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December 30, 2010

2010 MY映画ベスト10

White_ribbon

今年は仕事が忙しかったこともあり、あまり劇場で映画を見られなかった。その代わり、DVDで座頭市シリーズ(見ていなかったシリーズ初期作品の見事なこと!)や森一生、三隅研次、池広一夫といった大映の職人監督の映画をずいぶん楽しんだ。これについては、そのうちメモを書いてみたい。というわけで、いつものように洋画邦画とりまぜてのベスト10です。特に日本映画は数えるほどしか見ていないので、見逃したものがかなりあります。順位はそのときの気分次第ですが、上位3本は心に残りました。

1 白いリボン
2 闇の列車、光の旅
3 フローズン・リバー
4 渇き
5 バッド・ルーテナント
6 息もできない
7 モンガに散る
8 悪人
9 アウトレイジ
10 マチェーテ

映画の魅力とは、わずかな時間にせよ自分の五感が別の時代、別の場所に拉致され、しかも他人になりかわることができることだと思う。『白いリボン』は第一次世界大戦直前、北ドイツの静かな村に漂う「戦争の気配」を皮膚感覚でひしひしと感じさせてくれた。

『闇の列車、光の旅』と『フローズン・リバー』は、アメリカ合衆国の北と南の国境で不法入国をめぐる映画。『闇の列車』は、アメリカを目指すホンジュラス人少女とメキシコ人少年が貨物列車の屋根に乗ってメキシコ国内を走るロード・ムーヴィー。『フローズン・リバー』は、生きるために不法移民を運ぶ仕事に手を染めたインディアン女性と貧しい白人女性の話。社会的なテーマを扱っているけどそれを前面に出さず、あくまで人を描こうとしているのがいい。

『渇き』と『息もできない』は、いま東アジアでいちばん力がある韓国映画から。キム・ギドクはこのところイマイチだけど、パク・チャヌクは健在。『渇き』は現代韓国に転生したヴァンパイア牧師の恋。『息もできない』は、新開地のチンピラと女子高生の恋ともいえない恋。邦画にない熱さが眩しい。

『バッド・ルーテナント』はアメリカ南部を舞台にした悪徳警官もの。アメリカという国のグロテスクな悪夢。こういう役をやらせるとニコラス・ケイジはうまい。

『モンガに散る』は昨日見たばかりなので、まだ感想も書いてない。こちらも熱い青春映画。台湾映画も新世代が台頭してきた。

日本映画で選んだのは『悪人』と『アウトレイジ』。『悪人』は、よくできたメイン・ストリームの映画。北野武の『アウトレイジ』は、作家性は薄まったけどアクションものとして楽しませてくれた。

『マチェーテ』は、60年代アメリカB級映画へのオマージュ。というか、そのフェイクぶりを楽しむ遊び心。

ほかにリストに入れようかと迷ったのは『クロッシング』(アメリカ映画のほう)、『彼女が消えた浜辺』『ペルシャ猫を誰も知らない』『ぼくのエリ』『海角七号/君想う、国境の南』といったところ。

今年もおつきあいいただいてありがとうございました。皆さま、よい年をお迎えください。


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December 19, 2010

『人生万歳!』 ニューヨーク賛歌

Whatever_works

ウッディ・アレンがニューヨークに帰ってきた。『人生万歳!(原題:Whatever Works)』を一言で言えばそうなる。

『マッチポイント』以来5年ほどヨーロッパを舞台に映画をつくっていたけれど、ウッディ・アレンと言えば、ずっとニューヨークを舞台に、ユダヤ系ニューヨーカーらしい辛らつなユーモアに満ちた饒舌な映画をつくってきた。だからウッディとニューヨークとの縁は切っても切れない。帰ってきたのも当然かもしれない。

『人生万歳!』は初期のウッディ・アレンのコメディが必ずそうだったように、冒頭からウッディを彷彿とさせる主人公(以前はウッディ本人が演じていた)が、機関銃のような早口でシニカルな意見やひねくれたジョークを連発する。場面転換では、ウッディ好みのスイング・ジャズが流れる。しかも舞台が過去のウッディの映画によく出てきたグリニッジ・ビレッジ周辺とあれば、彼のファンならそれだけで浮き浮きしてしまうはず。

しかもニューヨークに戻ってきただけでなく、昔のウッディ・アレンの映画が持っていたテイストそのままなのだ。それもそのはず、これはウッディが絶好調の1970年代に書き、ある事情でオクラに入った脚本を書き直したもの。主人公が、ウッディが歳を取ったのと相応の老人に設定されてはいるけれど。

ノーベル賞候補にまでなった物理学者・ボリス(ラリー・デヴィッド)は自殺未遂やら離婚やらで学問も大学も辞め、今はイースト・ヴィレッジ(らしい)の汚いアパートで一人暮らし。そこにニューオリンズからやって来た田舎娘・メロディ(エヴァン・レイチェル・ウッド)がころがりこむ。

自分を天才と呼ぶボリスは、ことあるごとにメロディとの「知性格差」をからかうが、彼女はなぜかボリスに惚れてしまう。はじめ追い出そうとしていたボリスもまんざらでなく、遂には年の差を超えて結婚してしまう。かなりのご都合主義だけど、いかにものセリフとジョーク、ボリスがいきなりカメラ目線でしゃべりだす手法(昔のウッディの映画にもあった)なんかで、それを感じさせないあたりがウッディのうまさ。

ところがメロディを探して母・マリエッタがニューオリンズからやって来る。マリエッタはメロディとボリスを別れさせようと、若い俳優ランディ(ヘンリー・カヴィル)にメロディを口説くようけしかける。やがて、マリエッタと離婚した父・ジョンもアパートにやってきて……と、原題「Whatever Works」は字幕で「なんでもアリ」と訳されていたけど、なんでもアリの展開。そして、いかにも性解放の時代だった70年代の脚本らしく、なんでもアリの結末へとなだれこんでゆく。

僕にとっては、ニューヨークに滞在していたとき週1、2度は行ったヴィレッジとチャイナ・タウンが映しだされるのが楽しかった。ボリスと仲間はいつもイースト・ヴィレッジのモロッコ・レストランにたむろしているが、このあたりは洒落たエスニック・レストランがたくさんあって、よくランチを食べに行った。ボリスたちが日本映画を見にいく「シネマ・ヴィレッジ」はミニシアター系の映画館で、何度か入ったことがある。確かここでジョニー・トーの『マッド・ディテクティブ』を見たんじゃなかったかな。

チャイナ・タウンでは「徳昌」のネオンが映る。もともと肉屋だけど、魚や野菜、できあいの惣菜まで売っているスーパー。安くてうまいから、いつも人であふれている。ボリスと同じように僕も毎週、買い物に通った。そんなふうに自分が知っている場所が映ると、それだけで他愛もなく嬉しくなってしまう。バカだねえ。ニューヨークが舞台の映画と聞くと、つい見にいってしまうわけだ。

ところで、マリエッタと両親がニューオリンズ出身、しかも両親は敬虔なクリスチャンというあたりが、この映画のミソ。ニューヨーカーと保守的な南部人の価値観の差が笑いの元になっている。しかも最後は南部人が「なんでもアリ」のニューヨークの価値観に染まってしまう結末で、要するにこの映画、人生万歳というよりニューヨーク賛歌なんですね。

それにしてもマリエッタがボリスのためにつくったクレオール料理、ザリガニのガンボ(ブイヤベースみたいなスープ)はうまそうだったなあ。ザリガニのガンボはさすがにニューヨークでは経験できず、ニューオリンズでしか食べられなかった。あのどろっとした、こってりスープの味が忘れられない。


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December 15, 2010

『白いリボン』 静かなる不穏

White_ribbon

『白いリボン(原題:DAS WEISSE BAND)』はモノクロームの映画だった。今の映画はほとんどがカラーだから、モノクロームの映画には、白黒の画面にこだわる作り手の意志が込められていることが多い。最近ではジョルジョ・シムノンの小説を映画化した『倫敦から来た男』が、港町と終着駅を舞台にシムノンのアンニュイな世界を再現していた。

『白いリボン』のミヒャエル・ハネケ監督は、舞台となる1910年代の北ドイツの農村と農民たちを再現するために当時のモノクローム写真を参考にし、それらのイメージへの親近感からモノクロで撮ることに決めたと語っている(wikipedia)。僕もこの映画を見ていて、ふたりのドイツ人写真家のモノクローム作品を思い出していた。

ひとりはアウグスト・ザンダー。ドイツ現代写真の源流といわれるザンダーは20世紀初頭、ドイツのさまざまな職業の人々のポートレートを撮った写真家だ。普段着の白シャツと黒っぽい上着を無造作に着て、農機具の傍らにたたずむ農夫がいる。黒いドレス、黒いストールで全身を包んだ、農家の老女がいる。粗末なチェックのワンピースを着て、枯れ草をかかえた若い娘がいる。

この映画の登場人物の、白いシャツやブラウス、黒い上着やスカートといったシンプルな服装は、ザンダーの写真と同じテイストのものだ。またドアを開けると子どもたちが無表情に立っているショットが2度ほど出てくるけれど、その構図や、冒頭近く、村道を子どもらが横一列に並んで去っていく、これから起こることを予感させる美しくも不穏なショットなども、ザンダーの写真に漂う空気を思い起こさせた。

もうひとり(二人)は、現代の写真家・ベッヒャー夫妻。ベッヒャー夫妻は、給水塔やガスタンクといった産業建築物を同じアングル、同じ構図で多数撮影し、同一構図、同一種類の建築写真を並べるという「タイポロジー」の方法で有名な写真家だ。ベッヒャー夫妻の写真ではカメラは必ず建築物に正対して置かれるから、建物の正面だけが写り、立体感を感じさせない。また建物に影が出ないようフラットな光で撮影しているから、そのことも立体感を感じさせない理由になっている。

この映画でも、村の教会、男爵家の邸宅や納屋など、建物がしばしば正面から撮影されている。そんなベッヒャー夫妻の写真にも似た、建築物が立体感を持たず平面に見える画面づくりが、静的で不気味な空気を醸し出している。

ドイツ現代写真への視線を感じさせながら、この映画のモノクロームで映しだされる北ドイツの農村風景はあまりに美しい。広々した畑で鎌をふるいながら働く農民の遠景。陽光にきらめく並木道。雪に覆われた真っ白な世界。レンガ造りの質素な家々が並ぶ村。また夜の屋内シーンでは、実際に蝋燭やランプの光だけで撮影されたショットも多いそうで、ぼおっと明るい周囲では黒々とした闇が画面を支配している。

そんな美しい風景のなかで、小さな事件が次々に起こる。馬に乗ったドクターが、木と木の間に張られた針金に足を取られて大怪我をする。農民の妻が事故死する。村の大地主である男爵家のキャベツ畑が荒らされる。男爵家の納屋が火事になる。男爵の小さな息子が行方不明になり、折檻された姿で発見される。助産婦の息子も暴行され失明する。

静かな村のなかで、徐々に嫉妬と怒りと憎しみがむき出されてくる。ただし直接の暴力描写はいっさいない。物語の語り手は男爵に雇われた学校教師だが、教師は自分が教えている子どもたちの挙動に不審を抱く。けれど証拠はない。

子どもたちの中心にいるのは牧師の娘と息子。牧師の家は厳格で、子どもたちが小さな罪を犯しただけで鞭打ちの罰が与えられる。さらに、罪を犯した娘と息子は、罰として無垢を思い出させるため白いリボンをつけさせられる。その白いリボンや鞭打ちのシーン(ドア越しにしか描写されない)、牧師の飼う小鳥が惨殺されるショットなどで、次々に起こる事件がなんらかの「罪」に対する「罰」らしいことが暗示される。

ドクターの不倫や、娘への近親相姦の「罪」。ドクターと関係する助産婦の「罪」。村を支配する男爵家の「罪」。さまざまな「罪」が明らかになってゆく。

正直言って、この映画の背景にあるプロテスタントの倫理についてはよく分からない。いいかげんな無宗教、あるいはごく広い意味での仏教徒としての目で見ると、プロテスタントには、その倫理が先鋭化(原理主義化)するとき、この映画のように無垢や正義を求めた果てに暴力が噴出してくる逆説が起こりうる、ねじれた不自然さを感じてしまう。いま最も力のあるプロテスタント国家であるアメリカ合衆国を見ても、国の内外でのふるまいに似たような傾きを感ずる。

もっとも、この映画を必ずしもそんな宗教的な問題に帰する必要もないかもしれない。閉ざされた共同体に起こる人間関係の歪みと考えれば、これはいつの時代、世界中どこででも起こりうる話だ。閉鎖空間に高まる圧力に、いちばん敏感に反応するのが子どもたちであることも同じだろう。

それにしても、『白いリボン』のモノクロームの画面に漂う不穏な空気はただごとでない。映画の最後で、サラエボでオーストリアの皇太子が暗殺されたニュースが村に伝わり、第一次世界大戦が勃発する直前の出来事だったことがはっきりする。戦争に向かう緊張をはらんだ時代の空気は、北ドイツのこの小さな村にまで及んでいただろう。とすれば、この不穏こそ「戦前の空気」というものかもしれない。

いま、僕たちが暮らす共同体でも、じわじわとこの映画の空気に似た圧力が高まっているのを感じる。その意味で、『白いリボン』はきわめて今日的な映画でもあった。


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December 07, 2010

『マチェーテ』 豪華B級映画

Machete

『マチェーテ(原題:Machete)』(ロバート・ロドリゲス監督)は、2007年の映画『グラインドハウス(原題:Grindhouse)』のエセ予告編(本編のない予告編のみ)から発展して、本編としてつくられてしまったB級(もどき)映画だ。

「グラインドハウス」とは1960~70年代のアメリカで、B級映画2~3本立てで上映されていた映画館のこと。映画『グラインドハウス』は、「グラインドハウス」で育ったクエンティン・タランティーノがその劇場の雰囲気を再現しようとつくったもので、「マチェーテ」「ナチ親衛隊の狼女」「ドント」「感謝祭」という4本の予告編と、『プラネット・テラー』(ロバート・ロドリゲス監督)、『デス・プルーフ』(クエンティン・タランティーノ監督)の2本の本編で構成されている。

ただ日本で『グラインドハウス』として予告編4本と本編2本が一緒に上映されたのは1週間だけで、その後、『プラネット・テラー』と『デス・プルーフ』はそれぞれ独立した映画として公開された。僕も残念ながら『グラインドハウス』としては見ていない。

「グラインドハウス」というのはもともと、ボードビルや腰をくらねせるグラインドダンス、ストリップなんかを上演する劇場をこう呼んでいたらしい(wikipedia)。1930年代から、ニューヨークのタイムズ・スクエアやロスのハリウッド・ブルヴァードといった歓楽街に集中していたという。ところが1960年代に入るとケーブルTVが普及したせいで、これらの劇場は閉鎖を余儀なくされ、代わりにポルノやホラー、カンフーといった低予算のB級映画が上映されるようになった。

そのため60~70年代には、「グラインドハウス」向けの低予算映画がたくさんつくられるようになった。いちばん知られているのはロジャー・コーマンのプロダクションで、『ラスト・ショー』の監督、ピーター・ボグダノヴィッチはじめ、何人かの監督はここから出てきた。クエンティン・タランティーノが少年のころ「グラインドハウス」に入り浸っていたのも有名な話だ。

映画の全盛時代、僕はタランティーノやロドリゲスより上の世代だけど、毎週、東映チャンバラを見たくて映画館に入り浸っていたのと同じで、安普請の劇場、チープなポスター、小便くさい館内、次週のお色気映画のポスターに胸騒ぎ、満員の館内にあふれる熱気なんかは日米共通だったろう。

『マチェーテ』はそんないきさつでつくられただけに、B級映画の匂いがふんぷんとしてる。クレジット・タイトルではわざとフィルムに傷をつけ、ぼつぼつというノイズまでつくって、いかにも使い回したフィルムといった感じを出している。最後には続編「殺しのマチェーテ」の予告もある。

設定もストーリーも、B級映画ふう。元メキシコの連邦捜査官だったが首になり、テキサスに密入国しているマチェーテ(ダニー・トレホ)が、不法移民嫌いの議員(ロバート・デ・ニーロ)の暗殺を依頼される。ところがそれが罠で……と、定石どおりの展開。メキシコの麻薬王(スティーブン・セガール)、革命派の女闘士(ミシェル・ロドリゲス)、自警団の団長(ドン・ジョンソン)、移民局の捜査官(ジェシカ・アルバ)といった面々が絡む。

いかにもチープな映画の主役といった怪異な風貌のトレホに、デ・ニーロはじめ豪華な役者や美女を配したのが「豪華B級」たる所以。マチェーテ(大刀)使いの主人公が銃を持った敵役をばったばったと切りまくり、首や腕がすぽんすぽん飛ぶ。もっとも残酷描写ではなく、コミックを見ている感じ。金髪美女の裸のシーンが必然性もなく挿入される。「人間の腸は身長の10倍以上ある」といったセリフの後に、露出した腸を使って脱出するシーンなんかもあり、笑ってしまう。

「グラインドハウス」にオマージュを捧げながら、お楽しみがたっぷりつまっている映画。もっとも、今やそういう映画に夢中になったウブな映画少年から遠く隔たり、こっちもスレている。マチェーテがあまりに強すぎるものだから、ばったばったのシーンが続いても次第にハラハラしなくなる。最後の大立ち回りではちょっと退屈してしまった。やはりアクションの爽快さはハラハラドキドキあってのもの、だね。


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December 04, 2010

安田南 キュートな歌と笑顔

Sunny

年長の友人・Mさんと飲んでいて、懐かしい名前を聞いた。「やすだみなみ、CD買ったらやっぱりいいんだよ~」。Mさんとは30年以上昔、週刊誌で一緒に芸能ページをつくっていたことがある。Mさんはどちらかというと古いジャズ好き、僕は小生意気に前衛ジャズと好みは違ったけれど、その後のこちらの好みの変化を考えると、Mさんから受けた影響はけっこう大きかったかもしれない。

そのころ、というのは1970年代だけど、安田南は知る人ぞ知るジャズ・シンガーだった。当時人気があったのは笠井紀美子で、安田南はどちらかといえばマイナーな存在。ジャズを歌うだけでなく、黒テントで芝居をやったり、ラジオのDJをやったりもしていた。ライブを聞いたことはないけれど、映像(確か藤田敏八『赤い鳥逃げた?』の主題歌を歌ってたはず)やラジオで接する彼女の歌はふわふわと奇妙な存在感があり、Mさんと「みなみ、いいよね~」なんて話をしたことを覚えている。

何十年ぶりかで、彼女の70年代のアルバム「SOUTH」と「SUNNY」を聴いた。僕の記憶のなかで、安田南は個性的だけどどちらかというと下手くそな歌い手、という思い込みがあったけど、とんでもない、これが実にいいんですね。山本剛トリオ(+大友義雄)のスインギーな演奏に乗せて、みなみは実に楽しげに歌っている。

ときどき音程がはずれたりはする。アドリブも無手勝流だし、英語もお世辞にも上手とは言えない。でもそれもこれも含めて、うまい。なにより歌に彼女のエモーションが、もっと言えば魂が乗っているからだと思う。そんな若い安田南が今も目の前で歌っているような生々しさが素敵だ。

みなみを今聞いて気がつくのは、ヘレン・メリルら白人ジャズ・シンガーをモデルに阿川泰子あたりから始まったんだろうか、「スタンダードを都会的な雰囲気で聞かせる大人の歌手」といった日本のジャズ・シンガーの「型」に、みなみがまったく捕らわれていないことだ。自由奔放なアドリブとリズム感。それが逆に新鮮に聞こえる。

僕は一度だけ、みなみに会ったことがある。1971年か72年、雑誌の新米編集者をしていた時代だった。当時、時代を切り裂く鋭い写真を撮っていた写真家のNさんと有楽町の喫茶店で話をしていたら、小柄な女性が入ってきて、黙ってNさんの隣に座った。僕より4、5歳年上の彼女は笑顔で、「やすだみなみです」と自己紹介した。そのときはまだジャズを歌っているとは知らず、黒テントの劇団員だと紹介されたように記憶する。

ふらりと現れた彼女は、しばらく雑談をして(何を話したか覚えていない。論客だったNさんの話を言葉少なに聞いていたように思う)、Nさんとともにまたふらりと去っていった。後で、みなみは当時のNさんのガールフレンドだったと聞いた。

その後、みなみの歌を聞くたびに、あのときのキュートな笑顔を思い出す。久しぶりに彼女のCDを聞いて、すっかり忘れていたみなみの笑顔が、生き生きした歌とともに蘇ってきた。みなみ、元気にしてるかな。

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December 02, 2010

『わたしの可愛い人 シェリ』 ミシェル・ファイファー讃

Cheri_ver2

僕にとって、この映画を見る楽しみはふたつあった。ひとつはファンであるミシェル・ファイファーに会えること。もうひとつ、20世紀初頭のベル・エポックのパリを再現した、アール・ヌーヴォーの建築や家具の数々を楽しむこと。

ファンなどと言いながら、考えてみるとミシェル・ファイファーを見るのは久しぶりだ。この10年ほど作品が少ないこともあるけど、最後に見たのは『ホワット・ライズ・ビニース』(2000)になる。そのころの彼女の映画は、『ストーリー・オブ・ラブ』にしろ『素晴らしき日』にしろ子持ちの家庭の主婦といった役どころが多く、映画もラブコメふう、しかも出来がイマイチだったこともあって、なんとなし彼女の映画から遠ざかってしまった。そのうち、彼女は家庭を優先させたらしく映画に出なくなった。

僕にとって(いや彼女のファンなら誰でも)ミシェル・ファイファーといえば、1980年代から90年代にかけて、『危険な関係』『テキーラ・サンライズ』『恋のゆくえ』『恋のためらい』『エイジ・オブ・イノセンス』といった映画での美しさと脆さが同居しているガラス細工のような姿にほかならない。

18、19世紀を舞台にした『危険な関係』『エイジ・オブ・イノセンス』の匂うような美女ぶりもよかったし、『恋のゆくえ』や『恋のためらい』でジェフ・ブリッジスやアル・パチーノを相手に、自立したワーキング・ウーマンが恋に揺れ動く姿も素敵だった。なかでも『恋のゆくえ』は何度見ても(家族に馬鹿にされながら5、6回は見ている)、歌のうまさも含めその美しさにため息が出る。

『わたしの可愛いひと シェリ(原題:Sheri)』は20世紀初めのパリを舞台にした「時代もの」で、『危険な関係』や『エイジ・オブ・イノセンス』の系列に属する。この映画も『危険な関係』も監督は同じスティーブン・フリアーズだから、フランス小説の映画化という共通点からも、映画の雰囲気は『危険な関係』の続編みたいな感じ。そして、50歳を超えたミシェル・ファイファーは変わらずに美しかった。1988年製作の『危険な関係』から20年以上たっているのに、友人のayaさんがコメントしてくれたように「透明感ある現役美女」でしたね。

『危険な関係』も『エイジ・オブ・イノセンス』も上流社交界の愛のゲームに翻弄される役どころ。今回は20歳も年下の男シェリ(ルパート・フレンド)を庇護する高級娼婦役ながら、気がつけばシェリにのめりこんでいるあたりは一貫したキャラクターというか、それこそがミシェル・ファイファーの持ち味なんだろうな。その姿も、演ずる役の精神も、切ないのです。

もうひとつの見どころアール・ヌーヴォーは、こちらもため息もの。ココットと呼ばれ貴族や国王クラスを相手にする高級娼婦レア(ミシェル・ファイファー)が住む邸宅は、当時の新興富裕層が住んだ16区のメザラ邸でロケされている。アール・ヌーヴォーの建築家、エクトール・ギマールの設計。もうひとりのココットで、シェリの母であるマダム・プルー(キャシー・ベイツ)が住む広大な館は、パリ郊外のシャトーで撮影されている。

ガラス張りの温室には南の植物が生い茂り、ココットたちが優雅にお茶している。どちらの邸宅も内装は優美な曲線のアール・ヌーヴォーで、家具なども骨董商から集めたらしい。家も庭も家具も、すべて本物で撮影されているのがすごい。ほかにもレストラン、マキシム・ド・パリや避寒地ビアリッツのホテル・ド・パレでもロケされている。

ミシェル・ファイファーとアール・ヌーヴォーに見とれるだけでも十分だけど、中年にさしかかったココットの揺らぎと意地を繊細に描いて、これも久しぶりに見たスティーブン・フリアーズ監督の職人芸の冴えを楽しんだ。もっとも、フランスの作家・コレットの原作を基にフランスで撮影しているけれどスタッフやキャストは英米組だし、全編英語だから、フランス人が見ればなにやら変な映画なのかもしれない。それを言い出すとややこしくなるけど、ミシェル・ファイファーのファンとしては、硬いことは言いっこなしということで。


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December 01, 2010

山田稔浸り3 『ヴォワ・アナール』

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僕が山田稔を知ったのは小説家としてで、『コーマルタン界隈』が最初だった。でも彼はそれ以前にエッセイ集『スカトロジア』と『ヴォワ・アナール』を出している。山田は富士正晴が主宰していた雑誌『ヴァイキング』の同人で、この二冊はともにこの雑誌に発表したエッセーをまとめたものだ。なにやら怪しげなタイトルがついている。

山田稔をつづけて読んだのをきっかけに、こちらも読んでみようと思い、『スカトロジア』は編集工房ノアから出た復刻版を、『ヴォワ・アナール』(朝日新聞社)は「日本の古本屋」のサイトで探して買い求めた(僕はアマゾンをほとんど利用しないけど、「日本の古本屋」サイトはひんぱんに使っている。北海道から沖縄までの古書店から目当ての本を探して購入できるのがありがたい)。

「糞尿譚」とサブタイトルのついた『スカトロジア』は、ヨーロッパの文学を中心に糞尿について書かれた作品と作家を扱ったエッセー。この段階で山田稔への世間の認識は、ヘンなところに眼をつけ、ユーモラスな文章を書く仏文学者(当時は京都大学人文科学研究所に在籍)といったところだろうか。現在の眼で読めば、糞尿への偏愛もユーモアもとりたてて目を引くわけでなく、正直言ってさほど面白いものではなかった。

一方『ヴォワ・アナール』は、あちこちに書いたエッセーをテーマごとにまとめたもの。僕にはこちらのほうが面白く読めた。

タイトルになっている「ヴォア・アナール」は、フランスに滞在していた山田稔が便秘に悩まされ、薬局を訪れて美人の薬剤師を相手に四苦八苦する話。

最初、山田は女性薬剤師に症状をどう説明したものか困惑するが、次第に落ち着きを取り戻してくる。やがて相手を観察する余裕を取り戻し、薬を取り出した彼女が「ヴォア・アナール」(肛門経由、座薬)と言ったのを意味が分からないふりをして、「これを飲めばいいんですね」とからかう。ブロンドの薬剤師は「メ・ノン、メ・ノン!(いいえ、いいえ)」とうろたえて、「じゃ、男のひと(ムッシウ)にたずねなさい。いいわね、男のひとにですよ」と答える。

そんなパリ滞在のひとコマがスケッチされている。テーマは『スカトロジア』の番外編であり、日常のちいさな出来事を静かに観察し、そこはかとないユーモアをかもしだす語り口は『コーマルタン界隈』にも通じている。

それ以上に興味深かったのは、「高橋和巳追悼」と題された四本のエッセーだった。山田稔が作家の高橋和巳と京大の同期で、ともに『ヴァイキング』の同人だったことは知っていたけれど、それ以上、二人の関係が具体的にどんなだったかは知らなかった。ある時期は、二人で深夜まで飲み、泥酔して互いの家に泊まりこむ間柄だったらしい。ここでは高橋和巳の死後、そんな二人のつきあいが回想され、同時に高橋和巳の小説をきちんと位置づけようとする姿勢(かなり辛らつな批判も含んで)が、山田稔の立ち位置と覚悟を感じさせる。

こんな言葉が散見される。
「真に憂鬱というよりもむしろ<憂鬱>という観念を偏愛する愛すべき文学青年」
「老成した面と同時に……気が弱く、人なつっこく、また茶目気にも富んだ無邪気」
「重く生き、重く書いた高橋和巳」
「漢語の調子に乗ってしまう彼の文体の欠点、『張扇』性」
「漢文調の美文、身振りの大きな雄弁スタイル」

僕も20代のとき高橋和巳の小説を愛読した一時期があるから、こういう指摘にはいちいちうなづける。そして「重い」「雄弁」「身振りの大きな」「美文」といった言葉が指し示す場所は、山田稔の小説世界のいわば「対称」の位置にある。小説家は自分の質に従い、その声に導かれて書くしかないけれど、山田稔がエッセイストから小説家に転生する過程で、同級生であり、人気作家だった高橋和巳の小説とは座標軸上の対称の場所を目指したことは確かだろう。その見事な結晶が『コーマルタン界隈』だった。


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