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November 29, 2010

わが家の紅葉

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わが家の庭は花も遅いけど、紅葉も遅い。ようやく赤くなってきたけど、今年の紅葉は去年に比べて鮮やかさに欠けるように思う。このかえでは新芽のとき赤く、夏には緑になって、晩秋になると再び赤くなる。

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どうだんつつじ。本当はもっと赤くなるのだが。

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名前の分からない外国産の木の紅葉。こちらの紅は深みがあって素晴らしい。

後記:買ったとき取っておいたタグが出てきて、名前が分かった。アロニア・アルブティフォリア。北米大陸のカナダからフロリダあたりまで自生する低木。春に白い花が咲き、秋に赤い実がなる。実はジャムにできるらしい。仲間に黒や紫の実がなるアロニアがある。

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ひと枝切って玄関に。

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November 23, 2010

山田稔浸り2 『コーマルタン界隈』

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山田稔を最初に読んだのは『コーマルタン界隈』だったと思う。現在はみすず書房から出版されているようだが、僕が読んだのは1981年に出た河出書房新社版で、カバー挿画は野見山暁治だった。一読して山田稔の静謐な小説世界に参り、以後、折に触れて三、四回読み返している。

最後に読んだのは五、六年前だったろうか。三十数年勤めた会社の定年を数年後に控え、会社を辞めたら一年ほど外国で一人暮らししてみようか、などと考えているときだった。そんな夢想に近い思いを現実のものにするのに背中を押してくれたのが、この『コーマルタン界隈』と、年若い写真家・エッセイストである星野博美の『ころがる香港に苔は生えない』の二冊。

『コーマルタン界隈』では、一人暮らしの孤独(と裏腹の愉しさ)に共感し、『ころがる香港に苔は生えない』では、ずっと組織に所属していたためにすっかり忘れてしまった、わが身ひとつの自由の感覚にしびれた。そんな気持ちを自分でも味わってみたいと自分をふるい立たせて、アパートやビザの手配といった面倒な手続きをやりおおせた。だからこの二冊には、単に好きな本というだけでなく、自分の生き方に影響を与えてくれたものとして恩義を感じている。

今回読みたくなったのは、二カ月ほどオフィスに通わなければならなくなって会社勤めの記憶が蘇り、塞がれた気分を無意識になんとかしたいと思ったからだろうか。

『コーマルタン界隈』は、著者がパリ大学で日本語を教えていた一年間、住んでいたコーマルタン通りのアパートとその界隈で出会った人々の記憶を記したものだ。といって、なにかが起こるわけではない。むしろ、なにも起こらないと言うほうがいいかもしれない。現実にはなにも起こらないけれど、山田稔の心のなかでさまざまなドラマが生まれている。それがこの小説のテーマになっている。

たとえば「その男」と題された一編は、毎日、朝早く出かける隣室の男が立てる物音や足音から、どんな男かを想像する話。実際に起こっていることといえば、主人公が毎朝、隣室の男の物音で目を覚まされ、そのこと苛立っているという事実だけだ。

ベッドの中で主人公は、かすかな物音からいま男が何をしているのかを想像し、さらには「彼は最近パリに住むようになったアラブ人労働者ではなかろうか」と思う。彼の仕事は「ごみ集め、道路清掃、雑役」かと想像はふくらんでいく。

「そのうちに私はその時刻が近づくと、物音より先に目が醒めるようになった。いや、私は物音にならぬ物音、微かな気配を聞きとっていたのかもしれない。目醒めと同時に私は暗闇のなかで聴覚を扉の外に集中してじっと待つ。その見知らぬ男の朝の日課ともいうべき動作のひとつひとつが、私にはすでに手に取るようにわかっていた。……何日かすると私の耳は、静まりかえった早朝の空気を伝わってくる便所の中での息づかいまで聞きとることができるようになった」

外国で一人暮らしする人間が時におちいる神経過敏、と言ってしまえばそれまでだけど、主人公はそこから病のほうに傾斜するのでなく、その孤独を愛し、楽しんでいる様子がうかがえる。

ほかに登場するのは、毎朝、買いにいくパン屋で「メルシー」の一言も言わない無愛想なおかみ、家賃を届けにいく映画館の老支配人、挨拶をするようになった街娼といった人たち。いずれも深い人間関係を結ぶことのない、いわば行きずりの人たちだ。彼らとの淡い交わりのなかで、山田稔は「物音にならぬ物音」「微かな気配」に耳を澄ませ、そのことによってコーマルタンの街の空気や匂いを僕たちに伝えてくる。

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November 21, 2010

加能作次郎の「乳の匂ひ」

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山田稔の『マビヨン通りの店』を読んでいたら、加能作次郎という小説家のことを書いたエッセイがあった。僕はこの作家のことをまったく知らなかったけれど、山田は加能の小説「乳の匂ひ」についてこう書いている。「なかでも『乳の匂ひ』は、こんな傑作がまだ残っていたのかと、発見者のしあわせを味わった」。

探してみると、講談社文芸文庫に入っている。書店に行く前にオフィスの書架を探したら現代日本文学全集(筑摩書房)があって、『加能作次郎 牧野信一 葛西善蔵 嘉村磯多集』があった。上の写真は文芸文庫で、標題が「乳の匂い」と新仮名になっているが、こっちは旧仮名。おまけに小さな活字の三段組で年寄りにはきついけど、電車の往き帰りに読んだ。

「乳の匂ひ」はひとことで言えば小説らしい小説、しかも美しい小説だった。加能の小説は私小説と言われるようだけど、「乳の匂ひ」も、著者が少年時代に丁稚として奉公した京都の薬屋での体験を書いている。

薬屋の主人は加能の伯父で、何人もの妾と養女を持っている。13歳の「私」は用事をいいつかって訪れた養女のひとり、「お信さん」と親しくなる。お信さんは恋人をつくって赤ん坊が生まれ、それを許さない伯父はお信さんを勘当している。

ある夜、お信さんは恋人と上海に出奔すると伯父に告げにやってくる。その帰り道、お信さんを送る途中で「私」は目にゴミが入り、目をあけていられなくなる。お信さんは「私」を人力車の待合所に連れていき、腰掛に座った「私」の膝の上にやにわにまたがる。

「あッと思う間もなく、一種ほのかな女の肌の香と共に、私は私の顔の上にお信さんの柔かい乳房を感じ、頻りに瞬きしている瞳の上に、乳首の押当てられるのを知つた。『穢(ばば)うても、一時(いっとき)辛抱おし』」

「かうして乳汁(ちち)の洗顔が行はれた。……私はその間只もう息もつまるやうな思ひで、固く口を食ひしばり、満身の力を両手にこめて腰掛けの板にしがみつき、一生懸命自分自身に抵抗していた。さうしなかつたら、私の口は何時お信さんの乳房に吸ひついたかも知れなかつたし、又私の両腕が、何時お信さんの腰にまきついたかも知れなかつた」

少年の恋と性の目覚め。男なら、この小説みたいに鮮烈なものでないにせよ、誰にでも大なり小なり覚えのあることだろう。丁稚をしている「私」の目から見た放蕩家の伯父や、お信さんはじめ女たちの姿が細やかに描かれている。京都弁の会話と、地の端正な文章との入り混じった文体が最初、違和感を感じさせるけど、読んでいるうちになじみ、やがてそれが快感に変わるころには、加能作次郎の世界にすっかり入りこんでいる。

昭和15年6月の作。世間が戦争に向かって雪崩れてゆくなかで、こんな小説を書いていたのか。加能作次郎という作家を教えてくれた山田稔に感謝。


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November 19, 2010

山田稔浸り・1 『マビヨン通りの店』

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来年1月刊行の写真集を編集していて、このひと月、映画も本もジャズもとんとご無沙汰だ。定期券を買ってオフィスと家をただただ往復する毎日。かろうじて往き帰りの電車での読書と、寝る前に数曲聴くスタン・ゲッツだけが楽しみになっている。

山田稔の新刊『マビヨン通りの店』(編集工房ノア)が出たと知って、近くの書店を探したけれど見つからない。この大阪の小出版社が出している本は、けっこう探すのがむずかしいのだ。いつも編集工房ノアの本を探すときは、六本木の青山ブックセンターに行くのだけれど、時間に追われてその余裕がない。

僕は編集者(情報である原稿を本というモノに仕立てる職人)なので、本を買うのは書店で手に取りモノとしての仕上がりを確かめてからと決めている。だから、めったにネット書店は使わないけれど、アマゾンを検索すると扱っている。小出版社の本、さすがに在庫はないみたいで、注文して4、5日かかったけれど、その間の待ち遠しかったこと。

届いた本のカバーは薄茶の地に野見山暁治のパリの絵をあしらった、地味で落ち着いた装丁。書店の平台で目立たせようという意図が少しも感じられないのが、この出版社の姿勢を示している。山田稔の代表作『コーマルタン界隈』のカバーも野見山の絵だったから、これもその系列の本なのだろうと見当をつける。

もっとも、著者がパリにいたときの話を素材にした「パリもの」は表題作の「マピヨン通りの店」だけで、大部分は著者が接したり気になったりしている作家や学者の記憶を綴ったエッセイ集。そのうちの何人かは、今では忘れられた存在になっている。故人も多い。そういう名前を掬い上げるのが、いかにも山田稔らしくもある。

冒頭の「富来」では戦前の小説家、加能作次郎を扱っている。僕はこの作家を知らなかった。尾崎一雄が加納のことを「すがれた老人」と書いていて、山田はその「すがれた」という言葉の記憶から加能を読み直し、彼の故郷である能登半島の富来へ出かけるまでを記したエッセイ。

「当時四十二歳の加能作次郎がインバネスを引きずるようにして出て行った姿が、『すがれた老人』として鮮やかに尾崎の胸に残る。私がおぼえていた『何か大切なこと』とは、このくだりだったのである。加能を読み返したくなった胸の奥底に、この『すがれた老人』の『すがれた』の一語がひそんでいたような気がした」

山田稔の文章を読んでいつも惹かれるのは、ささやかなもの、微細なものに対する感受性の鋭さだ。日常のなかで人が気づかずに通り過ぎてしまう些細な風景や心のありように彼は立ち止まる。それが「すがれた」とか「黄昏たようなほの暗さ」(「マビヨン通りの店」)といった表現に象徴されている。そして自分が存在することへの恥じらいの感覚。

山田稔の端正な文章を読むのは僕にとって知的作業というより、生理的な快感に近い。自分の中の似たような部分(山田稔ほど繊細じゃないけど)が揺さぶられるからだろう。だから山田稔を読むのは、スタン・ゲッツの音と同じように、仕事でささくれた神経へのマッサージなのだ。

「マビヨン通りの店」は、かつて著者がパリにいたころ足繁く通ったレストランの穴ぐらのような地下室に住んでいた椎名其二というアナーキストについて書いたもの。

「高い建物の谷間のような古い小路は、私の記憶のなかではいつも黄昏たようなほの暗さにつつまれている。そんなはずはない。私がそこに足を踏入れるのは、きまって真昼の時間であったのだから。それとも高い建物にさえぎられ、そこは終日陽がさすことがなかったのか。いや、やはりそのほの暗さは、私の記憶のあやうさなのか」

短い引用だけど、彼の文章を読むのが生理的快感だというのが分かっていただけるでしょうか。


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November 17, 2010

シュー・クルダールのシュー・クリーム

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最近は和菓子をよく食べるけれど、たまに食べるケーキ類も嫌いじゃない。聞くところによると、浦和はスイーツ業界の激戦地らしい。名のあるパティシエの店がけっこうあって、女性たちはあちらこちら食べ歩きをしているようだ。

僕が好きなのは、須原屋書店の裏、旧中山道から1本奥に入ったところにあるシュー・クルダール。20年前からやっている店で、おいしいケーキ屋として浦和にしっかり根づいている。

ケーキやクッキーのどれもおいしいけど、評判なのがシュー・クリーム。小ぶりで、ぱりっとした皮に、カスタード・クリームが程良い甘さ。よく駅前で安くて大きなジャンボ・シュークリームを売っていて、これはこれで悪くないけど、ここのシュー・クリームを食べると、やはり本物は違うなと思わせる。小ぶりなので、家族は「ここのはもうひとつ食べないと満足できない」と言うけれど、もうひとつ食べたくなるくらいで止めておくのが上品なんだよ、と悪態をつく。

皿は沖縄で買ってきたもの。いかにも沖縄らしい深い藍釉が好きで、普段使いしている。


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November 13, 2010

柿の収穫

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今年は久しぶりに柿がなった。

ここ数年、枝を切りすぎたこともあり、ほとんど実がならなかった。今年は去年の枝をそのまま残してみたら、かつてほどではないけれど、実がなった。今日は三分の一ほどを収穫。わが家の柿は小ぶりだけれど甘くて、近所にお裾分けするとけっこう評判がいい。隣のIさん宅の柿はわが家より豊作のようだから、交換して味くらべしてみよう。

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やたら丈だけ伸び、いつ咲くのかと思っていたら、やっと咲いた糸菊。

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November 06, 2010

『クロッシング』 高架地下鉄と「プロジェクト」

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『クロッシング(原題:Brooklyn's Finest)』の全編を貫いているキー・イメージがふたつある。

ひとつは、高架を走るブルックリンの地下鉄と、その高架下の道路。もうひとつは、茶色い煉瓦の無機質な高層アパートが立ち並ぶ、「プロジェクト」と呼ばれる低所得者向け市営住宅。映画のなかで、多くの犯罪が「プロジェクト」の中で起こり、高架下の道路で追跡劇や殺人がおこなわれる。登場人物が動き、話しているそばには高架の地下鉄が走り、列車の走る音が絶えず響いている。

映画の原題は「ブルックリンの警官」といった意味だろうけど、ブルックリンを舞台に設定するについて、このふたつのイメージを基本に据えたことは、ブルックリンに1年住んでいた僕にはなるほどな、と思えるものだった。

まず、ブルックリンには地下鉄が高架を走る地域が多い。もともとニューヨークの地下鉄は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、いくつかの民間会社が地下鉄や高架鉄道網を建設したことから始まっている。やがてニューヨーク市がそれらを買収して統一管理し、地下鉄網が整備されるにつれて、マンハッタンの高架は次々に撤去された。ところがマンハッタンに比べ都市化の遅れたブルックリンでは、あちこちに高架のままの地下鉄が残っている。

マンハッタンに近いブルックリンの西側にはあまりないけれど、コーニー・アイランド方面の南行き路線やJFK空港に行く東行き路線には高架がかなり残っている。この映画の舞台になるブラウンズヴィルはブルックリンの中央にあり、地下鉄3、4ラインが走るが、このあたりにもやはり高架が残っている。高架の地下鉄はクイーンズなどにもあるけれど、多分、ブルックリンがいちばん多い。高架の地下鉄は、「マンハッタンではないニューヨーク」を指し示すイメージなのだ。

もうひとつのキー・イメージである「プロジェクト」は、ブルックリンだけでなくニューヨーク全体の都市開発の暗部を象徴するような建物だ。マンハッタン中心部のオフィス空間と郊外の住宅地を高速道路網で結び、郊外の一軒家に住んで車でマンハッタンに通うという中流階級の生活スタイルをつくりあげたのは、ニューヨークの都市計画を独裁的に進めたロバート・モーゼズという男だったが、「プロジェクト」もまた彼の手になる。

1950年代、モーゼズはマンハッタンのスラムを一掃して国連ビルやリンカーン・センターをつくる一方、市内十数カ所に「プロジェクト」と呼ばれる高層の低所得者向け公共住宅を建設した。それらの建設のために地域のコミュニティは破壊され、その多くはアフリカ系や移民である低所得者層は「プロジェクト」に隔離されるか、中心部からより遠い地域へ(例えばこの映画の舞台であるブルックリン中央部へ、さらに東部へ)と追いやられた。マンハッタンにつくられた「プロジェクト」について、高祖岩三郎は「マンハッタン内で最も巨大で醜い集合住宅」と書いている。

「プロジェクト」はブルックリンにもいくつも建設された。僕が住んでいたのはマンハッタンに近い、白人地域とアフリカ系地域の境界に当たる場所だったけれど、アパートから5分ほど歩くと「ウォルター・ホイットマン・レジデンス」と何とも皮肉なネーミングの「プロジェクト」があった。

敷地に入ると茶煉瓦の暗い色彩の高層アパートが立ち並び、1階の窓には鉄格子がはめられている。緑は少なく、店などもないから、歩いている人も少なく、遊んでいる子どももいない。最初にここに散歩して迷いこんだときは「プロジェクト」だと知らなかったけれど、アメリカに来て間もないこともあり、夕暮れ時に何となし不安を感じたのを覚えている。実際、1980年代のニューヨークが荒れた時代には、周辺のコミュニティから切り離され、一戸一戸が孤立している「プロジェクト」はしばしば犯罪の温床になった。

『クロッシング』では、ブルックリン中央部のブラウンズヴィルの「ヴァン・ダイク・プロジェクト」(映画では「BKプロジェクト」)が舞台になっている。

ブルックリンのベッドフォード・スタイブサントはマンハッタンのハーレムより多数のアフリカ系が住むニューヨーク最大のアフリカ系地区だけれど、ブラウンズヴィルはその南に隣接する、やはりアフリカ系の町だ。ベッドフォード・スタイブサントからブラウンズヴィル一帯は、もとは白人労働者階級が住む町だったけれど、アフリカ系やカリブ海系移民が多くなって白人が郊外に出てゆき、1960年代には「有色人種居住区のゲットー」(高祖岩三郎)となった。

ブルックリンのアフリカ系居住区を舞台にした映画といえば、ブルックリン生まれのスパイク・リーの作品がすぐに思い浮かぶ。でも、それ以外にあまり記憶にない。この映画がブラウンズヴィルにロケできたのも、アントワン・フークア監督がアフリカ系だからこそだろう。僕はこのあたりに行ったことはないけれど、画面を見ていてもアフリカ系の町という印象で、僕の住んでいたダウンタウン周辺の白人、アフリカ系、アジア系、ヒスパニックが雑多に入り乱れる風景とはまた違うな、と思う。

そのふたつのキー・イメージが映画のそこここに散りばめられて、ブルックリンの土地の空気を伝えている。

無気力警官として20年を過ごし、退職を1週間後に控えたエディ(リチャード・ギア)。家族のために家を買い替えたいと願う麻薬捜査官のサル(イーサン・ホーク)。潜入捜査している相手のボス(ウェズリー・スナイプス)に助けられ、友情を感じはじめているタンゴ(ドン・チードル)。3人のブルックリンの警察官が、それぞれに自分の事件を追いかけるかたちで物語が進む。

3人は互いに顔を知らず、言葉を交わすこともないけれど、最後に偶然から同じ「プロジェクト」に引き寄せられる。そこへ至る道のりを描く語り口は正統派だけれど、とても濃い。3人それぞれの運命に納得させられた。

アフリカ系娼婦に惚れている独身のエディは、「退職したら一緒にコネチカットに行こう」と彼女を誘い、エディを客としか考えていない彼女が困惑の表情を浮かべ、リチャード・ギアがそれに気づかずなお口説きつづけるショットが泣かせる。麻薬捜査の現場で現金をポケットに入れようとするサルが仲間の警官に見とがめられたときの、イーサン・ホークの凍りついた表情が記憶に残る。潜入捜査のストレスに押しつぶされそうなタンゴが、友情を感じているボスを囮捜査の罠にはめようとするときの、ドン・チードルの泣きそうな顔が素晴らしい。

アントワン・フークア監督の、警察ものの王道を行く作品。最近こういう映画が少なかったから、たっぷり楽しんだ。

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November 02, 2010

山下洋輔ニューヨーク・トリオを聴く

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山下洋輔(p)、セシル・マクビー(b)、フェローン・アクラフ(ds)の山下洋輔ニューヨーク・トリオは1988年に生まれた。最初のアルバム「クレッシェンド」(1988)から「プレイズ・ガーシュイン」(1989)あたりまでは、スタンダードを山下洋輔流に演奏する、その意外さが新鮮だった。特に「プレイズ・ガーシュイン」は今でも好きで、ときどき聴くことがある。

でも「クルディッシュ・ダンス」(1992)になると、全曲が山下のオリジナルになり、以後、NYトリオはスタンダードという側面(僕がそう思いこんでいただけかもしれないが)はだんだん薄くなっていく。日本での山下の活動が、トリオから他ジャンルのミュージシャンと演奏する「異種格闘技」へと重点を移していったことと関係あるかもしれない。いまでは山下トリオといえば、NYトリオがまず頭に浮かぶ。

CDではなじんでいたけれど、NYトリオをライブで聴くのは初めて(10月28日、晴海・第一生命ホール)。ジャケットで見ていたより、セシル・マクビーはずいぶん年を取っていた。

今回のライブもアンコール以外、全曲が山下のオリジナル。近く発売する新しいアルバムのために録音した曲が多いらしい。

「フライト・フォー・ツー」で、いきなり山下洋輔のいつもの世界が爆発。CDではセシルもフェローンもおとなしめのバッキングという印象があったけど、山下に合わせて激しい。「廃屋のアリア」という、ややメロディアスな曲もよかった。1stセットの最後は、おなじみの「クルディッシュ・ダンス」。この曲は異教的なメロディや弾むようなリズムが素晴らしい。

2ndセットでは金子飛鳥ストリングス(室内楽カルテットの編成)が加わる。金子飛鳥のヴァイオリンは、クラシックの優雅さと違って、力強く攻撃的な音。山下のピアノによく合う。

「ジャズ・ミュージシャンなら誰でも一度は『チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス』みたいにストリングスの調べに乗って弾いてみたいもんです」と言って演奏をはじめた「エレジー」は、山下には珍しい、でもやっぱり山下洋輔以外の誰でもないバラードだった。山下洋輔のバラードを聴いたのは初めてかもしれないな。たっぷり楽しんだ2時間でした。


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