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May 31, 2010

『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』と『用心棒』

Vengeance

香港ノワール『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を(原題:復仇、英題:Vengeance)』になぜ昨今のフレンチ・ノワールふう邦題がつけられたかといえば、そもそもフランス資本がジョニー・トー監督に話をもちかけた映画で、歌手のジョニー・アリディ主演だからなんでしょうね。

そういう成り立ちを反映してるのかしてないのか、この映画のジョニー・トー監督、普段にも増して遊び狂ってる感じだなあ。ファンはそれだけで楽しめるってなもんですが。

この作品には、過去のいろんな映画の影を感じました。それもジョニー・トー監督の映画としては今までになく強く。例えばジャン=ピエール・メルヴィルの『サムライ』、黒澤明の『用心棒』、それに東映現代ヤクザもののテイストも匂いました。いろんな映画からショットやシークエンスを借り、それをつないで1本の作品にしてしまうという剛腕(?)は、タランティーノの『キル・ビル』みたいなものと思えばいいんでしょうかね。

聞くところによると、ジョニー・トーはジョニー・アリデイ以前にアラン・ドロンにオファーしたとか。アラン・ドロンのノワールといえば、思い出すのはジャン=ピエール・メルヴィル監督の傑作群です。この映画との関係でいえば、『サムライ』でしょう。全編にわたってほとんど口をきかない殺し屋。

『冷たい雨に撃て』の元殺し屋、シェフのアリデイも、マカオ、香港では言葉の分からない異邦人です。黙っているしかありません。その無口は『サムライ』の殺し屋と共通です。というより、『サムライ』の殺し屋の隠れた趣味が実は料理で、殺し屋を廃業後レストランを開業、娘もでき、そしてン十年後、殺された娘の復讐にマカオにやってきた……と考えると、なぜトーがアラン・ドロンを起用したかったのか、その理由がストンと腑におちます。

もっとも映画全体のテイストは、音楽をまったく使わないハードな『サムライ』に対して、音楽じゃかじゃかで陽気で出鱈目な『冷たい雨に撃て』と対照的ですが。いわずもがなですがアリデイのソフト帽にトレンチコートは、『サムライ』のドロンもそうですが、ノワール・ハードボイルド系ヒーローのいでたちの定番です。

『用心棒』を感じたのは、マカオの夢の島みたいな埋め立て地(?)での対決シーン。空っ風吹きすさび、土埃舞う上州のさびれた宿場。跡目相続をめぐって2人の親分が対立している。三船敏郎の用心棒が双方を天秤にかけ、子分どもをたたっ斬る。その荒涼とした雰囲気が、『冷たい雨に撃て』に再現されています。

アンソニー・ウォン、ラム・シュらアリデイ組と敵が対決するシーンは、強風が吹きつけ、無数のゴミが宙に舞っています。ああ、『用心棒』だなあと思いました。丸太で組まれた櫓も『用心棒』に出てきた記憶があります。

もっとも『用心棒』はエンタテインメントながら黒澤流リアリズムに貫かれていますが、『冷たい雨に撃て』はここでも対照的です。敵の一人ひとりが巨大なサイコロみたいな圧縮ゴミをころがし、盾にしながらウォンたちに迫ってくるショットには思わず笑ってしまいました。『用心棒』の世界にいきなりこういうのを持ちこむのが、いかにもジョニー・トーです。

湾岸の荒涼とした埋め立て地での対決というと、『用心棒』ばかりでなく、東映現代ヤクザものも思い出しました。40年以上前、しかも毎週のように見ていたのでタイトルも記憶も定かでないのですが、東京湾の埋め立て地を舞台にクライマックスを撮っていた映画があったはずです。

着流しの一匹狼、鶴田浩二と、企業に衣替えした近代ヤクザ、三つ揃いをばしっと決めた渡辺文雄が対決する。荒地の背後にはコンビナートが煙を吐いている。いま考えれば近代対反近代の図式的なショットですが、当時は興奮したもんです(と書いていて思い出した。こういう図式的ショットを好んだのは若き深作欣二だから、『博徒解散式』だったか?)。

どうもトー監督は、このあたりも見ているのではないか。僕のカンですから、真偽のほどは保証できませんが。

もっとも、いろんな「借景」をつなぐのが、いかにもジョニー・トーらしい食事・食卓のショットなんですね。ジョニー・アリデイと3人組のアンソニー・ウォンらは、シェフのアリデイがつくるパスタをほおばりながら友情を固める。ジョニー・アリデイが死んだウォンらの仇を討つために立ち上がるのも、ウォンの仲間の子供たちと食事をしている埋め立て地の場でですね。

東映ヤクザなら、夜の土手、ドスを手にした健さんに池辺良が無言で寄り添うといった場面が、ジョニー・トーの映画では食卓になる。このへんがいかにも香港ノワールらしくて好きです。

そしてトー映画の食事シーンといえば欠かせないのが常連ラム・シュの存在です。この映画でもラム・シュは食い意地が張った殺し屋で、敵とはじめて対面する野外パーティのシーンでも、敵が贈った唐揚げ(?)をラム・シュだけは口にし、敵のプレゼントを食べるのかとたしなめられて惜しそうに吐き出すといったシーンがあります。ラム・シュのかもしだす笑いが、トー映画のもうひとつの側面ですね。

この映画、冷静に考えれば辻褄が合わないところがいっぱいあるし、アリデイと3人組が拳銃を撃って弾丸で無人の自転車を転がしたり、お遊びがすぎる気もしますが、ジョニー・トーのファンなら許してしまいますよね。というわけで、たっぷり笑い、楽しみました。


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May 29, 2010

ドクダミの花

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畑の隅に咲いたドクダミ。

可憐な花の姿に似ず、抜くと特有の匂いを発するけど、これはアルデヒドを含んでいるせい。中国や日本では解熱・解毒、虫さされ、胃腸病などいろいろな病気に効く薬草として用いられてきた。根にはデンプンがあり、食糧不足のときは煮て食したという。欧米では観賞用として植えられることもある。

黙っていても日陰にどんどん増えるので、なんとなく邪魔者扱いしがちだけど、すごい植物なんですね。

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数個だけ大きくなった梅の実。

数十個なった梅の実のほとんどは小さいまま落ちてしまったけれど、数個だけ大きくなった。さて、どうしたものか。梅酒にするには数が足らないし。

この1週間、仕事が立て込んでいるところに、ボランティアの用事があり、その上しつこい風邪をひいて最悪の状態。昨日、さして深くもない地下鉄・日比谷駅の階段を登りきったら息が切れ、しばらく休んでしまった。熱と咳がこんなに体力を奪っていたとは、やれやれ。

香港ノワール『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』とか、村上春樹『1Q84 book3』とか、書きたいことはいろいろあるんだけど、そのうちに。

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May 21, 2010

『グリーン・ゾーン』 ハリウッド・エンタテインメントの力

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こういうのが今、ハリウッドでいちばん良質のエンタテインメントなんだろうな。

かつて、ハリウッドの戦争ものエンタテインメントといえば、『ランボー』に代表されるように善玉と悪玉、正義と悪がはっきりし、スーパーヒーローが活躍する分かりやすい映画だった。いま、冷戦が終わって東西対立がなくなり、「分かりやすい戦争」がなくなったせいかもしれないが、そうした善と悪がはっきりした映画はファンタジーものが一手に引き受けているように見える。

イラク戦争については『告発のとき』『リダクテッド』『ハートロッカー』などがつくられたけれど、それぞれ立ち位置の差はあっても、アメリカが善、フセインは悪という単純な構図の映画ではなかった。これらの映画はどちらかというとシリアスな映画だったけど、『グリーン・ゾーン(Green Zone)』は、『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』のマット・デイモンとポール・グリーングラス監督が組んだ戦争ミステリー・アクション。それでも、かつての戦争映画のように分かりやすい映画にはなっていない。

バクダッドを占領した米軍・大量破壊兵器捜索隊隊長のミラー(マット・デイモン)は、情報に従って大量破壊兵器が造られていた工場を捜索するが、何度も空振りに終わる。国防総省高官(グレッグ・キニア)の情報に疑問をもったミラーは、CIAの現地エージェント(ブレンダン・グリーソン)と組んで真相を解明しようとする……。

(以下ネタばれです)大量破壊兵器がなかったという事実は誰もが知ってるわけで、サスペンスの芯は、大量破壊兵器情報をめぐる国防総省とCIAの暗闘。国防総省高官は内通したイラク軍将軍が差し出した情報を操作して、占領後の体制を自分たちの思いどおりに構築しようとする。

実際、ボブ・ウッドワード『ブッシュの戦争』を読むと、大量破壊兵器製造を名目にイラク侵攻を主導したのはラムズフェルド国防長官と国防総省で、CIAは政権の中枢からはずされていた。また内通者についても、ある程度事実に基づいているようだ。wikipediaによると、「カーブ(Curveball)」とコード名で呼ばれるイラン人化学技術者が大量破壊兵器製造についての情報をアメリカに流していたという(後に、この情報は偽物と断定された)。

そういうことからして、いかにもありそうな設定。マット・デイモンが最後、敵のイラク軍将軍と1対1で対決するという現実にはありえないシーンはエンタテインメントだから仕方ないとはいえ、マットが真相を追究すればするほどアメリカが「悪者」に見えてくる皮肉な図式になっている。また、マットのかたわらにイラク人通訳を配して、彼に「イラクのことはアメリカ人に決めさせない」と、マットにも冷たい目を向けさせている。アメリカ国内では、この作品は「反アメリカ的」という評がずいぶんあったようだ(監督以下、主要スタッフはイギリス人)。

エンタテインメント映画とはいえ、『グリーン・ゾーン』はこれだけ周到な設定をしている。そうしたいろんな配慮や複雑な設定を踏まえてなおスリリングなアクション映画に仕上がったのは、ひとつには脚本のブライアン・ヘルゲランドの力だろう。

ヘルゲランドは『LAコンフィデンシャル』や『ミスティック・リバー』にしろ、『マイ・ボディーガード』や『サブウェイ123 激突』にしろ、入り組んだ人間関係を巧みに処理し、サスペンスフルで、それでいて深く人間を見つめた脚本が多い。僕はヘルゲランド脚本の映画を見つけると、あ、また面白い映画に違いないと思う。

もうひとつ素晴らしいのは、撮影監督バリー・アクロイドのハンディ・カメラの映像。イギリス人のアクロイドは、硬派の映画をつくるケン・ローチ監督と組んできた。グリーングラス監督と組むのは『ユナイテッド93』以来、2度目。『ユナイテッド93』は、9.11のハイジャック機が墜落するまでをドキュメンタリー・タッチで、テロリストも犠牲になったアメリカ人も人間として同じ目線で描いたものだった。ちなみにイラク戦争を題材にした『ハートロッカー』もアクロイドの撮影。

アクロイドが撮影するハンディ・カメラの映像は、群衆ひしめくバクダッドの街頭で、あるいは敵が潜む暗い路地で、見る者もマット・デイモンの傍らにいると錯覚させるリアルさ。ぐらぐらと揺れ動く映像に、マットとともに街頭や路地に迷い込んだような感覚に襲われる。ロケはスペインとモロッコで行われている。

こういう優秀なスタッフに囲まれ、クールな苦みを漂わせるマット・デイモンを主役に配して、グリーングラス監督は見応えのあるサスペンスをつくりあげた。ハンディ・カメラの短いショットをモンタージュの技を駆使してつないでいくやり方は最近のハリウッドの流行だけど(もとをたどれば『24』『CSI』といった60分TVドラマで培われたものだろう)、この映画でも効いている。

マット・デイモンの彫り込みが足りないのはアクション映画だからまあ許すとして、ハリウッド・エンタテインメントの実力を見たと思った。


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May 20, 2010

根津美術館の鈴木其一

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根津美術館は去年の秋に隈研吾設計の本館ができて新装開館した。エントランスは竹をうまく使った和風の外観。

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ロビーには中国の石仏が置かれ、総ガラス張りの壁ごしに雨に濡れた庭園の緑がみずみずしい。

いまやっているのは所蔵品による琳派展(5月23日まで)。ここの琳派コレクションは素晴らしい。

一番人気は尾形光琳の「燕子花(かきつばた)図屏風」だけど、僕が見たかったのは鈴木其一(きいつ)の「夏秋渓流図屏風」。数年前に開かれた「大琳派展」で「燕子花図屏風」は見たけれど、「夏秋渓流図屏風」は見られなかった(どちらも期間限定の展示だったので)。

10年前、ある本を編集していて「夏秋渓流図屏風」を図版として使うことになり、根津美術館からフィルムを借りたことがある。そのときから現物を見たいものだと思っていたけど、忙しさにかまけてその機会がなかった。

印刷やネットで見る「夏秋渓流図屏風」は、「燕子花図屏風」よりもっとデザイン的な、鮮やかな色彩と形が印象的なイラストレーションふうの絵に見える。そこが、江戸絵画なのに現代に通ずるものがあると感じられる理由だろう。

ところが、現物に近づいてみるとその印象は一変する。描かれている植物や岩や水が、なまなましい力をもって見る者に迫ってくるのだ。

檜の針葉は、ひとつひとつ細密に描かれ絵具がぐりぐり盛り上がっている。幹に密生する丸い苔は、まるで檜を食いつくそうとするエイリアンみたい。山百合の白い花弁に散る斑点は、毒気を放つように禍々しい。真っ青な渓流は、水というより流動する身体をもった生命体のようだ。それらの背後にあって、まるで昨日箔を押されたみたいに輝く金箔に包まれたシュールな世界。

伊藤若冲とはまた別の意味で奇想の画家であることがよく分かる。

印刷物の編集に携わる者として、絵画でも写真でもたいていのものは印刷でかなりのところまで再現できると思っている。でもこの絵は、いちばん大事なところが印刷では伝わらない。パリでそれまで印刷を通して見るだけだったゴーギャンとゴッホをまとめて見たとき、ゴーギャンの色は印刷インクでは再現できない、ゴッホの絵から感ずる微妙な視覚の歪みも印刷では再現できない、つまり2人の絵描きの核が印刷では伝わらないんだなと思ったけど、似たような体験だった。

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May 17, 2010

快楽亭ブラック毒演会

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先月につづいて快楽亭ブラックを聞きにいく(5月15日、お江戸日本橋亭)。

前回、ブラック師匠の噺は一席(って言うんですね)だけ、しかもかなりやばい下ネタだった。でもそれ専門というわけじゃなく古典落語もやると聞いていたので、そっちも聞いてみたい。

今日は「毒演会」で、3時間で四席。10分ほどの仲入りをはさんで一人でしゃべるんだから、精神的にも肉体的にもタフじゃなきゃつとまらない。

マクラでいきなり、「あっしは5年前、死んでたんです」と来た。野村克也監督が動脈瘤で入院したニュースに絡んで、同じ病気で死んだ有名人一覧にブラック師匠の名前があったそうだ。ブラック師匠は死なずに生還したからこそ、いまこうして聞いているわけだが、「5年前からあっしは死者だった」ってシュールな感じ、30年前に大阪で何度か聞きにいった当時の若手no.1、桂枝雀のぶっ飛んだマクラを思いだした。

噺は前半が「藪医者」「お若伊之助」、後半が「たがや」「オマン公社」。前半はあまり調子が上がらないようだったけど、後半は快調でしたね。

なかでも志ん朝から稽古をつけてもらったという古典「たがや」が、志ん朝ゆずり(?)の軽快なテンポ。ところどころで解説が入り、ある描写を「落語はリアリズムです」と言ったそばから、次の描写で「落語はご都合主義です」と笑わせる批評的な語りもいい。だから最後、両国橋の空に舞い上がった殿様の首を花火に見立てて「たがや~」と声をかける落ちにシュールな「毒落語」の味が出た。今日の噺ではこれが一番。

「オマン公社」は定番のネタのようだけど、前回の「超アブないネタ」(本人曰く)を聞いているので、ちょっとした艶笑話程度にしか聞こえなかった。……って、ブラックを聞くのは2度目だけど、もうこんな反応をする。客って残酷だね。

席料は3200円だったけど、CD「快楽亭ブラック 毒落語3」がおまけについていたのでお得。


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May 14, 2010

秋篠寺から海龍王寺へ

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このところ仕事で大阪へ行くことが多く、せっかくだから京都か奈良で1日遊ぶことにしている。今回は奈良郊外の秋篠寺から海龍王寺まで歩くことにした。

近鉄西大寺駅から15分ほど歩くと、白壁の静かな風景のなかに秋篠寺の門が見えてくる。

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西大寺駅は平城京遷都1300年祭に行く人たちでごったがえしていたけれど、こちらはひっそりと人影もない。

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秋篠寺は奈良時代末期の建立。この本堂(国宝)はもともと講堂としてつくられたが鎌倉時代に大修理を受け、以後、本堂と呼ばれている。いかにも古い時代らしく飾り気のない、素朴な建物。

本堂には薬師如来を中心に日光・月光菩薩などが御座す。でもいちばん有名なのは技芸天だろう。技芸天はもともとヒンドゥー教のシバ神だったらしいが、仏教に取り入れられて芸能の神になった。この仏像は頭部だけが寺が創建された天平時代の乾漆像、首から下が鎌倉時代に補われた木造の寄木造りになっている。見事なバランスで、顔と胴が別の造り手のものとは思えない。

仏教の仏は釈迦をはじめ男性が多い。女性的な観音菩薩も、男性でもあり女性でもあるような姿をしている。でも技芸天は天女だから、当然女性です。顔はふくよかで上品。首から下は、女性といってもシバ神のように豊かな胸を持った肉感的な像ではない。左足を心持ち前に出し、そこに重心をかけて左前に少し身体を傾けている。そのわずかな腰のひねりと身体のラインで女性らしさを出している。見惚れてしまう。

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本堂の扉。

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寺の脇、奥まったところに秋篠窯という看板があったのでのぞいてみた。ここ秋篠の土と、翠篁釉(すいこうゆ)と呼ばれる青磁系の釉薬をほどこした陶器。僕はこういう土ものが好きでつい買ってしまう。和菓子を載せたらおいしそうだ。小皿2枚で2400円。

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来た道を戻って西大寺へ。東塔跡の礎石(手前)の向こうに本堂がある。

西大寺へは45年ほど前、高校時代にひとりで来たことがある。寺近くの商人宿に1泊素泊まり700円で泊まった。そのころの西大寺に、観光客の姿はほとんどなかったと思う(今でもそんなに多くないけど)。いろんな建物が再建されておらず、夏の夕暮れ、がらんとした境内で子供が遊んでいるのが寂しかった。

今日はたまたま秘仏の愛染明王坐像と叡尊坐像が公開されていたので、愛染堂へ。叡尊坐像のつるりとした顔や村山元首相のような眉を見ていると、表情の奥に人格さえ浮かんでくる。鎌倉彫刻のリアリズムのすごさがよく分かる。

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遷都祭が開かれている平城宮跡は避けて、法華寺へ回る。法華寺への道は平城京の一条通り。

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法華寺へも高校時代、同級生のM君と来たことがある。当時の高校生らしく、2人とも和辻哲郎の『古寺巡礼』や額田王の和歌や入江泰吉の写真に入れ込んでいた。午後11時過ぎに東京駅を出る夜行に乗って、真夏の大和盆地と奈良を汗だくになりながら数日かけて回った。法華寺へは田園風景のなかを歩いてたどりついた記憶がある。いま周囲はすっかり住宅地として開発されている。

ここの有名な十一面観音は寺を発願した光明皇后の姿を写したとされ、数多ある十一面観音のなかでも代表的なもののひとつと言われる。でも高校生の目には、母親のような年恰好の、豊満だけどやや険のある像にしか見えなかった。いま見たらどう感ずるだろうと思うけど、残念ながら特別開帳が終わったばかり。隣にレプリカがあるけど、似て非なるものだった。

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鐘楼。

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法華寺から歩いて数分のところに海龍王寺がある。この寺も光明皇后の発願になり、ここの十一面観音も光明皇后自らが刻んだ像をもとにつくられたものという。1メートルに満たない小さな観音というせいもあるかもしれない、法華寺の十一面観音と違って穏やかで慈愛の表情をしている。

戦後まで秘仏だったこともあって、金泥や彩色、切金の模様が当時のまま鮮やかに残っている。奈良の有名な仏像のほとんどは造られた当時どう見えていたかを想像するしかないけど、この十一面観音は当時もこういうふうに見えていたんだと分かる。

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ここには堂内に納められた高さ4メートルの五重小塔(国宝)がある。珍しい。天平時代のもので、当時の建築様式と技法を知ることができる。

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May 10, 2010

『アリス・イン・ワンダーランド』 3D体験

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3D映画として話題になった『アバター』を見てない。だから3D映画初体験なんて、並みの映画ファンにも及ばないけど、ともかくも初めて見た印象をメモしておこう。

『アリス・イン・ワンダーランド(Alice in Wonderland)』はディズニー・デジタル3DとIMAX3Dという2つの方式で上映されている。現在の3Dにはいくつかの方式があるけど、IMAX方式が画面の鮮明さ、立体感についてダントツに評判がいいようだ。ただIMAX方式の劇場は日本では109シネマズ系列の4館しかなく、東京にはない(って、僕は埼玉の住民で、埼玉県久喜市にIMAXシアターがあるんだから、そっちに行けばいいのにね)。

だから僕が見たのはディズニー方式3Dで、IMAXを見てから語れって言われそうだけど、まあそれはともかく……。

3D『アリス・イン・ワンダーランド』の印象をひとことでいえば、立体絵本が動いてる、って感じ。ページを開くと、折りたたまれたモノや人が垂直に立ちあがる立体絵本を見ているのに近い。遠くから近くまで、モノや人が自然な遠近感をもって立体的に見えるのでなく、選ばれた特定のモノや人が遠近いくつかのレベルで立体感に立ち上がる、と言えばいいのかな。

昔の3Dは、投げられたボールや槍が観客に向かって飛んできて、思わずよけてしまうような「脅し」が多かったけど、そして今回もそういうシーンはあるけれど、スクリーンの前方ではなく後方に奥行きを感じさせる立体感のあるシーンが多い。その意味では3D技術をこれ見よがしに使うんじゃなく、大人の使い方になってきたと言えるかも。

もっとも、3D自体が「見世物回帰」であるとは言えるだろう。19世紀末、まだ映画が見世物だったころの画期的フィルムに、ルイ・リュミエールの『列車の到着』というのがある。列車が駅に到着するのを低い視点の固定カメラで撮っただけのものだけど、はじめスクリーンの奥に小さく映っていた機関車が近づき、やがて観客にのしかかるほど大きくなる。観客は、機関車に轢かれると恐れて席から逃げ出した。

3D映画は、そういう体感を拡大したものだろう。といって僕は「見世物」が悪いとも思わない。映画はもともと見世物として出発し、見世物性をもっているからこそ20世紀の大衆的な娯楽として成功したわけだから……。ただ、マイナーな映画を好む僕の趣味からすると、今のところ3Dはまだ表現としての力を獲得していないように思う。

もともと映画は写真と基本的に同じフィルムを使っている(というより、もともと写真用の35ミリ・ロールフィルムを映画に転用した)。だから映画も写真も、3次元の現実をレンズを通して2次元のフィルムに焼きつけている。3次元の現実を2次元のフィルムに転写するのだから、現実がそのまま記録されるわけではない。写真的表現や映画的表現は、その不自由さのなかにこそ成立したんじゃないだろうか。そこにカメラという機械が介在していることが、いかにも20世紀的だけど。

その不自由さを捨ててもう一度3次元に戻ろうとする3Dが立体絵本という既視感のレベルでしかない現状では、今のところ3Dだから見に行こうとは思わないな。

映画としては、少女アリスがナウシカみたいな戦士に変貌し、原作の迷宮のような世界が善と悪のはっきりしたファンタジーになっていることが(ティム・バートンふうの味つけはあっても)不満だった。僕は流行のファンタジー映画をほとんど見てないけど、人間の想像力ってどんなに奔放になろうとしても結局は現実をなぞるしかないんだなと思った。まあそういうことは置いといて、楽しいディズニー映画ですけどね。


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May 08, 2010

白花エンドウ

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秋に種をまいた白花のキヌサヤエンドウを収穫。味噌汁の具に。しばらくは楽しめそう。


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May 06, 2010

来宮神社の大楠

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樹齢2000年と言われる熱海・来宮神社の大楠は、何度見てもその異形の姿に打たれる。

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来宮神社は江戸末期までは「木宮明神」と記されていた。この地には7本の大楠があり、「神が降りる木」として信仰をあつめていた。

ところが嘉永年間に熱海村で漁業権をめぐる争いが起き、訴訟費用を捻出するために5本を伐採してしまった。残る2本も伐ろうとしたところ、白髪の老人が現れてこれを遮り、木にあてた鋸が真っ二つに割れたという。村人たちは神のお告げだとして伐採をやめた。その2本が境内に残っている。

1本が、この樹齢2000年の楠。周囲23.9メートル、高さ20メートル。主幹は2本に別れていたが、1本は残念なことに1974年の台風で地上5メートルのところで折れてしまった。

古代人が巨樹巨木に畏怖の心をもち神を感じた理由が、この楠を見ているとよくわかる。

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楠は関東以南に自生する常緑樹。楢、椎などとともに東アジアの温暖多雨地域に広がる照葉樹林をなしている。関東の照葉樹林の多くは開墾され消えてしまったけれど、真鶴半島から伊豆半島にかけて、ところどころに残っている。葉や幹に樟脳を含んでいて芳香をもち、薬や虫よけに使われることはよく知られている。

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伊豆半島には「木の宮」と呼ばれる神社がたくさんある。おそらくこの来宮神社と同じように巨樹を神木としていたにちがいない。先日訪れた大和の三輪神社は三輪山そのものが神体で、本殿を持たない神社だった。来宮神社は大楠の手前に本殿があるけれど、三輪神社と同様、山や木や岩を神体とした古神道の面影を伝えているんだろう。


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May 01, 2010

古楽器を聴く

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寺崎百合子さんの展覧会「音楽」については、4月12日のエントリ「鉛筆の力」で書いた。この個展のために彼女が描いた古楽器、ヴィオロンチェロ・ピッコロ・ダ・スパッラによる演奏会があった(4月30日、銀座・ギャラリー小柳)。

ヴィオロンチェロ・ピッコロ・ダ・スパッラの「スパッラ(spalla)」は「肩」の意。通称「肩チェロ」と呼ばれる。写真で分かるように、チェロといってもヴァイオリンを大きくしたような形。革ひもで首にかけ、ヴァイオリンと同じように演奏する。ヴァイオリンより大きいから、弾く姿はちょっと窮屈な感じ。音程はチェロと同じだけど、弦が5本ある(チェロもかつては5本だったが現在は4本)。

ヴィオロンチェロは17世紀イタリアのボローニャでつくられた。当時の楽器はまだ大きさや形が標準化せず、時代や場所によってさまざまな種類のものがつくられていた。ヴィオロンチェロもそのひとつで、バロック時代の絵画に肩かけで演奏する姿が描かれている。数十台がヨーロッパ各地に現存しているという。

写真のヴィオロンチェロは、演奏しているディミトリー・バディアロフさんがつくったもの。コーカサス生まれのロシア人、ディミトリーさんはバロック・ヴァイオリンの演奏家であり、古楽器研究家であり、古楽器製作の職人でもある。

弾いてくれたのは主にバッハで、「無伴奏チェロ組曲」と「ヴィオロンチェロ組曲」から。僕は「無伴奏チェロ」はロストロポーヴィッチの演奏が耳になじんでるけど、チェロの重厚な響きに比べると軽い。チェロのようにズーンと体の芯に響いてくるのでなく、音がごつごつして耳に突き刺さる感じ(共鳴する胴が小さいから当然だろう)。そのかわり、表情が細かくよく動く。バッハがこの楽器のために作曲した「ヴィオロンチェロ組曲」は、その細かくよく動く感じがよく出てたと思う。

バッハが生きていた時代にはこういう音が鳴っていたのか。古楽器の音を堪能した夜でした。


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