『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』 米国への皮肉な目線
ソ連が崩壊して東西冷戦が終わり、それとともにスパイものというジャンルも変質したと言われる。もっとも西側=正義、ソ連=悪という単純な構図のスパイものがつくれなくなっただけで、冷戦後の世界にも諜報活動は存在するし、それを反映したスパイものの小説や映画もつくられている。単純な善悪の図式的スパイものがつくれなくなっただけで、スパイものというジャンルは残っているし、複雑になってきた。
『フェアウェル(原題:L'affaire Farewell)』もそんな1本で、冷戦末期に実際に起こった事件に基づいている。主人公はブレジネフ体制下のKGB幹部・グリゴリエフ大佐(コードネーム「フェアウェル」。エミール・クストリッツァ)。
グリゴリエフは立場上、ソ連の体制が西側の先端技術を盗むことで成り立っているのを熟知していた。そんな体制に絶望した彼は、腐りきった祖国を崩壊させ、息子を新しい世界に生かしたいと、何の代償を求めずソ連の情報を西側に流す。彼が接触したのはフランス民間企業のモスクワ駐在技師・ピエール(ギヨーム・カネ)で、彼にソ連が盗んだスペースシャトルや原子力潜水艦の航路図、各国に張られたソ連スパイ網のリストなどを渡す。
この映画がアメリカでなくフランスでつくられたところがミソ。アメリカ的正義と無縁だし、大統領のレーガンが西部劇にうつつをぬかしていたり、アメリカへの皮肉な目線が効いている。
レーガンが大統領執務室で見ているのはジョン・ウェインの『リバティ・バランスを射った男』で、「わしにも出演のオファーがあったんだが…」と、未練たらしいセリフもある。僕も中学時代に見た。悪役のリー・マーヴィンが格好よかったけど、ジョン・フォードにしては間延びした映画だった記憶がある。
アメリカへのもっとも皮肉な視線はこの映画の結末。アメリカの裏切りによるどんでん返しでグリゴリエフは捕われてしまう。そのことを知らされたピエールは米軍将校に怒りをぶつける。
フランス映画らしく、追いつ追われつのスパイものサスペンスというより、小説でいえばジョン・ル・カレの世界。グリゴリエフとピエールの友情と、それぞれの家族の物語。誰にも心を許せず、孤立した世界で、2人が少しずつ友情を育み、一方、家族からは冷たい目で見られたりする。映画全体の冷え冷えした空気のなかで、2人が野原で語り合うわずかにホッとするシーンが印象に残る。
エミール・クストリッツァはセルビアの映画監督。彼の『アンダーグラウンド』や『黒猫・白猫』は、仮に僕が生涯で見た映画のベスト100本を選べば必ず上位に入ってくる作品。監督だけでなく、脚本を書き、カメラを回し、役者をやり、バルカン・ブラス・ロックの音楽をやったりと忙しいけど、今回選ばれたのは寡黙な風貌とともに、ロシア語とフランス語を話せるからだろう。
国内で完結しないこれからの映画づくりには、こういう多言語を話せる役者が重用されるんだろうな。日本にも、英語や中国語、韓国語をこなせる役者がもっと出てきてほしい。
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