
「『ふだんより元気になる人』はいってしまえば、軽躁的高揚・過活動状態であり、情緒の不安定を伴い、しばしば精神的視野狭窄を起こし怒りっぽくなり、もちろん涙もろくも、些細なことで痙攣的に笑いころげたりもする。これは、最初の茫然自失、現実喪失に続く状態であり……『反撃の構え』である。おそらく、災害時のこのような高揚と過活動とには理にかなった面がある。……もっとも、この構えは格闘と同じく長続きしない。その限界は今回の災害の体験ではおそらく四、五〇日であって、軍事精神医学にいう『戦闘消耗』が起こる時期に一致する」(同)
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