山田稔浸り2 『コーマルタン界隈』
山田稔を最初に読んだのは『コーマルタン界隈』だったと思う。現在はみすず書房から出版されているようだが、僕が読んだのは1981年に出た河出書房新社版で、カバー挿画は野見山暁治だった。一読して山田稔の静謐な小説世界に参り、以後、折に触れて三、四回読み返している。
最後に読んだのは五、六年前だったろうか。三十数年勤めた会社の定年を数年後に控え、会社を辞めたら一年ほど外国で一人暮らししてみようか、などと考えているときだった。そんな夢想に近い思いを現実のものにするのに背中を押してくれたのが、この『コーマルタン界隈』と、年若い写真家・エッセイストである星野博美の『ころがる香港に苔は生えない』の二冊。
『コーマルタン界隈』では、一人暮らしの孤独(と裏腹の愉しさ)に共感し、『ころがる香港に苔は生えない』では、ずっと組織に所属していたためにすっかり忘れてしまった、わが身ひとつの自由の感覚にしびれた。そんな気持ちを自分でも味わってみたいと自分をふるい立たせて、アパートやビザの手配といった面倒な手続きをやりおおせた。だからこの二冊には、単に好きな本というだけでなく、自分の生き方に影響を与えてくれたものとして恩義を感じている。
今回読みたくなったのは、二カ月ほどオフィスに通わなければならなくなって会社勤めの記憶が蘇り、塞がれた気分を無意識になんとかしたいと思ったからだろうか。
『コーマルタン界隈』は、著者がパリ大学で日本語を教えていた一年間、住んでいたコーマルタン通りのアパートとその界隈で出会った人々の記憶を記したものだ。といって、なにかが起こるわけではない。むしろ、なにも起こらないと言うほうがいいかもしれない。現実にはなにも起こらないけれど、山田稔の心のなかでさまざまなドラマが生まれている。それがこの小説のテーマになっている。
たとえば「その男」と題された一編は、毎日、朝早く出かける隣室の男が立てる物音や足音から、どんな男かを想像する話。実際に起こっていることといえば、主人公が毎朝、隣室の男の物音で目を覚まされ、そのこと苛立っているという事実だけだ。
ベッドの中で主人公は、かすかな物音からいま男が何をしているのかを想像し、さらには「彼は最近パリに住むようになったアラブ人労働者ではなかろうか」と思う。彼の仕事は「ごみ集め、道路清掃、雑役」かと想像はふくらんでいく。
「そのうちに私はその時刻が近づくと、物音より先に目が醒めるようになった。いや、私は物音にならぬ物音、微かな気配を聞きとっていたのかもしれない。目醒めと同時に私は暗闇のなかで聴覚を扉の外に集中してじっと待つ。その見知らぬ男の朝の日課ともいうべき動作のひとつひとつが、私にはすでに手に取るようにわかっていた。……何日かすると私の耳は、静まりかえった早朝の空気を伝わってくる便所の中での息づかいまで聞きとることができるようになった」
外国で一人暮らしする人間が時におちいる神経過敏、と言ってしまえばそれまでだけど、主人公はそこから病のほうに傾斜するのでなく、その孤独を愛し、楽しんでいる様子がうかがえる。
ほかに登場するのは、毎朝、買いにいくパン屋で「メルシー」の一言も言わない無愛想なおかみ、家賃を届けにいく映画館の老支配人、挨拶をするようになった街娼といった人たち。いずれも深い人間関係を結ぶことのない、いわば行きずりの人たちだ。彼らとの淡い交わりのなかで、山田稔は「物音にならぬ物音」「微かな気配」に耳を澄ませ、そのことによってコーマルタンの街の空気や匂いを僕たちに伝えてくる。
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