『闇の列車、光の旅』 アメリカ行きの貨物列車
3年ほど前、ニューヨークの語学学校に1年間、通ったことがある。学校にはヨーロッパ、アジアはじめいろんな国の人間がいたけれど、特に多いのが中南米から来たヒスパニックの若者だった。
クラスでの授業は、毎日さまざまなテーマを決めて討論形式で進められる。僕らのクラスを担任する教師は、討論に当たって守るべきルールをふたつ定めていた。ひとつは、他人の悪口、他の国の悪口を言わない。もうひとつは、ビザについて話さない。
語学学校の学生にとって、ビザは微妙な問題だ。きちんとした学生ビザを持っている者もいれば、観光ビザで通ってきている者もいる。学生ビザを持っている人間でも、それはあくまで方便で、違法に働きながらアメリカ永住のチャンスを狙っている者もいる。なかには偽のビザやパスポートで通っている「不法移民」もいるかもしれない。教師はそれぞれの学生がかかえている、人によっては口にできない事情を慮ってそんなルールを定めたのだった。
『闇の列車、光の旅(原題:Sin Nombre、名無し)』を見終わって、主人公の少女、サイラ(パウリーナ・ガイタン)は、ひょっとしたら僕のクラスにいたかもしれないな。そう思った。
中米ホンジュラスに暮らすサイラは、アメリカから強制送還された父、伯父とともに、父がニュージャージー(ニューヨークの隣接州)に残してきた家族と再会するため、グアテマラ、メキシコを経てアメリカを目指す。サイラたちのようにビザもパスポートも持たない不法移民は、メキシコでは貨物列車の屋根に乗って1000キロ以上の旅をしなければならない。
サイラたちが貨物列車の屋根に乗ろうとするグアテマラ、メキシコ国境の始発駅・タパチュラには、ギャング団に属する少年カスベル(エドガー・フロレス)がいる。ギャング団は、貨物列車に乗る移民から金品を巻き上げるのを生業にしている。ギャング団のリーダーに恋人を奪われ殺されたカスベルは、列車の上でサイラを襲ったリーダーを衝動的に殺してしまい、それを知ってカスベルを追うギャング団からの逃避行をサイラとともにつづけることになる。
テーマは不法移民であり、スタイルはロード・ムービーであり、中身はサイラとカスベルの青春物語である『闇の列車、光の旅』は、オーソドックスなつくりで、静かに訴える力をもった映画だった。
物語のかなりの部分が列車の屋根の上で進行するのが、なにより素晴らしい。列車を舞台にした映画はたくさんあるけれど、屋根の上というのは記憶にない。
サイラとカスベルは、走る列車の屋根で風に吹かれ、雨に打たれ、飛行機雲が横切る青空に見入り、線路脇の木の葉に顔をなでられる。列車の屋根で2人は緑濃い森や遠く雪を戴いた山や、斜面に広がるスラムや線路脇で移民に果物を投げてくれる子どもたちに出会う。サイラやカスベルの目から見るそうした風景が印象的だ(実際に列車やトレーラー車を走らせて撮影している)。
その一方、夜の国境の駅にひしめく移民たちを、まるでうごめく虫みたいに俯瞰で捉えたショットや、体や顔面に禍々しいタトゥーを入れたギャングがたむろするスラムのすさんだ光景は、見る者に中米の国々のリアルを伝えてよこす。
(以下ネタばれです)ラストシーン。ひとりアメリカ国境を越えたサイラは、初めて見るアメリカの都市郊外風景、スーパー・マーケット、シアーズの建物の傍らにしゃがみこんでしまう。やがて彼女は公衆電話をかけ、ニュージャージーの家族と電話が通じたところで映画は終わるけれど、これがハッピーエンドであるとは思えない。
サイラが生まれ育ったホンジュラスは、アメリカの巨大企業ユナイテッド・フルーツがバナナ農園を経営して国の経済を支配してきた「バナナ・リパブリック」だ。でも「バナナ・リパブリック」の貧困から脱出してアメリカへ来た移民の大多数もまた、ビザもなく言葉もしゃべれなければアメリカ国内で再び貧困を強いられる。映画はひとまず終わるけれど、ここからまたサイラの新しい物語が始まるのだと感じられる。
原題のSin Nombre(名無し)は、サイラとカスベルと主役に名前はついているけれど、どんな名前とも交換可能な、中米のどこにでもある現実を描きだしているからだろうか。あるいは、アメリカ国境を越えても不法移民は名無しの存在として生きていかなければならない、という含意なのか。
サイラを演ずるメキシコ人女優、パウリーナ・ガイタンの一途な表情もよいけれど、カスベルを演じてこれが映画デビュー作になるホンジュラス人、エドガー・フロレスの虚無を秘めたぶっきらぼうな身体表現が魅力的だ。この映画のプロデューサー、ガエル・ガルシア・ベルナルのデビュー当時に似てるかも。
脚本・監督のキャリー・ジョージ・フクナガは日系4世のアメリカ人。過剰にセンチメンタルにならず、エンタテインメント性もたっぷりで、見た後の爽やかさもある。これが長編デビュー作とは思えない。
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