『シャッター・アイランド』 不安の時代
ゼロ年代に入ってレオナルド・ディカプリオと組んでからのマーティン・スコセッシは、映画でアメリカ史を描くことに興味を持っているように見える。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』はニューヨークを舞台に19世紀半ばの移民同士の対立をテーマにしていたし、『アビエイター』は20世紀アメリカを象徴する富豪、ハワード・ヒューズを主人公にしている。『ディパーテッド』は香港ノワール『インファナル・アフェア』のリメイクで現代の物語だけれど、これもアメリカ史に輝く町・ボストンの裏の顔である貧困と犯罪を素材にしたボストン裏面史になっていた。
『シャッター・アイランド(原題:Shutter Island)』の主題は、1950年代という時代。第二次大戦に勝利したのも束の間、東西冷戦がはじまり、国内では赤狩りの嵐が吹き荒れていた。映画には、この時代を象徴するさまざまなキーワードがちりばめられている。
映画の設定は1954年。ボストン沖の孤島に、精神疾患の犯罪者だけを収容する病院がある。この病院には赤狩りの主役である非米活動委員会が関係している、というセリフが出てくる(この作品のセリフはすべて疑わしいのだが、それはひとまずおいて)。
この病院では、収容者に対して人体実験が行われているらしい。この島に捜査に来た連邦保安官テディ(レオナルド・ディカプリオ)は、老医師・ネーリング(マックス・フォン・シドー)のアクセントがドイツ語訛りであることに気づく。戦後間もない時代、ドイツ人、人体実験とくれば誰もが連想するのは、ナチスが強制収容所で行ったさまざまな人体実験だろう。この島にはナチスの残党も絡んでいる?
テディは島に来てから体調が悪くなるのだが、これは薬物投与によってマインド・コントロールしようとする実験であることが明らかになる。また映画の最後に来て、人体実験とはロボトミーであることも明かされる。ロボトミーも、この時代のアメリカで統合失調症患者や粗暴な患者に盛んに行われた非人間的な仕打ち(クリント・イーストウッドの『チェンジリング』でも、ロボトミーが取り上げられていた)。
そんなふうに、ことの真偽はともかく、不安の時代だった1950年代前半を表すキーワードが次々に繰り出される。
それだけでなく、もうひとつ大きな仕掛けがほどこされている。
戦後、赤狩りを背景にした不安の時代に大量に生まれたのがフィルム・ノワールと呼ばれる映画群だった。赤狩りでは、たくさんの映画関係者が召喚されたり、追放されたりし、友人を裏切る者(エリア・カザンら)もいた。フィルム・ノワールの多くはハリウッドのギャング・犯罪映画だけれど、そうした現実を反映して、エンタテインメントにもかかわらずモノクロームの画面は黒く(ノワール)、映画全体の雰囲気も今見ると驚くほど沈んだ、重苦しいものが多い。
『シャッター・アイランド』は、このフィルム・ノワールのスタイルを現代的に再現している。不安を増幅させるような黒く歪んだ画面。ジョン・ケージやブライアン・イーノのノイジーな音楽。島に潜入した捜査官が迷宮をさまよう物語。スタイルそのもので、1950年代というこの映画のテーマを表現しているわけだ。スコセッシは『タクシー・ドライバー』以来、ノワールの匂いを持ち、見る者の神経を逆なでするような映画を何本もつくっているけれど、これもその1本。
最後に、大きなどんでん返しが仕掛けられているわけだけど、それは見てのお楽しみ。おおよそ想像つきますけどね。
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