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October 14, 2010

『ブロンド少女は過激に美しく』 サイレントの作法

Singularidadesdeumaraparigaloura

マノエル・デ・オリヴェイラ監督は『ブロンド少女は過激に美しく(原題:Singularidades De Uma Rapariga Loura)』撮影中に満100歳になった。現役の映画監督としては間違いなく世界最高齢だろう。

20世紀初頭に生まれ、サイレント映画でデビューした監督の新作が恋の物語、一目惚れの話というのがすごい。もっとも1世紀にわたって人生のあらゆる苦楽をながめてきた監督のことだから、単純な恋の話ではない。映画のなかでポルトガルの国民詩人ペソアの詩が朗読される場面があるけれど、そこで詠まれるように、

世界の不幸は 善意であれ悪意であれ 他人を思うことから生じる
魂と天と地 それだけで充分だ
それ以上を望めば 魂や天や地を失い 不幸になる

これは「それ以上を望んだ」ことで魂を失った男の話。100歳の監督のみずみずしい映像と、ゆったりと大河が流れるようなリズムが素敵だ。

冒頭、タイトルバックに流れるのは、リスボンから南へ向かう列車内の風景。車掌が検札に回るのを固定カメラが追う長いワンショットで、それが徐々に一組の男女にフォーカスされてゆく。偶然に隣り合わせた男女。男は「妻にも友にも言えないことは見知らぬ人に話すのがいいと言うでしょう」とつぶやきながら女に身の上話を始める。

窓の外はオリーブ畑が続くだけで、ほかに何もない。僕は30年前に同じ線の列車に乗ったことがあるけれど、そのころとちっとも変わらない。かつての世界帝国が、今は静まりかえっているように見える。

会計士である男、マカリオ(リカルド・トレバ)のモノローグで話が始まる。マカリオはリスボンで高級洋品店を営む叔父の店に職を得た。初日、通りをはさんだ向かいの窓で見かけたのは丸い扇を手にしたブロンド少女・ルイザ(カタリナ・ヴァレンシュタイン)。けだるく外をながめる彼女に、マカリオは一目で魅せられる。

リスボンの繁華街は煉瓦づくりの古い町並みが続いている。窓はそんな一角の二階で、白いカーテンがかすかに風に揺れている。ブロンド少女が手に持つ扇には中国ふうの絵が描かれ、彼女が扇を動かすと上部につけられたふわふわした毛もなまめかしく揺れる。鐘の音が響いて時刻を伝える。そんなブロンド少女のいる窓を、窓と同じ高さの視点で正面から捉えたショットが2度、3度と繰り返される。そのゆったりしたリズムが快い。

そこから話は思わぬ方向に展開してゆくのだが(映画の終わり、ルイザの最後のショットは上のポスターにあるとおりで、少女のあられのなさがなんともエロチック)、その淡々としたリズムに身をゆだねながら唐突に、オリヴェイラ監督の作法は今もサイレントなんじゃないかと思った。

監督は1929年に『ドウロ河』というサイレントの短編ドキュメンタリーでデビューしている。もちろんそれは見ていないけれど、カメラを対象の正面に据え、じっと見つめる長めのショットや、モンタージュを極力使わない編集、バックに音楽を使わないこと(劇中、ハープでドビュッシーを弾くシーンはあるが)など、サイレント映画の文法に近いんじゃないだろうか。

19世紀末に生まれた映画は、20世紀前半に大ざっぱに二つの変革を経て現在の映画になった。ひとつは、エイゼンシュテインらの手によってモンタージュの技法が飛躍的に発展し、異なる映像を組み合わせることで見る者にある意味や感情を喚起させられるようになったこと。

もうひとつは、トーキーによって映像に音や音楽を同期させられるようになったこと。ハリウッドのディズニー映画やミュージカルが典型だけど、映像に音楽や声がズレなく合わされることによって、ある映像が持つ意味や感情を一層分かりやすく伝え、複雑な物語を語ることができるようになった。そんな過程をへて映画は大衆的なエンタテインメントになった。

僕はオリヴェイラ監督の他の映画は『アブラハム渓谷』を見ただけだから、断定的なことを言うのははばかられる。でも『ブロンド少女は過激に美しく』の「反モンタージュ」「反音楽」の姿勢は、エイゼンシュテイン→ハリウッドとつながる20世紀の映画のメイン・ストリームに意図的に背を向けているようにも感じられる。

そういえばヨーロッパの映画には、オリヴェイラと同じ匂いを醸しだす監督が何人かいる。たとえばスペインのヴィクトル・エリセであり、イギリスのケン・ローチであり、ベルギーのダルデンヌ兄弟であり、オーストリアのミヒャエル・ハネケであり……。彼らの映画は、エイゼンシュテイン→ハリウッドとは別系統で発展したサイレント映画の系譜を脈々と伝えているのかも、などと思ってしまった。

オリヴェイラたちの系譜の源流には記録映像を初めて劇場にかけたリュミエール、エイゼンシュテイン→ハリウッド系列の源流には初めて「劇映画」をつくったメリエスと、映画草創期の2人の巨匠を据えてもいいのかもしれない。

もしそんな想定が多少の説得力を持つとすれば、サイレントのドキュメンタリーでデビューし今年102歳になるオリヴェイラ監督は、そんな系譜の生き証人ということになる。監督は今年も新作『アンジェリカ』を撮り、来年には日本でも公開されることになっている。目を離せない。

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Tracked on October 14, 2010 04:41 PM

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