« July 2010 | Main | September 2010 »

August 29, 2010

庭園美術館の有元利夫

1008281w

ときどき有元利夫の絵が見たくなる。庭園美術館で「有元利夫 天空の音楽」展をやっていた(~9月5日)。器と中身の関係で言えば、アール・デコの美術館のなかに中世フレスコ画のような有元利夫の絵を置くのは相性がいいんじゃないか。自分のなかにも、こういう組み合わせを心地よく感ずる部分がある。

有元の展覧会は何年かおきに開かれるけど、亡くなって2年後の「有元利夫展」(西武百貨店渋谷店、1987)がいちばん充実していたと思う。現物を見るのがはじめてだったこともあり、すごく印象に残っている。今回も、それに比べて点数は少ないけど、主な作品はみな展示されていた。

Photo
(図録表紙)

有元利夫について、いまさら言うこともない。ただ個性を競う現代アートのなかで、個性を消そうと努め様式を求めた(それが逆に彼の絵を個性的にした)有元の反時代的な絵が、1970年代から80年代半ばという高度成長と、それが爛熟してバブルに向かう時代に描かれたのに改めて気づく。

あの騒がしい、その時限りのイミテーション・ゴールドの時代だったからこそ、その対極に、こんな静謐で時間の堆積を感じさせる絵が人の心を捉えたんだろう。

優雅なアール・デコの建物と、無重力の愉悦の空間みたいな有元の絵に浸るぜいたく。

1008282w


| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 26, 2010

新・嶋津健一トリオ

1008232w

嶋津健一の新しいトリオを聞きにいった(赤坂・Relaxin’)。

それまでのトリオのメンバーは加藤真一(b)、岡田佳大(ds)で、6年近く固定されていたと思う。CDを4枚出していて、最初はスタンダードのバラードが中心。徐々に嶋津のオリジナル曲が増えていった。

嶋津はバラードが好きで、このトリオの1枚目のアルバムも「All Kinds of Ballads」というタイトルだった。嶋津のバラードはいつ聞いても惚れ惚れする。「Sunflower」にしても「Close Enough for Love」にしても、テーマから徐々にエモーションが高まってゆく彼の美しいアドリブを聴いていると、別の世界に連れていかれるような瞬間がある。そんな嶋津のピアノを加藤のよく歌うベースと、岡田の「メロディアスなドラム」(嶋津)が支えていた。

一方で嶋津はこの数年、かなりの数のオリジナル曲を書いてきた。彼のピアノの弟子であり音楽仲間でもあった作家、中島梓(栗本薫)の死を悼んだ「Tender Road to Heaven」などを聞くと、美しい、でもこれはもうジャズじゃないなと感ずることもあった。他のオリジナルもそうだ。それがジャズと呼ばれようと呼ばれまいと構わない、ただ美しい旋律をつくり、それをジャズのピアノ・トリオという形式を借りて表現している。そんなふうに思えた。

そんなふうにグループとして完成したと感じていた旧トリオとは別の新しいトリオを、なぜ嶋津がつくったのかは知らない。今度のメンバーは池田聡(b)、勘座光(ds)と、ぐっと若いミュージシャン。もっともこれでメンバーが固定されたのかどうかも分からない。演奏は嶋津のオリジナルが中心だった。

旧トリオと違うのは、オリジナルと言ってもアメリカ時代につくった古い曲と最近の曲が半々に演奏されたこと。嶋津は1985年にアメリカに行き、ジミー・スコット(vo)のグループで音楽監督を務めるなど10年間、向こうで活動していた。その時代の嶋津のオリジナルは、今度はじめて聴いた曲も多いけど「Maple Avenue Jive」とか「Harapeko」とか、いかにも黒人ジャズふうな、時にバップふうな、リズミカルなものばかり。

いかにもジャズっぽい古いオリジナルと、ジャズとは言えないかもしれない新しいオリジナルと、その合間に最近の彼が好んで弾くスタンダード「I Will Wait for You(シェルブールの雨傘)」なんかをはさんで、たっぷり楽しませてもらいました。

嶋津の原点に戻ったという感じの若いトリオ。まだ旧トリオの自由自在な成熟には遠いけど、新トリオの音楽がどう成長していくのかが楽しみ。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 25, 2010

『瞳の奥の秘密』 現代史の中の愛と犯罪

Photo

考えてみれば、本格的(?)なアルゼンチン映画を見るのははじめてだ。面白そうだった『僕と未来とブエノスアイレス』は見逃したし、評判の音楽映画『アルゼンチンタンゴ』はまだ見てない。アルゼンチンで撮影された映画なら『ブエノスアイレス』(ウォン・カーウァイ監督)や『モーター・サイクル・ダイアリーズ』(ウォルター・サレス監督)があるけど、資本関係や監督、俳優などの枠組みが国際的でアルゼンチン映画とは言いにくい。

『瞳の奥の秘密(原題:El Secreto de Sus Ojos)』も資本はスペインとの合作だし、監督のファン・ホセ・カンパネラはアメリカに渡ってTVシリーズを撮っている人だけど、まずはアルゼンチン映画と言っていいだろう。最近の映画は資本も人も国籍を超えて結びつくから、アルゼンチン映画とか日本映画とか言いにくくなっているけれど、それでも国によって映画の肌触りはずいぶん違う。

この映画が公開されたのは、『おくりびと』の翌年のアカデミー外国語映画賞受賞作という話題性もあったに違いない。ミニシアターが経営難でマイナーな映画を見る機会が減っているなか、いろんな国の映画が公開されるのは嬉しいし、僕が見た日曜夕方の回は満席で、お客が入っているのも嬉しい。

『瞳の奥の秘密』は物語も画面も音楽も温かな肌触りで、エモーションあふれる映画だった。

物語は、1999年の現在から1974年の過去へとフラッシュバックしながら進む。その間に流れた25年という歳月そのものが映画の主題になっている。1974年、ある殺人事件が起こる。銀行員の妻が何者かに暴行され殺される。被害者の知人が容疑者として拘束されるが、政情不安のなか彼は権力のスパイとなって釈放されてしまう。当時、イサベル・ペロン大統領が軍のクーデタによって追放され、軍事政権によるペロン主義者や左翼に対するテロが頻発していた。

ベンハミン(リカルド・ダリン)はこの事件を担当した刑事裁判所の係官(アルゼンチンの司法制度を知らないけど、刑事的な役割もするらしい)。1999年に退職するが、結局未解決に終わった25年前の事件が忘れられない。事件を忘れられないのは、当時上司だった美しい判事補イレーネ(ソレダ・ビジャミル)への思いが断ち切れないからでもある。イレーネもまた、左遷されたベンハミンを見送る別れのホームで初めて確かめた互いの思いに囚われて25年生きてきた。妻を殺された銀行員もまた、妻への思いから、釈放され消えた容疑者を追いつづけている。

そんな思いを持ちつづける3人にとって、25年の歳月も一瞬みたいなものだ。ベンハミンもイレーネも銀行員も、大事なことを言葉にぜずに25年間、それぞれの思いを抱きつづけてきた。そんな3人の思いが、映画の最後になって交錯する。一歩間違えれば大時代なメロドラマになりそうだけど、センチメンタルに流れないのは3人の沈黙の深さが画面に緊張を与えているからだろう。

ベンハミンが高卒の叩きあげなのに対して、イレーネはアメリカに留学し一流大学を卒業したエリートという設定。だからこそベンハミンは臆病になったのだが、そんな古風(?)な思いが描かれるのも、そういう社会構造がアルゼンチンに存在しているからだろう。(『モーターサイクル・ダイアリーズ』に描かれた若きゲバラも上流階級の出だった)。

ベンハミンの気のいい同僚(ギレルモ・フランチェラ)がアル中で役立たず、でもバーで朝から飲んだくれながら事件のカギを発見し、最後はベンハミンの身代わりにテロの犠牲になる脇のエピソードも泣かせる。Aの文字が打てない25年前のタイプライターとか、小道具も効いている。

古い写真から目つきだけで容疑者を割り出したり、満員のスタジアムで容疑者を見つけたり、偶然がすぎるところもあるけど、そんなことを忘れさせる語りのうまさ。『瞳の奥の秘密』はアルゼンチンでも大ヒットし、史上2番目の興行成績を上げたという。アルゼンチンの現代史を踏まえた愛と犯罪のドラマだからこそだろう。


| | Comments (0) | TrackBack (12)

August 24, 2010

北浦和 午後6時30分

1008231w

暗くなって都内へ出る用事があり、北浦和駅で出会った夕焼け。線路がオレンジ色に染まり、こんな光の具合は3分と続かない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 23, 2010

『フェアウェル さらば、哀しみのスパイ』 米国への皮肉な目線

Laffaire_farewell

ソ連が崩壊して東西冷戦が終わり、それとともにスパイものというジャンルも変質したと言われる。もっとも西側=正義、ソ連=悪という単純な構図のスパイものがつくれなくなっただけで、冷戦後の世界にも諜報活動は存在するし、それを反映したスパイものの小説や映画もつくられている。単純な善悪の図式的スパイものがつくれなくなっただけで、スパイものというジャンルは残っているし、複雑になってきた。

『フェアウェル(原題:L'affaire Farewell)』もそんな1本で、冷戦末期に実際に起こった事件に基づいている。主人公はブレジネフ体制下のKGB幹部・グリゴリエフ大佐(コードネーム「フェアウェル」。エミール・クストリッツァ)。

グリゴリエフは立場上、ソ連の体制が西側の先端技術を盗むことで成り立っているのを熟知していた。そんな体制に絶望した彼は、腐りきった祖国を崩壊させ、息子を新しい世界に生かしたいと、何の代償を求めずソ連の情報を西側に流す。彼が接触したのはフランス民間企業のモスクワ駐在技師・ピエール(ギヨーム・カネ)で、彼にソ連が盗んだスペースシャトルや原子力潜水艦の航路図、各国に張られたソ連スパイ網のリストなどを渡す。

この映画がアメリカでなくフランスでつくられたところがミソ。アメリカ的正義と無縁だし、大統領のレーガンが西部劇にうつつをぬかしていたり、アメリカへの皮肉な目線が効いている。

レーガンが大統領執務室で見ているのはジョン・ウェインの『リバティ・バランスを射った男』で、「わしにも出演のオファーがあったんだが…」と、未練たらしいセリフもある。僕も中学時代に見た。悪役のリー・マーヴィンが格好よかったけど、ジョン・フォードにしては間延びした映画だった記憶がある。

アメリカへのもっとも皮肉な視線はこの映画の結末。アメリカの裏切りによるどんでん返しでグリゴリエフは捕われてしまう。そのことを知らされたピエールは米軍将校に怒りをぶつける。

フランス映画らしく、追いつ追われつのスパイものサスペンスというより、小説でいえばジョン・ル・カレの世界。グリゴリエフとピエールの友情と、それぞれの家族の物語。誰にも心を許せず、孤立した世界で、2人が少しずつ友情を育み、一方、家族からは冷たい目で見られたりする。映画全体の冷え冷えした空気のなかで、2人が野原で語り合うわずかにホッとするシーンが印象に残る。

エミール・クストリッツァはセルビアの映画監督。彼の『アンダーグラウンド』や『黒猫・白猫』は、仮に僕が生涯で見た映画のベスト100本を選べば必ず上位に入ってくる作品。監督だけでなく、脚本を書き、カメラを回し、役者をやり、バルカン・ブラス・ロックの音楽をやったりと忙しいけど、今回選ばれたのは寡黙な風貌とともに、ロシア語とフランス語を話せるからだろう。

国内で完結しないこれからの映画づくりには、こういう多言語を話せる役者が重用されるんだろうな。日本にも、英語や中国語、韓国語をこなせる役者がもっと出てきてほしい。


| | Comments (0) | TrackBack (5)

August 22, 2010

朝顔

1008211w

わが家はなぜか花が咲くのが近所より遅い。庭木が混みすぎているせいか、野菜やこの朝顔などは苗でなく種から育てているせいか。夏も終わりになって、ようやく朝顔が次々と咲きはじめた。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 19, 2010

『キャタピラー』 乱歩の「芋虫」と映画

Caterpillar

映画のタイトル「キャタピラー(Caterpillar)」は日本語に直すと「芋虫」。江戸川乱歩が1929(昭和4)年に発表して発禁になった小説のタイトルなんですね。

この映画の製作が発表されたときは、確か江戸川乱歩原作と報道されていたはず。でも完成した作品に乱歩のクレジットはなかった。その間にどういう経緯があったのかは知らない。原作=乱歩がはずされた事情に興味はないけれど、できあがった映画と小説の差には興味があります。

ひとことで言えば、小説「芋虫」は乱歩らしい残虐と淫靡の世界だけど、映画『キャタピラー』はメッセージ性の強い反戦映画になっていた。

「芋虫」の主人公は、戦争で両手足を失い「黄色の芋虫」みたいな肉塊になってしまった元兵士とその妻。元兵士は金鵄勲章を授けられたが、やがて世間から忘れられ、「あとに残ったものは、不具者なるが故に病的に烈しい、肉体上の欲望ばかりであった。彼は……ガツガツと食物を要求し、時を選ばず彼女の肉体を要求した。時子(注・妻の名)がそれに応じない時には、彼は偉大なる肉ゴマとなって気ちがいのように畳の上を這いまわった」。

やがて時子は何の抵抗もできず、意思表示もできない夫をもてあそびはじめるようになる。「このまったく無力な生きものを、相手の意にさからって責めさいなむことが、彼女にとっては、もうこの上ない愉悦とさえなっていたのである」。

元兵士の死に終わるこの小説は、はじめ伏字だらけで『新青年』に発表された。でもそこで、思いがけない評価を受けることになった。戦後、乱歩はこう回想している。

「この小説が発表されると、左翼方面から称賛の手紙が幾通もきた。反戦小説としてなかなか効果的だ。今後もああいうイデオロギーのあるものを書けというのである。しかし私はこの小説を左翼イデオロギーとして書いたわけではない。この作は極端な苦痛と、快楽と、惨劇とを書こうとしたもので、人間にひそむ獣性のみにくさと、怖さと、物のあわれともいうべきものが主題であった。反戦的な事件を取り入れたのは、偶然それが最もこの悲惨を語るのに好都合な材料だったからにすぎない」(「自註自解」)

『キャタピラー』は、乱歩が誤解だという「反戦小説(映画)」として、若松孝二流に「芋虫」を換骨奪胎しようと試みたものだ。

小説では、戦争で四肢を失ったという設定以外に、戦争を連想させる小道具として金鵄勲章という言葉が一度、文中に出てくるだけだけれど、映画では軍神とあがめられる久三(大西信満。熱演)が受けた三つの勲章と、彼の武勲を称える新聞記事、額に入った昭和天皇の写真が繰り返し(5回も6回も)映し出される。カメラの視線がしばしば久三から天皇の額に移動するのは無論、天皇の命令が「芋虫」を生んだという告発を意味するけれど、繰り返しが単調。

小説と映画のいちばんの差は、元兵士と妻の関係だろう。小説では時子と夫の元兵士との間に人間的な交流はない。小説では元兵士の内面はまったく描写されず、「肉塊」として扱われている。そんな夫に時子は「残虐な遊戯」をしかける。その果てに、「ユルシテ」「ユルス」と指で皮膚に書くかすかなやりとりがあるのだが、その直後に二人は悲劇的な結末を迎える。

映画はそこが違って、ある種の夫婦愛の物語になっている。シゲ子(寺島しのぶ)は、両手足を失って帰還した久三に絶望するが、村では軍神の妻としてふるまうことを求められる。外に連れ出すときは「芋虫」になった久三に軍服を着せ勲章をつけ(これは献身でもあり久三へのいじわるでもある)、家では食事の世話、下の世話をし、彼が求めれば身体を開く。一方、久三はシゲ子と交わるとき、中国の戦場で女を犯し殺した記憶がフラッシュバックするようになり、人知れず恐怖し、不能になったりもする。

シゲ子は動物的欲求だけで生きている久三を叩くけれど、やがていとおくも思い始める。「食べて、寝て、食べて、寝て。それだけでいいじゃない」というシゲ子のセリフが、小説と違う映画のメッセージを象徴しているだろう。ただ、そんなシゲ子の心の揺れが見る者に納得できるよう描かれていないのが残念。

小説でも映画でも、最後に元兵士は死んでしまう。小説では事故とも自殺とも判然としないけれど、映画では(直接の描写はないが)明らかに自殺と受け取れる。それは中国での強姦・殺人体験と無関係ではないだろうし、久三なりのシゲ子への愛ゆえかもしれない。

「食べて、寝て」の二人を、美しい農村風景が取り囲んでいる(小説は屋敷内という密閉空間で展開される)。桜が咲き、シゲ子が田植えをし、稲穂が垂れ、雪が降る。新潟にロケしたようだけど、美しい日本の原風景と、挿入されるニュースフィルムが映し出す戦争の残虐の対比。突然だけど、若いころ見た木下恵介や今井正のヒューマンな反戦映画のテイストを思い出した。若松孝二だけに我ながら意外な連想。

思い出したといえば、似たような映画が過去にあった。『ジョニーは戦場へ行った』(ドルトン・トランボ監督)や『清作の妻』(増村保造監督)。

『ジョニー』は戦場で四肢を失った青年という同じ設定の主人公だけど、『キャタピラー』のように「食べて、寝て」という過酷な日常には目を向けない、その意味ではヒューマンだけど甘い映画。『清作の妻』は、妻が夫を戦場に行かせたくないばかりに夫の脚を切り落としてしまう物語。若尾文子のつきつめた表情が印象的で、強烈な夫婦愛と反戦の映画だった。

将来、どの映画がいちばん記憶に残るかと考えると、やはり『清作の妻』だろうか。

ここから先は夢想。換骨奪胎された『キャタピラー』でなく、乱歩そのままの映画『芋虫』を見てみたいな。『キャタピラー』の寺島しのぶはベルリン映画祭で主演女優賞を取るのも当然の演技だけど、もし『芋虫』が出来れば(そして彼女が出れば)その美しさは比類ないものになるだろう(若松孝二はピンクの監督として女性を主役にしてきたのに、女優を美しく撮ろうとしてないみたい。sexシーンとか、いくらでもきれいに撮れるのに)。

そんな『芋虫』ができれば、結果として『キャタピラー』より反戦映画としても優れた作品になるのではないか。監督は誰だろう? 過去に乱歩の世界を見事に映像化したのは……増村保造、加藤泰、田中登、みんな死んでしまったなあ。ここは石井輝男に期待するか。

| | Comments (0) | TrackBack (8)

August 18, 2010

ゴーヤと水草

1008182w

大きくなったゴーヤの実。初めて取れたのが1週間前。それからは次々に大きくなっている。

1008181w

水甕の水草ホテイアオイに花が咲く。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 12, 2010

『ペルシャ猫を誰も知らない』 知られざるイラン・ポップス

Persian_cats

イスラム教国のイランでは欧米のポップ・ミュージックを聴くのも演奏するのも規制され、CD発売もコンサートも許されていない。でも若いミュージシャンたちは逮捕され楽器を没収されながらも、アンダーグラウンドで活動をつづけている。

フォーク・ロックふうなデュオ、アシュカン・クーシャンネージャードとナデル・シャガギ(2人とも本名)は、国を脱出し、ロンドンで演奏しようとしている。そのためにはパスポートとビザが必要だが、アシュカンは逮捕されたことがあるから偽造パスポートを手に入れなければならない。

一方、この映画の監督、バフマン・ゴバディもまた前作が検閲にひっかかり、新作の撮影許可が下りないでいた。監督が偶然にアシュカンとナデルの2人と知り合ったことから『ペルシャ猫を誰も知らない(原題:Kasi Az Gorbehayeh Irani Khabar Nadareh)』が生まれることになった。

国外へ脱出しようとしている2人をそのまま映画に撮る。この映画にも撮影許可が出るはずがないから、撮影はゲリラ的に無許可でやる。撮影が終わったら、監督も2人もただちに国を出る。そんなふうに、映画製作そのものが現実との鋭い緊張をはらんだ映画である。それでいながら作品の印象はとげとげしいものでなく、むしろゆったりと豊饒。それが音楽の力だろうか。

物語は2人の実際の経験に基づいているけれども、偽造パスポートをあっせんする便利屋ナデル(ハメッド・ベーダード)を配したことで、映画がぐっとふくらみを持つことになった。機関銃のように早口でしゃべるナデルは楽天的でジョークが好きで、よきイラン人の典型なのだろう。

ナデルに導かれ、2人が次々にミュージシャンを訪ねることでイランのアンダーグラウンド・ミュージックの現在が紹介される。地下室で、あるいは農場の牛小屋で、郊外の野原で、彼らは他人に見つからないようフォークやロック、ヘヴィメタ、R&B、ラップを演奏している(すべて実在のミュージシャン)。民俗楽器を使ったワールド・ミュージックふうなものもある。今はアメリカにいるラナ・ファルハンの歌が素晴らしい。

彼らの音楽をバックに、ゲリラ撮影されたテヘランの路上の映像がリズミカルに組み合わされる。大きな袋をかついで歩く人々。路地裏を走るバイク。ごったがえす街角。路上生活者らしき男もいる。ゴミだらけの建設現場。こんなリアルなテヘランの姿を見るのは初めてかもしれない。ビルの屋上から撮影された夕焼けのテヘラン市街は雑然としているけれど、近代的な都市美とは違った美しさがある。

イランを出たゴバディ監督は、ドイツで編集などのポスト・プロダクションを行ったらしい。カンヌ映画祭に出品し、「ある視点」部門で特別賞を受けた。

今のところ主演した2人のミュージシャンもゴバディ監督もイランに帰ることができないでいる。クルド人であるゴバディ監督はずっとクルド民族とクルド地域にこだわって映画をつくってきたけれど(『酔っぱらった馬の時間』はゼロ年代ベスト10に入る映画だった)、これからはどこを根拠地にしてどんな映画をつくっていくのだろう。期待と不安が半ばする。

| | Comments (0) | TrackBack (5)

August 10, 2010

中村誠一を聴く

1008061w

地下の穴倉から上をのぞいてる写真で何だか分からないと思うけど、中村誠一・大森明スペシャルユニットの5人が演奏中。ピアノを弾く嶋津健一の顔だけがかろうじて映っている。

3年前まで習っていたピアノの師匠、嶋津先生(と、ここだけ敬称。あとは先生ではなくミュージシャンとして敬称略させていただきます)が中村誠一と共演するというので吉祥寺のSOMETIMEへ出かけた。店内は満員。露出させた鉄骨がいい雰囲気だ。

中村誠一といえば山下洋輔トリオの初代サックス。40年も前の1970年前後、新宿のPIT INNで何度も聴いたことがある。なかでも大晦日のオールナイト・ライブで、自殺した阿部薫と元日の朝まで壮絶なサックス・バトルを繰り広げた記憶は今も鮮明だ。

その後、山下トリオを離れた中村はオーソドックスなジャズをやるようになった。トリオを離れた数年後、一度だけ浦和のジャズ・クラブで50年代ふうのサックスを、山下トリオみたいな演奏ばかりやってたらこういうのをやりたくなるんだろうなあ、と思いながら聴いたことがある。久しぶりに聴いたのは去年の夏、山下トリオの歴代メンバーが集まった復活コンサートで(山下トリオだからフリーの演奏を)なつかしく聴いた。

この夜の演奏も、50年代のスタイル。いま、このスタイルで演奏するたいていのミュージシャンはどこか現代風な味付けをするけれど、中村誠一はそういう色気を見せないのが素敵だ。そのかわり、ゆったり吹くテナーやクラリネットの音がなんとも色っぽく、艶がある。嶋津作曲のバラードをクラリネットで吹いて、クラリネットってこんな豊かに感情のかすれまで表現できるのかと思った。ほかにもホレス・シルバーやジェイ・マクシャンの曲に聴きほれる。

共演した大森明(as)を聴くのは初めて。中村より乾いた音を出す。でも自作の「City Lights」はド演歌みたいにベタなメロディだったなあ。

嶋津健一は彼自身のトリオで聴くことが多くて、サイドメンで入ったのを聴くのはしばらくぶり。自分のトリオでは自分がやりたいもの、やりたいことをやるけど、サイドに入るとリーダー(今日は中村誠一)のやりたい音楽につきあう。50年代ふうにリズミカルで黒人ぽいピアノはふだん聴けないから楽しい。たまにはこういうサイドもやってよ、嶋津さん。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

August 07, 2010

済洲島をぶらり

1008033w

娘が韓国の済洲島で結婚式をやるというので、4日ほど行ってきました。

済洲島は2度目。最初に訪れたのは3年前で、この島出身の在日の大先輩にあちこち案内していただいた(その時のことは「済洲島あちこち」2007年4月)。

今回は家族同伴で、すべて新婚カップル中心、それにリゾート開発された観光団地からあまり外に出なかったこともあって、旅をしたって感じは薄い。

写真は大浦海岸の柱状節理。50万年前、冷却したマグマの表面が五角形や六角形に収縮・分裂しながら堆積してできたもの。

1008032w

済洲島には海女が多い。中文海岸で海にもぐっていた海女さんのの獲物は、さざえ、あわび、うに、それにタコ。

1008036w

済洲島は漢拏山を中央に抱く火山島で、どこへ行っても岩だらけ。畑の周囲も石で囲いがされている。石と風と女が多い「三多」の島と呼ばれる。石でつくった村の守護神「トルハルバン」は島の象徴。3年前にも行った城邑民俗村で。

1008034w

民俗村の民家。城邑民俗村は住民が住んだまま、伝統的な家屋や生活具を保存して観光客に見せている。民家の廊下に腰掛けて説明を受けたそば、中の部屋では亭主が扇風機に当たりながらごろ寝している。案内のボランティアをやっている村のお母さん(子どもが4人いる40代)によれば、「この島は昔から女が働いて、男はごろごろしてるだけ。男の天国なんですよ。でも最近の若い女性はどんどん離婚しちゃうから、この島の離婚率は韓国一」。

1008035w

民家の台所。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 05, 2010

庭に水やり

1008071w

4日ほど留守をしていたので、猛暑で庭がからからに乾いている。時間をかけ、たっぷりと水をやる。風にあおられた水しぶきが顔に冷たく心地よい。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

« July 2010 | Main | September 2010 »