『モンガに散る』Monga 苦い青春
『モンガに散る(原題:艋舺)』のモンガ(艋舺)は台湾先住民の言葉で「丸木船」って意味らしいけど、台北市内の古い繁華街「萬華」と発音が似ている。そこから来た萬華の通称なんですね。萬華には龍山寺という寺があり、周囲には、蛇屋もあるアーケードの商店街や屋台村、売春宿なんかが密集している。1990年代はじめ、仕事で台北に3週間ほど滞在したことがあるけれど、浅草をもっとディープにしたここの雰囲気が面白くて、屋台料理を食べるかたがたよく通った。
最近の映像で見る台北は高層ビルが林立し、東京と変わりがないけれど、1980年代の萬華を舞台にしたこの映画は台北の古い町並み、粗末な木造住宅が立ち並ぶ路地や派手なネオンの飲食店街、怪しげな光を放つ売春宿なんかが実にリアル。暑く、湿気ある原色の町の空気を肌に感じさせる。それが主人公たちの発する熱とあいまって、映画のもう一方の主役になっている。
モンガに引っ越してきた高校生モスキート(マーク・チャオ)が、対立する不良少年グループの一方、廟口組親分の息子・ドラゴン(リディアン・ウォーン)率いるグループに加わる。ドラゴンは親分の息子だが実は意気地なしで、参謀格・モンク(イーサン・ルアン)が本当のリーダー。モスキートはドラゴンやモンクと義兄弟の誓いを交わして黒社会に入ってゆく。不良少年同士のトラブルが、やがて廟口組が仕切るモンガの利権を狙う組織同士の対立(大陸から来た外省人ヤクザも絡んで)に発展してゆく。
ストーリーからすれば香港ノワールや武侠映画に近い物語だけれど、ニウ・チェンザー監督はそれを少し違ったテイストで映像化している。路地で不良少年がケンカしているのを、カメラが屋根越しに上から見下ろしている。一方のグループが逃げ、敵対するグループの少年たちが追いかけ、通り過ぎていく。カメラはそのまま誰もいない路地を見下ろしている。しばらくすると、今度は逆に追いかけていたグループが逃げてきて、逃げていたグループが追いかけてくる。その間、カメラはずっと上空に固定したまま。アクション・シーンを撮るエンタテインメントの作法ではない。
その感触は、ホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンといった1980年代台湾ニュー・ウェーブに近い。それもそのはず。監督のニウ・チェンザーは、ホウ・シャオシェンの『風櫃(フンクイ)の少年』(1983)に主演した少年だったのだ。この映画でも役者としてモスキートの父親役で出演している。どこかで見た顔だなあと思って見ていたら、しばらくしてふっと『風櫃の少年』の線の細い少年の顔に重なった。ニウはその後、台湾テレビドラマの演出家・プロデューサーとして成功し、『モンガに散る』は映画2作目とのこと。こんなふうに台湾ニューウェーブが次の世代に受け継がれてゆくんだなあ。
もっとも、台湾ニューウェーブのテイストは香辛料程度にまぶされているだけで、主体は香港ノワールや武侠映画のアクション。実験的な手法を推し進めて商業的には失敗し、国際的評価は高いものの台湾の観客から支持されなかったニューウェーブの轍は踏まないあたりが第2世代の知恵だろうか。ニウ監督も、インタビューでホウ・シャオシェンとエンタテインメントの中間を狙ったと発言している。台湾で今年の観客動員NO.1映画にもなった。
しかも見終わった感触としてノワールやアクションではなく青春映画になっているあたりが、若い観客からも支持された理由だろう。長谷部誠(サッカー日本代表の)に似た優男のモスキート役マーク・チャオと、スキンヘッドで無表情なモンク役イーサン・ルアン。物語はマーク・チャオに沿って展開するけど、次第にイーサン・ルアンの存在感が映画を支配してくる。ドラゴンをモンガのボスにするため敵と手をにぎり、結果としてドラゴンやモスキートを裏切ることになる苦さを、ふてぶてしくも見える無表情の背後に隠して素晴らしい。苦い青春映画。
台北の町を時にリアルに、時に「絵」として美しく撮るアメリカ人撮影監督ジェイク・ポロックのカメラも見事だ。第2のクリストファー・ドイルと言われているそうだけど、それも納得。
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