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October 26, 2010

アンドリュー・ワイエス展

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ニューヨークのMoMA(NY近代美術館)には現代アメリカの画家、アンドリュー・ワイエスの代表作「クリスティーナの世界」がある。僕もニューヨークに滞在していたとき、MoMAに行くたびに見た。

ワイエスの絵は、これと話題になった「ヘルガ」くらいしか知らないけれど、「クリスティーナの世界」は見るたびに不思議な印象を受ける。画面に広がる草原の手前に、ピンクのワンピースを着た女性が背中を見せて座っている。彼女が見ているであろう視線の彼方には、アメリカン・スタイルの灰色の木造家屋がある。

後ろを向き、両手をついている彼女の姿勢はどこか不自然に感じられる。彼女はこの家とどういう関係をもっているのか。彼女が住む家なのか、何かがあってこの家から逃れてきたのか。画面からは読みとれない。僕がこの絵から受け取ったのは、アメリカの原風景のようなノスタルジア(とアメリカ人が感じるであろうこと)と、それと正反対の孤独な不安感が混交した奇妙な感情だった。

「アンドリュー・ワイエス展 オルソン・ハウスの物語」(埼玉県立近代美術館、~12月12日)は、この良く知られた絵の背後にどんな物語が潜んでいるのかを、余すところなく語ってくれる。

「オルソン・ハウス」と呼ばれるこの家には、クリスティーナとアルヴァロのオルソン家の姉弟が二人して住んでいた。MoMAの「クリスティーナの世界」に描かれた後ろ向きの女性がクリスティーナだ。ワイエスはこの家と姉弟の姿を30年に渡って描きつづけた。今回のワイエス展は、その「オルソン・シリーズ」のための習作、水彩と素描で描かれた200点が展示されている。

この展覧会を見てはじめて気づいたことがいくつかある。

僕は「クリスティーナの世界」に描かれたのは中西部の風景とばかり思っていた。広大な草原と畑がつづく豊かな穀倉地帯。アメリカ原風景のノスタルジアを感じたのは、映画や小説でよく描かれる中西部の風景への、そんな思い込みもあったろう。でも実際はそうではなく、ここに描かれているのはメイン州クッシング。

メイン州はカナダと国境を接したアメリカ東北部にある。大西洋に面した町・クッシングはボストンより北、モントリオールとほぼ同緯度に当たるから、冬の寒さは厳しいはず。今回展示されている作品のなかにも、雪と灰色の雲に閉ざされ、白い世界に孤立するオルソン・ハウスの絵があった。ただこのあたり、アメリカを建国したピルグリム・ファーザーズが上陸したマサチューセッツに近く、植民地初期の生活様式が残っているという意味ではアメリカ原風景に近いと言えるかもしれない。

もうひとつ気づいたのは、200点のなかに20世紀がまったく描かれていないこと。オルソン家の弟・アルヴァロははじめ漁師として、後には農業で収入を得ていた。

「オルソン・シリーズ」では、納屋に置かれた漁具や農機具がたくさん描かれている。ブルーベリー収穫用の熊手であったり、計量器であったり、馬具であったり、手押し車であったりするけれど、すべてが手作業用のもの。写真で見るとオルソン家には車もあったらしいが、車をはじめ20世紀文明を示すものはまったく描かれていない。クリスティーナやアルヴァロの服装が古風なことも併せて、このシリーズにアメリカの原風景を感ずるのは、そういうこともあるかもしれない。

もうひとつ思い込みを訂正されたことがある。「クリスティーナの世界」で背を見せているのは若い女性だとばかり思っていた。ピンクのワンピースも、乱れてはいるけれど豊かな黒髪も、若い女性を連想させるもの。でもワイエスがこの絵を描いたとき、彼女は50代半ば。若い女性どころか、当時なら老女に近い年齢だ。

そしてクリスティーナは、生まれつき足に障害をもっていた。彼女の不自然な姿勢は、どうやらそこから来ているらしい。「クリスティーナの世界」から孤立や不安の感情を受け取るのは、彼女のよじれたポーズによるところが大きい。

そんなことを知ってみると、「クリスティーナの世界」を見る目ももう少し複雑になってくる。僕が最初受け取ったノスタルジアと不安の同居は間違いではないにしても、そんなにすっぱり割り切れるものでもなさそうだ。

「20世紀のない風景」を描きつづけた「オルソン・シリーズ」には、ノスタルジアの背後に「失われたもの」への静かな異議申し立てを感ずることもできる。一方、クリスティーナとアルヴァロの肖像や、彼らが住んんだ家や道具のスケッチを見た後では、彼らは孤立していたかもしれないが、親しい「もの」たちに囲まれて充実した生を送ったことが実感される。それはアメリカ的な生き方の原基にも通ずるのかもしれない。彼らの孤独や不安の裏側には、それを見つめるワイエスの優しい眼差しがある。

そういうことも含めて、やはりワイエスの絵は「アメリカ原風景」なのだろう。一枚の絵の背後にどれだけの物語が潜み、一枚の絵を仕上げるためにどれだけのデッサンや習作が描かれるのか。そんなことに思いいたった展示だった。


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Comments

ワイエス、私は渋谷の東急文化村で観ました。地味でした・・・。
「あれっ?」と。
でも、もともとそれほど詳しかった訳でもなく。
こういう画家だったのか、と少しげっそりして東急本店を後にしましたっけ。

Posted by: aya | October 27, 2010 12:27 PM

確かに「アメリカの国民的画家」なんて呼ばれる割に地味ですね。ホッパーみたいな都会の洗練もないし、堅実なリアリズムだし。僕もワイエスをきちんと見たことないですが、でもそういうところが「アメリカ原風景」じゃないかななどと感じました。

Posted by: | October 28, 2010 11:18 AM

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