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October 26, 2010

アンドリュー・ワイエス展

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ニューヨークのMoMA(NY近代美術館)には現代アメリカの画家、アンドリュー・ワイエスの代表作「クリスティーナの世界」がある。僕もニューヨークに滞在していたとき、MoMAに行くたびに見た。

ワイエスの絵は、これと話題になった「ヘルガ」くらいしか知らないけれど、「クリスティーナの世界」は見るたびに不思議な印象を受ける。画面に広がる草原の手前に、ピンクのワンピースを着た女性が背中を見せて座っている。彼女が見ているであろう視線の彼方には、アメリカン・スタイルの灰色の木造家屋がある。

後ろを向き、両手をついている彼女の姿勢はどこか不自然に感じられる。彼女はこの家とどういう関係をもっているのか。彼女が住む家なのか、何かがあってこの家から逃れてきたのか。画面からは読みとれない。僕がこの絵から受け取ったのは、アメリカの原風景のようなノスタルジア(とアメリカ人が感じるであろうこと)と、それと正反対の孤独な不安感が混交した奇妙な感情だった。

「アンドリュー・ワイエス展 オルソン・ハウスの物語」(埼玉県立近代美術館、~12月12日)は、この良く知られた絵の背後にどんな物語が潜んでいるのかを、余すところなく語ってくれる。

「オルソン・ハウス」と呼ばれるこの家には、クリスティーナとアルヴァロのオルソン家の姉弟が二人して住んでいた。MoMAの「クリスティーナの世界」に描かれた後ろ向きの女性がクリスティーナだ。ワイエスはこの家と姉弟の姿を30年に渡って描きつづけた。今回のワイエス展は、その「オルソン・シリーズ」のための習作、水彩と素描で描かれた200点が展示されている。

この展覧会を見てはじめて気づいたことがいくつかある。

僕は「クリスティーナの世界」に描かれたのは中西部の風景とばかり思っていた。広大な草原と畑がつづく豊かな穀倉地帯。アメリカ原風景のノスタルジアを感じたのは、映画や小説でよく描かれる中西部の風景への、そんな思い込みもあったろう。でも実際はそうではなく、ここに描かれているのはメイン州クッシング。

メイン州はカナダと国境を接したアメリカ東北部にある。大西洋に面した町・クッシングはボストンより北、モントリオールとほぼ同緯度に当たるから、冬の寒さは厳しいはず。今回展示されている作品のなかにも、雪と灰色の雲に閉ざされ、白い世界に孤立するオルソン・ハウスの絵があった。ただこのあたり、アメリカを建国したピルグリム・ファーザーズが上陸したマサチューセッツに近く、植民地初期の生活様式が残っているという意味ではアメリカ原風景に近いと言えるかもしれない。

もうひとつ気づいたのは、200点のなかに20世紀がまったく描かれていないこと。オルソン家の弟・アルヴァロははじめ漁師として、後には農業で収入を得ていた。

「オルソン・シリーズ」では、納屋に置かれた漁具や農機具がたくさん描かれている。ブルーベリー収穫用の熊手であったり、計量器であったり、馬具であったり、手押し車であったりするけれど、すべてが手作業用のもの。写真で見るとオルソン家には車もあったらしいが、車をはじめ20世紀文明を示すものはまったく描かれていない。クリスティーナやアルヴァロの服装が古風なことも併せて、このシリーズにアメリカの原風景を感ずるのは、そういうこともあるかもしれない。

もうひとつ思い込みを訂正されたことがある。「クリスティーナの世界」で背を見せているのは若い女性だとばかり思っていた。ピンクのワンピースも、乱れてはいるけれど豊かな黒髪も、若い女性を連想させるもの。でもワイエスがこの絵を描いたとき、彼女は50代半ば。若い女性どころか、当時なら老女に近い年齢だ。

そしてクリスティーナは、生まれつき足に障害をもっていた。彼女の不自然な姿勢は、どうやらそこから来ているらしい。「クリスティーナの世界」から孤立や不安の感情を受け取るのは、彼女のよじれたポーズによるところが大きい。

そんなことを知ってみると、「クリスティーナの世界」を見る目ももう少し複雑になってくる。僕が最初受け取ったノスタルジアと不安の同居は間違いではないにしても、そんなにすっぱり割り切れるものでもなさそうだ。

「20世紀のない風景」を描きつづけた「オルソン・シリーズ」には、ノスタルジアの背後に「失われたもの」への静かな異議申し立てを感ずることもできる。一方、クリスティーナとアルヴァロの肖像や、彼らが住んんだ家や道具のスケッチを見た後では、彼らは孤立していたかもしれないが、親しい「もの」たちに囲まれて充実した生を送ったことが実感される。それはアメリカ的な生き方の原基にも通ずるのかもしれない。彼らの孤独や不安の裏側には、それを見つめるワイエスの優しい眼差しがある。

そういうことも含めて、やはりワイエスの絵は「アメリカ原風景」なのだろう。一枚の絵の背後にどれだけの物語が潜み、一枚の絵を仕上げるためにどれだけのデッサンや習作が描かれるのか。そんなことに思いいたった展示だった。


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October 24, 2010

河井寛次郎展で

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駒場の日本民芸館へ河井寛次郎展を見に行く(~11月23日)。館の重い引き戸をがらがらと開け、土間に靴を脱いで上がり、黒光りする正面階段を上がった奥がメーン会場。木製の棚や家具の上に寛次郎の作品が展示されている。

河井は「用の美」を謳った民芸運動を代表する陶芸家だから、普通の美術館でなく、より生活空間に近く設計されたこんな場所で見るほうがふさわしい。京都でなら、たくさん収蔵されている国立近代美術館より自宅兼窯を公開した河井寛次郎記念館で見るほうがずっと楽しいのと一緒だ。

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1930年代、30代の頃のものから晩年まで約150点。若いころのには線画の線が細く繊細なものがあり、戦後は実用品ばかりでなく自分の言葉と文様を刻んだ陶板などもあるけれど、生涯を通してその美意識は一貫している。

肉厚で、ぼてっとした質感。壷も瓶も皿も、日用品の枠をはみださないのに洗練されたフォルム。大胆な筆使いの文様。呉須や辰砂、柿釉、黒釉などの落ち着いた色づかい。どれもこれも素晴らしい。こういうのを普段使いしてみたいもんだなあ。

河井寛次郎の器はこういうところで見るものとばかり思っていたが、数年前、亡くなった先輩ジャーナリストの家を訪れたら河井寛次郎の壷がさりげなく置いてあって驚いた。「おお、寛次郎じゃないですか」と言ったら、「若いころ月給何カ月分かをはたいて買ったんだよ」と楽しそうに笑った顔が忘れられない。好きな陶磁器のことをしゃべるときは、普段のジャーナリストの顔ではなくなっていた。

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見終わって、近くの喫茶店で一休み。カプチーノを頼むと、おや、河井寛次郎か濱田庄司かといった模様が。

寛次郎や濱田庄司とまではいかないが、わが家には金城次郎の抱瓶(だちびん)と猪口がある。亡くなった先輩も金城次郎が大好きだった。今日は帰ってその器で泡盛でも飲みながら命日も近い先輩を偲ぼう。そんな気になった一日だった。


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October 22, 2010

やっと秋が来た

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猛暑のせいか、秋の花が遅い。わが家ではまだ朝顔が咲いている。昨日、やっと秀明菊が咲いた。

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藪蘭もようやく。

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これは名前を失念。「花と実と紅葉と、3度楽しめます」と言われて買った外来種の木。

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October 20, 2010

『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』 感情を編集する

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映画になった石井隆の「名美」ものを全部見ているわけじゃないけど、僕の見たなかでいちばんの傑作は『ラブホテル』(相米慎二監督)だった。

元日活の助監督だった相米慎二が手がけたただ一本の日活ロマンポルノ。「名美」ものはすべてヒロインが名美、男が村木と同じ名前がつけられていて、『ラブホテル』では名美を速水典子、村木を寺田農が演じていた。石井隆の劇画の行きどころのない愛憎や憤怒を映像に移しかえて、いちばん完成度の高い作品になっていたと思う。

「名美」ものには作者の石井隆が自ら監督した作品も多い(彼自身も日活の助監督出身)。僕はこちらも全部見ているわけではないけれど、『死んでもいい』『ヌードの夜』あたりの印象で言うと、部分的にいいなあと感ずるシーンやショットはたくさんあるんだけど、作品としての完成度はイマイチだった。今度の『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』も、その印象は同じ。

うらぶれた街に、すがれた風景。夜の闇にうごめく男女。犯罪と罠。劇中でうまく使われる歌(夏木マリ「絹の靴下」)。ノワールの要素はすべて揃っているんだけどなあ。

『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』のヒロインは「名美」ではなく「れん」(佐藤寛子)という名前が与えられている。でも主役の「代行屋」紅次郎(竹中直人)の本名は「村木」になっている。

石井隆の「名美」シリーズでは、「名美」と名づけられたヒロインは必ずしも同一人物でなく、作品によってそれぞれ異なる人間に「名美」という名前が与えられていることが多い。つまり「名美」とは一人の特定のヒロインではなく、石井隆の世界のファム・ファタールという存在につけられた名前であり、「村木」と呼ばれる男を虜にし、振り回し、破滅させる女を象徴的に「名美」と呼んでいるのだろう。

「名美」シリーズのなかで、「村木」はしばしば現実には夜の女や娼婦に身を落としている(って、こういう映画を語るとつい性差別・職業差別的な言葉を使ってしまいますが)「名美」に向かって、「お前は天使のような女だ」とつぶやく。『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』のなかでも、「村木」は「れん」に向かって同じセリフをつぶやく。「れん」はやはり「名美」なのだ。だからこの映画も間違いなく「名美」シリーズの一本。

ファム・ファタールものの映画が成功するかどうかは、どうしたってヒロインを演ずる女優の存在感に圧倒的に左右される。見ている者(男)に、「村木」だけでなく自分もこういう女となら地獄へ行ってもいい、と2時間だけ思わせられるかどうか。

「名美」シリーズはヌードやセックス・シーンも多いから、そういう役を厭わず、しかもファム・ファタールとしての存在感を際立たせられる女優はなかなかいないのは分かる。僕が見たなかでは『死んでもいい』の「名美」大竹しのぶ(今回も「れん」の母親役で出演)が、劇画の「名美」のイメージとは違うけれど、そんな輝きを放っていた(原作のイメージに近かったのは『ヌードの夜』の「名美」余貴美子)。

「れん」の佐藤寛子は僕は知らなかったけどグラビア・アイドルで、映画の主演は初めてらしい。頑張ってはいるけれど、いかんせんファム・ファタールの匂うような色気から遠い。だから「村木」竹中直人の「お前は天使だ」というセリフが、見ている者に響いてこない。

ここで唐突に思い出す。ホウ・シャオシェンら1980年代台湾ニュー・ウェーブの名作のほとんどで編集を担当し、兄貴分として彼らを育てた寥慶松にインタビューしたことがある。寥は若いホウ・シャオシェンにゴダールを見せたという。

そのときホウがゴダールから学んだことは「ジャンプ・カットの発見」、つまり「ふたつのカットの間を省略し、論理的には整合性のないつなぎになっても、感情的なものが持続していればいい」、いいかえれば「感情を編集する」ことができればいいということだった。「感情を編集する」ことができるかどうかは、映画の肝に当たる。「感情を編集する」とは、登場人物の感情が物語の進展とともに高まってゆくだけでなく、それを見ている観客の感情をも映画のなかに連れ去り、虜にすることでもある。それが映画にパルスを与え、官能性を与えるんだろう。

ここでまた唐突になるけれど、これを書いている途中、たまたま『人生劇場 飛車角と吉良常』(内田吐夢監督)をDVDで見た。東映任侠映画の傑作と言われるけれど、十数年ぶりに見直してみると任侠映画の型を借りながら実は似て非なる男と女の映画という印象を持った。

吉良常(辰巳柳太郎)、飛車角(鶴田浩二)、宮川(高倉健)、お豊(藤純子)、それぞれの運命を背負った男たち女たちの感情がもつれ合い、絡み合って、冒頭から最後まで映画全体が見事にぴんと張った一本の感情の束となっている。その官能的なことは、エンタテインメント映画の粋のように思えた。

『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』は、残念なことに感情が分断され、ぶつ切りになっている。映像はいかにも濃厚でノワールなカットがつながれているのに、感情がつながっていない。村木が「お前は天使のような女だ」とれんにつぶやいても、見る者はその感情に同調し、その感情を引き受けることができない。それは佐藤寛子が素人だという役者の問題だけでなく、石井隆の脚本・監督でつくられた「名美」ものに共通した穴だらけの脚本と演出の問題でもあるんじゃないかな。

なんてことを言うのも、僕がノワール好きで、「名美」シリーズに和製ノワールを期待しているからなんだけど。佐藤寛子の露出しすぎの裸は見事だけど、それが映画の官能につながらない。もっと官能と陶酔の世界が見たい。

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October 14, 2010

『ブロンド少女は過激に美しく』 サイレントの作法

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マノエル・デ・オリヴェイラ監督は『ブロンド少女は過激に美しく(原題:Singularidades De Uma Rapariga Loura)』撮影中に満100歳になった。現役の映画監督としては間違いなく世界最高齢だろう。

20世紀初頭に生まれ、サイレント映画でデビューした監督の新作が恋の物語、一目惚れの話というのがすごい。もっとも1世紀にわたって人生のあらゆる苦楽をながめてきた監督のことだから、単純な恋の話ではない。映画のなかでポルトガルの国民詩人ペソアの詩が朗読される場面があるけれど、そこで詠まれるように、

世界の不幸は 善意であれ悪意であれ 他人を思うことから生じる
魂と天と地 それだけで充分だ
それ以上を望めば 魂や天や地を失い 不幸になる

これは「それ以上を望んだ」ことで魂を失った男の話。100歳の監督のみずみずしい映像と、ゆったりと大河が流れるようなリズムが素敵だ。

冒頭、タイトルバックに流れるのは、リスボンから南へ向かう列車内の風景。車掌が検札に回るのを固定カメラが追う長いワンショットで、それが徐々に一組の男女にフォーカスされてゆく。偶然に隣り合わせた男女。男は「妻にも友にも言えないことは見知らぬ人に話すのがいいと言うでしょう」とつぶやきながら女に身の上話を始める。

窓の外はオリーブ畑が続くだけで、ほかに何もない。僕は30年前に同じ線の列車に乗ったことがあるけれど、そのころとちっとも変わらない。かつての世界帝国が、今は静まりかえっているように見える。

会計士である男、マカリオ(リカルド・トレバ)のモノローグで話が始まる。マカリオはリスボンで高級洋品店を営む叔父の店に職を得た。初日、通りをはさんだ向かいの窓で見かけたのは丸い扇を手にしたブロンド少女・ルイザ(カタリナ・ヴァレンシュタイン)。けだるく外をながめる彼女に、マカリオは一目で魅せられる。

リスボンの繁華街は煉瓦づくりの古い町並みが続いている。窓はそんな一角の二階で、白いカーテンがかすかに風に揺れている。ブロンド少女が手に持つ扇には中国ふうの絵が描かれ、彼女が扇を動かすと上部につけられたふわふわした毛もなまめかしく揺れる。鐘の音が響いて時刻を伝える。そんなブロンド少女のいる窓を、窓と同じ高さの視点で正面から捉えたショットが2度、3度と繰り返される。そのゆったりしたリズムが快い。

そこから話は思わぬ方向に展開してゆくのだが(映画の終わり、ルイザの最後のショットは上のポスターにあるとおりで、少女のあられのなさがなんともエロチック)、その淡々としたリズムに身をゆだねながら唐突に、オリヴェイラ監督の作法は今もサイレントなんじゃないかと思った。

監督は1929年に『ドウロ河』というサイレントの短編ドキュメンタリーでデビューしている。もちろんそれは見ていないけれど、カメラを対象の正面に据え、じっと見つめる長めのショットや、モンタージュを極力使わない編集、バックに音楽を使わないこと(劇中、ハープでドビュッシーを弾くシーンはあるが)など、サイレント映画の文法に近いんじゃないだろうか。

19世紀末に生まれた映画は、20世紀前半に大ざっぱに二つの変革を経て現在の映画になった。ひとつは、エイゼンシュテインらの手によってモンタージュの技法が飛躍的に発展し、異なる映像を組み合わせることで見る者にある意味や感情を喚起させられるようになったこと。

もうひとつは、トーキーによって映像に音や音楽を同期させられるようになったこと。ハリウッドのディズニー映画やミュージカルが典型だけど、映像に音楽や声がズレなく合わされることによって、ある映像が持つ意味や感情を一層分かりやすく伝え、複雑な物語を語ることができるようになった。そんな過程をへて映画は大衆的なエンタテインメントになった。

僕はオリヴェイラ監督の他の映画は『アブラハム渓谷』を見ただけだから、断定的なことを言うのははばかられる。でも『ブロンド少女は過激に美しく』の「反モンタージュ」「反音楽」の姿勢は、エイゼンシュテイン→ハリウッドとつながる20世紀の映画のメイン・ストリームに意図的に背を向けているようにも感じられる。

そういえばヨーロッパの映画には、オリヴェイラと同じ匂いを醸しだす監督が何人かいる。たとえばスペインのヴィクトル・エリセであり、イギリスのケン・ローチであり、ベルギーのダルデンヌ兄弟であり、オーストリアのミヒャエル・ハネケであり……。彼らの映画は、エイゼンシュテイン→ハリウッドとは別系統で発展したサイレント映画の系譜を脈々と伝えているのかも、などと思ってしまった。

オリヴェイラたちの系譜の源流には記録映像を初めて劇場にかけたリュミエール、エイゼンシュテイン→ハリウッド系列の源流には初めて「劇映画」をつくったメリエスと、映画草創期の2人の巨匠を据えてもいいのかもしれない。

もしそんな想定が多少の説得力を持つとすれば、サイレントのドキュメンタリーでデビューし今年102歳になるオリヴェイラ監督は、そんな系譜の生き証人ということになる。監督は今年も新作『アンジェリカ』を撮り、来年には日本でも公開されることになっている。目を離せない。

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October 12, 2010

『十三人の刺客』 現代性と様式と

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オリジナル版『十三人の刺客』(工藤栄一監督)を見たのは高校一年のときだったと思う。小学校時代は毎週のように東映チャンバラを見に映画館に通い、中学時代は西部劇や007にはまり、高校に入ると若尾文子や座頭市の大映が好きになる一方、アートシアター少年にもなりかけていた。

東映チャンバラは卒業していたし(というよりジャンルとして終わっていた)、任侠・ヤクザものに入れ込むのは大学に入ってからだから、この時代に東映映画はあまり見てなかったはずだ。なぜこの映画を見に行ったかはよく思い出せないけど、当時、『暗殺』(篠田正浩監督)や『切腹』(小林正樹監督)といった新感覚のリアリズム時代劇が流行っていて、『十三人の刺客』もその影響下でつくられた一本だった。だから、昔よく見た東映の時代劇がどんなふうになっているのか、そんな興味だったのではないかな。

昔なじみの片岡千恵蔵や嵐寛寿郎が白塗りでなく素ッピンで出てくるのが、なんだかおかしかった。ラスト数十分、木曽路の宿場での大集団の殺陣はさすがに迫力があったけど、そこに至るまでのテンポがややかったるい。だから映画全体としての印象より、部分的にモノクロームの美しいショットが記憶に残っている。

宿場での対決。何も見えない濃い霧の中から五十数騎の騎馬武者が徐々に現れてくる長い長いショットなんか、見ていてなんとも興奮した。映画的興奮ってこういうものか、と思った。それを宿場で待ち受ける黒装束の刺客のショットもよかった。

その後、工藤栄一監督の映画を何本か見たけれど、やはりストーリーを語るのは得意でないようで、その代わり記憶に残るショットが必ず挿入されている(『その後の仁義なき戦い』だったか、新神戸駅のトンネルから新幹線の頭がぼっと姿を現すショットとか)。この人は物語でなく映像で勝負する人なんだと思った。

三池崇史監督版『十三人の刺客』は、映画全体としてはオリジナル版より楽しめた。

将軍の弟・明石藩主(稲垣吾郎)暗殺の密命を受けた島田新左衛門(役所広司)が13人の刺客を集めてゆくのは『七人の侍』と同じスタイル。黒澤映画ほど個性ある役者を揃えているわけではないけど、甥(山田孝之)や浪人者(伊原剛志)のエピソードをちりばめながらいいテンポで物語を進めてゆく。

オリジナル版にくらべて、いくつかの工夫もされている。

ひとつは、ヴィジュアルがスケール・アップされていること。『十三人の刺客』がヒットしたことで何本もつくられることになった1970年代の「集団時代劇」はもともと多人数が入り乱れた殺陣の迫力が売り物だったけど(これも大本は『七人の侍』)、オリジナル版で十三人対五十数人だった対決が、三池版では十三人対二百人以上に増えている。爆薬も登場するし、一行を阻むために宿場に組まれる柵も、三池版ではがらがらと移動式のものが登場する。要塞のように造りかえられた宿場もより大規模になって、1時間近いラストの長い殺陣を飽きさせない。

もっとも、よりスペクタキュラーになった分、十三人対二百人以上という数はどうにも非現実的で、十三人対五十数人のオリジナル版のリアルさは薄れたような気がする。

工夫のもうひとつは、役柄に関すること。暴虐な明石藩主はオリジナル版ではただのバカ殿だったけど、三池版では高貴な身分に生まれ太平の世に飽き飽きした若者の虚無ものぞかせる。稲垣吾郎を見直したな。もうひとつの役柄の工夫は、13人の刺客に侍だけでなく山の狩人・小弥太(伊勢谷友介)を加えたこと。山の民を入れることで、侍社会内部の抗争を外部の目から見る批判的な視点を確保している。

もっともそんな現代的な視点を入れたことで観念的なセリフが多くなり、説明が過ぎる印象はある(日本映画は総じてセリフでの説明が過剰。でも、たまたま昨日DVDで見た『座頭市喧嘩凧』は片をつけに向かう座頭市の思いをほとんど映像だけで表現する寡黙な映画だった。池広一夫監督の見事な職人技)。

もうひとつ気になったのは、最後に時代劇の型に沿った一対一の対決が用意されていたこと。オリジナル版でも新左衛門役の片岡千恵蔵と、新左衛門の同門で明石藩主を守る内田良平との対決シーンがあったけど、集団での殺陣の流れのなかであっさり処理されていた。それに比べると三池版では、集団の殺陣が終わった後に一対一の対決が最後の見せ場として設けられている。

相手役に市村正親をもってきたことへの配慮かもしれないし、稲垣悟郎に「一対一とは風流じゃのう」と言わせて照れているけれど、オリジナル版より時代劇の様式にのっとって処理されている。その分リアルさが薄れ、ラストで伊勢谷友介の「俺は山に戻る」というセリフが生きてこないような気がする。

とまあ、いろいろ突っ込みどころはあるけれど、久しぶりの時代劇を面白く見ましたよ。三池崇史監督の映画はカルト時代のを数本見てるだけで、商業的なエンタテインメントははじめて。暴力的な迫力は昔のままだし、長時間を飽きさせない。一時期の深作欣二みたいな存在として、これからもどんどんつくってほしいな。


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October 05, 2010

羅双樹木綿布展

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ニューヨークで書いていたブログが縁で知り合った友人Oさんが教えてくれた「羅双樹(らそうじゅ)木綿布展」へ(10月2~4日、表参道・銕仙会)。草木染染織家・中本扶佐子さんとパートナーの高橋真司さんの2人が織った木綿布の作品展だ。

中本さんと高橋さんは、世界各地から取り寄せた原綿から糸を一本一本紡ぎだし、括って草木染めにし、それを手織りで仕上げるというすべて手作業で布をつくっている。原綿はインド、エジプト、バルバドス島などから来るが、そこから紡ぎだされた糸はそれぞれに風合いが違う。絹のように柔らかな肌触りのものもあるし、ざらっとしたものもある。柄も、伝統的なものからモダンなものまでさまざま。

手仕事の見事さ、手仕事の大切さを改めて感じさせてくれる。僕も鋳物屋の息子なので、こういう素晴らしい職人仕事を見ると心が騒ぐ。

会場にはOさんも来ていた。去年夏、日比谷野音の山下洋輔トリオ復活祭以来。再会を祝して新橋で杯を重ねる。


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October 01, 2010

キース・ジャレットを聴く

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キース・ジャレット・スタンダーズトリオを聴いた(9月29日、渋谷・オーチャード・ホール)。

あいにく席は1階の後方で、暗い空間のはるか彼方の舞台上に小さく、そこだけ照明を浴びたトリオが演奏するのをながめることになる。トリオの音量は大きくないから、この大きさの劇場、この位置ではやや不満。

音と空間のそんなミニチュア感に連想したのは、ガラス球のなかに美しいサンゴとヒトデを閉じ込めた置物だった。20年前、パリへ行ったとき娘に土産として買ってきたものだ。良く言えば、閉じ込められたサンゴとヒトデのように美しさの極みにある。悪く言えば、ジャズの荒々しいエネルギーは凍結されている。

スタンダーズトリオは結成されて30年近く、キース・ジャレット(p)、ゲイリー・ピーコック(b)、ジャック・ディジョネット(ds)の不動のメンバー。その音は円熟しきっている。ピアノの前に座ったキースが一拍置いてテーマを紡ぎ出しはじめる。それを聞いたゲイリーとジャックが、即座に曲にふさわしいバッキングを始める。1曲目の「ブロードウェー・ブルース」から、80年代以来変わらないスタンダーズの世界に引き込まれる。

その完成度の高さは、まるでMJQのようだなと思った。MJQも、ミルト・ジャクソンがどんなにソウルフルにスイングしても、全体としてジョン・ルイスのヨーロッパ的な音楽理念によってコントロールされていた。

僕の印象では、キースのピアノはかつてのようなフリーっぽさが影をひそめ、透明な音で伽藍をつくるように美の世界を築いてゆく。ゲイリーは、10年ほど前にこのトリオを聴いたときは体調のせいか弱々しい音で、このトリオもこれで聴きおさめかな、と思った記憶があるけれど、今回は張りのある音でびっくり。キースのピアノに見事に反応して盛り上げる。ジャックはこのトリオのときはいつもそうだけど、抑えたドラミングで2人を支える。

「いつか王子様が」もよかったけど、アンコールでやったモンクの「ストレート・ノー・チェイサー」で、この1曲だけほとばしるエネルギーが美しく結晶して冷たいガラス球を破ったような気がした。


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