『シルビアのいる街で』 街の触感、街の音
最近、こういう映画を自分のなかでどう評価したらいいのか、迷うことが多い。ありていに言えば、見てて寝てしまったんですね。しかも2度も。ジジイになったせいか、暑さのせいか、日中動いて夕方か夜に映画館に入ると、ふっと寝てしまうことが時々あるんですよ。
じゃあ『シルビアのいる街で(原題:En la ciudad de Sylvia)』がつまらない映画なのかと言えば、そうでもない。いや、面白い映画と言ってもいいかもしれない。主人公の「彼」(グザビエ・ラフィット)がフランスのストラスブールの町をさまよう長いシーンなんか、迷路のような古い街並みを見ているだけで惹きこまれてしまう。
それなのに眠気をこらえきれなかったのはなぜかといえば、物語らしい物語がなく、しかもそれがくっきりしていないこと、映画的な時間の圧縮(人の一生を2時間で見せてしまうような)が少ないことが理由かもしれない。そしてそのふたつともホセ・ルイス・ゲリン監督の意図したことであり、僕はそういう映画が嫌いでないから、自分で困っているんだと思う。
説明的な映像やセリフがほとんどないこの映画を見ていて分かる物語の枠は、「彼」がかつてストラスブールでシルビアという女性と出会い、愛し合ったらしいこと。6年後、「彼」はシルビアと会ったカフェで彼女の面影を追いながら女たちを眺めている。やがてシルビアと似た女性(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)を見つけ、彼女の後を追ってストラスブールの街を歩き回る。
物語と言えば、それだけ。それ以上の発展はない。しかも、「彼」がどんな男なのかは、何も説明されない。カフェに座った「彼」は女性たちをスケッチしているから、画家なのかもしれない。でも女性を執拗に追う視線や、シルビアに似た女の後をつける「彼」からは、ヒッチコック映画みたいな偏執的な匂いもしてくる。でも、この線もそれ以上の発展はない。
映画のほとんどが、カフェで談笑する女性たちのアップと、「シルビア」と「彼」が街を歩くだけの映像で構成されている。ハリウッドのエンタテインメントなら2、3分で片づけてしまいそうな部分で1本の映画をつくっているわけで、だからこれ、カフェの女性たちの映像とストラスブールの街の映像で見せる映画なんだろうな。
僕はどちらかといえば、街のショットに惹かれた。狭い路地と古びた家、黄土色の壁と石畳の触感が素敵だ。落書きのある同じ場所が何度も出てきて、迷路のような感覚を味わう。路面を走るトラムの響きや人の話し声や足音、壜が坂をころがっていく音など、街の音をリアルに拾っているのもいいな。もっとも人の流れを見ていると、街のショットのすべてがきっちり計算され演出されているのが分かる。あえて「自然さ」を装わないのも監督の意図か。
女性たちのシーンは、ガラスに映った女性とガラスの向こうの女性が重なりながら動くショットや、後ろ姿の女性の髪が風になびくショットなんか素晴らしい。でも全体としては望遠系のレンズが多い女性の部分より、広角系を使った街の映像のほうが見る者に響いてくる。
そんなふうに魅力的なショットがいくつもあるのに眠くなってしまったのは、結局、物語的な動きがほとんどないからだろう。僕の学生時代はゴダール全盛で、ヌーベルバーグはじめ反物語的な映画も(一方で、ハードボイルドやミステリーのエンタテインメントとともに)大好きだったんだけど、年食って反動的になり、やっぱり物語の面白い映画がよくなってきたという身も蓋もない現実なのか。否定したいけど、否定しがたいのも事実だなあ。
« 庭園美術館の有元利夫 | Main | 秋の雲 »
Comments
私も寝ちゃうんです・・・。
「アルゼンチン・タンゴ」で、ふっと寝ていた。
二度も眠ってたんですか?
わかるような気がする。お疲れ様(゚ー゚;
Posted by: aya | September 04, 2010 11:50 PM
あはは、同世代ですねえ。でも「アルゼンチン・タンゴ」で寝るのは気持ちよかったんじゃないですか。目覚めて何のシーンか分からないとあせりますが、ずっとタンゴが流れてれば安心するし。
まあ最近は寝るんなら寝てもいいか、と思うようになりました。ジョアン・ジルベルトのコンサートは、僕が出会った最高のコンサートのひとつですけど、この時も1曲まるまる寝て、起きたら別の曲になっていて、でも気持ちよかった。
Posted by: 雄 | September 06, 2010 09:46 AM