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February 26, 2011

須田一政のB面

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Tokyo B-side, around 1980(photo exhibition)

須田一政の写真展「TOKYO B-side, around 1980」(2月26日まで。新中野・ギャラリー冬青)を見てきた。

B-sideとは、かつてのドーナツ盤レコードのB面のこと。聴かれることの少ないB面に思いがけない佳曲を見つけたときの喜びは格別で、自分だけの密かな宝として他人に黙っていたいような、でもしゃべりたいような気分になった。

1980年前後といえば、須田一政は日本中を旅して『風姿花伝』『人間の記憶』といった彼の代表作、というより戦後写真史に残る名作を撮っていた。これをA面とすれば、今回の東京を撮った写真群はB面に当たるのだろう。これがなんとも魅力的なB面だった。

『風姿花伝』も『人間の記憶』も、日常のなかに一瞬ひび割れて姿を見せる非日常の風景や人間の姿を捉えていた。でもこの「B-side」ではもっと素直で普通の、でも間違いなく須田一政のアンテナを振るわせた風景が集められている。

僕が6年間通った田端駅裏口の坂を、近くの女子聖学院の制服をきた女子高生が歩いている。背後に崖下の線路と東京の下町が見える。再開発される前の有楽町駅前の、戦後の匂いを感じさせる街頭がある。どれもなにげない風景なんだけど、華やかさと無縁の「裏面の東京」(タイトルの本来の意味はこういうことだろう)の細部にじっと見入ってしまう。

それにしてもプリントが素晴らしい。美しい諧調、隅々まで来ているピント。35ミリ・サイズのように見えたので、それにしてはすごいピントだと思ったら、6×6カメラに6×4.5の枠をつけて撮ったらしい。そんな隠れた技が30年後の今も新鮮な作品を生んだ。


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February 20, 2011

『ザ・タウン』 ボストン犯罪映画

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The town(film review)

アメリカ映画で犯罪ものといえばニューヨークやロス、サンフランシスコといった大都市を舞台にしたものが多いのは当然だけど、この10年ほど、ボストンを舞台にした犯罪映画も目立つ。

記憶に残るのは『ミスティック・リバー』や『ディパーテッド』、『ザ・タウン(原題:The town)』で監督・脚本・主演を務めるベン・アフレックの前作『ゴーン・ベイビー・ゴーン』あたりだろうか。『ミスティック・リバー』と『ゴーン・ベイビー・ゴーン』は共にデニス・ルヘインのミステリーを原作にしていた。

ボストンといえば、ハーヴァード大学を中心に建国初期の富裕層が住む古都というイメージが強いけど、19世紀のアイルランド飢饉でアイルランド人が大量に移住して多くは肉体労働者となり、20世紀に入ってからはアフリカ系はじめエスニックが流入して、貧富の差の激しい都市、つまりは犯罪の多い都市としても知られている。このところの「ボストン犯罪映画」の背景にはそういう社会状況もあるのだろう。

この映画の舞台はボストン北部でアイルランド系住民が多数住むチャールズタウン。街そのものが映画の主役といってもいいかもしれない。時代は多分1990年代との設定だろう。

ダグ(ベン・アフレック)、ジェム(ジェレミー・レナー)ら4人の銀行ギャング団は、チャールズタウンで犯罪を「家業」とする家に生まれ育った幼な馴染。4人が襲った銀行の支店長クレア(レベッカ・ホール)が同じチャールズタウンに住んでいることが分かり、様子を見ようとダグが彼女に接近する。やがてクレアはダグが強盗と知らないまま、ダグとクレアは互いに心を通わせるようになる。同時に、次の大がかりな強盗計画が進行している。

クレアがチャールズタウンに住んでいるという設定は、「ジェントリフィケーション」と呼ばれる現象を背景にしている。1990年代から2000年代にかけて、ニューヨークなどの大都市では古い町やスラムが再開発されて次々に高級コンドミニアムが建てられた。ボストンも同様だったろう。高級コンドミニアムに入ってきたのは若く金回りのいいヤッピーたちで、この映画でもダグたちは新住民のヤッピーを「トゥーニーズ」と呼んで敵対意識を持っている。クレアもそんな「トゥーニーズ」のひとり。

チャールズタウンにはダグたちアイリッシュ・ギャングだけでなくアフリカ系ギャングもいて、互いに敵対している。この映画でアフリカ系は「プロジェクト」と呼ばれる貧困層向け公共アパートに住んでいて、クレアが通勤途中でアフリカ系にいやがらせされたことから、ダグたちは「プロジェクト」に殴りこみをかける。

(以下、ネタバレです)『ザ・タウン』はそんな地域の変化と住民同士の対立を背景にした、愛と友情の相克の物語だ。もっとも原作(チャック・ホーガン『強盗こそ、わが宿命』)がそうなっているのだろうが、友の死、恋人との別れ、タウンからの脱出といった筋書きのなかで、その相克が突き詰められるわけではない。

最近は女性読者も多いとはいえハードボイルドはもともと男のエンタテインメントだから、男が心地よく読んだり見たりできる設定や筋書きのものが多い。僕もハードボイルドが好きだけど、映画や小説を楽しみながらも時にその男性中心主義に不満を覚えることもある。

この映画にも良くも悪くもそんな甘さがある。ラストシーン。タウンを脱出したダグにとって、ジェムは死んだが友情が壊れたわけでなく、恋人とは別れたが互いの愛は続いていて、いつか会うことができるかもしれない。そんな結末は快いけれど、あまりにも主人公の男に都合よくはないか。

もちろん強盗シーン、古い町並みを舞台にしたカー・チェイスなどはたっぷり楽しめる。逆に言えば、人間ドラマもアクションもと盛りだくさんすぎたところが、『ミスティック・リバー』や『ディパーテッド』の満足度に及ばなかった理由かも。


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February 19, 2011

浦和ご近所探索 寒天工房

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a shop of agar

浦和駅と北浦和駅の間、商店街からはずれたJRガード近くに「あんみつ・みつ豆材料卸」と看板が出ている店が気になっていた。入ってみると水嶋商店(浦和区東仲町)は寒天と餡の製造販売の店。

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テングサを大釜で煮て濾過し、右の器に入れて冷やすと、固まって寒天ができあがる。浦和で寒天をつくっているのはここだけだそうだ。


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こちらは餡の材料の小豆や、みつ豆の材料のえんどう豆を煮る釜。

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豆腐2丁分くらいに切った寒天を1センチ角に搾り出してあんみつやみつ豆に。あんみつ3人分600円。できたてのぷりんぷりんの寒天に適度な甘さの餡がいけます。安くてうまい地元商店の鑑のような店。

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February 15, 2011

雪の朝

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a snowy morning

昨夜から降りはじめた雪が5センチほど積もっていた。

昨日は、週1回通っているヨガに行った。スタジオに横たわりポーズをとりながら暗くなった窓の外を見上げると、あれよあれよという間にミゾレからボタン雪へ、さらに細かな雪へと変わっていった。これは積もるぞと思いながら、帰途、闇に舞う雪をしばらく見ていた。

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February 10, 2011

『冷たい熱帯魚』 シオンの過剰

Photo
Coldfish(film review)

浴室で死体をばらばらにし、「ボディを透明にする」(登場人物は死体を誰にも分からないよう処理することをこう呼ぶ)シーン。連続殺人鬼の村田(でんでん)と、その愛人・愛子(黒沢あすか)、ずるずると犯罪に引き込まれた主人公・社本(吹越満)の三人が血みどろになり、切り刻んだ肉や内臓にまみれる。そんな凄惨な映像が延々と続く。

その場面を見ながら、これに似た映像をどこかで見たことがあるな、と既視感を持った。映画を見終わった後で思い当たったのは、映画でなく小説だった。桐野夏生の『out』(映画では遥か昔に見た『青春の殺人者』もあったけど)。

『out』の主人公の女性たちが殺してしまった男を風呂場でばらばらにするシーン。桐野は死体を切り刻み、ビニール袋に入れて家庭ゴミとして処理するまでを、読む者に映像を喚起させる文体でたっぷりと細密描写してみせた。それが映像の記憶として脳内に残っていたらしい。

小説も映画も、何年か前に現実に起きた犯罪から発想されているのは共通している。浴室と死体処理という日常と非日常の奇妙な取り合わせが、二人の作家の想像力を刺激したんだろう。小説『out』は桐野のミステリー・ジャンルでの傑作になったけど、園子温(その・しおん)監督の映画『冷たい熱帯魚(英題:Coldfish)』もそれに匹敵する衝撃的な作品になった。

『out』にも『冷たい熱帯魚』にも共通する浴室での死体処理場面だけど、桐野とは違ってここがいかにも園子温と思わせることが二つある。

ひとつは、この血みどろの浴室での死体処理が一度ならず、二度までも繰り返されること。僕はこういう画面を見てもなんともないほうだけど(せいぜい今晩はレバーを食べたくないな、程度で)、これだけしつこく、どぎつくやられると、さすがに辟易してくる。その過剰さが、いかにも彼らしい。

この映画はヴェネツィアはじめ10を超える海外映画祭に出品されているけれど、欧米人観客の反応はおよそ想像がつく。そんな海外映画祭への次々の出品は、どうだ、これに賞を与えられるか、という挑発のようにも見える。

もうひとつは、この死体処理がキリスト教の教会を思わせる建物のなかで行われていること。死体を運び込む古びた日本家屋の屋根には十字架がかけられ、イルミネーションがつけられている。ここは殺人鬼・村田の父親の家で、父はどうやら異端のキリスト教祭司だったらしい。死体とともに家に入った村田は、「子供のころ、ここに閉じ込められた」とつぶやくから、父親へのねじれた愛と近親憎悪に満ちた空間なのだろう(このモチーフは『愛のむきだし』にもあった)。

死体を浴室に運んだ村田は愛子に「蝋燭をつけろ」と命ずる。愛子は、マリア像の周りに並べられた蝋燭にバーナーで乱暴に火をつける。マリア像と蝋燭への点火は村田にとってこの死体処理が宗教儀式に近いもので、しかもそれを冒涜する意思に貫かれていることを暗示する。

園子温は前々作『愛のむきだし』でも、登場人物が十字架をかついで歩く「キリスト受難」ふうな映像を挿入していた。僕はこの監督の映画を『愛のむきだし』『ちゃんと伝える』しか見ていないので断定はできないけど、園子温の映画には反キリスト(反宗教)の気配を感ずる。そこもまた挑発的だ。それが監督(名前も秘密結社シオン修道会を連想させる)のどういう個人的体験に根ざしているのか知らないが……。

この映画は、熱帯魚店を営む社本が心ならずも犯罪に巻き込まれ、その結果、家族が破滅していく物語だけど、本当の主役は村田だろう。でんでん演ずる村田は映画のなかで三度、豹変する。

最初、彼はいかにも善人面で世話好きな男として登場する。やがて社本を詐欺に巻き込むなかで本性を現わし、社本を脅迫して殺人の共犯者に引きずり込む。社本の娘を自分の熱帯魚店の従業員にし、寮暮らしをさせて人質に取る。村田はさらに社本の妻(神楽坂恵)を抱き、社本には自分の愛人である愛子を抱くよう強要する。

それまで家族を守るために耐えていた社本が、彼のなかで何かが切れる。彼がいきなり村田に反撃をはじめたとき、村田は三度目の豹変をする。それまでの居丈高な態度が、一転して弱々しい態度を示すのだ。その伏線が、「子供のころ、ここに閉じ込められた」というセリフだ。

社本に反撃され死にかけた村田は、「社本クン、ちょっと痛いよ」(それまでは「社本」、映画の冒頭では「社本さん」と呼んでいたのに)、「お父さん、許して」と、いきなり幼児帰りしてつぶやく。村田が強者から弱者へ反転するその瞬間が、この映画の最高の見せ場だ。善人面から殺人鬼へ、そして最後に父親に虐待(?)された子供に戻る。そんな複雑な中年男を演じ、しかもブラックな笑いを取るでんでんが素晴らしい。

地方都市の一見平穏な日常が、ちょっとした裂け目から裏側のどろどろした闇を覗かせてゆくのはデヴィッド・リンチあたりが最も得意とするドラムづくりだけど、『冷たい熱帯魚』でもその手法が効果的。最初と最後に近く二度登場する、社本一家が食卓を囲む食事シーンは、これが反転されたホーム・ドラマであることを物語っている。

村田と悪党仲間の弁護士(渡辺哲)が身につけているバブリーなファッションや、タンクトップにホットパンツの従業員のコスチュームも、いかにも一昔まえのこの国の姿のようで笑える。そんな地方都市の日常のなかで、水槽にたゆたう大きな熱帯魚のぬるっとした感触が、やがて露わになってくる裏の闇を予感させる。熱帯魚が人間に変身したような気配で、黒沢あすかが色っぽく登場する。熱帯魚と黒沢あすかの怪しげな感触に不穏な気配を感ずるころには、見る者はもう園子温の術中にはまっている。

今年の映画は正月明けから『アンストッパブル』『ソーシャル・ネットワーク』『冷たい熱帯魚』と大当たり。こういう映画を続けて見られると本当にわくわくする。

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February 09, 2011

うっすらと初雪

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the first snow of the season

朝、起きたらうっすらと雪が積もっていた。30分後には消えてしまったが。右は蕾をつけた沈丁花。

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梅もぼちぼち花をつけている。

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February 06, 2011

浦和ご近所探索 町の角・3

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a corner of my town

骨? 右側に回ると「董」の字がある。骨董店の看板。散歩コースのひとつ、調神社近く。浦和区岸町

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浦和駅近くの「裏門通り」商店街。この角を左に行ったところに、いきつけの喫茶店がある。浦和区仲町

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浦和区常盤

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浦和区岸町

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February 05, 2011

『ソーシャル・ネットワーク』 ビリオネアの空虚

Social_network
Social Network(film review)

ハリウッドはアメリカン・ドリームを体現したミリオネア(今はビリオネア)の伝記映画が大好きだ。古典の『市民ケーン』がそうだし、新しいところでは『アビエイター』(ちっとも新しくないか)とか、負のミリオネア映画ともいうべき『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』とか。『ソーシャル・ネットワーク(原題:The Social Network)』も、そんなミリオネア映画の一本。デヴィッド・フィンチャーは『セブン』に始まり『ファイトクラブ』とか『ゾディアック』とか、ミステリアスなカルト映画をつくる監督というイメージが強かったけど、ここではオーソドックスな映画づくりで、しかも成功してる。

冒頭、主人公でハーヴァード大学の学生マーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)が、パブでガールフレンドのエリカ(ルーニー・マーラ)と口論になる。ざわざわしたパブの中で交わされるそのセリフの早いこと、言葉数の大量なこと。その畳みかけるようなリズムに引き込まれる。そこから、マークが学内で女子大生格づけサイトを立ち上げ、当局から処分をくらい、やがてfacebookを立ち上げ、さらに元の仲間から訴訟を起こされる経緯を、セリフも映像も早いリズムで物語ってゆく。

まあ、学内サイトを立ち上げるのも仲間割れするのも大学生のサークル活動の話だし、それがあっという間に資金1000ドルが2万ドルに、50万ドルに、さらに巨額にふくれあがっていくのがいかにもITバブル時代の話であることを別にすれば、話自体はそれほどドラマチックなわけじゃない。

元仲間との訴訟も法廷でなく調停の場でのやりとりで、しかも結局は金で和解するわけだから、こちらもドラマとしては欲求不満の展開。にもかかわらず、facebookが巨大になってゆくのを追いかける画面から眼が離せなくなるのは、フィンチャーの見事な演出力によるんだろう。

この映画の原案は、マークがビリオネアになるまでを追ったベン・メズリックのノンフィクション『ジ・アクシデンタル・ビリオネア』だけど、マークはメズリックの取材に応じなかった。その代わりこの本には、マークの元仲間で後に訴訟を起こしたエドゥアルド・サヴェリン(アンドリュー・ガーフィールド)がコンサルタントとして名を連ねているという(wikipedia)。

そのせいかどうか、フィンチャーはいかにもコンピュータのオタクであるマークにややシニカルな眼差しを向けている。大金をめぐる訴訟の協議の場でも議論に興味を示さないし、ビリオネアになっても服装に無頓着。女たちとのパーティーにも無関心で、ラストシーンでは別れたガールフレンド、エリカがfacebookに登録したホーム・ページに見入り、メッセージを送ろうか迷っている。そのラストシーンに続けてエンドロールでビートルズの「ベイビー、ユウ・ア・リッチ・マン」がかぶさり、ビリオネアの虚無、というほど大げさでないけれど、ビリオネアの空虚が印象づけられる。

この映画を見たマーク・ザッカーバーグ本人は、映画には不満だけど、着ているものはあの通りだったよ、と言ったらしい。映画は当然のことながらフィクションの部分も多いから、その「嘘」に怒りつつ、マークを演ずるジェシー・アイゼンバーグの服装に無頓着なオタクっぽい雰囲気にまんざらでもなかったのかもしれない。

とはいえまだ26歳で、現役ばりばりのマークを実名で主人公にした映画だから、死者であるビリオネアを素材にするようにはドラマチックにつくりこむわけにいかない。シニカルにビリオネアの空虚を描くあたりがせいぜいだったかも。よくできた映画ではあるけれど、その軽さが限界でもあり、よくいえばこの時代の空気を反映している。

ところで、僕は2年前からfacebookに参加しているけれども、プロフィール欄に「交際ステータス」というのがある。僕の場合は「既婚」だけど、選択肢には「独身」とか「交際中」以外に、「オープンな関係」「複雑な関係」なんてのもある。「恋愛対象」を男性か女性か、チェックを入れる欄もある。へぇー、と思っていたけど、映画を見てなるほどと思った。

マークは後に訴訟を起こされる学生から、「ハーヴァード・コネクション」という学内出会い系(?)サイトの立ち上げへの協力を求められた。「交際ステータス」とか「恋愛対象」はそういう出自の名残なんだな。

そんな出自からスタートしたfacebookだけど、世界中に広がるにつれてその性格や使われ方も変わってきた。僕は主にニューヨークで知り合った語学学校のクラスメート(ニューヨークにいる者も、自分の国に帰った者もいる)と連絡を取ったり近況を報告しあうのに使っている。

一方、エジプトで反ムバラク・デモの震源のひとつとなった「4月6日運動(6th of April Youth Movement)」のホーム・ページを見ると、日本時間の4日深夜、「追放の金曜日」と名づけられた今日はタハリール広場に人々が終結しており、情勢が緊迫しているのだろう、1時間に何本ものメッセージや写真・動画が刻々とアップされている。残念ながらアラビア語なので読めないけれど、遠く離れていても世界の鼓動を共有していることを実感できる。「いいね!」をクリックすれば、見守っているよと、ささやかな支援の挨拶を送ることもできる。

facebookは、それをつくったマーク・ザッカーバーグの意図を超えて広がっている。


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February 01, 2011

浦和ご近所探索 町の角・2

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a corner of my town

浦和区北浦和。北浦和駅近くに用事があったので、周辺を散歩。駅周辺は商業地域に指定されているので、古い民家が取り壊され、背後に見えるように高層マンションが続々建設されている。

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浦和区常盤

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浦和区北浦和。駅裏の飲み屋街

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浦和区北浦和

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浦和区北浦和。ここは元家電量販店があったところ

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