秋篠寺から海龍王寺へ
このところ仕事で大阪へ行くことが多く、せっかくだから京都か奈良で1日遊ぶことにしている。今回は奈良郊外の秋篠寺から海龍王寺まで歩くことにした。
近鉄西大寺駅から15分ほど歩くと、白壁の静かな風景のなかに秋篠寺の門が見えてくる。
西大寺駅は平城京遷都1300年祭に行く人たちでごったがえしていたけれど、こちらはひっそりと人影もない。
秋篠寺は奈良時代末期の建立。この本堂(国宝)はもともと講堂としてつくられたが鎌倉時代に大修理を受け、以後、本堂と呼ばれている。いかにも古い時代らしく飾り気のない、素朴な建物。
本堂には薬師如来を中心に日光・月光菩薩などが御座す。でもいちばん有名なのは技芸天だろう。技芸天はもともとヒンドゥー教のシバ神だったらしいが、仏教に取り入れられて芸能の神になった。この仏像は頭部だけが寺が創建された天平時代の乾漆像、首から下が鎌倉時代に補われた木造の寄木造りになっている。見事なバランスで、顔と胴が別の造り手のものとは思えない。
仏教の仏は釈迦をはじめ男性が多い。女性的な観音菩薩も、男性でもあり女性でもあるような姿をしている。でも技芸天は天女だから、当然女性です。顔はふくよかで上品。首から下は、女性といってもシバ神のように豊かな胸を持った肉感的な像ではない。左足を心持ち前に出し、そこに重心をかけて左前に少し身体を傾けている。そのわずかな腰のひねりと身体のラインで女性らしさを出している。見惚れてしまう。
本堂の扉。
寺の脇、奥まったところに秋篠窯という看板があったのでのぞいてみた。ここ秋篠の土と、翠篁釉(すいこうゆ)と呼ばれる青磁系の釉薬をほどこした陶器。僕はこういう土ものが好きでつい買ってしまう。和菓子を載せたらおいしそうだ。小皿2枚で2400円。
来た道を戻って西大寺へ。東塔跡の礎石(手前)の向こうに本堂がある。
西大寺へは45年ほど前、高校時代にひとりで来たことがある。寺近くの商人宿に1泊素泊まり700円で泊まった。そのころの西大寺に、観光客の姿はほとんどなかったと思う(今でもそんなに多くないけど)。いろんな建物が再建されておらず、夏の夕暮れ、がらんとした境内で子供が遊んでいるのが寂しかった。
今日はたまたま秘仏の愛染明王坐像と叡尊坐像が公開されていたので、愛染堂へ。叡尊坐像のつるりとした顔や村山元首相のような眉を見ていると、表情の奥に人格さえ浮かんでくる。鎌倉彫刻のリアリズムのすごさがよく分かる。
遷都祭が開かれている平城宮跡は避けて、法華寺へ回る。法華寺への道は平城京の一条通り。
法華寺へも高校時代、同級生のM君と来たことがある。当時の高校生らしく、2人とも和辻哲郎の『古寺巡礼』や額田王の和歌や入江泰吉の写真に入れ込んでいた。午後11時過ぎに東京駅を出る夜行に乗って、真夏の大和盆地と奈良を汗だくになりながら数日かけて回った。法華寺へは田園風景のなかを歩いてたどりついた記憶がある。いま周囲はすっかり住宅地として開発されている。
ここの有名な十一面観音は寺を発願した光明皇后の姿を写したとされ、数多ある十一面観音のなかでも代表的なもののひとつと言われる。でも高校生の目には、母親のような年恰好の、豊満だけどやや険のある像にしか見えなかった。いま見たらどう感ずるだろうと思うけど、残念ながら特別開帳が終わったばかり。隣にレプリカがあるけど、似て非なるものだった。
鐘楼。
法華寺から歩いて数分のところに海龍王寺がある。この寺も光明皇后の発願になり、ここの十一面観音も光明皇后自らが刻んだ像をもとにつくられたものという。1メートルに満たない小さな観音というせいもあるかもしれない、法華寺の十一面観音と違って穏やかで慈愛の表情をしている。
戦後まで秘仏だったこともあって、金泥や彩色、切金の模様が当時のまま鮮やかに残っている。奈良の有名な仏像のほとんどは造られた当時どう見えていたかを想像するしかないけど、この十一面観音は当時もこういうふうに見えていたんだと分かる。
ここには堂内に納められた高さ4メートルの五重小塔(国宝)がある。珍しい。天平時代のもので、当時の建築様式と技法を知ることができる。
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