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April 06, 2010

浦和ご近所探索 別所沼・4月

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桜の季節になると毎年見に行く別所沼の古木、2本。

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樹勢が弱っているため、木の下には入れないようロープが張られている。桜の寿命は60年といわれるが、僕がガキのころからあった桜だから無理もない。

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春休み最後の日。広場の桜の下では何組もが花見をしていたけれど、ここはぽつりぽつりと見にくる人がいるだけ。


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Comments

寿命が60年からせいぜい100年くらいのは江戸末から明治初期に作られ、明治中期以降大量生産され、公園や土手、軍連隊本部前などに植えられ、日本の桜の風景をまったく変えてしまったクローン桜ソメイヨシノだよ。

もともとの自生種である、山桜、エドヒガンザクラ、オオシマザクラは樹齢数百年、なかには一千年を越えるものもある。

Posted by: TAKAMI Toshio | April 10, 2010 05:09 PM

そうですね。以前、樹齢1000年といわれる三春の枝垂桜を見に行ったことがあります。先日も、大和盆地で樹齢100年は超えていそうな山桜を見かけました。いろんな種類の桜があって、いい風景でした。

花や実のものが園芸化(クローン化)するのは桜に限らないけど、染井吉野の花の盛りに僕は江戸や明治の都市的爛熟を感じて嫌いじゃないです。まあ、桜を日本原産と誤解したり、武士道の喩にしてナショナリズムの道具に使われたのもこの時代ですけどね。

Posted by: | April 10, 2010 10:07 PM

え〜と、交配を重ねて作り出す「園芸」花と、ソメイヨシノのような、もともとはたった一本の細胞の一部から増殖される同じ遺伝子の「クローン」はまったく違うよ。

染井村の植木職人と商人は、桜の名所吉野の桜と同じものが東京で見られるというマーケティング戦略で、厚顔にも「吉野桜」と名付けて売り出し、明治の中頃には苗木の大量生産体制ができ、上野公園をはじめ東京の街を覆いつくした。旧武家屋敷の山桜は「封建」の象徴ともされ、切り倒され薪にされた。

やがて吉野の山桜とは縁もゆかりもないことが発覚し「ソメイヨシノ」と命名されなおしたのは1900(明治33)年。

この後の「桜=ソメイヨシノ」と軍国主義、靖国との結びつきはもちろん、戦後も21世紀にも続いている「ソメイヨシノ的」国民性はずっと撃ち続けなければならないと私は思っている。

Posted by: TAKAMI Toshio | April 11, 2010 03:26 AM

あ~、なるほど。エドヒガンとオオシマザクラの交配種として人工的につくりだされたからでなく、種でなく接ぎ木で増えるから「クローン」なわけですね。そこを混同していたんだ。

桜=染井吉野が近代日本のナショナリズムに動員されたことはまったく同感です。それが可能になったのも、染井吉野がそれだけ妖しい吸引力をもっていたからでしょう。一斉に咲き一斉に散る「日本人好み」の美しさもクローン故でしょうね。

梶井基次郎が「桜の樹の下には死体が埋まっている」といった「桜」がどの桜なのかは分かりませんが(彼は東京で生活する一方、ヒガンザクラの多い伊豆に療養中これを書いている)、この小説のイメージには染井吉野の妖しさが影響しているように僕には思えます。その死の影も、クローン故ということかな。僕も含め多くの人間がその美しさに惹きつけられるものを、どう「撃って」いくのか。自分の身を切る作業ですね。

Posted by: | April 11, 2010 01:15 PM

そう、北海道のソメイヨシノも鹿児島のソメイヨシノも、もとをただせばたった一本の細胞から増殖されたコピー。

実生の山桜などは、祖先の血のあらゆる可能性を持って育ち、一本一本が環境に応じて変幻するが、クローン木であるソメイヨシノは、ほかのソメイヨシノと区別されるような個性を持つことはできない。

北海道のソメイヨシノも鹿児島のソメイヨシノもまったく表情は同じ。一斉に咲き、一斉に散る。

梶井基次郎はもともとエンジニア志望の理系人間だったから、このクローン桜の不気味さ、シュールさに敏感だったのかも。

渡辺淳一は『桜の樹の下で』で、梶井が描いたのは染井吉野であり、その妖しさ、哀しさ、狂おしさだったろうととれる描写をしている。

「でも、屍体が埋まっているのは、枝垂れ桜ではないような気がする」
「なんでですか」
「染井吉野のような、気がしないかな」
…大空に広げた枝一杯に花をあふれさせる染井吉野のほうが、乱れ咲く桜の狂気を秘めていそうである。

桜自体は無心に生きているのだろうけれど、歴史や文化と深く結びついていて、実に「怖い」花だと思う。

Posted by: TAKAMI Toshio | April 11, 2010 03:31 PM

もうひとつ思い出すのは坂口安吾の「桜の森の満開の下」です。小説の設定は染井吉野以前の山桜の時代だけど、安吾は時代考証に無頓着なところがあるから、これもたぶん染井吉野のイメージでしょうね。

「桜の花が咲くのだよ」
「桜の花と約束したのかえ」
「桜の花が咲くから、それを見てから出掛けなければならないのだよ」
「だから、なぜ行って見なければならないのよ」
「花が咲くからだよ」

「花が咲くからだよ」というセリフがすごい。

Posted by: | April 11, 2010 07:58 PM

われわれが生まれた1947年(戦後2年)に発表された坂口安吾の『桜の森の満開の下』は、日本近代の桜をめぐる文化史のなかでも特筆すべき作品で、「軍国の桜」も「王朝の桜」も越えた土俗の狂おしく畏怖すべき残酷美の桜を描いた。

これについてはおいおい記したい。

Posted by: TAKAMI Toshio | April 11, 2010 08:52 PM

おお、楽しみにしてます。

Posted by: | April 11, 2010 10:38 PM

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