January 27, 2011
January 22, 2011
オンデマンドで本を買う
神田の三省堂書店本店でオンデマンド・サービスが始まった。近くまで行ったので、覗いてみる。
写真がオン・デマンド・マシン。「エスプレッソ・ブック・マシン」と名前がついている。手前の白い部分は高速コピー機、その向こうでアルミ枠に入った部分がマシン本体で、一言で言えば簡易製本機。その向こうに表紙をプリント・アウトするインクジェット・プリンターがつながっていて、係員が画面を操作している。
本を注文するとデータが送られ、手前の高速コピー機で両面コピーされる。それがマシン本体に送り込まれる。
左上から送り込まれたコピーは、右下の部分にたまる。全ページ揃うと縦向きに立てられ、両側から圧力が加えられる。ページの背に当たる部分に糊がつけられる。その下に、右側のプリンターで出力された表紙が流れてきて、糊のついた本文コピー束に押しつけられ、糊づけされる。本のサイズにしたがって三方が断裁され、できあがり。その間、約10分。
これが出来あがった本。できたてはまだマシンの熱が伝わって温かい。菅原正二『ジャズ喫茶「ベイシー」の選択』(講談社)。1370円。
印刷でなくコピー機からの出力だし、表紙も決められたデザインだから、モノとしての本の魅力は当然ながらない。本文の写真も、コピー機の写真モード程度。綴じ方もコピー用紙の束に糊をつけただけだから、かつての無線綴じ本のように、強く開くとバリッといってしまうかもしれない。係員も、「耐久性はそれなり」と言っていた。でもこういう形で簡単に絶版本が手に入るようになれば、それはそれで役に立つ。もちろん、これを使って自費出版より簡単に自分の本もつくれる。
今のところ、「三省堂オンデマンド」の最大の弱点は、ラインナップされた点数の少なさ。1月現在で、講談社の絶版本、筑摩書房の大活字本など200点弱しかない。絶版本をコンテンツにするなら、主要出版社が揃わないとつらい。ただし、洋書はグーグル・ブックアーカイブと提携して300万点のラインナップがある。
本のデジタル化が進んでいる。今後、長期的に見れば電子書籍リーダーで本を読む機会が増え、一方、紙の本はモノとしての魅力を備えた少部数・高定価になっていくのではないか。その間で、とりあえず紙に出力して本の形にするオンデマンド出版がどう生きていくのか。僕などは「とりあえず本の形にしておきたい」世代だけど、若い人は「自炊」して本を捨ててるようだからなあ。
神保町へ来たら、いつものコース。三省堂から、近くの東京堂書店へ行き、新刊書の棚へ。ここの新刊書の棚は、目利きの店員が棚づくりをしていることで有名。三省堂本店を1階から4階まで回れば小1時間かかるけれど、この棚を10分ほど見れば、硬軟とりまぜそれ以上の新刊情報が得られる。ただし、買いたい本が次から次に出てきてしまうのが難点。今日も与那覇潤『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版)を買ってしまった。
そこからぶらぶら古書店を覗きながら神田まつやへ。いつも通りゴマそばを食する。うまい。
January 20, 2011
浦和ご近所探索 町の角・1
A corner of my town, Urawa
浦和区常盤
自分が住んでいる町の何の変哲もない風景を撮ってみたいと思った。
ところがこれが、けっこうむずかしいんですね。散歩にカメラを持って出ると、素人とはいえどうしても「目を引くもの」「普通でないもの」を探してしまう。じゃあ何も考えず、ところかまわずシャッターを押せばいいかというと、そういうことでもない。ブログで公開する以上、他人が見て何らかの興味を引くもの、多少は楽しんでいただけるものにしたい。
というわけで、ひとつだけルールを設けることにした。町の角、四つ角を撮る。四つ角は人と人、車と車が交差する場所だから、四つ角を何枚も撮り、それを重ねていけば、その町の表情が出てくるのではないか。…というのは今これを書きながら思いついた理屈で、要するに何らかのルールを決めることで撮りやすくしたわけだ。
いつまで続くか分からないけれど、飽きるまでやってみるつもり。
January 13, 2011
『アンストッパブル』 労働者階級の英雄
列車が暴走する。2人の男がそれを止めようとする。それだけの単純なストーリーで、こんな面白い映画ができるんだなあ。
映画はmovie(moving pictureの短縮形)とかmotion pictureと呼ばれることから分かるように、19世紀末に発明されたとき、映像が動き、それがまるで現実のように見えることで人々を驚かせ、見世物として人気を呼んだ。映画を発明したひとり、リュミエール兄弟が最初に劇場にかけた映画が「列車の到着」で、スクリーンの奥から驀進してくる列車に驚いた観客が、轢かれるのではないかと逃げ出したのは映画史上の有名なエピソードだ。「動く映像」は初めから列車と相性がよかったのだ。
以来、役者というより列車を主役にしたアクション映画はたくさんつくられてきた。無声映画ではバスター・キートンの、2台の蒸気機関車が追っかけあう『キートン将軍』を見たことがある。そのほか、思いつくだけでも『大陸横断超特急』とか『北国の帝王』とか、黒澤明原案の『暴走機関車』とか。『アンストッパブル(原題:Unstoppable)』の監督、トニー・スコットの前作『サブウェイ123 激突』でも、ラストでニューヨークの地下鉄が暴走した。爆走する列車と人間のドラマは、アクション映画の原型のようなものと言っていいかもしれない。
ペンシルバニア州で、操車場管制官の怠慢や機関士のミスから、無人の貨物列車が本線を暴走しはじめる。暴走列車と向き合うかたちで本線を走る別の貨物列車には、ベテラン機関士フランク(デンゼル・ワシントン)と新米車掌のウィル(クリス・パイン)が乗務している。危険な化学物質とディーゼル燃料を運ぶ暴走列車は、止めようとするあらゆる手だてを失敗させて、人口が密集する都市の急カーブに向かって走りつづける。
暴走列車の鉄道はAWVRという架空の鉄道会社に設定されている。鉄道はペンシルバニア州内を走るけれども、操車場のある「ウィルキンス」や、AWVR本社があり、危険な急カーブのある町も「スタントン」と、架空の地名になっている。アメリカは政府も自治体も企業も映画製作に協力的だけど、さすがに暴走列車では現実の鉄道会社の名前を使えなかったらしい。もっとも「スタントン」は、ペンシルバニア西部の都市・ピッツバーグを想定しているようだ。
この映画は、2001年にオハイオ州で実際に起こった列車暴走事故、「CSX8888事件」を基にしている。その事故を映画化するに当たって、オハイオではなくペンシルバニアにしたのはなぜだろう? 架空の地名と鉄道会社名を使うなら、製作者の都合でどこでも好きな場所を選ぶことができる。暴走列車の向かう先はニューヨークとか、大都市にするほうが、よりスリリングになるではないか。それがなぜペンシルバニアなんだろう。
もっとも、以下の答えはすべて僕の想像なので、それが当たっているかどうかは分からない。僕の推測では、脚本のマーク・ボンバックと監督のトニー・スコットは、この映画の舞台としてオハイオでなくペンシルバニアの風景がほしかった。
ペンシルバニアは鉄鋼業や化学産業など工鉱業が盛んで、ピッツバーグにはアメリカ最大の製鉄会社USスチールがある。映画『ディアハンター』で、ロバート・デ・ニーロたち主人公が勤めていたのがペンシルバニアの製鉄工場だった。あの巨大で煤けた工場と、労働者が住む安普請の住宅群の映像を覚えておられる方もいよう。しかも『ディアハンター』の舞台だった1970年代以後、ペンシルバニアの製鉄業は日本などに押されて衰退し、多くの工場が閉鎖され、失業者も増えた。
『アンストッパブル』の暴走列車が走る舞台装置として、監督や脚本家は豊かな自然やのどかな田舎町だけでなく、うらぶれた町と煤けた工場の風景を必要としたのだと思う。だって、この映画はデンゼル・ワシントンをはじめとする労働者と、そのプライドをめぐる映画でもあるから。
会社からリストラを通告されているフランクは、妻と別れ、ティーンエイジャーの2人の娘がいる。娘は2人ともレストラン・フーターズでウェイトレスをしている。暴走列車を追う機関車のなかでそれを聞かされたウィルは、顔を赤らめ複雑な表情を浮かべる。フーターズ・ガールと呼ばれるこのチェーン店のウェイトレスの制服はタンクトップに短パンで、そのセクシーさが売り。ウィルはフーターズに行ったことがあるからこそ、フランクの娘がそういうレストランで働いていることに複雑な感情を持ち、その気持ちをフランクに知られたことで顔を赤らめたんだろう。そのウィルはといえば妻と別居中で、兄の家に同居している。フランクもウィルも、中下層の労働者階級に属している。
危うく衝突を逃れたフランクは、古びた機関車で暴走列車を追うことを独断で決める。本社の幹部から、「そんなことをしたらお前はクビだ」と言われたフランクは、「もうクビになっている」とリストラ通告があったことを告げる。にもかかわらず暴走列車を追いかけるのは、長年、機関士として働いてきた労働者としてのプライドがそうさせるからにほかならない。鉄道一家に生まれ、幹部にコネがあるウィルも、管理職の「やめろ」という警告をふりきってフランクと行動を共にする。
もちろんフランクやウィルのような労働者ばかりが出てくるわけじゃない。そもそも列車が暴走を始めたのは、機関士が規則を守らず列車を降りたり、操車場の作業員がブレーキ・パイプをつながなかった怠慢からなのだ。アメリカの一断面をのぞかせる、自分の仕事に責任を持たないいいかげんな労働者も含めて、『アンストッパブル』は労働者が主役の映画だった。
フランクとウィルは、操車場長のコニーと力を合わせ、本社の意向に逆らって暴走列車を追う。よく日本のドラマで、組織内の現場スタッフと現場を知らないエリートの対立が描かれるけれど、これはそれと似ているようでありながらどこか違う。
最近、階層分化が進んでいるけれど、文化や気質まで含めれば同質であることが多い日本と違って、アメリカははっきりした階層社会だから、汗をかいて働く労働者と本社のエリートの間には深い溝がある。労働者には彼らのコミュニティがあり、彼らの倫理と連帯感がある。デンゼル・ワシントンが演ずるのはそうした「労働者階級の英雄」(ジョン・レノン)だ。舞台をペンシルバニアにしたのも、そうした労働者が多い地域を舞台にしたかったからだろう。
ジョン・レノンが歌う "A working class hero is something to be." という存在を、デンゼルは見事に体現している。 彼は若いころ知的なエリート黒人という役が多かったけれど、トニー・スコットと組んだ『マイ・ボディガード』あたりから、陰影ある役柄もこなせばギャングもやるというふうに変化してきた。この映画でも、リストラされる老機関士の誇りを滲み出させていい。
トニー・スコットの演出は、いつものように早いテンポで細かいカットをつなぎ、緊迫感を徐々に高めてゆく。SFXを極力使わず、車から列車へ跳びうつるシーンなどもスタントを使って実際に撮影したという。デンゼル自身も走る貨車の屋根から屋根へ跳んだそうだ。そんな昔ふうのつくりかたが、この映画のリアリティを生んでいる。見事なアクション映画。
January 08, 2011
January 04, 2011
歩き初め
歩いて30分ほどの別所沼へ歩き初め。沼の周囲が公園になり周回コースもあるので、たくさんの人がジョギングしたり散歩したりしている。
鳩も日向ぼっこ。
沼のそばにある水道局の取水場。沼の周囲の景観はすっかり変わってしまったが、この建築だけは昔と変わらない。
ガキのころ、よく魚釣りやボート乗りに別所沼に遊びにきた。その途中で必ずこの前を通る。今見ればどうということもないコンクリートの円形の建物が、子供の目には戦後間もないくすんだ木造住宅群のなかで奇妙で新鮮なものに映った。ここまで来ると、別所沼はすぐそばだと思ったものだ。
旧浦和市の水道はかなり遅くまで地下水を使っていた。夏の冷たくておいしい水の味を覚えている。その後、人口が急増した高度成長期に荒川から取水するようになり、今では地下水は使っていない。もっとも、この取水場は災害時の緊急取水場としていつでも働く準備はできているらしい。だからこそ、昔のままの姿で残っているんだろう。
January 02, 2011
『モンガに散る』Monga 苦い青春
『モンガに散る(原題:艋舺)』のモンガ(艋舺)は台湾先住民の言葉で「丸木船」って意味らしいけど、台北市内の古い繁華街「萬華」と発音が似ている。そこから来た萬華の通称なんですね。萬華には龍山寺という寺があり、周囲には、蛇屋もあるアーケードの商店街や屋台村、売春宿なんかが密集している。1990年代はじめ、仕事で台北に3週間ほど滞在したことがあるけれど、浅草をもっとディープにしたここの雰囲気が面白くて、屋台料理を食べるかたがたよく通った。
最近の映像で見る台北は高層ビルが林立し、東京と変わりがないけれど、1980年代の萬華を舞台にしたこの映画は台北の古い町並み、粗末な木造住宅が立ち並ぶ路地や派手なネオンの飲食店街、怪しげな光を放つ売春宿なんかが実にリアル。暑く、湿気ある原色の町の空気を肌に感じさせる。それが主人公たちの発する熱とあいまって、映画のもう一方の主役になっている。
モンガに引っ越してきた高校生モスキート(マーク・チャオ)が、対立する不良少年グループの一方、廟口組親分の息子・ドラゴン(リディアン・ウォーン)率いるグループに加わる。ドラゴンは親分の息子だが実は意気地なしで、参謀格・モンク(イーサン・ルアン)が本当のリーダー。モスキートはドラゴンやモンクと義兄弟の誓いを交わして黒社会に入ってゆく。不良少年同士のトラブルが、やがて廟口組が仕切るモンガの利権を狙う組織同士の対立(大陸から来た外省人ヤクザも絡んで)に発展してゆく。
ストーリーからすれば香港ノワールや武侠映画に近い物語だけれど、ニウ・チェンザー監督はそれを少し違ったテイストで映像化している。路地で不良少年がケンカしているのを、カメラが屋根越しに上から見下ろしている。一方のグループが逃げ、敵対するグループの少年たちが追いかけ、通り過ぎていく。カメラはそのまま誰もいない路地を見下ろしている。しばらくすると、今度は逆に追いかけていたグループが逃げてきて、逃げていたグループが追いかけてくる。その間、カメラはずっと上空に固定したまま。アクション・シーンを撮るエンタテインメントの作法ではない。
その感触は、ホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンといった1980年代台湾ニュー・ウェーブに近い。それもそのはず。監督のニウ・チェンザーは、ホウ・シャオシェンの『風櫃(フンクイ)の少年』(1983)に主演した少年だったのだ。この映画でも役者としてモスキートの父親役で出演している。どこかで見た顔だなあと思って見ていたら、しばらくしてふっと『風櫃の少年』の線の細い少年の顔に重なった。ニウはその後、台湾テレビドラマの演出家・プロデューサーとして成功し、『モンガに散る』は映画2作目とのこと。こんなふうに台湾ニューウェーブが次の世代に受け継がれてゆくんだなあ。
もっとも、台湾ニューウェーブのテイストは香辛料程度にまぶされているだけで、主体は香港ノワールや武侠映画のアクション。実験的な手法を推し進めて商業的には失敗し、国際的評価は高いものの台湾の観客から支持されなかったニューウェーブの轍は踏まないあたりが第2世代の知恵だろうか。ニウ監督も、インタビューでホウ・シャオシェンとエンタテインメントの中間を狙ったと発言している。台湾で今年の観客動員NO.1映画にもなった。
しかも見終わった感触としてノワールやアクションではなく青春映画になっているあたりが、若い観客からも支持された理由だろう。長谷部誠(サッカー日本代表の)に似た優男のモスキート役マーク・チャオと、スキンヘッドで無表情なモンク役イーサン・ルアン。物語はマーク・チャオに沿って展開するけど、次第にイーサン・ルアンの存在感が映画を支配してくる。ドラゴンをモンガのボスにするため敵と手をにぎり、結果としてドラゴンやモスキートを裏切ることになる苦さを、ふてぶてしくも見える無表情の背後に隠して素晴らしい。苦い青春映画。
台北の町を時にリアルに、時に「絵」として美しく撮るアメリカ人撮影監督ジェイク・ポロックのカメラも見事だ。第2のクリストファー・ドイルと言われているそうだけど、それも納得。
(お知らせ)Facebookにこのブログをフィードすることにしました。そちらではアメリカ滞在時に知り合った各国の友人たちと拙い英語でやりとりしているので、タイトルや写真説明などに最小限の英文をつけることにしました。
Recent Comments