『人生万歳!』 ニューヨーク賛歌
ウッディ・アレンがニューヨークに帰ってきた。『人生万歳!(原題:Whatever Works)』を一言で言えばそうなる。
『マッチポイント』以来5年ほどヨーロッパを舞台に映画をつくっていたけれど、ウッディ・アレンと言えば、ずっとニューヨークを舞台に、ユダヤ系ニューヨーカーらしい辛らつなユーモアに満ちた饒舌な映画をつくってきた。だからウッディとニューヨークとの縁は切っても切れない。帰ってきたのも当然かもしれない。
『人生万歳!』は初期のウッディ・アレンのコメディが必ずそうだったように、冒頭からウッディを彷彿とさせる主人公(以前はウッディ本人が演じていた)が、機関銃のような早口でシニカルな意見やひねくれたジョークを連発する。場面転換では、ウッディ好みのスイング・ジャズが流れる。しかも舞台が過去のウッディの映画によく出てきたグリニッジ・ビレッジ周辺とあれば、彼のファンならそれだけで浮き浮きしてしまうはず。
しかもニューヨークに戻ってきただけでなく、昔のウッディ・アレンの映画が持っていたテイストそのままなのだ。それもそのはず、これはウッディが絶好調の1970年代に書き、ある事情でオクラに入った脚本を書き直したもの。主人公が、ウッディが歳を取ったのと相応の老人に設定されてはいるけれど。
ノーベル賞候補にまでなった物理学者・ボリス(ラリー・デヴィッド)は自殺未遂やら離婚やらで学問も大学も辞め、今はイースト・ヴィレッジ(らしい)の汚いアパートで一人暮らし。そこにニューオリンズからやって来た田舎娘・メロディ(エヴァン・レイチェル・ウッド)がころがりこむ。
自分を天才と呼ぶボリスは、ことあるごとにメロディとの「知性格差」をからかうが、彼女はなぜかボリスに惚れてしまう。はじめ追い出そうとしていたボリスもまんざらでなく、遂には年の差を超えて結婚してしまう。かなりのご都合主義だけど、いかにものセリフとジョーク、ボリスがいきなりカメラ目線でしゃべりだす手法(昔のウッディの映画にもあった)なんかで、それを感じさせないあたりがウッディのうまさ。
ところがメロディを探して母・マリエッタがニューオリンズからやって来る。マリエッタはメロディとボリスを別れさせようと、若い俳優ランディ(ヘンリー・カヴィル)にメロディを口説くようけしかける。やがて、マリエッタと離婚した父・ジョンもアパートにやってきて……と、原題「Whatever Works」は字幕で「なんでもアリ」と訳されていたけど、なんでもアリの展開。そして、いかにも性解放の時代だった70年代の脚本らしく、なんでもアリの結末へとなだれこんでゆく。
僕にとっては、ニューヨークに滞在していたとき週1、2度は行ったヴィレッジとチャイナ・タウンが映しだされるのが楽しかった。ボリスと仲間はいつもイースト・ヴィレッジのモロッコ・レストランにたむろしているが、このあたりは洒落たエスニック・レストランがたくさんあって、よくランチを食べに行った。ボリスたちが日本映画を見にいく「シネマ・ヴィレッジ」はミニシアター系の映画館で、何度か入ったことがある。確かここでジョニー・トーの『マッド・ディテクティブ』を見たんじゃなかったかな。
チャイナ・タウンでは「徳昌」のネオンが映る。もともと肉屋だけど、魚や野菜、できあいの惣菜まで売っているスーパー。安くてうまいから、いつも人であふれている。ボリスと同じように僕も毎週、買い物に通った。そんなふうに自分が知っている場所が映ると、それだけで他愛もなく嬉しくなってしまう。バカだねえ。ニューヨークが舞台の映画と聞くと、つい見にいってしまうわけだ。
ところで、マリエッタと両親がニューオリンズ出身、しかも両親は敬虔なクリスチャンというあたりが、この映画のミソ。ニューヨーカーと保守的な南部人の価値観の差が笑いの元になっている。しかも最後は南部人が「なんでもアリ」のニューヨークの価値観に染まってしまう結末で、要するにこの映画、人生万歳というよりニューヨーク賛歌なんですね。
それにしてもマリエッタがボリスのためにつくったクレオール料理、ザリガニのガンボ(ブイヤベースみたいなスープ)はうまそうだったなあ。ザリガニのガンボはさすがにニューヨークでは経験できず、ニューオリンズでしか食べられなかった。あのどろっとした、こってりスープの味が忘れられない。
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