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August 19, 2010

『キャタピラー』 乱歩の「芋虫」と映画

Caterpillar

映画のタイトル「キャタピラー(Caterpillar)」は日本語に直すと「芋虫」。江戸川乱歩が1929(昭和4)年に発表して発禁になった小説のタイトルなんですね。

この映画の製作が発表されたときは、確か江戸川乱歩原作と報道されていたはず。でも完成した作品に乱歩のクレジットはなかった。その間にどういう経緯があったのかは知らない。原作=乱歩がはずされた事情に興味はないけれど、できあがった映画と小説の差には興味があります。

ひとことで言えば、小説「芋虫」は乱歩らしい残虐と淫靡の世界だけど、映画『キャタピラー』はメッセージ性の強い反戦映画になっていた。

「芋虫」の主人公は、戦争で両手足を失い「黄色の芋虫」みたいな肉塊になってしまった元兵士とその妻。元兵士は金鵄勲章を授けられたが、やがて世間から忘れられ、「あとに残ったものは、不具者なるが故に病的に烈しい、肉体上の欲望ばかりであった。彼は……ガツガツと食物を要求し、時を選ばず彼女の肉体を要求した。時子(注・妻の名)がそれに応じない時には、彼は偉大なる肉ゴマとなって気ちがいのように畳の上を這いまわった」。

やがて時子は何の抵抗もできず、意思表示もできない夫をもてあそびはじめるようになる。「このまったく無力な生きものを、相手の意にさからって責めさいなむことが、彼女にとっては、もうこの上ない愉悦とさえなっていたのである」。

元兵士の死に終わるこの小説は、はじめ伏字だらけで『新青年』に発表された。でもそこで、思いがけない評価を受けることになった。戦後、乱歩はこう回想している。

「この小説が発表されると、左翼方面から称賛の手紙が幾通もきた。反戦小説としてなかなか効果的だ。今後もああいうイデオロギーのあるものを書けというのである。しかし私はこの小説を左翼イデオロギーとして書いたわけではない。この作は極端な苦痛と、快楽と、惨劇とを書こうとしたもので、人間にひそむ獣性のみにくさと、怖さと、物のあわれともいうべきものが主題であった。反戦的な事件を取り入れたのは、偶然それが最もこの悲惨を語るのに好都合な材料だったからにすぎない」(「自註自解」)

『キャタピラー』は、乱歩が誤解だという「反戦小説(映画)」として、若松孝二流に「芋虫」を換骨奪胎しようと試みたものだ。

小説では、戦争で四肢を失ったという設定以外に、戦争を連想させる小道具として金鵄勲章という言葉が一度、文中に出てくるだけだけれど、映画では軍神とあがめられる久三(大西信満。熱演)が受けた三つの勲章と、彼の武勲を称える新聞記事、額に入った昭和天皇の写真が繰り返し(5回も6回も)映し出される。カメラの視線がしばしば久三から天皇の額に移動するのは無論、天皇の命令が「芋虫」を生んだという告発を意味するけれど、繰り返しが単調。

小説と映画のいちばんの差は、元兵士と妻の関係だろう。小説では時子と夫の元兵士との間に人間的な交流はない。小説では元兵士の内面はまったく描写されず、「肉塊」として扱われている。そんな夫に時子は「残虐な遊戯」をしかける。その果てに、「ユルシテ」「ユルス」と指で皮膚に書くかすかなやりとりがあるのだが、その直後に二人は悲劇的な結末を迎える。

映画はそこが違って、ある種の夫婦愛の物語になっている。シゲ子(寺島しのぶ)は、両手足を失って帰還した久三に絶望するが、村では軍神の妻としてふるまうことを求められる。外に連れ出すときは「芋虫」になった久三に軍服を着せ勲章をつけ(これは献身でもあり久三へのいじわるでもある)、家では食事の世話、下の世話をし、彼が求めれば身体を開く。一方、久三はシゲ子と交わるとき、中国の戦場で女を犯し殺した記憶がフラッシュバックするようになり、人知れず恐怖し、不能になったりもする。

シゲ子は動物的欲求だけで生きている久三を叩くけれど、やがていとおくも思い始める。「食べて、寝て、食べて、寝て。それだけでいいじゃない」というシゲ子のセリフが、小説と違う映画のメッセージを象徴しているだろう。ただ、そんなシゲ子の心の揺れが見る者に納得できるよう描かれていないのが残念。

小説でも映画でも、最後に元兵士は死んでしまう。小説では事故とも自殺とも判然としないけれど、映画では(直接の描写はないが)明らかに自殺と受け取れる。それは中国での強姦・殺人体験と無関係ではないだろうし、久三なりのシゲ子への愛ゆえかもしれない。

「食べて、寝て」の二人を、美しい農村風景が取り囲んでいる(小説は屋敷内という密閉空間で展開される)。桜が咲き、シゲ子が田植えをし、稲穂が垂れ、雪が降る。新潟にロケしたようだけど、美しい日本の原風景と、挿入されるニュースフィルムが映し出す戦争の残虐の対比。突然だけど、若いころ見た木下恵介や今井正のヒューマンな反戦映画のテイストを思い出した。若松孝二だけに我ながら意外な連想。

思い出したといえば、似たような映画が過去にあった。『ジョニーは戦場へ行った』(ドルトン・トランボ監督)や『清作の妻』(増村保造監督)。

『ジョニー』は戦場で四肢を失った青年という同じ設定の主人公だけど、『キャタピラー』のように「食べて、寝て」という過酷な日常には目を向けない、その意味ではヒューマンだけど甘い映画。『清作の妻』は、妻が夫を戦場に行かせたくないばかりに夫の脚を切り落としてしまう物語。若尾文子のつきつめた表情が印象的で、強烈な夫婦愛と反戦の映画だった。

将来、どの映画がいちばん記憶に残るかと考えると、やはり『清作の妻』だろうか。

ここから先は夢想。換骨奪胎された『キャタピラー』でなく、乱歩そのままの映画『芋虫』を見てみたいな。『キャタピラー』の寺島しのぶはベルリン映画祭で主演女優賞を取るのも当然の演技だけど、もし『芋虫』が出来れば(そして彼女が出れば)その美しさは比類ないものになるだろう(若松孝二はピンクの監督として女性を主役にしてきたのに、女優を美しく撮ろうとしてないみたい。sexシーンとか、いくらでもきれいに撮れるのに)。

そんな『芋虫』ができれば、結果として『キャタピラー』より反戦映画としても優れた作品になるのではないか。監督は誰だろう? 過去に乱歩の世界を見事に映像化したのは……増村保造、加藤泰、田中登、みんな死んでしまったなあ。ここは石井輝男に期待するか。

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