『マチェーテ』 豪華B級映画
『マチェーテ(原題:Machete)』(ロバート・ロドリゲス監督)は、2007年の映画『グラインドハウス(原題:Grindhouse)』のエセ予告編(本編のない予告編のみ)から発展して、本編としてつくられてしまったB級(もどき)映画だ。
「グラインドハウス」とは1960~70年代のアメリカで、B級映画2~3本立てで上映されていた映画館のこと。映画『グラインドハウス』は、「グラインドハウス」で育ったクエンティン・タランティーノがその劇場の雰囲気を再現しようとつくったもので、「マチェーテ」「ナチ親衛隊の狼女」「ドント」「感謝祭」という4本の予告編と、『プラネット・テラー』(ロバート・ロドリゲス監督)、『デス・プルーフ』(クエンティン・タランティーノ監督)の2本の本編で構成されている。
ただ日本で『グラインドハウス』として予告編4本と本編2本が一緒に上映されたのは1週間だけで、その後、『プラネット・テラー』と『デス・プルーフ』はそれぞれ独立した映画として公開された。僕も残念ながら『グラインドハウス』としては見ていない。
「グラインドハウス」というのはもともと、ボードビルや腰をくらねせるグラインドダンス、ストリップなんかを上演する劇場をこう呼んでいたらしい(wikipedia)。1930年代から、ニューヨークのタイムズ・スクエアやロスのハリウッド・ブルヴァードといった歓楽街に集中していたという。ところが1960年代に入るとケーブルTVが普及したせいで、これらの劇場は閉鎖を余儀なくされ、代わりにポルノやホラー、カンフーといった低予算のB級映画が上映されるようになった。
そのため60~70年代には、「グラインドハウス」向けの低予算映画がたくさんつくられるようになった。いちばん知られているのはロジャー・コーマンのプロダクションで、『ラスト・ショー』の監督、ピーター・ボグダノヴィッチはじめ、何人かの監督はここから出てきた。クエンティン・タランティーノが少年のころ「グラインドハウス」に入り浸っていたのも有名な話だ。
映画の全盛時代、僕はタランティーノやロドリゲスより上の世代だけど、毎週、東映チャンバラを見たくて映画館に入り浸っていたのと同じで、安普請の劇場、チープなポスター、小便くさい館内、次週のお色気映画のポスターに胸騒ぎ、満員の館内にあふれる熱気なんかは日米共通だったろう。
『マチェーテ』はそんないきさつでつくられただけに、B級映画の匂いがふんぷんとしてる。クレジット・タイトルではわざとフィルムに傷をつけ、ぼつぼつというノイズまでつくって、いかにも使い回したフィルムといった感じを出している。最後には続編「殺しのマチェーテ」の予告もある。
設定もストーリーも、B級映画ふう。元メキシコの連邦捜査官だったが首になり、テキサスに密入国しているマチェーテ(ダニー・トレホ)が、不法移民嫌いの議員(ロバート・デ・ニーロ)の暗殺を依頼される。ところがそれが罠で……と、定石どおりの展開。メキシコの麻薬王(スティーブン・セガール)、革命派の女闘士(ミシェル・ロドリゲス)、自警団の団長(ドン・ジョンソン)、移民局の捜査官(ジェシカ・アルバ)といった面々が絡む。
いかにもチープな映画の主役といった怪異な風貌のトレホに、デ・ニーロはじめ豪華な役者や美女を配したのが「豪華B級」たる所以。マチェーテ(大刀)使いの主人公が銃を持った敵役をばったばったと切りまくり、首や腕がすぽんすぽん飛ぶ。もっとも残酷描写ではなく、コミックを見ている感じ。金髪美女の裸のシーンが必然性もなく挿入される。「人間の腸は身長の10倍以上ある」といったセリフの後に、露出した腸を使って脱出するシーンなんかもあり、笑ってしまう。
「グラインドハウス」にオマージュを捧げながら、お楽しみがたっぷりつまっている映画。もっとも、今やそういう映画に夢中になったウブな映画少年から遠く隔たり、こっちもスレている。マチェーテがあまりに強すぎるものだから、ばったばったのシーンが続いても次第にハラハラしなくなる。最後の大立ち回りではちょっと退屈してしまった。やはりアクションの爽快さはハラハラドキドキあってのもの、だね。
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