『十三人の刺客』 現代性と様式と
オリジナル版『十三人の刺客』(工藤栄一監督)を見たのは高校一年のときだったと思う。小学校時代は毎週のように東映チャンバラを見に映画館に通い、中学時代は西部劇や007にはまり、高校に入ると若尾文子や座頭市の大映が好きになる一方、アートシアター少年にもなりかけていた。
東映チャンバラは卒業していたし(というよりジャンルとして終わっていた)、任侠・ヤクザものに入れ込むのは大学に入ってからだから、この時代に東映映画はあまり見てなかったはずだ。なぜこの映画を見に行ったかはよく思い出せないけど、当時、『暗殺』(篠田正浩監督)や『切腹』(小林正樹監督)といった新感覚のリアリズム時代劇が流行っていて、『十三人の刺客』もその影響下でつくられた一本だった。だから、昔よく見た東映の時代劇がどんなふうになっているのか、そんな興味だったのではないかな。
昔なじみの片岡千恵蔵や嵐寛寿郎が白塗りでなく素ッピンで出てくるのが、なんだかおかしかった。ラスト数十分、木曽路の宿場での大集団の殺陣はさすがに迫力があったけど、そこに至るまでのテンポがややかったるい。だから映画全体としての印象より、部分的にモノクロームの美しいショットが記憶に残っている。
宿場での対決。何も見えない濃い霧の中から五十数騎の騎馬武者が徐々に現れてくる長い長いショットなんか、見ていてなんとも興奮した。映画的興奮ってこういうものか、と思った。それを宿場で待ち受ける黒装束の刺客のショットもよかった。
その後、工藤栄一監督の映画を何本か見たけれど、やはりストーリーを語るのは得意でないようで、その代わり記憶に残るショットが必ず挿入されている(『その後の仁義なき戦い』だったか、新神戸駅のトンネルから新幹線の頭がぼっと姿を現すショットとか)。この人は物語でなく映像で勝負する人なんだと思った。
三池崇史監督版『十三人の刺客』は、映画全体としてはオリジナル版より楽しめた。
将軍の弟・明石藩主(稲垣吾郎)暗殺の密命を受けた島田新左衛門(役所広司)が13人の刺客を集めてゆくのは『七人の侍』と同じスタイル。黒澤映画ほど個性ある役者を揃えているわけではないけど、甥(山田孝之)や浪人者(伊原剛志)のエピソードをちりばめながらいいテンポで物語を進めてゆく。
オリジナル版にくらべて、いくつかの工夫もされている。
ひとつは、ヴィジュアルがスケール・アップされていること。『十三人の刺客』がヒットしたことで何本もつくられることになった1970年代の「集団時代劇」はもともと多人数が入り乱れた殺陣の迫力が売り物だったけど(これも大本は『七人の侍』)、オリジナル版で十三人対五十数人だった対決が、三池版では十三人対二百人以上に増えている。爆薬も登場するし、一行を阻むために宿場に組まれる柵も、三池版ではがらがらと移動式のものが登場する。要塞のように造りかえられた宿場もより大規模になって、1時間近いラストの長い殺陣を飽きさせない。
もっとも、よりスペクタキュラーになった分、十三人対二百人以上という数はどうにも非現実的で、十三人対五十数人のオリジナル版のリアルさは薄れたような気がする。
工夫のもうひとつは、役柄に関すること。暴虐な明石藩主はオリジナル版ではただのバカ殿だったけど、三池版では高貴な身分に生まれ太平の世に飽き飽きした若者の虚無ものぞかせる。稲垣吾郎を見直したな。もうひとつの役柄の工夫は、13人の刺客に侍だけでなく山の狩人・小弥太(伊勢谷友介)を加えたこと。山の民を入れることで、侍社会内部の抗争を外部の目から見る批判的な視点を確保している。
もっともそんな現代的な視点を入れたことで観念的なセリフが多くなり、説明が過ぎる印象はある(日本映画は総じてセリフでの説明が過剰。でも、たまたま昨日DVDで見た『座頭市喧嘩凧』は片をつけに向かう座頭市の思いをほとんど映像だけで表現する寡黙な映画だった。池広一夫監督の見事な職人技)。
もうひとつ気になったのは、最後に時代劇の型に沿った一対一の対決が用意されていたこと。オリジナル版でも新左衛門役の片岡千恵蔵と、新左衛門の同門で明石藩主を守る内田良平との対決シーンがあったけど、集団での殺陣の流れのなかであっさり処理されていた。それに比べると三池版では、集団の殺陣が終わった後に一対一の対決が最後の見せ場として設けられている。
相手役に市村正親をもってきたことへの配慮かもしれないし、稲垣悟郎に「一対一とは風流じゃのう」と言わせて照れているけれど、オリジナル版より時代劇の様式にのっとって処理されている。その分リアルさが薄れ、ラストで伊勢谷友介の「俺は山に戻る」というセリフが生きてこないような気がする。
とまあ、いろいろ突っ込みどころはあるけれど、久しぶりの時代劇を面白く見ましたよ。三池崇史監督の映画はカルト時代のを数本見てるだけで、商業的なエンタテインメントははじめて。暴力的な迫力は昔のままだし、長時間を飽きさせない。一時期の深作欣二みたいな存在として、これからもどんどんつくってほしいな。
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